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神愛 ─ 永遠の刹那 ─  作者: 神愛
第3章 中学生編 ― その瞬間を抱きしめて ―
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第21話 雪よりも冷たかった夜を越えて(挿絵あり)

大晦日の午前。

冬の陽は弱いのに、天野家の玄関先だけは妙に明るかった。

その静けさを割るように、澄んだチャイムが鳴る。


ピンポーン。


雪杜はこたつから身を起こし、寒さに肩をすぼめつつ玄関へ向かった。


「……誰だろ。

 おじさんが何か差し入れでも持ってきたのかな?」


扉を開けた瞬間、冷気が押し込み、白い息がふわりとほどける。

そこに立っていたのは、息を弾ませた咲良だった。


「……おはよう、雪杜」


雪杜は驚いたように目を瞬く。


「咲良!?

 今日忙しいんじゃ……?」


咲良は肩で息を整えながら、ふっと微笑んだ。

その笑みには疲れと「それでも来たかった」という芯が同居している。


「うん。忙しいよ。めちゃくちゃ忙しいよ」


言葉とは裏腹に、声はどこか柔らかい。


「でも……どうしても来たかったの」


その真っ直ぐさに、雪杜の胸がじわりと熱を持つ。


「……そっか。

 入って入って」


咲良は靴を揃えて上がり、冷たい指先を小さく擦った。

それに気づいたように、リビングから御珠が顔を出す。


「咲良か。寒かったじゃろ」


「うん……

 御珠ちゃん、お邪魔します」


御珠は小さく頷き、咲良の張りつめた肩をほどくように穏やかな声を返した。


「よいよい。

 そなたが来るのは自然なことじゃ」


咲良はその言葉を受け、深く息を吐いて、こたつの前で背筋を正す。

真っ直ぐ仏壇へ向き直ると、線香に火をつけ、静かに手を合わせた。


「……晴臣さん。

 今年一年、ありがとうございました。

 来年も……天野家を見守ってあげてください」


その祈りはかすかに震えながらも、澄んだ音になって部屋へ落ちる。

雪杜の胸の奥が、じんわり熱くなった。


「咲良……ありがとう」


咲良は目を閉じたまま、小さく首を振る。


「ううん。

 お礼を言うのは私の方だよ。

 ……晴臣さんに、ご挨拶させてくれて、ありがとう」


湯気と香りを連れて、御珠が戻ってきた。

湯飲みを二つ持ち、そっと咲良の前へ差し出す。


「咲良、茶じゃ。温まるぞ」


「ありがとう、御珠ちゃん……ほんとに」


三人はこたつへ足を入れ、広がるぬくもりに息をゆるめた。


「長居はできないの。

 昼過ぎたら戻らなきゃいけなくて」


雪杜はその声の熱に、咲良の忙しさを思い浮かべて眉を寄せる。


「やっぱり大変なんだ?」


「うん。

 午後からは参道の準備で地獄。

 夜は……まあ、察して」


御珠はまるで自分の昔話をするように、口元へ軽い笑みを乗せた。


「よう働くのう。

 巫女とは骨が折れるものじゃ」


咲良も肩をすくめて同意する。


「いつもは傍らから見てるだけだったんだけど……

 中学生になったからってことで駆り出されて、思ったより大変かも……。

 でも……午前にどうしても来たくて」


「どうしても?」


咲良は雪杜の顔、御珠の顔を順に見つめた。

視線の奥にあるのは、三人の距離を確かめるような落ち着いた意志だ。


「……二人が、ちゃんと年を越せるようにって思ったから」


雪杜は一瞬うつむき、胸の熱をごまかすみたいに息を吸った。


「……咲良」


御珠はその場を柔らかく受け止めるように、言葉を置く。


「案ずるな。

 妾と雪杜、来年も共に歩む」


「うん。ちゃんと見れて安心した」


その言葉に、雪杜の頬がほんのり熱を帯びる。

こたつのぬくもりだけではない。


咲良は切り替えるように軽く手を打った。


「ねぇ、お昼。簡単なのでいいから一緒に食べない?」


雪杜はすぐ立ち上がる支度をしながら答える。


「うん。

 おにぎりとかならすぐ作れるよ」


「ならば妾は味噌汁を作ろう」


咲良は目を丸くする。


「えっ御珠ちゃん味噌汁作れるの!?」


「作れるに決まっておるじゃろ。

 ……まあ、多少の"理"は込めるが」


「それ食べていいやつなの!?

