予兆
いつもと変わらない太陽の光がこのショッピングモールの屋上を照らす。吹き抜ける風は優しく、子供たちの笑い声は絶え間なくその空気を快く震わす。
「ママぁ、あれ光ってる」
子供が指差すものはフェンスの向こう、街の上に光る形もよくわからない光。
「あら、なんだろうね、あれ。ユーフォーかな?」
「ユーフォー!!」
この建物の屋上にいるものはそれに気づき、全員その方向を見る。
すると、次の瞬間、その光の浮遊体は目を閉じずにはいられないほど眩しく輝いた。
すぐに目を開く。そして、目を見開いた。息を飲んだ。目の前に広がっていたのは何もない荒野。さっきまであったはずの街は、家や道路や木々は嘘のように跡形もなく消えている。恐怖も驚嘆もない。ただ誰も言葉が、いや、相応の感情が見つからなかった。夢を見ているようだった。
その一瞬の間に何が起こったのか。規格外、予想外の出来事に、誰も想像できない。
しかし、分かったのはこれが現実であること。そして、感じたのはこれがこれから始まる災厄の元凶であるということ。
「逃げろ!! アイディオクスが来るぞ!」
薄暗い駅のホーム。電車から線路に降りる人たち、ホームから線路を横切って隣のホームに移るものたち。その誰もが必死である。
「ほら、行くよ。絶対手を離しちゃダメだからね?」
母親に連れられる兄弟もその例外ではない。まだ幼い二人の兄弟はいつも以上に真剣な母親の言葉に頷く他なかった。
この三人の親子は人の流れに従うように一生懸命走って逃げる。
「こちらへ避難してくださーい!」
混乱した駅の中でそんな声が響く。
そんな時、突如破壊音が聞こえた。それはアイディオクスが柱を破壊する音だった。その音に大勢が悲鳴をあげる。
「主任!!」
逃げようとしていたその親子のところへそう言いながら駆け寄る武装した一人の男性の姿がそこにはあった。
「どんな状況ですか?」
母親は凛とした声で答える。
「ただいま、私たちの班が交戦中ですが、残念ながら劣勢です。被害を最小限に留めるので精一杯です」
「そうですか。アイディオクスの特徴は?」
「はい、容姿は黒い影のようなんですが実体はちゃんとあります。実はe波は効くんですが、欠損部位はすぐに再生してしまうので、駆除に苦労しています。属性は不明です」
「そうですか」
母親がそう怪訝な顔で答えたとき、彼らのすぐ近くでまた爆発音がした。
「すぐにでも交戦しないと被害が大きくなりそうですね。仕方ありません。本当は子供たちを安全な場所へ避難させたかったのですが、このままでは避難もさせることができないでしょう」
「ありがとうございます」
すると、母親は兄弟を見てしゃがむ。
「よく聞いて。アイディオクスが近くにいてこのままでは危険なの。だから、ママはそれを倒しに行かなきゃいけない。いい? 絶対にここから離れたりしたらダメだからね? それとあなたはお兄ちゃんなんだから、何かあったら弟を守るんだよ?」
兄弟は強く頷くと母親はアイディオクスの方へ走っていった。
数十分後またしてもある言葉が響く。
「アイディオクスが逃げたぞ! 追いかけろ!」
「一般人は全員避難したのか?」
「そのはずです! ん? 待ってください! あそこに子供が二人!」
アイディオクスは兄弟の方へと近づいていく。兄弟は身構える。アイディオクスは今にも襲いかかろうと兄弟に走り寄っていった。
「逃げて!!!」
母親の叫び声虚しく、両者の距離はすでに逃げられないほどである。
「ぼくがおとうとをまもるんだ!!」
兄はそう言って弟の前に立つ。もうすでにアイディオクスとの間はゼロ距離。アイディオクスは覆いかぶさるように兄弟に襲いかかる。
そして……。
沈みかける太陽の光とが連れてくる風が髪をそっとなでる。
恐怖さえ感じるほど青い空を見上げ、体を投げた感覚に陥る。
水が絶え間なく流れるのを無意識のうちに聞く。
放課後に川に来てゆったりと寝転ぶというのを一度してみたかった。のは良いのだが、何と言うか、こう、寒い。
きっと周りから見れば変人だろう。
真冬に寝転ぶ俺一人。何をしたいのか全く分からない。
気持ちが良いと思ったが、全然そんなことはない。
寒過ぎて、電話がなっていることにも気がつかない。
12歳になり、少しだけ大人ぶりたい年頃のK2こと柿川航太は学校が終わると家にも帰らず、そのまま気分転換で近くの川へ来て寝ていた。
最近、指令が多くて疲れ気味になっているのだ。疲れを取るため、体を癒すために来たというのに……。
今から約15年前に突如現れた謎の生命体「i-Deox」による脅威で、ヒトのみならずほとんどの生命体の生存が脅かされた。彼らは牙を剥き、やたらと生物を襲うが、その理由は不明。
なぜ突然現れたのか? なぜ生物を襲うのか? どのようにして生まれたのか? 生態は? 分布は?
