第10話 鏡の向こうの私へ
モール内の古着屋は、壁一面に色とりどりの服が並んでいた。
カジュアルからガーリー、ストリートまで雑多に混じっている。
照明が反射し、服の海がきらきら眩しい。
「……なんか、眩し……」
華蓮は思わず目を細めた。
普段着ている服とは“世界そのもの”が違って見える。
咲良が腕を組み、華蓮をじっと観察する。
「うんうん!華蓮ちゃんはこういう服似合うと思うんだよね〜!」
「え、えぇ!?似合わねぇよこんなん!」
否定が速い。
けれど耳がすでに赤い。
莉子が静かに一枚のカーデを手に取り、迷いなく華蓮の胸元にあてがう。
「似合うよ……華蓮ちゃん、背高いし……肩のライン綺麗だし……」
「な、なんでそんな真顔で言えんだよお前!?」
真っ直ぐな言葉に、華蓮の動揺だけが増していく。
「よし!じゃあこれと、これと、これは絶対試着ね!」
咲良が三着抱えて華蓮の前に突き出した。
「は!?なんで三着!?てかあたしまだ一着も選んでねぇんだけど!?」
すると御珠が、棚から一枚ひょいと持ち上げる。
「華蓮。これはどうじゃ?
色がそなたの肌に映えるぞ」
完全に追撃。
「お前ら……どんだけあたしを着せ替える気だよ!!」
「華蓮ちゃん、絶対楽しいやつだから!」
「うん……可愛いの、見たい……」
三方向からの圧。
「お前ら、あたしで遊んでるだろ!!」
そのまま、咲良と莉子が華蓮を試着室へ押し込んだ。
「はいはい〜脱いで着て脱いで着て〜!」
「お前らぁぁぁ!!」
――カーテンが閉まる。
中から、華蓮のくぐもった声が聞こえた。
「……これほんとに似合うと思ってんのか……?」
「絶対似合うよ!」
「華蓮ちゃん、スタイルいいし……」
「早く見せてみよ。妾、待ちくたびれたぞ」
「うるせぇ!待ってろ!」
カーテンが開く。
華蓮が姿を見せた瞬間、周りの視線が寄った。
手元の会話が止まり、通路の足音が遠のく。
膝上スカートにニットカーデ。
色味は落ち着いているのに、華蓮の輪郭をやわらかく包み込んでいた。
髪を切ったばかりの軽さが、顔まわりの印象をさらに整えている。
咲良が声を爆発させた。
「可愛い!!!」
莉子の語彙は瀕死だった。
「かわ……っ……(語彙喪失)」
御珠は腕を組み、淡々と告げる。
「……うむ。
華蓮、そなたは元から良い造作をしておるが、これはそれを引き立てておる。
非常によい」
華蓮は耐えきれず、顔を両手で覆った。
「み、見るなぁぁぁ!!」
咲良は容赦しない。
「はい、次のやつも着よっか!」
「まだ着せんの!?てか一着しか買わねーぞ!?」
「いいからいいから」
――さらに二着、三着。
カーテンが開くたびに“可愛い”が飛ぶ。
そのたび胸の奥が、細かく揺さぶられていく。
(なんなんだよ……
こいつら……本気で褒めてんのか……
嘘じゃ……ねぇの……?)
四着目のカーテンが再び開く。
「華蓮ちゃん、それも似合う!!」
「かわいい……ほんとに……」
「妾の審美眼に狂いはないの」
華蓮の膝が一瞬ぐらりと沈みそうになる。
「……っ、もう……やめろって……
照れるに決まってんだろ……!」
咲良&莉子は目を合わせて、心の中で同じ言葉を思う。
((完全に落ちた……!))
――着せ替えタイム終了。
買えるのは一着だけだ。
三人が真剣に並べた選択肢を前に、華蓮は視線を行き来させる。
咲良が値札をひょいと持ち上げ、声を上げた。
「これ上下で……え、3,900円!?」
華蓮も驚いて値札を覗き込む。
「安っ……いのか?これ?」
莉子が服の状態を丁寧に確認しながら続ける。
「状態めっちゃ綺麗だし、超お得だよ。
ほぼ新品みたい……」
華蓮は服を胸元にそっと当ててみる。
くすんだブルーのリブニットが、輪郭をやわらかくしてくれる。
合わせる黒のプリーツスカートも自然に馴染んだ。
「……これにした」
「うん。いいと思う」
御珠が誇らしげに鼻を鳴らす。
「うむ。
妾はそれが良いと始めから申したであろ」
(そんなこと言ってたっけ?)
