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承2

 がらんとした冷たい石造りの部屋に、ヴェニアミンと彼の母イェリザヴェータは、硬い椅子(・・)に繋ぎ留められていた。

 城の地下に作られたためか部屋に窓はなく、かび臭い湿った空気がやけに鼻をついた。彼が慣れ親しんだ豪奢な調度は一切なく、ただ重苦しさだけが威圧的に部屋を支配している。

 一週間繋がれていた牢から引きずり出されたかと思えば、問答無用で罪人、それも庶民が繋がれる椅子に座らされた。それだけではなく、拘束も態と彼らを痛めつけるかのように無理やりな体勢を取らされている。隣を向けば、痛みに悲鳴を上げもがいていた母が、まるで力尽きたかのようにぐったりと項垂れているのが見えた。


「母上……なんで……こんな事に……」

「だい、じょうぶ、よ。きっとアンリ様が……お父様が助けに来てくれるから……」


 項垂れたままの母の消え入りそうな声に、本当にそうだろうかとヴェニアミンの胸の内に不安が沸き上がる。生まれてこの方、彼は父と顔を合わせたことがなかった。遠目に見た事はあっただけで、その時にしたっていつも覇気がなくぼうっとしていた様に思える。母にも彼にも興味を示す事のなかったあの父が、自分たちを本当に助けにくるとはとても思えなかった。

 そしてその疑問は、予想外のところで肯定されてしまう。


「何を期待しているのかは知らんが、助けが来ることはない。罪人エリザベート、本名イェリザヴェータ、罪人バンジャマン、本名ヴェニアミン、以上相違はないな?」

「ち、がう……わ、私は……バンジャマン・コント・ベルダン……ベルダン伯爵家当主、アンリ・コント・ベルダンの子で……母エリザは……っ」

「ベルダン伯爵家子息(・・)、アンリ・コント・ベルダンに息子はいない。同様に幼いころから婚約者もいたが、現在婚姻関係にあるものもいない。文官を動員して戸籍から記録から総攫いで調べたのだから間違いはない。貴様らの身分も、十九年前に短期滞在の目的として入国した外国人のモノだ。その後滞在期間の延長手続きも行われていない為、先ず不法滞在、および貴族位詐称の罪が付く」


 そう吐き捨てるように言いながら薄暗い部屋の扉のない入口から姿を現したのは、厳めしい顔つきをした整った顔立ちの男だった。ついぞ一週間前、ヴェニアミンの身柄を拘束した男であり、蒼原(この)国の第二王子にして将軍の職に就くオーギュスト・プランス・ジェネラル・プレリードである。

 年不相応に若く見られがち(どうがん)な王の一族の中で唯一逆方向に年不相応に(ふけて)見られるこの鉄面皮(むひょうじょう)の王子は、それでいながらに明らかに不機嫌そうな雰囲気を纏わせたまま手にした紙束をちらりとも見ずにヴェニアミンを睨んでいた。


「裏を取るのに一週間かかったがな、貴様らの罪が確定した。裁判は身元がちゃんとしている人間に行われるものであるから、身元不明者(・・・・・)である貴様らには行われることはなく決定が覆されることもない」

「そんな……アンリ様が、身元を引き受けてくださったと……ツェツィーリヤが言っていましたわ。何かの間違いでは……」

「アンリが、と言うのならそれは絶対に、不可能だ。身元引受人となれるのは、ある程度以上の地位を有した成人のみ。伯爵子息、しかも嫡男であれば確かに地位としては申し分ないが、少なくとも十九年前の段階ではどうしようもない。何せ、奴は弟の乳兄弟だ。齢十一の子供にはどうしようもないだろう?。仮に当主であったのなら例え未成年であっても成人扱いされはするが、記録上、ベルダン家の当主にして現ベルダン伯爵はアンリの父親でアンリ自身ではないからな」


 言葉だけは絶対零度の冷たさを誇ったまま、オーギュストは僅かに眉間の皺を深める。

 ベルダン伯爵家子息のアンリは、今年三十になった弟アルチュールの乳兄弟だ。つまりはアンリ自身も三十歳。ヴェニアミンの母たちが入国した十九年前で成人の十五歳に足りない彼では、特殊な事情がない限りはどう逆立ちしたって責任のある立場に就くことは出来なかった。