ほとんどのことがまだ分かっていない。しかし、生物を襲うのは明らかで、このままでいたら生態系は崩れ、今まで生きてきた生物の生存も危ぶまれてゆく。
そこで人類は対抗すべく、アイディオクス駆除団体を設立した。政府直属の駆除団体「アイディオクス特攻隊」を。
しかし、そこは人体から特殊な波「e波」を出せる人しか選ばれない。
そして、K2はアイディオクス特攻隊に選ばれた限られた人なのだ。
アイディオクス特攻隊の所属部署、調査部の指令が最近あったために、少しだけ疲れ気味になっていたK2は、携帯端末に現れた調査部部長の名前を見たときはだいぶ憂鬱になった。
「はい、部長。柿川です。なんでしょうか?」
「ああ、よく出てくれた。実はな―……」
はっきりと話す女性の声が聞える。
本当は話もしたくなかったです。なんて言えるわけもなく、電話越しには聞こえないくらいのため息をつきつつ、電話を続けた。
「上の奴らからまた指令が出た。ってなわけでこれから会議を開こうと思う。詳しい話もそこでする」
「やっぱり、その電話だったんですね……」
「やっぱり、って?」
「いえ、なんでもないです。何時にどこでしょう?」
「うん、2時間後にアクアの家だ。来れるか?」
アクアとは調査部の同僚で池戸瑞稀という女子だ。プライベートでもよく遊び、仲が良い。
アクアの家はこの川辺から少し行った街道をまっすぐ行くだけで着く。歩いて1時間もないくらいだ。
「行けます。2時間後ですね、分かりました」
「オーケー、じゃあ、また会おう」
こう言って電話が切れた。
ただでさえ疲れているのにまた仕事とは、ほんと、勘弁して欲しい。確かに、仲間に会えること、話ができることは素晴らしいことで、その機会を設けてくれることはありがたいことだ。
でも、やっぱり、辛いものはある。
そもそも、全てはアイディオクスが悪いんだ。
なんであんなもんが現れたんだし! なにかの進化? 誰かが作った? なんでもいいが迷惑極まりない。
だいたい、どうしてこんな子供にやらせるのかな? 分かるよ、確かに、e波の計測が始まったのは俺が生まれる頃あたりからで、それらは全て新生児対象。大人で計測を受けたがる人がいなかったっていうのも理解できる。
でも、こんな子供に世界を任せていいものなのかな?
まあ、でも、e波も使えない大人よりかは幾分マシか。
でも、俺だって学校の他のみんなみたいに、普通に過ごして、アイディオクスの脅威を知らないまま生きていきたいのに。
仕事のせいでみんなと遊ぶ時間が減るのは苦しいよ。はぁー。
そんなことを考えていたK2は握っていた携帯端末で時間を確認した。まだ時間は沢山ある。
K2は少しだけ早く行って、時間までアクアと話でもしてようと考えた。
アクアの家は1時間もなく着いた。
辺りは流石にもう暗い。
アクアは、親が田舎に住んでいるのだが、アクアだけにe波の検出が確認された。
普通は新生児だけが受けるものだが、アクアにe波の検出が確認された時に親も検査を受けたらしい。
しかし、親はe波の検出は確認されなかった。
10歳の時までは実家の方に住んでいたが、仕事の関係もあり部署のあるこっちの方へ一人で住むようになった。親は同行しようとしたらしいが負担はかけられないというアクアの気遣いから、それは拒否したのだった。
でもやっぱり、親は心配するだろうからと、毎月実家宛に手紙を出しているらしい。
アクアの家は外見も内見も綺麗な3階建てのアパートで駐車場も駐輪場もある。アクアの部屋がある2階の一番奥に行き、インターホンを押す。
「はい」
インターホン越しにアクアの声が聞こえる。
「柿川です」
「ああ、K2。早いねー。今開けるからちょっと待ってて」
と言うと、ドアの奥でたったったっ、と小走りをする音が聞えた。数秒後カチャリと解錠する音が聞こえ、ドアが開く。
すると、青い目で肩まで伸びる清潔そうな直毛コゲ茶髪の女の子が上目遣いをかましながら顔を覗かせた。
「やあ、アクア。早く来ちゃった」
「いいよいいよ。さあ、あがってあがって」
と言ってドアをしっかり開くと、K2は、お邪魔します、と言って中に入った。