 普通に作って!?」


三人の笑い声が重なり、冬の静けさへゆっくり溶けていく。


―――


キッチンには湯気が立ち、味噌のやわらかな香りが満ちていた。

雪杜が炊いたご飯からも湯気が上がり、咲良は手際よくラップを広げておにぎりの準備をする。


「御珠ちゃん、お味噌汁お願いね」


「うむ。任せよ」


御珠は真剣な表情で鍋のお湯にだしを落とした。

その小さな所作が妙に丁寧で、ふたりの口元が自然にゆるむ。


「御珠、上手になったね」


「雪杜に教わったからの」


咲良は、その言葉に驚きを隠さず声を上げた。


「へー!

 二人で料理してるんだ」


「まあ、一緒に住んでるから」


その瞬間、咲良の動きがほんの少し止まる。

ラップの上の塩を指先に取る手が、ごく小さく震えた。


「……そっか」


声は弱くはない。それでも、言葉の端に薄い影が差す。

御珠はその揺れを見逃さず、そっと視線を向けた。


「咲良。

 そなたも、時々来ればよい」


咲良は思わず顔を上げた。


「え?」


御珠は躊躇わず言い切る。


「二人だけだと……

 やはり寂しいのじゃ。

 咲良が来てくれると……嬉しい」


その言葉は、御珠の“家族としての受け入れ”に限りなく近いぬくもりだった。

咲良のまつげが震える。


「……っ!

 御珠ちゃん……!」


雪杜も自然に続ける。


「僕も、咲良が来てくれると嬉しいよ」


その二つの声が、咲良の胸の奥へ静かに染みていく。


「……ありがとう……

 二人とも……」


咲良の目に光るものが滲む。

それでも涙にはならず、しっかり前を向いていた。


「……うん。

 じゃあ、時々来るね」


「うむ」


「待ってるよ」


しばらくして、おにぎりと味噌汁がそろい、三人は再びこたつに並んだ。

冬の家に、湯気と米の匂いがあたたかく漂う。


「いただきまーす!」

「いただきます」

「いただくのじゃ」


咲良は一口かじり、目を細めて笑う。


「……うん、おいしい。

 なんか、三人で食べるの久しぶりだね」


「そうだね……」


御珠は茶碗を置きながら、こともなげに告げた。


「来年も、こうして食べればよい」


その一言が、咲良には少し甘く響いたようだった。

小さくうつむき、微笑みがこぼれる。


「……うん。

 そうなったらいいな」


雪杜は箸を置き、そっと咲良の表情を探した。


「えっと……咲良?

 なんか元気ないように見えるけど」


「……ううん。たいしたことじゃないよ。

 ちょっと……お母さんと、上手くいってなくて」


その言葉で、こたつの上の湯気がふっと揺れた。

雪杜は胸の奥にある“澪の誓約”を思い出し、眉を曇らせる。


(澪さん……御珠とあんな約束してるしな……)


