5話
お母様とスフェラ様、そして、王妃──アンリ様は同じ学舎を共にする学友だった。
当時、3人が現国王様の婚約者候補として切磋琢磨しながら過ごしていて、その友情はとても強い絆で結ばれていたらしい。
ただ、そんな婚約者候補も、貴族の派閥の関係上で決められた候補だった。隣国との国境付近に領地を持つ侯爵の娘であるお母様。国王様の乳母をしていた、私にとって大叔母様に当たる人の娘であるスフェラ様、そして当時の宰相の娘であるアンリ様。
その中でも有力候補はスフェラ様。国王様の幼なじみであったスフェラ様は幼少期に事故で国王様の血を口にして以来、その血に執着してしまっていた。
だから誰もがスフェラ様が国王様の相手になるだろう。そう思っていた。
しかし、現実はそうではなく、学舎の中でスフェラ様は国王様の側近候補であった候爵家の長男ロック・ルスヴァン様と恋に落ち、国王は当時の宰相の娘だったアンリ様と恋に落ちた。
お母様からもスフェラ様からも話を聞いたが、当時の大人たち、つまり私のおじい様や、前国王様たちは頭を抱えたらしい。
国王様には変わり者の兄が1人いる。この方はヒロインであるオリアの出身国側の国境付近の土地を開拓し、辺境伯としてその地を治めていた。当時王位継承権は弟に譲るという話であったが、痣持ちの子は2人いたため、国王様の婚約がスフェラ様に確定した場合、国王様のお兄様と私のお母様を婚約させるのが王家の目的だったようだ。
しかし蓋を開けてみれば、国王様は痣持ちでは無いアンリ様と添い遂げたいといい、痣持ちであるスフェラ様は候爵家の長男と添い遂げたいという。痣持ちは王族と婚姻を結ぶという決まりがあるにもかかわらずだ。大人たちが頭を抱えたのも納得できる。
ちなみにお母様は王家の考えを理解していたため、同じ国境付近の領地を治める国王様のお兄様を支える覚悟はあったが、お母様もまた国王様の側近候補であったお父様に惚れてしまったようだ。
まあ、結局お母様たちの恋愛もなにか小説やゲームの話なのか?といいたくなるような大恋愛の末、仲良し3人組であったお母様たちとそのパートナーで結託して大人たちを説得したらしい。
ただ、円満解決して、めでたしめでたしというわけにはいかなかった。そこで吸血衝動が邪魔をした。
お母様には当時血への執着はなく、お父様に恋をして初めて渇きを感じたそうだ。
しかし、スフェラ様は違った。心はロック様を愛しているのに、吸血衝動は国王様に対してしか起きなかったのだ。
スフェラ様はこの事実に苦しんだ、しかし当時婚約者候補としてたいへん評価されていた彼女に己を律することなど造作もないことだった。
愛する人のため、そして大切な友人であるアンリ様、国王様のため、スフェラ様の国王様への接し方は吸血衝動が起こらないよう徹底されていたらしい。
ここまでがお母様とスフェラ様から聞いたお話。そしてここからはカーミラが実際に見た"記憶"だ。
そう、私はお母様とスフェラ様から聞いた話を思い出す中で、1つ大きな事件の記憶を思い出した。
それは、3歳のときに起きたお城での事件のことだ。
私が3歳になって半年が経ったころ4人の痣持ちの子のお披露目パーティが行われた。