アクアの部屋は八畳一間プラスキッチン、クローゼットの小さな部屋だが、もうすでに隅々まで掃除がされているのか廊下を含め奥の部屋も見て綺麗だと判断できるほどである。住み心地はかなり良さそうだった。
「相変わらず綺麗な部屋だね。ん? あ、ユーキャン、先来てたんだ、早いね」
と、部屋の端にはショートヘアーの少女が座っていた。結城葵がいた。K2はユーキャンと呼んでいて、一番古い幼馴染みである。アクアと三人でよく遊び、仲が良い。
「ちょっとー、何それー。ひどいよー。そのどうでもいい感じー」
「まあまあ、いいじゃないか。なー、アクア」
急に振られたアクアは唖然としたがすぐに笑顔になる。それだけだった。
「ところで、ユーキャン。いつも遅いのに、どうして今日はこんなに早いの?」
「いやー、別にいつも遅くしたくて遅くしてるわけじゃないんだよ。今日はたまたますぐに来れたの」
「ふーん。そ」
K2は聞いておきながらも興味のないように返事をした。
それをじっと見てたアクアが急に思い出したように動きだす。
「ごめん、今お茶いれるね。お茶でいいね」
キッチンに向かって小走りするアクアの背中にユーキャンがすぐに答えた。
「あ、ごめんね」
ただそれだけを。後を追うようにK2も言う。
「うん。お茶でいいよー。ありがとー。それと、これ、お菓子」
と言ってカバンから、来るときに買ったお菓子を出した。
「気使わせちゃってごめんねー。ありがと。後でみんなが来たら食べよ」
と申し訳なさそうに、アクアが言う。
「ごめん、私買い忘れたわー」
「さっすがユーキャン。抜けてるー」
「抜けてるわけじゃなくて、今回はたまたま……」
「「はいはい、分かった分かった」」
アクアと声を合わせて言う。ユーキャンは諦めた顔をしてテレビをつけた。
「アクアー、お菓子足りる? ないならそこのコンビニで買ってくるよ?」
「いいよいいよ。買い置きしてある水ようかんもあるしー」
「「流石だなー。また水ようかんとかー」」
今度はユーキャンとはもる。
アクアの好物、水ようかん。
毎日3時には必ず食べている物で、アクアの家にはかなりの量の水ようかんの買い置きがある。
賞味期限が切れてるものもあるんじゃないかと思う程だが、本人曰く、賞味期限切れる前には全て食べてしまっているらしい。
しかも、アクアは水ようかんのこだわりは強く、近くにあるお菓子屋のちゃんとした水ようかんでないとダメらしい。
その後、出してもらったお茶を飲みながら、三人でお話をしつつテレビを見ていた。
集合の15分くらい前になって揃って他の六人が来て、最後に時間ちょうどに部長が来た。
全員がアクアの家の中央の円卓に座ると、アクアは人数分のお茶と水ようかん、そして、K2の持ってきたお菓子をテーブルの中央に置き、アクアも席に座った。
「アクア、頼む」
部長が決まり文句のようにそれを言うと、アクアはそれがなんのことか分かっていたため、はい、とだけ答えて、円卓の脇にある水色がかった透明の一辺10cmほどの立方体に触れた。すると、部屋中にe波の膜が展開された。
e波によって空間を操作するスキルを空間系スキルと呼んでいる。アクアはそれを得意としている。
今回展開されたのは防音と電波の遮断。つまり、e波によって外に音の波や電波が流れないようにするものだった。
万一にも、政府直属のこの特攻隊の会議が盗み聞きされれば、たちまち情報は広がってしまう。
それによって間接的であっても、活動の邪魔をされるのは避けなければならないのだ。
部長はありがとうとアクアに礼を言うと会議が始まった。
「改めて、今日は集まってくれてありがとう。今回みんなにあつまってもらったのはみんなの察する通り、上のものから指令が出たからだ」
大人っぽい感じを出している部長が真面目な口調でそう言った。
「今回は情報部からだ。情報部所属のアクアとユーキャン、お願いする」
アクアとユーキャンはこの調査部の他にも情報部にも所属している。ネットワークが発達したこの世界でビックデータから有意な情報を分析する部署である。
「「分かりました」」
アクアとユーキャンが言うと二人、目を合わせて、アクアが話し始めた。
「今回情報部はアイディオクス出現の情報を手に入れました。出現したのは昨日の夕方頃。場所はここから二駅離れた水保駅付近と思われます。アイディオクスの属性は水と思われます」
