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神愛 ─ 永遠の刹那 ─  作者: 神愛
第3章 中学生編 ― その瞬間を抱きしめて ―
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第9話 まだ知らない自分へ

文化祭が終わって数日。


放課後の教室には、あの賑わいが嘘のように引いていた。

夕陽が机を淡く照らし、帰り支度の物音がぽつぽつと散っている。


その中で、莉子がそっと席を立った。

控えめな足取りのまま、迷いなく華蓮の机へ近づく。


「ねぇ、坂本さん」


呼ばれて、華蓮が顔を上げた。

肩の力が抜けた返事が漏れる。


「ん?」


「今度の休み、一緒に買い物行かない?」


夕陽が、莉子の横顔をやわらかく縁取っていた。


「……買い物?」


言葉の意味をゆっくり噛むように、華蓮がまばたきをする。


「うん。服とか化粧品とか」


“女子同士の買い物”という響きに、華蓮の肩がわずかに強張った。


「……え、なんで?」


「勉強会の時、約束したじゃない。お化粧してみるって」


記憶をたぐるように、華蓮の目が揺れる。


「そ、そうだったね」


(正直、めんどくさいけど……『変化を面白いと思え』か……)


小さく息を吐き、覚悟を固めるように前を見た。


「……わかった。行く」


その返事を聞いた瞬間、莉子の表情がぱっと明るくなる。


「やった!二人だけだと気まずいかもしれないから、咲良も誘っておくね」


咲良が、すぐ後ろの席から椅子の影をくぐるように顔を出した。

軽やかな笑みを浮かべている。


「聞いたよ。一緒に行こ」


唐突な乱入に、華蓮は目を逸らしきれなかった。


「……うん」


莉子は机に手を軽く添え、次の段取りを告げる。


「じゃ、お金。少し多めに持ってきてね。

 美容院と洋服と化粧品」


「え、マジ?」


その声だけは、夕陽の教室にくっきり響いた。


―――


夜のキッチンには、皿を洗う水音だけが響いていた。

蛍光灯の白い光が、母の背中を照らしている。


華蓮が部屋から出てきて、コップに水を注ぐ。

その動作が、妙に定まらず、そわそわして見えた。


(……なんかウキウキしてる?)


母は手を止めずに、横目で娘を追う。


「華蓮」


呼びかけに、華蓮が肩を揺らした。


「ん?」


「なんかいいことあった?」


問いかけは軽い。

けれど、様子を見抜いた声だった。


「え、いや……なんでもねぇし。

 ……週末、友達と遊びに行くのが……ちょっと楽しみなだけ」


言いながら、耳の先だけが赤くなっていく。

素直になりきれない照れが、そこに滲んだ。


「そうなの?」


「……うん」


母は、水滴を落とす皿を伏せながら、静かに思い返す。


(こないだのシャンプーとコンディショナーもそう……

 あの子、やっと“自分”に興味を持ち始めたんだわ)


その気づきに、胸の奥がほどけた。


母は洗い物の手を止め、キッチンの棚にある小さな引き出しを開けた。

そこから財布を取り出し、五千円札を一枚抜く。


「はい、これ」


「えっ、なんで!?」


差し出された紙幣に、華蓮が目を丸くする。


「遊びに行くんでしょ?

 お金必要でしょ。

 もらっておいて」


「い、いらねぇよ!持ってるし!」


言葉は強いのに、突っぱねる勢いが弱い。


「お母さんが渡したいの。

 華蓮が“楽しみにしてる”なんて珍しいんだから」


その一言で、華蓮の動きがぴたりと止まった。


表情が固まる。

目が揺れて、口がわずかに開いたまま、何も言えなくなる。


台所の水音が続いた。


「………………

 わかった……ありがとう」


小さく、それでも届く声だった。


「うん」


母は洗い物に戻りながら、こっそり微笑む。


(やっと……この子が“子ども”のままじゃない部分を見せてくれた)