お母様とスフェラ様は互いの家を行き来することが多く、物心ついた時からスフェラ様は私に対して痣持ちとして色々なことを教えてくれた。いつもゆったりとした話し方で、私に沢山のことを語ってくれるスフェラ様に幼いながらも、大人の女性としての憧れや尊敬の気持ちを抱いていた私は、スフェラ様のことが大好きで、大好きでしかたがなかった。だからその日もスフェラ様と会えることが楽しみだった。
この時私は痣持ちの子と会うのは初めてだった。
アンテとは物心着く前に会ったことがあるようだったが、内気な性格に育ってしまった彼女は同年代の子と気軽に会うことが難しかったようで、スフェラ様と会う時に彼女が同席することはなかった。そのためスフェラ様の娘であるアンテと会うこともとても楽しみにしていた。
だからあの日とても私は機嫌が良かった。つまらない国王様の話も、なんだか機嫌がいいからしっかり聞いてあげるなんて思いながら、耳を傾けていたその時だった。
急に国王様が唸ったかと思うと、地面に片膝を着いた。
一瞬の出来事ですぐに状況が理解できなかったが、国王様の右肩に短剣が刺さっていたのを見て、何が起こったかだけは分かった。
それはみなも同じだったのだろう王妃の叫び声、周囲のどよめき、兵士たちの慌てる声。すぐに私たちは抱えられて、避難させられた。
硬い甲冑の冷たさを感じながらその肩越しに見た光景────刺客を取り押さえる兵士たちを押しのけ、跪く国王に襲いかかるスフェラ様の姿。
思い出しただけで、気持ちが悪くなる。違う、違う!っと心の中で誰かが大声で叫んでいる。
認めたくない。あれはスフェラ様ではない。そう思いたいのはカーミラ自身。
だからカーミラは自分の気持ちに鍵をかけた。思い出さないように。自分が傷つかなくていいように。
そして、スフェラ様を嫌悪の対象とし、穢らわしい。という言葉でその死後も罵った。彼女の葬儀の日、スフェラ様の面影を残すアンテを見て言った言葉は、カーミラなりの拒絶だろう。
カーミラの記憶と私のゲームの知識が混ざり合う。
濁流が流れこむように押し入ってくる感情と記憶に上手く呼吸できなくなり、口で浅い呼吸を繰り返す。
口呼吸で喉の乾きを感じた頃には嫌な汗が身体にまとわりついていた。
呼吸を整えるのにどれぐらいかかったのだろう。ズキズキと痛む頭を手で庇うように抑えながら深い呼吸を数回繰り返すと少し苦しさから開放されたように思えた。
国王暗殺は未遂に終わったが、その代償は大きかった。スフェラ様はずっと嗅ぐことのなかった国王様の血の匂いを嗅ぎ暴走。周囲の制止を振り切り、国王様を襲おうとした。そして、お父様とルスヴァン候爵2人がかりで取り押さえられ、療養という名の謹慎処分を今でも受けている。
本当は極刑になる可能性もあった。しかし、国王様と王妃様の裁量でそうなることはなかった。それが幸か不幸か今はもう分からない。
なぜならスフェラ様は以前のような生活には戻れず、親友のお母様でさえ、面会ができるような状態ではないらしい。
スフェラ様が亡くなるのは確か、アンテが6歳の頃。つまり、もう1年もないということだ。
もし、ゲームと同じようにスフェラ様が亡くなったら、恐らくアンテの家はゲームと同じ道を辿るのだろう。そうなった場合、アンテはどうなる?
私はこの世界で、悪役令嬢になるつもりはない。カーミラのように葬儀の日にアンテを罵ることもないだろう。だからアンテが悪役令嬢になったとしても私には関係の無いことだ。彼女が悪事を働いたら私は絶対に関わらなければいい。でも、"自分だけ"がストーリーから逃げて、それでいいのだろうか?
