第23話 世界を騙す者達 ― 爆心 ―
【注意】
この章には、性暴力・虐待を連想させる発言(※設定上の“虚偽の告白”)が登場します。
直接的な描写はありませんが、こうした要素が苦手な方はご留意ください。
本作の流れの中では「物語上の戦略としての嘘」であり、実際の被害描写ではありません。
―――
始業式の夜。
外は静かなのに、部屋の中だけ不気味な光が瞬いていた。
誰かのスマホ画面が絶え間なく震え、通知が怒涛のように流れ込む。
匿名のオープンチャットは、もはや誰の制御も効いていなかった。
【篠見中学校情報板】
《外国人も嘘じゃね?》
《健気かわいいじゃなかったの?》
《二人は穢れた関係》
《彼女いるのに?》
《そりゃハーレムっしょ》
スクロールしても追いつかない。
流れていく言葉は、顔のないまま当人へ叩きつけられる。
画面の上で、他人事の刃だけが増えていった。
《ちゃんと避妊してんのかな》
《三人で何してんの?》
妙な熱気を孕んだ空白のあと、
誰かが“決定打”を投げた。
《ハーレムクソ野郎》
その投稿を合図に、コメントの速度は一気に跳ね上がる。
《キモ》
《エロ漫画みたいで草》
《ガチなら引く》
《先生案件じゃね?》
画面の向こうで、誰も“人”として見ていない。
ただ、形だけの情報がふくらみ、誰かの人生を雑に切り取って踊っている。
そこに体温も事情も、名前すら必要とされなかった。
スマホの光だけが、息をひそめた部屋をじりじりと焦がしていた。
―――
翌朝の始業前。
教室は、ざわめきに満ちていた。
隠しもしない。抑えもしない。
“見世物”を前にした群衆のそれだった。
「……昨日の、見た?」
「やっぱ同居してるんだって」
「春原さん、どういう立場?」
「外国人設定も、完全に嘘だったらしいよ」
囁きは小さくても数が多い。
ざわめきが机の列を伝い、教室中を震わせている。
声の粒が重なり、熱を帯びていった。
雪杜は前を向いたまま、石のように動かない。
咲良も同じ。
御珠は静かに席へ腰掛け、微動だにしない。
小学校から一緒だった何人かは、そのざわめきの質が違うと察していた。
(……来る)
(……これ、何か始まるやつだ)
その予感が、教室の中心に居座っている。
扉が開く。
「おはようございます」
高橋先生の声が落ちるが、返事は揃わない。
張りつめたものが喉を塞ぎ、言葉を飲み込んでいく。
「じゃあ、出欠とりますね」
名簿を開こうとした――その瞬間。
ガタッ。
椅子が床を擦る音。
御珠が立ち上がった。
全員の視線が、一点に吸い寄せられる。
「御珠さん?どうしました?」
御珠は先生を一度だけ見て、静かに頭を下げる。
そして。
「……皆さんに、言っておきたいことがあります」
高橋は、この時まだ気づいていなかった。
ここが“引き返せる最後の一歩”だったことに。
教室が静まり返る。
数名の生徒が、無意識に前のめりになった。
(……きた)
(天野劇場!)
(天野関連の、でかいやつ!!)
御珠はゆっくりと教室を見渡す。
逃げない。
誤魔化さない。
怯えない。
そして――胸を張り、宣告する。
「もうぬしらのくだらぬ噂には付き合っておれん。
真実を語ってやろう」
ざわめきの膜が、裂けるように途切れた。
咲良が反射的に立ち上がる。
「御珠ちゃん!やめて!!」
しかし、御珠はその声を振り払う。
教室の中心で、宣告が炸裂する。
「妾に――子は成せぬ!」
瞬間。
教室全体が止まった。
次の瞬間、爆発。
「は!?」
「え、どういう意味!?」
「子どもが……できない……!?」
「マジで言ってんの!?」
咲良が叫ぶ。
「御珠ちゃん!!