キッチンの灯りが、さっきより柔らかく見えた。


―――


休日のモール前では、人の流れがゆっくり往復していた。

陽射しが明るい分、待ち合わせの二人の雰囲気もどこか軽い。


莉子と咲良は並んで立ち、入口の方へ時おり視線を向けている。


「坂本さん、来るかな?」


咲良がつぶやくと、莉子は迷いなく首を振る。


「来るよ。約束したもん」


その言い方があまりにも自然で、咲良はふっと笑った。

そして、ちょうどそのタイミングで――


少し大きめのトレーナーと古びたジーンズの人物が、歩道の端から近づいてくる。

華蓮だった。


兄のおさがりをそのまま着たような格好だ。

歩幅だけが落ち着かず、靴先が小刻みにずれる。


「……悪い。待った?」


息を弾ませるでもなく、ただ控えめに。


「ううん!ちょうど来たところ!」


莉子がぱっと笑顔で返す。

咲良もそれに合わせて軽く手を振った。


「よし、じゃあ行こっか!」


華蓮は二人の華やかさを改めて目にし、自分の服を見下ろす。

比べるつもりはなくても、胸の奥がわずかに沈んだ。


その沈みを隠すように、ぽつりと口を開く。


「……そうだ。御珠はいねーの?」


唐突で、不器用な問い。


「え、御珠ちゃん!?」


咲良の声が一段高くなる。


「いや、いないならいいんだけど……」


そこに変な下心はない。

けれど、助けられた時の記憶が勝手に浮かんできた。


咲良はその理由を、すぐに想像してしまう。


(そっか。庇ってもらった時のお礼とか言いたいのかな……

 雪杜も“御珠、坂本さん気に入ったみたい”って言ってたし)


「一応、呼んでみるね」


「え?いいの?」


華蓮が意外そうに眉を上げる。


【御珠と咲良の個別チャット】


咲良:御珠ちゃん

咲良:いま暇?


御珠:これから雪杜に甘えるのじゃ


咲良:えーなにそれ

咲良:ずるい

咲良:電話する


御珠:わかったのじゃ


咲良はすぐに通話ボタンを押した。

少しして、あの独特の声音が響く。


『なんじゃ。茶の誘いかの?』


「似たようなもん。

 ね、一緒にお買い物しない?」


『買い物とな』


「そ。女子会。

 莉子と坂本さんもいるよ」


『なに。あやつが』


その反応に、咲良は笑みを含ませた声で続ける。


「御珠ちゃんが“気に入った”って言ってたって、雪杜から聞いたよ」


『むー雪杜め。簡単に情報を漏らしおって』


御珠は短く息を吸う。

何かを計るように、返事が途切れた。


『……わかったのじゃ。

 いまから支度するのじゃ』


「ほんと!?

 じゃあ、私たち先に美容院いってるから。

 着いたら連絡してね」


『わかったのじゃ』


通話が切れ、咲良は画面を閉じる。


「来るって」


「は!?来んの!?」


華蓮の声が半歩上ずった。

その裏の小さな弾みを、本人だけが認めていない。


(てか“気に入ったって言ってた”って……聞こえたんだけど)


莉子が横から覗き込むように、くすっと笑う。


「嬉しそう」


「う、うれしくねーし!」


そう言う華蓮の耳は、すでに真っ赤だった。


―――


モール内の美容院は、ガラス越しに白いライトがやわらかく滲んでいた。

消毒液と整髪料の匂いが、通路までうっすら届いている。


「ここ、安いけど上手なんだよ」


莉子が前を歩きながら振り返る。


「……マジで?」


華蓮は店構えをじっと見た。

自分とは縁が遠い場所に見える。


「うん!私もここで切ってもらってる!」


咲良の明るい声が背中を押す。


三人が自動ドアをくぐると、ドライヤーの風音とシャンプーの匂いがふわりと迎えた。


「いらっしゃいませー」


受付の声に、華蓮の肩がわずかに跳ねる。


「予約した森川です」


莉子がすぐに応じた。

慣れた調子に、華蓮は一歩後ろから見ている。


「お待ちしておりました。

 本日はカットのみの予約ですね。

 どうぞこちらへ」


「……っ」


華蓮の喉が小さく鳴った。


(え、美容院って予約いんの?

 森川すげぇ……)


ぼんやりしていると、莉子の指が肘を軽く突く。


「ほら。坂本さん」


「え、あ……あぁ」


「こっちのお友達のカットお願いします」


「分かりました。どうぞこちらへ」


受付の微笑みが丁寧すぎて、華蓮の足がぎこちなく動き出す。


「ちょ、ちょっと待って。

 値段……値段いくら?」


「カットのみだと四千円になります」


(え。全然安くないじゃん!

 一瞬で、かーちゃんにもらった五千円飛んでいきそう)


横で莉子が心配そうに覗き込む。


「大丈夫?」


「……あ、うん。大丈夫」


見栄じゃない。

覚悟の問題だった。


「こちらへどうぞー」


―――


待合の椅子に腰を下ろすと、背中がこわばった。

雑誌の山と、シャンプーの甘い匂いが近い。


「ねぇ坂本さん。いつも髪はどうしてるの?」


「え、自分で切ったり……安いところ行ったり……」


莉子が盛大に目を見開いた。


「もしかして、普通の文具用バサミで切ってる!?」


「え、そうだけど……」


「ダメだよー!枝毛になっちゃう!」


「そうそう!ちゃんと髪用のハサミじゃないと!」


咲良まで全力で頷いてくる。


「……そうなの?」


「うん。今度からはちゃんと美容院で切ろうね」


「……毎回こんなに高いの?」


「うーん、この値段なら普通なんだけどね……

 確かにお小遣いから出すには痛いかもね……」


「まじか……これが普通……」


莉子がふと思い出したように声を落とす。


「自分で切れるなら、ハサミだけでも買おっか。

 髪用のやつなら、もっと綺麗にできるよ?」


「……ハサミ?」


「うん。ドラッグストアに売ってるよ。二千円くらい」


「美容院より安い〜!」


咲良の無邪気な声に、華蓮はようやく小さく笑う。


「……わかった」


(自分で切ってこれって……もしかして才能ある?)