 最も、見た目だけなら当時はオーギュストよりも年上に見えたアンリの事。その容姿を活かして女遊びに余念のないませた餓鬼だったから、知らないところ(・・・・・・・)子供の一人や二人(・・・・・・・・)いたところでおかしくはないだろう。


「さて、続けようか。次に貴様達は……実行犯はツェツィーリヤと言う侍女ではあるが、当時のベルダン伯爵とその子息アンリに毒を盛り、伯爵夫人を暗殺した。伯爵は身体が持たなかったようでその数年後に亡くなったようだが……その上で、伯爵領のあれこれを代理と称して勝手に差配していたようだな。最終的に下される結果は変わらんのでひっくるめるが、貴様達のやっていたことは立派な貴族家の乗っ取りだ。ベルダン家の特殊性がなければ、さて誤魔化しとおせていたか、あるいはもっと早くに発覚していたか、どちらになっただろうな」

「……そんな、ことは……知ら、ない。そも、そも、祖父も父も、体が弱いと……ずっと部屋に……」

「先程も言ったがな、実行犯は侍女だ。命令をしたのも貴様らではない事は判っている。だがその侍女が蒼原(この)国に潜り込むための隠れ蓑として貴様達親子が選ばれた。その場合貴様達は何も知らないほうが都合がよかったのだよ。だからと言って減刑などと言う無駄な期待はしないほうがいいがな……さて、次は……」


 もうたくさんだ、とヴェニアミンは呻いた。彼自身何の関与もしていない事で裁かれるなど……いや、罰を与えられるなど理不尽極まりないとさえ思える。

 確かに、伯爵家の利権その他で甘い汁を吸っていたと言えばそうなるだろう。けれど、自分は知らなかった。そんな事誰も教えてくれなかったし知る術もなかったのだ。ツェツィーリヤが犯人ならそれでいいじゃないかと、自分たちだって被害者なのだと、拘束され捩じられて痛む肩の事も忘れて叫んでいた。

 そして、それに対するオーギュストの反応は、至極冷淡なものだった。


「知らない事が免罪符になるのは子供だけだ。ましてや今回の一件では下手を打てば国を揺るがす大事となっていた可能性が非常に高かった。否、未だ危機を脱したとは言えない状態なのだ。ただで済むはずがないだろう」

「たかがその程度で揺るぐ程度の屋台骨でしかないのか、この国はっ! 僕はただ友人達と将来に対する不安を話していただけだっ! いつの間にか随分と話は大きくなってしまったけれど、たかがその程度の事でっ!」

「……やはり無知は罪、か。貴族に対する教育も、各々の家に任せていては到底間に合わんようだな……」


 口の端から泡を吹きながら、自棄になった様に叫び続けるヴェニアミンを見て、初めてオーギュストの表情が僅かに緩む。表情そのものは僅かなれど、哀れみを多大に含んだ視線に気付いてしまったのか、ヴェニアミンは思わず声を詰まらせてしまった。


「……そもそも、将来に対する不安を話していた、とは言うがな。貴様達が懇意にしていたのは、国や上位の貴族(うえ)に対して不満を持つ、いや不満しか持たない、まあはっきりと言うなら自分で状況を打開する気概のない困窮した連中ばかりだ。貴族やそこそこ裕福な庶民ならきちんと受けている教育を、寝物語に聞くお伽噺等で身に着けている庶民以下の知識しかないとは思っていなかったが。……さて、ところで一つ聞くが、カミーユの髪の色はどうだったか覚えているかな? 随分と目立つから、きちんと見ているなら覚えているだろうが」

「話をすり替えて、誤魔化そうとでもいうのかっ……あんな不吉な血のような色を忘れるわけがないだろうっ!」

「そうか、判っていたか。それは重畳。それではここでは一つだけ。この世界の人間は、金髪を基本として、そこに己の所属する集団に加護を与える竜の色が付けくわえられる。そう、この国の人間が薄らと蒼みがかった髪の色をしていた(・・・・)様に。さて、ここでもう一度聞くがね。カミーユの髪の色は何色で、彼が一体誰と仮契約(こんやく)をしていたのかね? そして、君たちはなぜ、カミーユを弾劾していたのかね?」


 その瞬間、怒りではなく息が詰まった。まるで背筋を断ち割ってそこに氷をねじ込んだような、半端ではない寒気がヴェニアミンを襲う。少し前の自分の発言を顧みれば、そしてそれよりももっと前に自分と友人たちがしたことを考えれば、その寒気の原因は一目瞭然であった。

