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放課後、七不思議クラブに入ったら、学校の怪談が味方になりました 〜怖がり小学生と口の悪い座敷わらしの、謎解きサバイバル日記〜  作者: Deresuke・ごじゃっぺ・太郎


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第8話 ベートーベン先生のながすぎる説教

「名前を捨てようとしている子どもよ」


 ベートーベンの肖像画が、もう一度そう言った。


 低くて太い声だった。


 音楽室の壁だけではなく、ピアノや机や、ぼくの胸の中まで一緒に震えた気がする。


 ぼくは入口まで後ずさった。


 隣にいたひまりも、ぼくの服の袖をつかんで離さない。


「しゃべった」


「うん」


「肖像画、しゃべったよね」


「うん」


「何で森野は、こういう時だけ返事が短いの」


「長く話したら、もっと何か言われそうだから」


 レンだけは動かなかった。


 ピアノから一歩下がった場所で、ベートーベンの肖像画を見上げている。


 顔は青い。


 唇も少し震えている。


 でも、手に持ったタブレットは肖像画へ向けられたままだった。


「これは誰かが仕掛けた音声ですか」


 レンが聞いた。


 声はいつも通り落ち着いているように聞こえた。


 ただし、言葉の終わりがほんの少し急いでいた。


 肖像画の眉が動いた。


 絵なのに。


「誰かの仕掛けであるかどうかなど、今は重要ではない!」


「僕にとっては重要です」


「重要ではない!」


「それを決めるのは、あなたではないと思います」


「屁理屈を言うな!」


 音楽室のピアノが、じゃーん、と大きく鳴った。


 ぼくとひまりは同時に肩を跳ね上げた。


 すずめだけが楽しそうに笑っている。


「相変わらず、話が長くなりそうだねぇ」


「知り合いなの?」


 ぼくが聞くと、すずめは腕を組んだ。


「知り合いというか、同じ学校に住んでるからね。廊下ですれ違えば、まあ挨拶くらいはする」


「怪談も廊下ですれ違うんだ」


「するよ。花子さんなんか、掃除の仕方が悪いって、よくこいつに文句を言ってる」


「ベートーベンが掃除するの?」


「夜になると、額縁ごと少し動くから」


「怖いことを普通に説明しないで」


 ぼくたちが小声で話していると、肖像画がまた怒鳴った。


「そこ! 私が話している時に、こそこそしゃべるな!」


「すみません!」


 ぼくは反射的に頭を下げた。


 ひまりもつられて頭を下げる。


 レンは下げなかった。


「あなたは誰ですか」


「見れば分かるだろう!」


「ベートーベン本人ではありません。肖像画です」


「分かっておる! 私が自分を本物のベートーベンだと名乗ったか!」


「では、どう呼べば?」


 肖像画は黙った。


 聞かれると思っていなかったらしい。


「……ベートーベン先生でよい」


「先生なんですか」


「長くこの音楽室におる。子どもたちより音楽に詳しい。ならば先生だ!」


「自分で決めたんですね」


「黒川くん」


 ひまりがレンの腕を引いた。


「今は、それくらいにしておいた方がいいと思う」


「どうして?」


「顔、すごく怒ってるから」


「もともとこういう顔かもしれない」


「聞こえておるぞ!」


 じゃじゃーん、とピアノが鳴った。


 レンも今度は少し肩を震わせた。


 ひまりが小さな声で言う。


「ほら、怖いんじゃん」


「驚いただけ」


「まだ言うんだ」


 ベートーベン先生は、額縁の中からレンをにらみつけた。


「おまえは、すぐに言葉を別の言葉へ置きかえるな。怖いのではない、驚いただけ。寂しいのではない、一人が好きなだけ。友だちがほしくないのではない、どうせ必要がないだけ!」