『オーブリー、あなたは私から絶対に離れないと言ったわよね?裏切るの?"あの子"がどうなってもいいの?』
『酷いわ。私はあなたを信じていたのに。結局あなたも私の前からいなくなってしまうのね』
アンテがオーブリーを非難するシーン。
アンテの根幹にあるのは埋まらない寂しさ。母を亡くし、父とも会話のないすれ違いの生活。孤独だった彼女にはオーブリーしか居なかった。
しかし、オーブリーはオリアを愛してしまった。
私はゲームの攻略対象の中で、最後まで自身の気持ちと葛藤をし続けていたのはオーブリーだと思っている。
他のキャラ3人と悪役令嬢の関係は婚約者。でもオーブリーは従者だ。嫌ならルスヴァン家から逃げる手もあった。実際、ゲーム内でジョセフ様はオーブリーの能力を評価した上で、自分の側近として引き抜きたい。とルスヴァン侯爵へ直接打診をしていた。しかし、アンテのオーブリーへの執着。そして、オーブリーがルスヴァン家の諜報員として暗躍していたこともあり、ルスヴァン家が彼を手放すことはなかった。
ジョセフ様がオーブリーにも直接、軽い口調で『うちの従者にならないかい?』と誘っているセリフも数回あったが、それをオーブリーは『アンテ様のお世話があるので』と決まり文句のように断っていた。
オーブリーはアンテから酷い扱いを受けていたにも関わらず、アンテの孤独を十分理解していた。だからこそオーブリーの中でアンテに対しての歪な愛情が少なからず生まれてしまっていたのだ。
アンテには自分が居ないとダメだと分かっていたから、躾と称した体罰を受けてもそばに居続けた。それは愛だったのかもしれない。ただ、オーブリーの心はすでに冷たく凍りついてしまっていて、それが愛だと気づくことはなかった。そして、そこに温かな熱を分けたのはアンテではなくオリアだった。
アンテは寂しかっただけ。彼女がオーブリーにしたことはもちろん許されない行為だけど、スフェラ様が元気になれば彼女は悪役令嬢にはならないはずだ。
……カーミラはジョセフ様ルートと逆ハールート以外では断罪はされないが、オリアのいじめに加担しないわけではない。
スフェラ様の葬儀の日、強く突き飛ばされ、母親に対しての汚い言葉を浴びせられたアンテが、カーミラを嫌いにならないわけがない。それでもアンテはオリアを虐めるためにカーミラを頼ってしまった。まるで魔女と契約をするかのように、悪意という毒を手にしてしまったのだ。
もちろん断罪されないからといっても私はアンテに頼まれたってゲームのようにオリアへの虐めに加担はしない。でも、本当に関わらないだけでいいのだろうか?
「……花の痣を持つ子たちの上に立つ、か」
カーミラはスフェラ様を心から尊敬していた。だからスフェラ様のあの血に飢えた獣のような姿を見て、恐怖と絶望を覚えた。幼いながらも私はああはならないと、軽蔑し、拒絶し、そして汚い言葉で罵った。
私の中にあるカーミラの気持ちはまだ、ゲーム内でみたものではない。今日思い出したのはどれも、カーミラが感じていた温かな陽だまりのような記憶。こんなものを無意識のうちに封印してしまったのは、スフェラ様の現状に絶望し、忘れ去りたかったから。
(カーミラ、あなたができなかったことを私がしたって問題はないのよね?)
返事があるはずもない問いかけを心の中で呟く。
もし、スフェラ様を助けることができれば、アンテと仲良くとはいかなくても嫌われることはない。
オーブリーとアンテの拗れた関係もなく、もしかしたらオーブリーがジョセフ様の引き抜きに応じて、将来ジョセフ様の側近として活躍するかもしれない。
オーブリーはとても頭の切れる人間だ。ゲーム内のカーミラが舌を巻き、捨て台詞のように吐いたセリフは『ドブネズミのように私の周りをちょろちょろと、小賢しいのよ』
褒め言葉ではなく悪口ではあるが、カーミラは敵だと認識しない限りはこのような言葉を吐かない。つまり、オーブリーは彼女にとって脅威となりうる存在だったのだ。
そんな彼がジョセフ様の力になることは良いことで、私はジョセフ様を幸せにすることが目標だから、私がしないといけないことは、つまり……。
「スフェラ様を、助ける」
自然と口から出た言葉のおかげで、ごちゃごちゃしていた頭の中が瞬時に整理された。
簡単なことではないと思う。なぜなら吸血衝動を抑えるなんて、対象の血を吸う方法以外あるはずがない。そんな方法があれば衝動をコントロールできずに衰弱することなどないのだ。