莉子の視線が優しく揺れた。


―――


鏡の前に座ると、背すじが勝手に固まる。

白いクロスが体にかけられた瞬間、逃げ道が消えたように思えた。


「どんな感じにしますか?」


「……え、えっと……」


言葉に詰まる華蓮の横で、莉子が迷いなく口を開く。


「肩より少し短めで、毛先を軽くしてもらえますか?

 あと全体的に毛量が多いから軽くすいてください」


「わかりました」


「お、おい……」


「大丈夫だよ。絶対似合うから」


咲良の「うんうん!」が背後から弾む。


ハサミの音が小気味よく鳴り始める。

切り落ちる髪が肩からひらりと落ちるたび、胸の中で不安と期待が入れ替わった。


(……変わってく。

 すごい量の毛が落ちてるけど、大丈夫なのか?)


「はい、できましたー」


鏡の中の自分が、息をのむほど軽くなっている。

肩に触れそうで触れない長さだ。


重たかった前髪も横髪も、視界を邪魔しない。

目の形まで、初めて正面から光に出てきたように見えた。


「…………え」


華蓮はそっと毛先をつまんだ。

ふわり、と揺れる。


(……なにこれ……ぜんっぜん重くねぇ……

 私、こんな顔……してた?)


「どう?」


莉子の声がやわらかく響く。


「……似合う、かな……?」


鏡に映る自分から目が離れない。

呼吸が浅くなる。


「似合う似合う!めっちゃ可愛い!!」


「うん。坂本さん、顔小さいから絶対似合うと思った」


その直球の言葉に、華蓮の耳が一瞬で真っ赤になった。


「……っ、や……やめろよ……

 そんな真顔で言うなって……!」


震える声の奥に、小さな嬉しさが紛れ込む。


「……でも、ありがと」


美容師が会計を告げる。


「カット代、四千円になります」


財布を開いた華蓮は、息を少し整えて札を取り出した。


(髪って、こんな変わんのか……

 四千円……痛ぇけど……

 でも……)


「……お願いします」


差し出した手に、さっきより迷いがない。


(……悪くねぇな、こういうの)


莉子はその変化を見逃さない。


「次、服見に行こうか」


「……服?」


「うん!可愛いの探そ!」


「……でも、金が……」


「お金なくても大丈夫。中古の服でもいいのいっぱいあるから」


「中古?」


「古着屋だよ!意外と掘り出し物あるよ!」


その言葉に、咲良も会話へ滑り込む。


「うん!安いし、可愛いの多いよ」


「……そうなの?」


「うん。行ってみよ!」


その時、スマホが震えた。


御珠:着いたのじゃ


「あ、御珠ちゃんも着いたって」


咲良はすぐに返信する。


咲良:イベントホールで待ってて

御珠:承知したのじゃ


―――


モールのイベントホール前は、人の流れが途切れなかった。

その柱の影に、待ち合わせにちょうどいい余白が残っている。


そこに――御珠がひとり立っている。


白いワンピースに照明が淡く落ち、学校で見る姿とは別物に見えた。


「御珠ちゃーん!」


咲良が駆け寄る。

莉子と華蓮も後ろから続き、小走りの息が少し混じる。


御珠はゆっくり振り返った。


「おお、咲良。急に呼ぶでない」


咲良は笑いながら手を合わせる。


「ごめんね。雪杜に甘えたいところ、急に呼んじゃって」


「まぁ良い。あやつには後でたっぷり甘えるでな」


その余裕の言い方に、華蓮の頭がいきなり渋滞した。


御珠はすぐ、華蓮へ視線を向ける。


「で、おぬし。華蓮かの?」


「え……なんだお前、そのしゃべり方!?」


驚きが声の高さに混じる。


「妾はこれが普通じゃ。

 学校では目立ちたくないのでな。あれは“演じて”おる」


「え!?こっちが素!!?