 レンの顔が強ばった。


「勝手なことを言わないでください」


「勝手ではない。音が教えてくれる!」


「音?」


 ぼくが聞くと、ベートーベン先生は少し得意そうに顎を上げた。


「この音楽室では、人間の心が音となって表れる。口で嘘をついても、音は嘘をつかん」


「さっきのピアノも?」


「そうだ」


 ピアノの鍵盤が一つ沈む。


 ぽん。


「人は誰でも、自分だけの音を持っておる。うれしい時、悲しい時、怒っている時。同じ名前でも、その時々で響きが変わる」


 別の鍵盤が沈んだ。


 さっきレンの名前を呼んでいたリズムが、もう一度鳴る。


 ぽん、ぽぽん。

 ぽーん。

 ぽん、ぽん。


 レンの指が、タブレットの端を強くつかんだ。


「僕の心を読んだと言いたいんですか」


「読んだのではない。聞いたのだ」


「同じです」


「同じではない!」


「他人の気持ちを勝手に聞くのは、のぞき見と変わりません」


「おまえがあまりに大きな音で、聞いてほしいと鳴らしていたのだ!」


「そんなこと思っていない!」


 レンの声が、初めて大きくなった。


 音楽室が静まり返る。


 レン自身も、自分の声に驚いているようだった。


 タブレットの録音画面に、声の波が大きく残っている。


 ひまりはレンを見ていた。


 いつもならすぐ言い返しそうなのに、今は何も言わない。


 ぼくも、何を言ったらいいか分からなかった。


 レンは唇をかみ、すぐに顔をそらした。


「僕は、別に聞いてほしいことなんてありません」


 また、別にと言った。


 でも今度の別には、朝の教室でひまりが言ったものとも、大地が「もういい」と言った時のものとも違って聞こえた。


 本当は、別にじゃない。


 そう聞こえた。


 ベートーベン先生は、少し声を落とした。


「ならば、なぜその音を覚えている」


「何の話ですか」


「その名前を呼ぶ音だ。前の学校の友人が作ったのだろう」


「友人ではありません」


 返事が早かった。


「同じクラスだっただけです」


「同じクラスの者が、わざわざおまえだけの呼び方を作るか?」


「作りました」


「なぜ」


「ふざけていただけです」


「おまえは、そう思っていなかった」


「思っていました」


「ならば、その者の名前を言ってみろ」


 レンは答えなかった。


 ベートーベン先生の声が、また音楽室に広がる。


「名前を呼ばれるのが嫌いなのではない。呼ばれなくなることが怖いのだろう」


「違う」


「転校するたびに、前の学校の者とは話さなくなる。最初は連絡が来る。次第に減る。新しい友だちができたと言われる。おまえは、置いていかれたと思う」


「違います」


「だから最初から友だちを作らない。話しかけられれば冷たく返す。相手が離れれば、自分の考えが正しかったことにする」


「違う!」


 ピアノが強く鳴った。


 レンが叫んだのか、ピアノが叫んだのか、一瞬分からなかった。


「何も知らないくせに、勝手に決めつけないでください!」


 レンは額縁をにらんだ。


「僕は、前の学校の人たちを恨んでなんかいない。連絡が減るのは普通です。いつまでも離れた人に合わせて生活できない。新しい学校で、新しい友だちができる。そんなの当たり前です」


「では、おまえも新しい友だちを作ればよい」


「必要ありません」


「なぜ」


「また転校するかもしれないからです!」


 レンは言い切った。


 そのあと、音楽室から音が消えた。


 外の運動部の声さえ、遠くなったように思えた。


 レンの肩が上下している。


 いつも何でも分かっているような顔をしていたレンが、今はどうしたらいいか分からない顔をしていた。


「父の仕事の都合です」


 レンは、誰に聞かれたわけでもないのに続けた。


「前の学校も、その前も、その前も。慣れたころには引っ越す。最初は友だちになろうと言われます。連絡先も交換する。でも、離れたら終わりです」


「終わりじゃないこともあるでしょ」


 ひまりが言った。


 レンは、ひまりを見た。


「朝倉さんは、何回転校したことがある?」


「ないけど」


「それなら分からない」


 ひまりの顔が、むっとする。


 けれど、今回はすぐに言い返さなかった。


「分からないよ」


 ひまりは少し考えながら言った。


「たぶん、全然分からない。でも、分からないからって、話を聞いちゃだめなわけじゃないでしょ」


「聞いて、どうするの?」


「どうもしないかも」


「意味がない」


「すぐ意味を求めるの、やめたら?」


「意味のないことをする理由がない」


「友だちって、だいたい意味のないことするものじゃん」


 レンが眉を寄せた。


 ひまりは言葉を探すように、天井を見た。


「給食のプリンを最初に食べるか最後に食べるか言い合ったり、何でもないのに一緒に帰ったり、くだらないことで笑ったり。別に役に立たないし、ずっと続くかも分からない。でも、その時は楽しい」