 第四王子の髪は、其れこそ鮮血のような真紅だった。オーギュストの言葉が正しければ、蒼姫竜の加護を受けていたこの国の人間は皆程度の差はあれど蒼みがかった色になるはずだろう。そして、その王子が婚約をしていたのは蒼姫竜の娘(アルフォンシーヌ)、つまりは竜だ。直接会った事はないけれど、それは見事な紅の色を身に纏っていたと聞いた事くらいはあった。

 加護を受けていればその竜の色を受け継ぐ、逆に言えば加護を失えばその色も失うということなのだろうか。それでは、あの鮮やかな髪色を保っていたカミーユは、未だ加護を失っていなかったということで、つまり七日前の一件は、王子が加護を失ったから災いが起きた、などとまるで見当違いの言いがかりをつけていたに過ぎないと言うことでもあったのだ。


「さて、ある程度自分が何をしたか理解をしたところで続けようか。先日の一件(けいやくはき)に連なる流れは、まあ一言で言ってしまえば竜逆罪と呼ばれるものになる。これは竜と竜の契約者に対して害をなしたものに科せられる罪だ。その内容は非常に曖昧なモノではあるが、特に、正式な契約を結んだ者に対して行われたものはどのような些細な事であっても重く裁かれることが多い」

「……しかし、カミーユ王子は、まだ仮契約だと、さっき……」

「確かにカミーユは仮契約の状態で、それを破棄させられたが、それに対する対応はアルフォンシーヌ殿次第。だがしかし……貴様達がかかわった人間の中に、異なる髪色をした人間がまだまだ、いるだろう?」


 言われて思い返してみればいた。竜の加護が色彩に影響を与えるなどと当時は知らなかったから変わっているな、程度にしか思っていなかったけれども確かにいたのだ。

 一人目は、彼がずっと父だと思っていた人物、アンリ・コント・ベルダン。最後に姿を見たのは十年も前で大分記憶も褪せていたけれど、あの人の髪の色は金とも蒼とも違う、少し淡い桃色をしていた。

 そしてもう一人は、半年前にツェツィーリヤの遠縁だと言って連れてこられたカーラだ。まるで雪のように真っ白い髪に目を離せば融けて消えてしまいそうな儚げな少女だった。一言も口をきかず、焦点の合わない目で虚空を見つめていた彼女は、やはり、黄金とは全く異質な髪の色をしていたのだ。


「……カーラ……? あれは、ツェツィーリヤが遠縁の娘だと……祖国で色々とあって心を閉ざしてしまったから、療養の為にこちらへ来たのだと言っていた……違った、と、云うのか……?」

「違うな。血縁など欠片もあるはずがない。何せ、彼女こそが白竜山に住まう民の生き残りにして白竜山の主の加護を一身に受ける契約者……だった(・・・)。彼女の契約も今回の一件でとうに破棄されている。彼女の主たる白眠竜殿の怒りを思えば貴様達に長々とかかわずらっている暇等ない……後手に回ったとはいえ我らも無関係ではないのだ。問答無用で国ごと凍らされる可能性も非常に高い。まったく、白竜の民を滅ぼしておきながらのうのうとそこに住んでいられる無花の民の気が知れんな」

「……国、ごと……それなのに、何故そんなに落ち着いて」

「……国ごと凍らされた場合は、それこそ人間の身では対処のしようも全くない。民を逃がしたところでドラゴニスまで使っているのだ、第二の無花とされもおかしくはない。だからと言ってやらなければいけない事をしないのは大馬鹿者だ。調査しかする事の出来ない現状ではそう大差はないかもしれんが、それでも国を守るために、白眠竜殿の怒りを少しでも鎮める、あるいは逸らす為の努力は必要だろう」


 小さく肩を竦めながらも、オーギュストは手にした紙束をめくる。当初にあった血を凍らさんばかりの威圧感は今は幾分は薄れていたけれど、それはヴェニアミンの矜持から見ても余り喜ばしいとは思えなかった。要するに、それは無知蒙昧さに呆れられ、怒りを覚えるだけ無駄だと見放されているだけなのだ。

