同じ瞳
最初に動いたのは、ルシアだった。
男が刃を振り下ろすより早く地面を蹴り、低く懐へ潜り込む。そこで《死線》が見えた。
淡い光が浮かんでいるのは、首でも胸でもない。右腕だ。
「そこ!」
短剣で男の手から刃を弾き、柄を鳩尾へ叩き込む。
「ぐっ……!」
男が崩れ落ちた。
「一人!」
叫んだ直後、横から別の男が迫る。振り向いたときには、刃が目前まで迫っていた。
鋭い金属音が響き、クロードの剣が相手の刃を受け止める。
「後ろ、気をつけて」
「……ありがと」
助かった。
そう思った途端、胸が跳ねた。恐怖のせいか、別の理由かは分からない。
「どういたしまして」
クロードは笑い、剣を払った。男の身体が弾き飛ばされる。
「君は、随分と無茶をするね」
「そっちこそ! 私はアサシンだから!」
「それ、理由になってる?」
「なってる!」
言い返しながら、ルシアは次の敵へ駆けた。
二人の動きは、驚くほど噛み合っていた。ルシアが《死線》で弱点を見抜き、クロードがそこを突く。クロードが正面から敵を引きつければ、ルシアは影へ潜み、背後から武器を叩き落とす。
打ち合わせなどしていない。それでも、互いの動きが手に取るように分かった。
「……強い」
クロードが呟く。ルシアは答えなかった。褒められると、妙に落ち着かなかった。
最後の男が距離を取り、懐から小さな筒を取り出す。
「クロード、下がって!」
「何だ?」
「煙玉――!」
男が筒を地面へ叩きつけた。白煙が広がり、視界が奪われる。
クロードは無事だろうか。不安が胸を締めつける。
だが、ルシアはすぐに《完全隠密》を発動した。気配と音を消し、煙の向こうへ意識を集中させる。
足音が一つ。遠ざかっている。
「逃げる……!」
ルシアは足元の影へ踏み込んだ。
《影渡り》
身体が闇へ溶け、次の瞬間には男の前に立っていた。
「な――」
「逃がさない!」
短剣の柄で手首を打ち、筒を落とさせる。続けて足を払い、倒れた男の首元へ刃を突きつけた。
「子どもたちはどこ?」
男は答えず、不敵に笑う。
「お前らは何も知らない。子どもたちを運んでいるのは、俺たちじゃない」
「じゃあ、誰なの!」
返事の代わりに、馬車の中から鎖の音が響いた。
ジャラ……。
同時に、遠くから複数の蹄の音が近づいてくる。振り返ると、クロードが馬車の扉を開けていた。
「ルシア、見て」
馬車の中には鉄格子の檻があり、小さな少女が座っていた。
銀色の髪。そして、蒼い瞳。
少女を見た瞬間、ルシアの足が止まる。知らない子のはずなのに、胸の奥が痛んだ。遠い昔の光景が脳裏をかすめる。思い出そうとした途端、頭の奥に鋭い痛みが走った。
少女は怯えながら、ルシアを見つめている。
その瞳は、ルシアと同じ色だった。
「どうして……」
理由は分からない。ただ、この子を置いていけないという思いだけが、はっきりしていた。
少女が震えながら手を伸ばす。
「……おねえちゃん」
その呼びかけに、ルシアの身体が強張った。
「……私?」
少女は頷き、首から下げたペンダントを握りしめた。月を二つに割ったような形だ。
その瞬間、ルシアの胸元が熱くなる。服の下から自分のペンダントを取り出すと、少女のものと同じ形をしていた。
「ルシア……そのペンダント」
「……分かってる」
少女が呟く。
「おねえちゃんを、ずっと探してた」
「私を……?」
「お母さんが言ってたの。いつか、お姉ちゃんが迎えに来るって」
記憶の底から、断片的な光景が蘇った。
小さな自分。
隣にいる、もっと小さな誰か。
その手を握り、「大丈夫。お姉ちゃんがいるから」と言う自分。
「……妹」
無意識にこぼれた言葉に、少女が顔を上げる。
「あなた……私の妹なの?」
少女の瞳に涙が浮かぶ。小さく頷いた。
「……うん」
証拠など、もうどうでもよかった。記憶は戻りきっていない。それでも、この子を妹だと思う気持ちだけは疑えなかった。
ルシアは檻の前に膝をつき、鉄格子越しに少女の手を握る。
「……ごめんね。遅くなって」
鍵を外し、少女を抱きしめた。
「もう大丈夫。私がいるから」
少女が涙をこぼす。
「もう、どこにも行かない?」
「行かない。私があなたを守る」
そのとき、背後から乾いた笑い声が響いた。
「ようやく見つけたか」
倒れていた男が、少女を見て笑っている。
「四番目の器を」
クロードの表情が変わった。
「四番目……?」
「三つは、もう目覚めた。残る一つを見つければ、門は開く」
少女の顔から血の気が引く。
「その子を連れて逃げても無駄だ。器は器だ。どこへ隠しても、呼び声は届く」
ルシアは少女を背後へ庇った。
「この子に何をするつもり?」
男は答えず、ルシアを見て笑う。
「お前も知らないのか? 自分が何番目なのかを」
その瞬間、二人のペンダントが青白く輝いた。馬車の床に見知らぬ紋様が浮かび、低い声が響く。
――四番目を、連れてこい。
少女が悲鳴を上げる。
「大丈夫。絶対に渡さない」
ルシアが抱きしめた直後、外から剣を抜く音が一斉に響いた。
「馬車を包囲しろ! 生存者を確保! 抵抗する者は斬れ!」
木々の隙間から、松明の明かりが揺れる。騎士団だった。
だが、先頭の旗を見たクロードの顔から血の気が引いた。
「……聖印騎士団だ。あの部隊が、こんな場所へ来るはずがない」
外から怒号が響く。
「その少女を引き渡せ! 四番目の器を直ちに確保しろ!」
クロードは剣を握り直した。
「ルシア、彼らにこの子を渡してはいけない」
「騎士団なのに?」
「あの部隊の任務は救出じゃない」
ルシアは少女の手を握った。小さな指が、強く握り返してくる。
「……私が連れていく。この子は、私の妹だから」
その言葉を口にした瞬間、迷いが消えた。
外から剣が馬車の壁を突き破る。クロードが刃を弾き飛ばした。
「ルシア、今だ!」
二人は馬車の奥へ駆け込んだ。そこには、さっきまでなかった黒い裂け目が開いている。冷たい風と、無数の囁き声が流れ込んできた。
――一番目。
――二番目。
――三番目。
――四番目。
「行くよ!」
「後悔するかもしれない」
「それでも!」
背後で騎士団が馬車へ踏み込んでくる。
「逃がすな! 二つの器を確保しろ!」
ルシアは少女を抱きしめた。
「大丈夫。お姉ちゃんが守るから」
二人は黒い裂け目へ飛び込んだ。
直後、裂け目は音もなく閉じた。
残された馬車の中で、男だけが笑っていた。
「ようやく始まった……」
遠く離れた場所で、三つの鐘が同時に鳴る。
誰もいなくなった馬車の床に、四つ目の紋章がゆっくりと浮かび上がった。