咲良が小声で首を傾げる。
「じゃぁさっそく着ちゃおう!」
「分かった」
着替えて戻ってきた華蓮を見て、三方向から同時に破壊。
「……っ!かわいい!!」
「似合ってる……すごく……」
「妾には最初から見えておった」
包囲が完成した。
「か……会計してくる……」
逃げるようにレジへ向かいながら、華蓮は心の中で呟く。
(何なんだこいつら……)
莉子が小さく微笑む。
「次はドラッグストアだね」
―――
店内に入ると、白いライトを跳ね返すコスメ棚がずらりと並んでいた。
中学生には情報量が多すぎるほど、色も文字もぎらぎらして見える。
「……なんだよここ、種類多すぎ……」
華蓮は眉をひそめ、棚の前で完全に固まった。
咲良はくるっと振り返って、胸を張る。
「今日はね、“ちゃんとする”だけでいいの!」
莉子もその横でそっと頷く。
「うん……化粧水と、眉だけ……整えよ?」
「眉って整えるもんなのか……?」
まだ信じていない目。
「整える!中学生はそれだけで十分可愛いの!」
「華蓮ちゃん、元の顔が綺麗だから……
あんまり塗らないほうがいい……」
莉子の静かな断言に、華蓮が爆発する。
「お、お前……さらっとそういうこと言うのやめろ!!」
その横で御珠は真剣な表情のまま棚を吟味していた。
眉用ハサミ、眉ブラシ、整え方の図解まで、目で追っている。
「ふむ。これで眉の形を整えると自然じゃな。
あとは……唇が乾いておるゆえ、薄い口紅が一つあれば十分じゃ」
「お……おう」
御珠の助言が妙に頼もしくて、華蓮は逆らいづらくなる。
咲良は軽快に説明を続けた。
「華蓮ちゃん、中学生はね、“透明感+眉”だけで十分なんだよ〜」
「うん。逆にメイク濃いと変になる……」
「……そ、そうなんだ?」
御珠が迷いなく言い切る。
「そなたは元が良いのじゃ。
足しすぎる必要はない」
「……………………(真っ赤)」
反論できない肯定を食らって、華蓮は黙り込んだ。
「はい、化粧水・眉ハサミ・眉ブラシ・色つきリップ!
全部合わせて……千円ちょい!」
咲良が計算した金額を掲げる。
「やっす!?いいのかこれで!?」
「いいの……十分だよ……」
莉子の柔らかい声が、背中を押す。
御珠がさらに追撃する。
「妾が保証する。
これで華蓮は“華蓮のまま、美しくなる”」
「……っ、言うな……恥ずい……」
華蓮が耳まで赤くなったところで、莉子が思い出したように顔を上げた。
「あ、そうだ。ハサミ!大事なもの忘れるところだったよ!」
「あ、あぁ……髪用のハサミって言ってたな……」
「うん。それとね──華蓮ちゃん、毛量多いから“すきバサミ”もあったほうがいいよ」
「それ何なんだ?」
莉子は指先で自分の髪を軽くつまみながら説明する。
「髪ってね、多いほどいいわけじゃなくて……
重たくなるし、乾かないし、広がるし……
だから“すく”の。いらない分だけ軽くするの」
「へぇ……そういうもんなのか。
あ、美容院でもやってたな。
すげーばっさばっさ髪が落ちるから、途中マジで『あ、これ禿げる流れ?』って思ったわ……。
あれ、マネすればいいのか?」
「そうそう。軽く梳くだけでも全然違うよ。
あ、これなんかいいんじゃない?」
咲良が取り出した箱には、大きくこう書かれていた。
《セルフカットセット 3,980円》
(う……結構するな。
さっきのコスメの比じゃねぇ。
でも……美容院一回分。
二回目からはお得になるか……)
迷いながらも、華蓮は静かに頷く。
「……分かった。買うよ」
莉子が眉を下げ、心配そうに尋ねる。
「すすめておいてなんだけど……本当に自分で切るの?」
「おう。たまに安いとこ行ったりするけど……基本、自分で切ってるよ。」
「すごいね……ほんと器用。
今度、切ってるところ見せて」
「見せるだけでいいのか?
