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神愛 ─ 永遠の刹那 ─  作者: 神愛
第3章 中学生編 ― その瞬間を抱きしめて ―
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第6話 記録を読む者

ホームルーム前の教室にはまだ帰り支度の手つきが少なく、机の上も散らかったままだった。

小さなざわめきが揺れる中、高橋先生が成績表の束を手に入ってくる。


「中間テストの結果を配ります。

 席でおとなしく受け取ってねー」


声が落ちた途端、教室全体がざわっと揺れた。

鞄を閉じかけていた生徒たちがいっせいに手を止め、視線が前へ集まる。


雪杜の机にも、薄い紙の束がふわりと落ちた。


「……うわ」


思わず漏れた声に、近くで帰り支度をしていた咲良がすぐ身を寄せる。


「どうだった?」


「順位落ちちゃった。短い間の学年首位だった……

 平均点も前回より10点くらい下がってたし」


咲良が目を丸くする。


「マジで!?」


慌てて自分の成績表を開いた瞬間、肩がしゅんと落ちた。


「……私も下がってる……何これ……」


少し離れた席から、颯太が成績表を片手に顔を出す。


「お前らもか。俺も下がった」


そのすぐ後ろで、莉子が紙を持ったまま肩を落とした。


「私も……」


四人の視線が一瞬、中央に集まった。

言葉が途切れ、誰からともなく息を飲む。


「……駆ゼミ、すごかったんだね」


雪杜の小さな呟きに、咲良がため息混じりに頷いた。


「これが私たちの“地力”ってことか……」


「駆ゼミ、やべぇんだな」


「ほんと……すごかったんだね」


「うん……」


教室の隅では、駆が静かに紙を見つめていた。

肩の力を抜いたまま、他の会話には入らず、淡々と点数を追う。


「……」


(俺も……少し落ちたな。

 AIにこっそり予想問題作らせたけど、精度が悪かった)


やはり史の過去問が異常なほど正確だったのだと、嫌でも思い知らされる。

あれは単なる勉強材料ではなく、史が積み重ねてきた“記録”そのものだった。


駆は紙を見つめたまま、静かに息を吐いた。


―――


放課後のPC室は、窓の外の夕陽が細い帯になって机の端を照らしていた。

モニターの光がその上を淡くなぞり、部屋の奥まで明るさが残っている。


テスト明けの解放感がまだ教室に残る中、雪杜がホワイトボードの前に立った。


「テストも終わったし、きょうから本格的に文化祭の準備進めようと思う。

 まず、占いブースの役割分担を確認しよっか」


返事はすぐに返ってくる。


「はーい」


「うむ」


咲良と御珠が自然に前へ身を乗り出し、雪杜はそのままペンを走らせた。


・受付・サポート:咲良

・悩み聞き取り:宮下さん

・システム入力:駆

・占い演出:御珠(さーや様)

・進行管理:雪杜


「私は受付とサポートね。

 来た人の誘導と、緊張してる子のフォローもやる感じ?」


咲良が軽く胸を張る。

その明るさに、雪杜も微笑んだ。


「うん。咲良が一番向いてるよ」


史が手元のノートを閉じ、静かに言葉を添える。


「私が悩みの聞き取りを。

 質問の出し方も、私の方で調整します」


「俺がその内容をシステムに入力する。

 占いっぽい言い回しのテンプレもこっちで組むよ」


駆が椅子を前へ寄せながら応じた。


御珠は腕を組み、ゆっくり顔を上げる。


「最後に妾が“さーや様”として結果を伝えるのじゃな。

 じゃが、妾、あまり目立ちたくないのう……」


その場の全員の視線が、同じ向きで揃った。


(((お前、さーや様やりたいって言ったじゃん!)))