それは言わないって約束だよ!!」
雪杜も声を張り上げる。
「御珠だめだ!!」
誰かが立ち上がり、誰かがスマホを落とす。
椅子が倒れ、机が軋んだ。
御珠は揺れない。
「妾は孤児じゃ。
幼き頃……人に言えぬほど、ひどい目に遭った。
その結果……子を宿すことは叶わぬ身体となった」
「孤児!?」
「ひどい目って……なに……?」
「身体壊れたって……」
「ちょ、やば」
「御珠さん!やめなさい!!」
高橋の声も、もはや届かない。
教室は制御不能の渦になっていた。
御珠はただ前を向いたまま続ける。
「妾は、雪杜の未来に加わる資格を持たぬ。
ゆえに……身を引いた。
雪杜と咲良のそばで見守る未来を、妾は……選んだ」
咲良が叫び、その声が震える。
「それは……!
それは言わないって約束だったのに!!」
咲良は御珠の元へ駆け寄る。
御珠は、一瞬だけ眉を下げた。
その表情は、この日初めて崩れた。
「もうよいのじゃ。
妾は……疲れた」
咲良の息が止まる。
「そなたらが幸せなら、それでよい。
妾がどう思われようと、構わぬ」
「……御珠ちゃん……」
咲良の声が泣きそうに揺れる。
御珠は、静かに両腕を広げた。
「咲良よ……共に歩んでくれるか?」
咲良がこくりとうなずく。
次の瞬間、御珠へ飛び込むように抱きついた。
「……一生一緒だよ……」
強く。
強く抱き合う二人。
雪杜は、ただ拳を握りしめ、立ち尽くした。
声も、動きも、すべて奪われている。
教室に無言が降りる。
誰も茶化さない。
誰も笑わない。
誰も言葉を挟めない。
――その直後。
「うおーーー!!」
「なんだよこれーーー!!」
「こんなの映画化決定じゃん!!」
「健気かわいいは存在した!!」
「天野の野郎はなんなんだよ!!」
教室が破裂した。
「静かにしなさい!!」
高橋の怒号が走る。
一気に音が引き、床まで震えた。
「御珠さん!春原さん!天野くんも!
今すぐ、職員室に来なさい!」
有無を言わせない声。
「他の人は席につきなさい!
今聞いたことを話題にするのは禁止です!!」
「事件」として処理される匂いが、教室を塗り替えていく。
雪杜は咲良を見る。
咲良はまだ御珠の服を掴んだまま離さない。
御珠はゆっくりと頷いた。
三人は教室を出る。
背中に――抑えきれないざわめき。
「……マジで何見せられたんだ……」
「やばすぎ……」
「このクラスで良かった……」
廊下に出た瞬間、扉が静かに閉まり、教室の音がすべて遮断された。
この日、世界が、切り替わった。
―――
職員室の扉が閉まると、外の喧騒が一気に遠のいた。
ついさっきまで廊下を揺らしていた叫び声が、壁一枚で曇っていく。
「……座りなさい」
高橋の声は静かで、それでも有無を言わせない重さがあった。
三人は並んで椅子に腰を下ろす。
咲良の指先はまだかすかに震え、御珠は目を伏せたまま動かない。
雪杜は唇を固く結び、前を見据えていた。
「……あれは、どういうつもりだったのか、説明してもらえますか」
言葉が途切れる。
机の上の紙の擦れる音が、やけに大きい。
張りつく無言の中、最初に口を開いたのは雪杜だった。
「……あれは――
三人で示し合わせた、茶番です」
その言葉に、高橋の眉がかすかに跳ねた。
咲良も続く。
声は震えているのに、言葉ははっきりしていた。
「止めたのも……叫んだのも……
全部、演技です」
御珠は静かに頭を下げる。
深く、深く、頭を垂れた。
「学校に迷惑をかけると分かっていて、やりました。
ですが……他に方法がなかったのです」
「……方法が、なかった?」
高橋の声が揺れる。
責めたい気持ちと、理解しようとする気持ちがぶつかっていた。
雪杜は拳を膝の上で握り締める。
「隠しても、否定しても、噪ぎは消えない。