御珠も静かに咲良へ視線を向け、呼吸を整えた。


「澪殿は陽向も産まれて余裕がないのじゃ。

 怒りの矛先が咲良に向いたのじゃろ」


「……うん。分かってるんだけどね。

 忙しいのも知ってるし、私が勝手に出てきたのも悪いし……

 今日もここに来る時……ちょっと睨まれた」


「咲良……」


その小さな弱音に、御珠は即座に首を振る。


「咲良よ。

 そなたは悪くないぞ。

 澪殿は……母として必死なだけじゃ」


「……うん。

 分かってる。分かってるんだけど……」


咲良の微笑みはあたたかいままなのに、目元には薄い湿りが残っていた。

泣くほど弱くはない。でも、強さの外側に小さな痛みが貼りついている。


雪杜は姿勢を正し、まっすぐ言葉を届ける。


「咲良は……ここに来てくれていいからね。

 お母さんが怒ってても……僕たちは、咲良が来てくれるの嬉しいよ」


「……ほんとに?」


「もちろんじゃ。

 そなたが来ると……家が明るくなる」


御珠の声は、いつもより少し柔らかかった。

その言葉のぬくもりに、咲良の肩がふるりと震える。


「……ありがと。

 二人とも、ほんとに優しいよ……」


御珠はゆっくり首を傾け、静かに宣言した。


「咲良。

 そなたは……妾たちの大切な仲間じゃ。

 遠慮するでない」


「……うん。ありがとう、御珠ちゃん」


その笑顔は、涙を飲み込みながらも確かに前を向いていた。


食事が終わり、片付けも済むころには、外の空がさらに冬らしい白さを帯びていた。


「さてと……そろそろ戻らなきゃ。

 午後は奉納演舞のリハあるし、夜は戦場だから」


「気をつけてね」


「倒れるでないぞ」


咲良は玄関でマフラーを巻き直し、ふたりへ向き直る。


「倒れないよ。

 三が日が終わったらまた来るね。

 今度は……宿題持ってくる」


「うん。待ってる」


咲良は照れ隠しのようにふっと笑い、軽やかに振り返った。


「……二人とも。

 来年も、よろしくね」


「こちらこそ」


「よい年にしようぞ」


咲良が外へ走り出る。

白い息が冬空にすっと溶け、玄関の扉が静かに閉じた。


リビングに戻った雪杜と御珠は、こたつに並んで腰を下ろす。

大晦日の家に戻った静けさが、ふたりの呼吸へゆっくり馴染んでいった。


「……咲良、強いね」


「うむ。

 強いが……心は繊細じゃ。

 あやつは、泣くほど弱くはならぬ。

 だが……一人で抱えすぎる」


雪杜はこたつ布団を握りしめ、小さく頷いた。


「……また来るって言ってたから、大丈夫だよね」


「うむ。

 来年も三人で歩むのじゃ」


「……うん」


窓の外では、冬の陽がゆっくりと傾き、静かな大晦日の午後が始まろうとしていた。


―――


大晦日の夜。

リビングでは紅白歌合戦の音だけが小さく流れ、こたつの熱が二人の境目を曖昧にしていた。

雪杜は手の中のみかんを見つめ、隣に座る御珠へ視線を向ける。


「……御珠、みかんの筋ちゃんと取る派なんだね」


「筋ではない。衣じゃ」


「衣……?」


「礼節じゃ。果実に対するな」


雪杜は思わず眉をひそめ、それから肩の力を抜く。

こたつの中で足が触れそうになり、雪杜はこっそり位置を直した。


「そんな礼節あるんだ……」


「……もうすぐ年越しだね」


「うむ」


「去年の大晦日は……おじいちゃんと三人だったな」


御珠は一度だけ瞬きをし、薄く目を伏せる。


「……そうじゃったな」


言葉のあとに残った静けさを、遠くの除夜の鐘がそっと埋め始めた。

低く響く音が、冬の夜気を震わせる。


「……あ、鐘だ」


「除夜の鐘じゃな」


「……去年も聞いたね。三人で」


御珠は返さず、呼吸を小さく整えた。

雪杜の胸の奥が、きゅっと痛む。


「……で、一昨年は……」


御珠の指がこたつ布をわずかに攫む。


「祠で……“契り”を……結んだ」


「……うむ。あの夜は……妾とそなたの未来を決めた夜じゃった」


言葉に触れた瞬間、雪杜はそっと息を吸い、熱を飲み込んだ。


「……でも、その前の年は……」


御珠は目を閉じた。


「三年前の……あの夜、じゃな」


こたつ布が雪杜の指先で少ししわを作る。

喉の奥で、言葉が引っかかった。


「……うん。

 あの時は……僕、本当に“終わろう”としてた」