指揮者も目立つが、さーや様もそこそこ目立ちそうと思い直したらしい。

“学校では前に出ない”という自分の方針と、やってみたい役割が微妙に衝突しているのだ。


雪杜が苦笑しながら助け舟を出す。


「えっと、フードを深く被って誰だかわからないようにしよっか。

 ボイチェンとか使って“誰?”ってなるようにしよう。

 言葉遣いも普段と違うから分からないと思うよ」


咲良がぱっと顔を明るくした。


「いいね!めっちゃ占い師っぽい雰囲気出るし!」


御珠は満足げに小さく頷く。


「なるほど。それならよかろう」


「うん。だいたいこんな感じか。

 僕は……雑用かな。

 全体の進行を見るとか、順番管理とか、混雑した時の誘導とかやるよ」


雪杜がホワイトボードから下がると、咲良が掌を打った。


「よし、役割決まったね!」


その声をきっかけに、小さな輪の中へ自然と視線が集まる。

準備の始まりを共有するように、皆の手元が動き出した。


「……じゃあ、準備始めよう」


雪杜が穏やかに言うと、駆が史の方へゆるく体を向けた。


「史さん、システムの調整を手伝ってもらえますか?」


「わかりました。

 ダミーの悩みを入力して、占い風に出力されるのを監修します」


「お願いします」


短い会話の後、史はそっと視線を落とした。

膝の上で握った指先が、机の下の影で小さく震える。


「後で空き部室に来てもらえますか……

 渡したいものが、あります」


駆はその小さな声を受け止め、目元をわずかに揺らした。


「……わかりました」


窓の外の夕陽はゆっくり傾き、部屋の隅を赤く染めていく。

室内の灯りが少しだけ存在感を増し、モニターの白がいっそう浮いた。


静かに始まった文化祭準備は、誰も気づかないうちに、もうひとつ別の扉の前に立っていた。


―――


放課後の空き部室は、人の足音が途絶えてひっそりしていた。

窓の外はもう夕方の色を失い、室内では蛍光灯が机の天板を白く照らしている。

静けさが、まるで別の世界へ踏み込んだような境界を作っていた。


扉が小さく軋み、駆がそっと入ってくる。


「……来ました」


その声に、史がわずかに顔を上げる。


「呼び出して、すみません」


「いえ」


短い言葉のあと、会話が途切れた。

蛍光灯の唸りと、椅子の脚が床に触れる気配がやけに近い。


史は膝の上でそっと指を重ね、表情を落とす。


「……覚悟が、ようやく決まりました」


「……はい」


駆は動かず、ただその言葉の“重さ”を受け止めていた。


史はゆっくりと鞄を開ける。

中からノートを数冊取り出すと、紙が擦れる音が小さく響く。


「これが……記録です。

 小6の冬からの分」


次に、小さなUSBメモリを指先から滑らせるように取り出し、机の上へそっと置いた。


「これは、中学に入ってからの……続きです」


駆は返事もできず、視線だけがそこへ吸い寄せられる。


史は呼吸をひとつ整え、淡々と告げる。


「……どちらから、読みますか?」


「え……?」


戸惑いの声が、わずかに震える。


史は目線を落としたまま続けた。

声は淡白なのに、奥にひそむ震えは隠しきれない。


「最初から読むと……父が亡くなった直後から始まります」


駆は息を呑み、喉がひくりと動いた。


「最近からでも……読みやすいと思います。

 駆くんが……苦しくない方でも」


二人のあいだが深く静まり、視線の行き場がなくなる。

駆はゆっくりと史を見て、史もその目を逸らさなかった。


「……史さんは、どちらを読んでほしいですか?」


史の肩がわずかに揺れる。


「……私は、どちらでも。

 駆くんが……読みやすいほうで」


駆は少し俯き、短く考える。

それから、はっきり顔を上げた。


「……最初から、読みます」


史のまつげがかすかに震える。


「……」


「史さんが記録を始めた理由……

 そこから知らないと、ちゃんと向き合えない気がして」


その言葉に、史の瞳が初めて揺れた。

揺れの奥に、恐れと救いが絡み合う。


「……わかりました」


史は鞄から一番古いノートを取り出し、両手でそっと差し出した。


「……これが、最初です」


駆が手を伸ばした瞬間、史の指先がぴたりと止まる。

紙の端がほんの少し戻りかけた。


(……嫌いになるかもしれない)


胸の奥で固く縛られていた思いが、指先のためらいとして滲む。


駆の視線が揺れないままそこにあるのを見て、史は息をひとつ飲み込んだ。

そして、ゆっくりとノートを押し出す。


駆は両手で受け取る。


「……大切に、読みます」


史は小さく頷く。


「……はい」


その短い返事は、今までのどの声よりもかすかに震えていた。


―――


夜。

駆の部屋ではスタンドライトが机を照らし、周囲は音を失っていた。


駆は史から受け取った一番古いノートを開く。

記録の始まり、検証項目、目的、書き方のルールのようなものが冒頭に並んでいた。


(いきなり重い内容だ。

 分かっていたが、想像以上だ)


最初のページは乱れていて、行のズレや句読点の揺れが生々しかった。

だがページが進むと、急に“整った枠”が揃いはじめる。

感情が削ぎ落とされ、記録が形式に固定されていく。


[日付]20XX/12/16

[場所]自宅

[事実]

・21:06 ■■■ 帰宅(酩酊)

・21:10 栄養ドリンクの空き瓶を踏む音

・21:10 転倒

・21:10 硬い音(テーブル角)

・21:12 母が救急車を呼ぶ

[推測]

・足元を見ていなかった

・瓶の位置は偶然

・私の声と出来事の関連は不明

[備考]

・記録を止めない

・止めたら、また言う

・また言ったら、また起きる

[補足]

・私は証言しない

・記録だけ残す

・これは検証

・これは罰

―――


数字と箇条書きが整然と並び、どこにも人のぬくもりがない。

残ったのは“順番”だった。


その中で“罰”という一語が妙に黒く沈む。


(……罰?罰なのかこれ?