(……吸血衝動を抑える?最近どこかで、)
「あ、」
──────
「お母様、お願いがあります!」
ひとつの可能性を思いついた私は、全速力で駆け出し、お母様の部屋に飛び込むように入っていった。途中シャオが何か叫ぶ声が聞こえたが、恐らく叱咤のお言葉だろう。しかし、パワーSSSのカーミラの脚力に並大抵の人間が着いてこれるはずもない。
そんなこんなで、部屋に入り開口一番に私が放った言葉に、お母様は首を傾げた。
「あなたがそうやって押しかけてくるのは珍しいわね。なにかしら?」
お母様が不思議そうにするのもしかたがない。カーミラはあまりこういったことをする子ではなかった。何か困ったことや欲しいものがあればメイドや執事に伝えればいい。両親も両親で、カーミラを溺愛しているため、いつもカーミラの先回りをしてしまう。そのため、カーミラが自発的にお願いごとをすることなどなかったのだ。
このお願いが通用するのかは分からない。でも今の私にはどんな手段を使ってでもやり遂げなければならないことだ。
「…スフェラ様、スフェラ・ルスヴァン様にお会いしたいのです」
私の口から出た言葉に、お母様は驚いた表情を見せたが、それは一瞬で真剣な表情に変わった。
「それはなぜかしら?」
「先日、私はジョセフ様とお会いした際に、吸血衝動が起きました。その時私はジョセフ様の首を噛むのをこらえるために自分の手を噛んだのです」
かさぶたのできた左手をお母様に見せる。
「私の血が口の中に広がった時、そのあまりの不味さに気分が悪くなりました。……その時確かに吸血衝動が抑えられたのです」
「それは……、」
「私もその時は痛みと、驚きもあって、それが原因だとは思いませんでした。でも、お母様、お母様は自身の血、あるいは他の痣持ちの子の血を飲んだことはないですよね?」
「カーミラ、あなた何をしようとしているか分かって言っているの?」
「はい、私はスフェラ様にお会いして、スフェラ様に自身の血もしくは私の血を飲むようお願いしたいのです」
私のお願いに返ってきたのはお母様の長いため息だった。
お母様の反応は当たり前だ。スフェラ様は侯爵夫人。家格ではファーミュ家が上だが、変なことをしでかして、もし、問題が起こった場合、彼女を寵愛しているルスヴァン侯爵が黙っていないだろう。両家の仲に亀裂が入れば他所の家を蹴落としたい連中がすぐに派閥を作り始める。それが火種となれば、国の中枢を揺るがす自体になりかねない。
「スフェラのことを思い出したかと思えば、突拍子のないことを……」
「もちろん、失敗はできないのは分かっています。しかし、色々と考えているだけでは遅いのです!」
「あなたもしかして、昨日の夜、私とお父様との会話を聞いたわね?」
「昨日の夜……?」
お母様の顔が歪んだ。これは少し怒っている時の表情。しかし、”昨日の夜”という言葉に思いあたる出来事はない。昨日はお母様たちと夕食を楽しんだ後は自室にこもってそのまま寝ただけ。お母様とお父様の会話を盗み聞きした記憶はない。
私の反応にお母様はしまった、というような表情を浮かべる。そうして、少し、考え込んだあと、ゆっくりと口を開いた。
「スフェラはあと数ヶ月持つか持たないか、主治医からそう言われたそうよ」
"数ヶ月"
思ったより、タイムリミットは近かいようだ。もしかすると急変する可能性だってある。今ここでお母様を説得させないと、取り返しがつかないことになるのは明白だった。
「お母様、私の話は信じられないと思います。でも、もし、本当に吸血衝動が収まるのなら、試さないという選択肢はないのでは?」
「スフェラを実験台にするのはよくないわ」
「もちろんそうです。なのでお母様、私にひとつ良い考えがあります!」
今から私が説明する案に、お母様は簡単に分かったとは言わないだろう。でも、お母様は必ず最後には私の話に乗るはずだ。
スフェラ様を救う手がかり。それは唯一の希望といっても過言ではない。これでもし、スフェラ様が正気に戻れば、そして、日常生活を少しでも取り戻していければ、彼女が衰弱して死ぬなんてことは起こらないのだ。
お母様もわかっている。ここまで来てしまえばなりふり構っていられないことを。そのためには、実の娘を利用することになっても、お母様は私の案を受け入れるしかない。
これはジョセフ様を幸せに、そして私から護るための第1歩。
(見ていてくださいジョセフ様。必ず、あなたを幸せにしてみせます……!)