まぁ……別にいいけど」
莉子は満足げに微笑んだ後、手を打った。
「よし!じゃあ──早速メイクしちゃおう!」
「いま!?ここで!!?」
「鏡のあるとこ行こ。
すぐ終わるから……ね?」
「……お、おう……」
―――
莉子は店員の方へ小走りに向かった。
「すみません、さっき服買ったんだけど今度はお化粧したくて……
少しだけ試着室お借りできますか?」
「もちろん大丈夫ですよ〜。ゆっくりどうぞ!」
「ありがとうございます!」
戻ってきた莉子の顔はふわりと明るい。
華蓮は半信半疑で目を丸くした。
「ま、マジで借りれんのかよ……」
「うん……優しい店員さんでよかった……」
御珠が当然のように前へ進む。
「では華蓮、参るぞ」
「え、えぇ!?なんでお前まで当然のように……!」
三人に挟まれるようにして、華蓮は試着室へ押し込まれた。
――カーテンが閉まる。
咲良が小さく笑いながら言う。
「じゃ、仕上げしよっか!」
「し、仕上げって……ここでやんの!?」
莉子は眉ブラシを持ち、優しい声で近づいた。
「眉だけ……ほんの少し……触るね……?」
「ま、待て待て待て!!
眉とか触られるの死ぬほど恥ずいんだけど!!」
御珠が静かに言い切る。
「逃げるな。
そなたは今日“変化を選んだ”のじゃろ?」
「………………っ」
逃げ道が塞がり、華蓮は息をのみ込んだ。
莉子がそっと眉の形を整えた。
咲良が前髪をほんの数ミリ、指先で直す。
御珠は淡い色のリップを手にして差し出した。
「これを塗れ。
そなたの血色は、本来もっと映えるはずじゃ」
「普段、唇青いみたいに言うな!」
震える手で、華蓮は唇に薄く色を乗せた。
咲良が胸の前で手を組む。
「うん、いい感じ……!
じゃあ、鏡見てみよ?」
「………………いや、いい……」
莉子が小さく首を振る。
「見て……?華蓮ちゃん……」
御珠が、揺らぎのない声で締めた。
「逃げても何も変わらぬぞ。
見るのじゃ」
華蓮はゆっくり鏡へ向き直った。
数秒。
呼吸が止まったように、静けさが落ちた。
「………………え」
映っていたのは、髪が軽くなり、目が大きく見える“自分”だった。
さっき選んだ服が、その輪郭に自然な陰影を作っている。
肌の色はほんのり柔らかく、唇はかすかに色づいていた。
一歩、鏡に近づく。
「……誰だよ……これ……」
声は震え、でも聞き慣れた響きだった。
咲良がそっと笑う。
「華蓮ちゃんだよ」
莉子の瞳もやさしく揺れる。
「うん……全部、華蓮ちゃん……」
華蓮の胸に、言葉にならない熱が込み上げる。
(髪だけじゃねぇ……
服も……メイクも……こんなに変わんのかよ……
“私”が……私じゃねぇみたいで……)
御珠が静かに告げる。
「そなたは、元より美しかった。
ただそれに“気づけなかった”だけじゃ」
その瞬間――
涙が一粒、頬を伝って落ちた。
「……なんで……
たったこれだけで……こんな……
私……泣く意味わかんねぇ……」
咲良が首を振る。
「ううん。泣いていいよ」
莉子も寄り添う声で続ける。
「嬉しいと……泣くよ……」
御珠は、あくまで凛として華蓮を見る。
「そなた、申しておったな。
『自分はガサツで、バカで、不細工じゃ』とな」
「……っ」
「胸を張れ、華蓮。
そなたがそう思ってきた日々を、妾は否定せぬ。
だが──いま鏡に映るそなたを、“不細工”と呼ぶ者はおらぬ」
「……うるせーばか……っ
やだ……やだよこんなの……
でも……止まんねぇ……っ」
涙を拭う袖が震える。
咲良と莉子は胸がいっぱいになりながら、そっと見守った。
(華蓮ちゃん……!)