除夜の鐘の余韻が、部屋に長い尾を引く。

御珠の横顔は淡く暗い。それでも揺らがない。


「妾が声をかけたとき――

 そなたの目には……もう何も映しておらなんだ」


雪杜は視線を落とす。


「……覚えてる。

 御珠の声が聞こえたとき……幻聴だと思った」


「妾は……そなたの“心の音”に気づいた。

 怒りも悲しみも……己を責める声も……

 雪よりも冷たかった」


御珠の言葉は過去を責めず、ただ事実を撫でているようだった。


「……ごめん。あの頃の僕は……生きる意味を見つけられなかった」


「謝るでない。

 そなたは何も悪くない」


「……でも」


御珠は雪杜の言葉をそっと受け止める。


「雪杜。

 あの日、妾が声をかけねば……そなたは消えておった」


「……うん」


「妾は……そなたの終わりを拒んだだけじゃ。

 救ったと誇るつもりはない。

 ただ……そなたが消える未来が、耐えられなんだ」


その声には、あの日の強さと、今だから混ざる優しさがあった。


「……御珠……」


「じゃが……

 今、そなたは生きておる。

 妾の隣におる。

 それが……妾は嬉しいのじゃ」


雪杜は唇を噛み、視界がじんわり滲むのを隠しきれなかった。


「……御珠……

 僕も、同じだよ」


御珠はわずかに目を丸くする。


「……同じとな?」


「御珠に会って……

 僕は初めて“生きててよかった”って思えた。

 あの時の僕に……こんな未来があるなんて思わなかった」


御珠のまつげが震える。


「御珠は……僕を見ても壊れなかった。

 僕がそばにいても……笑ってくれた」


「当たり前じゃ。

 妾に魅了は効かぬ」


「……でも、御珠が僕を見てくれたから……

 僕、生きようって思えたんだ」


その言葉の熱が御珠の胸の奥に落ち、痛みと一緒にじわりと染みた。

御珠はそっと雪杜の袖をつまむ。


「……雪杜」


「ん?」


「……もう、死ぬでないぞ」


雪杜はまっすぐ返す。


「……うん」


「絶対じゃ」


「……わかってる」


「……妾は……

 そなたが消える未来など……考えとうない」


「……僕もだよ。

 御珠がいない未来なんて……考えられない」


御珠は言葉をなくし、ただ落ちるように視線を下げた。


そこへ、テレビの声が明るく割り込んでくる。


『10、9、8、7……』


「……あ、もうすぐ」


「年が明けるのじゃな」


『3、2、1……』


『明けましておめでとうございます!』


雪杜は小さく笑う。


「……明けましておめでとう、御珠」


御珠も、どこか照れを含んだ声で返した。


「……明けましておめでとうじゃ、雪杜」


ふたりの距離は、新しい年の光にふっとあたためられる。


「……今年も、よろしくなのじゃ」


「こちらこそ」


御珠はそっと雪杜の手へ触れ、指を絡めた。

雪杜も、逃げずに握り返す。


「……雪杜」


「ん?」


「……晴臣は亡くなった。

 でも……妾たちは生きておる」


「……うん」


「だから……前を向かねばならぬ」


「……そうだね」


「……寂しいのう」


「……うん。寂しいね」


「……じゃが、そなたがおる」


「御珠もいる」


二人の指先は熱を分け合うように離れない。

除夜の鐘が、雪深い夜へゆっくり染み込んでいった。


雪杜は胸の奥で、そっとひとつ願いを落とす。


(……来年も……三人で歩けたら……いいな)


御珠はその横顔を見て、小さく微笑んだ。


……と、そこでテーブルの上のスマホが震える。


「……あれ、咲良から」


画面には元気な絵文字と、巫女の姿で参道に立つ咲良の写真。

夜気の中で、彼女は確かに“ここに生きている”。


「……咲良、忙しいはずなのに」


「うむ。

 寒かろうに……よう頑張っておる」


雪杜の手を、御珠が握り直す。


「……雪杜。

 今年も、そなたと共に生きていこう。

 咲良もおる。

 それで十分じゃ」


「……うん」


「失うことばかり考えるのは……もうやめようぞ」


「……前を向くよ、御珠」


「それでよい」


静けさが二人を包み、遠くの初詣客のざわめきが新しい年を少しずつ満たしていった。


挿絵(By みてみん)


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