だから……
“触れちゃいけない話”にするしかなかった」
言い終えた瞬間、室内の張りが増した。
高橋はゆっくり息を吸って、吐く。
「……内容は事実なんですね?」
御珠はかぶりを振らず、静かに肯定する。
「そうです……
だから……踏み込んで欲しく……なかった……」
声がわずかに揺れた。
御珠が人の前でこんな声を出すのは、本当に稀だった。
高橋はしばらく言葉を失い、やがて椅子にもたれ、長く息を吐く。
「……正直に言います。
やり方は最悪です」
三人の肩が、揃って沈んだ。
だが――
「……理由は、理解できました」
その言葉だけは、救いのように落ちた。
「だからこそ、これは私一人で判断できません」
高橋はデスクの電話を取る。
機械的なボタン音が、やけに大きく響く。
「天野くんの保護者に、連絡します」
電話越しの呼び出し音が、三人の心臓に直接触れてくるようだった。
―――
一時間後。
職員室の張りは、まだ冷たく皮膚に残っていた。
静まり返った部屋に、扉の開く音だけが響く。
コンコン。
「失礼します」
修一が入ってきた。
姿勢はいつもと変わらないのに、その声には“すべて理解して来た者”の落ち着きがあった。
「おじさん……
迷惑かけちゃってごめんなさい……」
雪杜の声は小さく、どこか震えている。
「いいんだ。雪杜くん」
その返答は柔らかかった。
だが、その目は状況を完全に飲み込んでいる大人のものだった。
高橋が尋ねる。
「……お話は、ご存じですか?」
修一は短くうなずく。
「はい。
御珠の過去も。
彼女が子を成せないことも。
そして、二人が共に暮らしている理由も」
三人が驚いて顔を上げる。
言っていないはずの“核心”まで把握されていたからだ。
修一は静かに続ける。
「驚くことじゃない。
それを知った上で、私は判断している」
その言葉には、揺るぎない重さがあった。
高橋は視線を落とし、言葉を選ぶ。
「……学校としては――
未成年の男女二人の同居は、見過ごせません」
「承知しています」
修一は即答する。
だが、その直後――大人として、保護者として、彼ははっきりと言い切った。
「それでも私は、この二人の関係を、不健全だとは思っていません」
御珠が息を止める。
目が大きく開かれ、わずかに揺れる。
「むしろ――互いを守ろうとする、尊い関係だと考えています」
咲良の喉が小さく鳴った。
修一は、まるで三人の心の奥を代弁するように言葉を紡ぐ。
「御珠ちゃんは、雪杜の未来を最優先に考えている。
雪杜は、その覚悟を理解した上で、彼女と暮らしている」
一度言葉を切り、視線に力を込める。
「これは、恋愛の問題ではありません。
生活と、責任と、選択の問題です」
職員室の張りが変わった。
ざわつく心を置き去りにして、“理性の座標”へ引き戻された。
高橋は腕を組み、深く考え込む。
「……保護者が、そこまで言うなら……
学校として、頭ごなしに否定はできません」
机の上を指でトントンと叩き、結論を整える。
「ただし、これ以上、同様の騒ぎが起きた場合、必ず再協議します」
「当然です」
修一は少しも揺れずに答えた。
そして高橋へ向き直る。
「今回の件は……
私の監督不行き届きでもあります。
申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる。
御珠も咲良も、思わず息をのむ。
雪杜の目が大きく揺れる。
高橋は小さく息を吐き、うなずいた。
「……分かりました。
ひとまず、今回はここまでにしましょう」
「きょうは三人とも帰ってください。
このまま教室に戻っても混乱が増すだけですので」
静かな決着。
けれど、誰一人として“解決した”とは思っていなかった。