 事故の瞬間を、こんな距離のまま記録できるものなのか……?)


喉がひゅっと塞がる。

ページは容赦なく次へ続く。


ノートをめくると、新しい枠が現れる。


[日付]20XX/12/17

[場所]病院

[事実]

・学校を欠席

・■■■の診断説明

[推測]

・説明内容の一部は省略された

・自分への質問が避けられていた

[備考]

・記録の形式を決める必要あり

―――


(全部……事実の羅列だ)


心がざわつくのに、目は止まらない。


[日付]20XX/12/18

[場所]自宅

[事実]

・葬儀の日取り決定

・親族の来宅

・“事故”と説明される

[推測]

・“事故”の言い方は統一されていた

・理由の共有があった可能性

[備考]

・混乱なし

―――


“混乱なし”。


その一語が胸に突き立つ。


(……これは、混乱してないんじゃなくて……

 “混乱を書かない”ってことなんだ)


ページの端は少し波打ち、触れられなかった涙の跡のように見えた。

でも記録には一切書かれていない。


駆はそっとノートを閉じる。


「……全部知るって、こういうことなのか」


息が喉に引っかかる。


(史さん……

 一人で、これを二年近くも続けてきたのか)


指先が震える。

それでも、ノートはもう一度開かれた。


スタンドライトの光が静かに揺れる。


駆は次のページをめくる。


[日付]20XX/12/20

[場所]自宅

[事実]

・納棺の準備

・■■■の顔に布

・着替え

・手を胸の上に置く

・親族到着

[推測]

・布の下の表情は変化なし

・眠っている状態に似せている

[備考]

・なし

―――


(……最後に見る顔のはずなのに、これだけ?)


ノートは揺らぎなく“事実”を並べていた。


ページをめくると、火葬場の枠が続く。


[日付]20XX/12/20

[場所]火葬場

[事実]

・受付

・■■■安置

・炉の前で説明

・点火

・炉に入る

・待機

・遺骨を拾う

[推測]

・骨の状態は標準

・時間は想定より短い

[備考]

・母の付き添い

―――


息を飲んだ。


(……“骨”って……

 こんなに淡々と書けるのかよ)


紙の上には熱も匂いもなく、嗚咽もない。

「起きたこと」が積み重ねられていく。


さらにページをめくる。


[日付]20XX/12/20

[場所]自宅(通夜)

[事実]

・祭壇設置

・線香

・読経

・参列者の到着

・母が泣く

・参列者の言葉(内容省略)

[推測]

・母は睡眠不足

・参列者の発言に意図の統一性あり

[備考]

・なし

―――


(“母が泣く”……

 それだけなんだな)


涙も、声も、悲しみの熱も――

史自身の感情は何ひとつ記されていない。


起きた順番が、そこに残っている。


(……全部、事実だけにされてる)


静かすぎる記録だった。

静かすぎて、胸が痛む。


駆はノートを胸元でそっと閉じた。


「……こんなの、一人で抱えてたのかよ」


声がかすれる。


(でも……読むって、言った。

 ここで止まるわけにはいかない)


再びノートに目を落とす。

その後も葬式、初七日、遺品整理と続いていく。


[日付]20XX/12/22

[場所]学校

[事実]

・登校

・担任と面談

・欠席理由の確認

・授業参加

・同級生の反応(省略)

[推測]

・担任は配慮

・同級生の反応は均質

[備考]

・問題なし

―――


駆はノートを閉じた。


掌がはっきりと音を立てる。


「……っ」


声にならない声が漏れた。


(“問題なし”じゃない……

 どこにも……問題しかない……)


息を整えるように額を机へ近づける。


(読むって……言ったんだ。

 “嫌いになるかもしれない”って言ってたのに……

 それでも渡してくれたんだ)


駆はノートを両手で包む。

ただの紙束なのに、体温のないはずの重量が手のひらにずしりと残る。


(……全部読む。

 逃げない。

 この記録は……史さんの、生きた形だから)


ゆっくりと頭を下げる。


「……読むよ。

 最後まで」


その声は弱々しいのに、決意だけは静かに夜へ刻まれていった。

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