御珠は小さく頷く。
(うむ……ようやく“自分”を受け入れ始めたな、華蓮)
咲良がそっと手を伸ばす。
「もう……泣くとせっかくのメイク落ちちゃうよ……」
―――
夕方の玄関で、鍵が回った。
扉が開くと、外の冷気が一瞬だけ流れ込む。
「……ただいま」
華蓮の声は小さい。
けれど、その姿は小さくない──見慣れたはずの輪郭が、別人のように見えた。
「おかえり──」
母は振り向いたところで、言葉を失う。
「……華蓮?」
その一言で兄と弟が顔を出した。
「誰コレ!?」
「美人きた!!」
「誰って……あたしだよ!」
「……マジで!?」
「わー! 姉ちゃん可愛い!」
兄がにやつきながら肘をつつく。
「彼氏でもできたか?」
「できてねーよ!」
「はは、冗談冗談」
「姉ちゃん、学校で人気出るんじゃね?」
「……出ねーよ」
「いやー、わかんねーぞ?」
「うるせぇ!!やめろ!!」
騒ぎの輪の外で、母がゆっくり歩み寄ってきた。
驚きより先に、確かめるような優しさが目に宿っている。
「……そう。
週末、楽しみって言ってたのは……そういうことだったんだね」
「な、なんだよ……別に……!」
母は、ため息に似た呼吸をひとつ落とした。
(いままで私が何を言っても受け入れてくれなかったあの子が……
自分から“変わりたい”と思ったんだ……)
その実感が胸を満たしていく。
「……綺麗だよ、華蓮」
「み、見るなっての……!」
母は茶化さない。
笑わない。
ただ、娘を真正面から受け止める。
「華蓮。
あなた、自分で選んだんだね」
「……っ」
「“こうなりたい”って思ったんでしょ?」
返事が出ない。
呼吸だけがわずかに動き、華蓮の視線が揺れた。
「………………
し、知らねぇよ……そんなの……」
母はほんの少し微笑む。
「嬉しいよ」
華蓮の肩がわずかに震え、目が逸れた。
「……っ
別に……変じゃねぇなら……いいけど……」
その間にも兄弟は騒がしい。
「めっちゃ可愛いじゃん」
「写真撮ろ──」
「撮るな!!マジ殺す!!」
「華蓮」
母の声は柔らかいのに、芯があった。
「……なに」
「……今日は“自分のためにお金を使ってくれた”んだね」
階段へ向かいかけた足が止まる。
「………………」
「ありがとう」
華蓮は振り返らずに返した。
「なんでそこで“ありがとう”なんだよ……」
「だって、ずっと……
遠慮してばかりだったから」
母の声は、追い詰めず、ただ隣に置かれる。
華蓮は言葉を探すが、何も出てこない。
顔を伏せたまま階段へ向かった。
途中で、ほんの小さく、誰にも届かないほどの声で。
「……ありがと……かーちゃん」
扉が閉まり、家の中の空気が、そっと冷たさを引いた。
―――
朝の廊下はまだ少し冷えていて、すれ違う生徒たちの話し声が軽く響いていた。
華蓮は落ち着かないまま、教室の扉に手をかける。
(……なんか……歩くだけで視線感じる……)
ガラッ。
「……え?坂本さん……?」
「雰囲気変わったな……なんか整ってる……」
「髪切った?にしても変わりすぎ……」
一斉に注がれる視線に、華蓮の肩が跳ねた。
「み、見るなって!!」
声が裏返り、教室のざわめきがさらに膨らむ。
そこへ咲良が弾むように駆け寄ってきた。
「華蓮ちゃん、おはよ!
昨日教えたの、そのまま出来てるじゃん!可愛いよ!」
「声でかい!……でも、あ、ありがと」
続いて莉子が落ち着いた歩幅で近づく。
「うん……似合ってる……
昨日より自然……すごい……」
「お前……そうやって真顔で褒めんなって……!」
教室のざわめきがまた広がった。
噂は噂を呼び、すぐ別の声が飛ぶ。
「坂本、化粧薄いのに綺麗じゃん……」
「てか雰囲気明るくなったよね……」
華蓮は耳まで赤くしながら俯いた。
見られるのに慣れていない心臓が、忙しく跳ねている。
そんな中、教室の扉が静かに開いた。
「……おはようございます」
御珠だった。
学校モードの落ち着いた声で、歩き方まで端正だ。
ざわめきがすっと揃い、視線が通り道を空ける。
「御珠ちゃん〜!おはよ!」
咲良が手を振ると、御珠はその横で立ち止まった。
そして控えめに、華蓮へ視線を送る。
「坂本さん。
今日、とても……整って見えますね」
「なっ……!?」
華蓮は思わず前のめりになる。
昨日の“のじゃモード”との落差に、頭が追いつかない。
(……昨日とのギャップすげぇ……)
「べ、別にこないだと同じだって……!」
御珠はほほえみの柔らかさを崩さず、静かに告げた。
「ええ。
その“同じ”を続けられるのが素敵だと思います」
「……っ」
短い言葉なのに、胸の奥にまっすぐ届く。
御珠はそれ以上言わず、おすましのまま席へ向かった。
必要以上に距離を詰めず、それでも確かに肯定だけを残す。
(……なんだよ……
学校でも普通に褒めてくんのズルいだろ……
余計、照れるじゃねぇか……)
咲良が華蓮の肩を軽く叩いた。
「華蓮ちゃん、ほんといい感じだよ!」
莉子も、変わらない柔らかさで言葉を添える。
「……うん。すごく似合う」
「ぅるせぇぇ……!!
……でも……ありがと……」
その照れ笑いには、昨日より少し自信が混じっていた。