 ってか占い師、お前だったのか!」


「左様じゃ。

 ……面白かったかの?」


声色はやわらかい。

それなのに、言っていることが多すぎて追いつかない。


「指揮者で体育館沸かせたり、占い師やったり……

 どう考えても目立ちまくりじゃねーか!!」


「そう申されてもな……

 妾、目立ちたくないのじゃが……

 周りが勝手に妾を押し出してくるのじゃ……」


御珠はしゅん……と肩を落とす。

落ち込んだような仕草まで整いすぎていて、華蓮の混乱が増した。


「わ、悪かったよ!

 いろいろ情報多すぎて混乱してんだ……」


華蓮が慌てて手を振ると、御珠がぱっと顔を上げる。


「それより、ぬし。

 髪を切ったのか?」


「え、あ……」


御珠が一歩近づいた。

距離が縮まっただけで、華蓮の背すじが勝手に伸びる。


そして――

長いまつげの奥の瞳が、まっすぐ華蓮の顔を捉えた。


じぃっ……。


口元が、ふっとやわらかく緩む。


「……よい。非常によいぞ。

 お主の変化、しかと見届けてやろう」


「ッッッ!!?」


華蓮の顔が、一瞬で茹だったみたいに真っ赤になる。


「こっち見んな!!死ぬ!!」


思わず声が裏返り、両手で顔を隠す。


咲良&莉子は、まるで打ち合わせたみたいに同時にうなずいた。


((はい可愛い))


場がほどけたところで、咲良が提案する。


「せっかだから皆でご飯食べよ」


その一言が、次の流れへ背中を押した。


―――


昼どきのフードコートは賑やかだった。

麺の湯気や甘いソースの匂いが入り混じっている。


四人は空いたテーブルを確保した。

それぞれ好きなメニューをトレーにのせて戻ってくる。


咲良はうどん、莉子はオムライス、華蓮はラーメンだった。

そして御珠は、妙に湯気の立つきつねうどんを抱えて座る。


「いただきまーす!」


咲良が元気よく声を上げる。


「いただきます……」


莉子がそっと続く。


「……い、いただきます」


華蓮はまだ緊張が抜けきらないまま、小さく呟いた。


「いただくのじゃ」


御珠の“素の声”がテーブルに落ちる。


その瞬間、華蓮がびくっと顔を上げた。


「お前……普段からそれってホントなのか?」


咲良が箸を止めて首をかしげる。


「あ、坂本さん知らないんだっけ?」


「ん?」


「御珠ちゃんが“のじゃ語”で話すのってね、“身内認定した人限定”なんだよー」


「……は?」


言われた意味が処理できず、華蓮の目が止まる。


すると御珠がガタッと身を乗り出した。


「ま、待て咲良!

 妾、そんなこと言った覚えないのじゃが!」


「またまた〜照れてる照れてる」


「照れておらん!咲良、静まれ!」


賑やかなやり取りに、周りのテーブルから笑い声がこぼれる。


華蓮は湯気越しに御珠を見た。


「え、身内って……あたしも入ってんの?」


咲良は当然の顔でうなずいた。


「うん。坂本さんもとっくに“身内認定”されてるよ〜」


莉子も小声で続ける。


「わかる……御珠ちゃん、坂本さんには距離近い……」


「な、何を言うのだおぬしたち!

 妾は誰にでもこうなのじゃ!」


咲良が静かに一撃を入れる。


「じゃあ学校での“普通の喋り方”は?」


御珠は箸を止めた。

視線が泳ぐ。


「……あれは場に合わせてるだけじゃ……」


華蓮が箸を止め、半眼で突っ込む。


「おい、動揺してんじゃねーか」


「しておらん!」


御珠の耳が、ほんのり赤い。


華蓮は思わず見入ってしまう。


(……なんだよ。

 こいつ、思ったより……可愛いとこあんじゃねーか)


その心の声が漏れそうな瞬間――


「はいはい〜。御珠ちゃんはツンデレの姫巫女でーす」


咲良が軽くあしらうように宣言した。


「咲良ぉ!後で覚えておれ!」


御珠の抗議が可愛い成分に寄りすぎていて、華蓮は堪えきれず吹き出す。


「はは……」


その柔らかい声に、咲良と莉子が同時に息をのむ。


((あ、笑った……!))


咲良は勇気を出して言葉を続けた。


「ね……私も、身内認定していい?

 “華蓮ちゃん”って呼びたい」


「え!?お前もかよ!」


莉子も控えめに手を上げる。


「じゃ……私も……“華蓮ちゃん”」


「ちゃん付けはやめろ!」


そこへ御珠がさらりと追い打ちをかけた。


「良いではないか、華蓮ちゃん」


「お前!さっきまで呼び捨てだっただろ!!」


四人の声が重なり、フードコートの喧騒に混ざって笑いが弾けた。

その笑いは軽くて自然で、華蓮の胸に初めて“友達のいる昼食”のぬくもりを残した。

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