 そして、なけなしのプライドをせめて保とうと頭を巡らせていた彼は、気付かなかった。

 自分と母が当然のように持っていた、混じりけのない黄金の髪の意味と、オーギュストの言った言葉、白眠竜の怒りを逸らす為の努力が一体何なのかを。

 与えられる加護によって髪の色がその色を帯びるならば、加護を一切持たぬ者はどうであるかを、考える余裕はなかったのだ。


「まあ、ともあれ。それらの事により貴様達三人の首は、白眠竜殿の元へと送られる。ただそれだけでかの竜の怒りが解けるとも思わんが……まあ、最低でも輸送の任に就いた者と、御膝元の無花の民の命はないだろうな。そこから先どうなるかは……まあ、それこそ(かみ)のみぞ知る、と言ったところ、か」

「……生贄の山羊(スケープゴート)扱い、か……いや実際に、そこまでの事をした、と言うことか? 竜が、それほどまでに凄まじいモノ、だとは……」

「本来なら常識、なのだがな。己が懐に入れたものは、例え裏切られたとしても徹底的に愛し抜き、それを害しようとするものには徹底的に報復を与える、と言うのは今でもあちこちで伝わる話だ。見境なく暴れて、ほんの僅かに関わっただけの者たちをも巻き添えに(ほろぼ)したというのも、な。……しかし、無花の民の、竜の伝承に関する欠落は、全く以て洒落にならん」


 処遇を告げた事でもう話は終わったのだろう。と言うよりも、結果が同じなのにつらつらと罪状を並べることが面倒くさくなったのかもしれない。オーギュストは傍らの、よく似た顔をした若い女騎士に紙束を放るように渡しながらもそう言いおいてヴェニアミンへと背を向けた。 

 その最後の言葉に、ヴェニアミンは僅かに引っかかりを感じて思わず、オーギュストを呼び止める。本来、王族を呼び止める等余程の身分かそれに足るだけの理由がなければ許されるものでもない。けれどどうせ後はないのだとすっかり自棄になった気持ちで、どうせオーギュストも足を止めはしないだろうと思いながらも声をかけ……ヴェニアミンの予想に反してオーギュストは僅かに不機嫌そうに眉を顰めながらも振り返った。


「……さっきから、気になっている言葉がある。無花の民とは、なんだ? そんな言葉、聞いたことがない……私たちの事を指しているようにも聞こえるが、母の祖国は白花国と、聞いていた」

「…………勝手に色の名を名乗るとは命知らずにも程がある。それとも、せめてそれで失われた加護を取り戻した気になっていたのか。無花の民とは、かつて守護竜の加護を得る一族に生まれながら、守護竜の寵愛を受け(けいやくしゃとなっ)た妹に嫉妬しドラゴニスを使って横やりを入れた姉と、彼女に付き従う者たちの末裔の事だ。彼女が引き起こした事で守護竜は怒り荒れ狂い国は滅びた。そして姉姫率いる一族は加護(しきさい)と安住の地を失った。現在、世界中のどこを探しても卑しき黄金と呼ばれる混じりけのない金髪を持つのは、その無花の一族しかいない。性質の悪いことに、仮に契約者の血筋の者と加護(いろ)なしの民が子を成したとしてもな、その子には加護は全く受け継がれることはないのだ。それほどまでに桃花竜殿の怒りは深く激しいということだが、故に竜の血筋の者(けいやくしゃのけいふ)が黄金の髪をした者を伴侶として迎える事は決してないし、仮に本当に血のつながりのある子であるとしても実子として認められることはないだろう」


 殊更冷淡にも聞こえる、その実淡々と聞き及んでいたことを述べるだけの言葉に、思わずヴェニアミンは隣で項垂れたまま、何事か分からない事をこわれてしまったかのように呟いている母へと視線を向けた。

 一週間の監禁生活で多少薄汚れてはいるものの、豊かに垂れ下がり母の顔を覆い隠しているのはそれこそ混じりけのない黄金、自分と全く同じ色の髪にして、世界から排斥される存在。

 まるで自分達と言う存在の一切合切を否定するかの様なオーギュストの言葉に、ヴェニアミンは乾いた笑いを零す事しかできなかった。

 その言葉を否定できれば、あるいは母の様に壊れてしまうことが出来れば随分と楽だったろうに、思いの外強靭だったらしい彼の精神は、虚無と絶望に包まれながらも狂うこともないまま、その日のうちに母と侍女共々に首を落とされその亡骸は塩に漬けられて、オーギュストが率いる特務隊によって白竜山へと運ばれていった。

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