K2の正面に座っていた同い年でリーダー的存在の河村すみれが真面目な顔をして言った。
「水か……。被害状況と規模は? アイディオクスの形態は?」
その問にはユーキャンが答えた。
「被害に関しては田んぼの土が湿った程度だそうです。死者、けが人の確認は今のところありません。形態は巨獣型と思われます」
巨獣型。アイディオクスの形態の中で、最も多いと言われていて、体長が10mを越すものは全て巨獣型となっている。属性や種によって多少変わるところもあるが、大きい、攻撃力が高いという点に関しては一致していない例は見ない。
「巨獣型で田んぼの土が湿った程度。しかも死者けが人はなしか。奇跡としか思えないな」
こう言ったのは河村の隣に座っていた旗本和也だった。和也も同い年で、K2と共に特攻部にも所属している。
「ほんとに活性化したのか疑問だな」
「活性化したものの、大人しい性格だとか」
「事例が存在しない。そんなことはないだろう」
みんな好き勝手言って会議が乱れたところを部長が止めて、まとめた。
「と、いうわけで、百聞は一見にしかずって言葉もあるくらいだし、明日午後3時にここの最寄駅西井駅に集合だ。何があるか分からないから、一応最低武装はしていくように。いいな」
分かりました、とみんな声を合わせて言った。
解散した後もK2とユーキャンはアクアの家に残って水ようかんをゆっくり食べていた。
「そうだ、ユーキャン。最近空間系のスキル上げてるって聞いたけど、ほんと? アクアを超えたいとか?」
「え? そうなの? ふふっ、教えようか?」
「あー、してるねー。いや、別に、アクアと競おうってわけじゃないよ。ただ、なんか使えるかなーって思ってさ」
「まー、確かに俺もよく使うよ。空間系は結構使い勝手がいいし。例えば……」
そう言ってK2は右手を上に挙げると手からe波を発し、K2を中心に渦巻くようにして風が発生させた。アクアの部屋の家具が揺れ出すとそこで右手を降ろした。
「ほら、空間系って、自分の周囲の状況を都合よく変化させられるからさ」
「でも、割に合わないくらいの強いe波が必要だよ?」
と、アクアは少しだけ切ない目をした。
「まあ、確かにアクアの言う通りなんだけどさ。でも、e波増強グローブ使えばある程度まではできるじゃん? 俺はいつも両手にはめてるから、強いe波が必要な時は波の合成を利用してるよ」
「使い分けるとか、K2さすがね。でも、K2は基礎が高いし、器用だから合成するほど強いe波は必要ないんじゃないの?」
「いや、そうでもないよ。上には上があるように、合成しないと使えないくらい高度な機械もあるんだよー」
「んー、そんなものなのかな」
「そんなもの。それに、慣れだってあるし。さっきだってアクア、片手でやってたじゃん」
「まあね」
「で、ユーキャンはどんな空間系のスキルをあげてるの?」
「うーんとね、周囲の電波を変化させるスキルだよ。ほら、私よく通信系の電子機器を使うじゃない? どんな状況でも最高な状態で使えたら便利だなーって思ったの」
「なるほどねー」
そんな話が1時間近く続き、とうとう話にオチがついたところで、K2とユーキャンは帰ることにした。
アクアの家は最寄駅の西井駅から五分もないところで、アクアは送りに来てくれた。
「K2。今日は谷保?」
「ああ、そうしようと思う」
「そかそか。じゃあ、途中まで一緒だね」
谷保駅は、ここ西井駅の隣の駅でこの路線の終点だ。そこの近くにK2やユーキャンの家がある。
K2はいくつか家を持っているのだが、今日は谷保駅のある町、谷保町にある家に帰ることにした。
やがて電車も来てK2とユーキャンはそれに乗った。
電車は古い感じの雰囲気が出ている。
金属は少し赤茶色に錆び、車内は少し暗い。どことなく田舎感を醸し出している。かなり年季が入っていて、一部の電車マニアにはかなりの人気だそうだ。
「K2、明日何持ってくー?」
「うーん、まだ決めてないー。いつものでいいかなーとは思ってるけどー」
「あー、やっぱり。なら、私もそこまで重装備はしなくていいやー」
「そうだなー」
電車は谷保駅に着き、途中の道でユーキャンと別れ、家に帰った。