「終わったら、余計に寂しくなる」


「なるかもしれない」


「なら、最初からいらない」


「それは、黒川くんが一人で決めることだから、別にいいけど」


 ひまりはそこで一度言葉を止め、少し意地悪そうに続けた。


「でも、それなら一人で音楽室に入ればよかったじゃん。私たちが来た時、追い返さなかったよね」


「鍵を借りたのは僕だから」


「一緒に入れてくれた」


「勝手に入ってきた」


「扉、押さえてくれたじゃん」


「閉まると危ないから」


「ほら。そうやって、全部に理由つける」


 レンの口が止まった。


 すずめが、ぼくの肩の上で楽しそうに笑った。


「ひまりは、話し方が乱暴だけど時々当たるねぇ」


「聞こえてるからね」


 ひまりが、ぼんやり見えるすずめへ言った。


「話し方が乱暴なのは、すずめにだけは言われたくない」


「元気があってよろしい」


 ベートーベン先生が、重々しく咳払いをした。


「こほん」


「まだ話すんですか」


 レンが言った。


「まだ本題の半分も話しておらん!」


 ぼくは思わずすずめを見た。


「本当に長いね」


「だから言っただろ」


 ベートーベン先生は、額縁の中で胸を張る。


「友とは何か。別れとは何か。人間はなぜ名前を呼び――」


「先生」


 ぼくは勇気を出して手を挙げた。


「何だ、部長」


「その話、たぶん一時間以上かかりますよね」


「最低でも二時間は必要だ」


「学校、閉まります」


「怪談に下校時刻など関係ない」


「ぼくたちにはあります」


 ベートーベン先生は不満そうだった。


 でも、そのまま続けさせたら本当に夜になりそうだった。


「黒川くん」


 ぼくはレンを見た。


「何」


「その音を作った人、どんな人だったの?」


 レンは少し警戒するように目を細めた。


「どうして?」


「ベートーベン先生より短く聞けそうだから」


「おい!」


 肖像画が怒鳴った。


 ぼくは聞こえないふりをした。


 レンは、しばらく黙っていた。


 やがて、ピアノの鍵盤を見ながら言う。


「うるさい人だった」


「朝倉さんみたい?」


「どういう意味?」


 ひまりがぼくをにらむ。


「明るくて、よく話す人って意味」


「先にそう言ってよ」


 レンは、ほんの少しだけ口元をゆるめた。


「朝倉さんより、もっと余計なことを言う。僕が本を読んでいても話しかけるし、昼休みになると勝手に隣へ座る。僕が嫌そうな顔をすると、面白がって余計に話す」


「かなり迷惑そうだね」


 ぼくが言うと、レンはうなずいた。


「迷惑だった」


「でも、その呼び方は覚えてる」


 レンは返事をしなかった。


「最後に会った時は?」


 ひまりが聞く。


「駅まで見送りに来た」


「何て言われたの?」


「また連絡するって」


「連絡、来た?」


「最初は」


 最初は。


 その先は、聞かなくても分かった。


 レンはタブレットの録音画面を閉じた。


「僕も返信していた。でも、そのうち何を書けばいいか分からなくなった。向こうの学校の話をされても知らない人ばかりだし、こっちの学校の話をしても向こうには分からない」


「それで連絡しなくなったの?」


「向こうから来なくなった」


「黒川くんから送ればよかったじゃん」


「送る用事がなかった」


「用事がなくても送るんだよ」


「何を?」


「今日の給食がプリンだった、とか」


「それを送って、どうするの?」


「知らないけど。プリンだったんだって思う」


「それだけ?」


「それだけ」


 レンは、本気で分からないような顔をしていた。


 ひまりも、説明に困っている。


 ぼくは、少し考えて言った。


「返事が来るか知りたかったんじゃない?」


 二人がぼくを見る。


「プリンの話に意味はないけど、送って、返事が来たら、まだ名前を覚えてくれてるって分かるから」


 自分で言いながら、少し恥ずかしくなった。


 ぼくは友だちにそんな連絡をしたことはない。


 そもそも連絡先を交換している相手も少ない。


 でも、レンがあのリズムを聞いた時の顔を見たら、そんな気がした。


 レンは長いこと黙っていた。


「森野くんは」


「うん」


「変なことを言うね」


「よく言われる」


「でも、たぶん……そうかもしれない」


 ピアノが、小さく鳴った。


 さっきまでの不気味な音ではなかった。


 ぽろん、と柔らかい音だった。


 ベートーベン先生が、満足そうにうなずく。


「ようやく自分の音を聞いたな」


「先生の説教のおかげではないと思います」


「私の導きがあったからだ!」


「森野くんと朝倉さんが話したからです」


「その二人をここへ導いたのは私だ!」


「僕が先に音楽室を調べていました」


「細かい!」


 ベートーベン先生とレンが、今度は同じくらいむっとした顔をした。


 ひまりが笑い出す。


 ぼくも、少しだけ笑った。


「黒川くん」


 ひまりが言う。


「今すぐ友だちになれとか言わないから」


「言われても困る」


「最後まで聞いてよ。次に七不思議を調べる時、来てもいいよ」


「何で上から?」


「私たちのクラブだから」


「部長は森野くんでは?」


「私は副部長」


「いつ決まったの?」


 ぼくが聞くと、ひまりは平然と言った。


「今」


「ぼくに相談してよ」


「部長が頼りないから副部長が必要でしょ」


「否定できないのが嫌だ」


 レンは、ぼくたちを交互に見た。


「僕は怪談を信じたわけではない」


「ベートーベン先生がしゃべってるのに?」


「まだ仕組みを説明できていないだけ」


「頑固だねぇ」


 すずめが言う。


 レンには聞こえなかったはずなのに、なぜか少し嫌そうな顔をした。


「でも、記録は続けたい」


 レンはタブレットを持ち直した。


「同じ現象がまた起きるなら、条件を比べられる。七不思議クラブのノートも調べたい」


「貸さないよ」


 ぼくは、すぐに言った。


「どうして?」


「名前を書いたら部長にされるかもしれない」


「部長は一人では?」


「分からない。副部長にされるかもしれない」


 ひまりが口をはさむ。


「副部長は私」


「それも今決めたんでしょ」


「じゃあ黒川くんは記録係」


「勝手に役職を決めないでほしい」


「嫌?」


「……記録はする」


「じゃあ記録係」


 レンは反論しようとした。


 でも、途中でやめた。


「次に調査する時は、声をかけて」


「それ、仲間になるってこと?」


「観察対象に同行するだけ」


「友だちじゃない?」


「違う」


「じゃあ、森野の名前呼んでみて」


 ひまりが急に言った。


「どうして?」


「友だちじゃなくても、名前くらい呼べるでしょ」


「今まで呼んでいる」


「森野くんって苗字で。こたろうって呼んで」


「嫌です」


「何で急に敬語?」


「嫌だから」


「ほら、名前呼ぶの怖いんじゃん」


「怖くない」


「じゃあ呼べる」


 ひまりは完全に面白がっていた。


 レンは、心底嫌そうな顔をする。


 ぼくは間に入った。


「無理に呼ばなくていいよ」


「部長がそう言っておるのに、なぜ少し残念そうな音を出す!」


 ベートーベン先生が叫んだ。


「出してません!」


 今度は、ぼくの声が裏返った。


 ひまりが笑う。


 すずめも笑う。


 レンまで、ほんの少しだけ口元をゆるめた。


 それからレンは、ぼくを見た。


「森野」


「え?」


「次に調べる時は、僕にも知らせて」


 名字だった。


 でも、今までより少しだけ近い呼び方に聞こえた。


「うん」


 ぼくが答えると、ピアノが短く三音を鳴らした。


 明るい音だった。


 ベートーベン先生は満足そうにうなずく。


「名前を呼ぶとは、相手がそこにいると認めることだ。人は――」


「また始まった」


 すずめが言う。


「帰ろう」


 ひまりが扉を開ける。


「先生の話、まだ終わってないよ」


 ぼくが言うと、ベートーベン先生が叫んだ。


「当然だ! ここからが重要なところで――」


 その瞬間、ピアノが勝手に鳴った。


 今までとは違う、暗く、重い音だった。


 どん。


 どん。


 どん。


 レンがタブレットを見た。


「同じ間隔で三回」


 続いて、高い音が四つ。


 そして、低い音が二つ。


 ベートーベン先生の顔から、さっきまでの怒りっぽさが消えた。


「この音は……」


「何?」


 すずめが聞く。


 ベートーベン先生は、ピアノを見つめた。


「十年前、この部屋で聞いた音だ」


 音楽室の窓が、ひとりでに曇り始める。


 白くなったガラスに、数字が浮かび上がった。


 十年前の日付だった。


 その下に、子どもの指で書いたような文字が続く。


『ぼくのなまえを、わすれないで』


 すずめが、息をのんだ。


 赤い着物の袖についた鈴が、小さく鳴る。


「この字……」


 いつもは何でも知っているようなすずめの顔が、初めて怯えていた。


「あたし、これを知ってる」


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