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神愛 ─ 永遠の刹那 ─  作者: 神愛
第3章 中学生編 ― その瞬間を抱きしめて ―
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第7話 空白に触れた夜

放課後、PC室のドアを開けると、机の上には布と小道具が広がっていた。

フード付きローブの試作品まで転がり、モニターの明かりがちらつくたび、ここだけが小さな舞台裏みたいに切り取られて見える。


御珠がそのローブを頭からかぶる。

軽く顎を上げ、フードの影からこちらをうかがった。


「どうじゃ?さーや様っぽいか?」


御珠の声に、最初に反応したのは咲良だった。

身を乗り出しながら、楽しげに目を輝かせる。


「めっちゃそれっぽい!ちょっと怪しい感じすごく出てる!」


その感想に雪杜も視線を合わせ、素直に頷く。


「うん、雰囲気あるね」


御珠は満足げに肩を揺らし、調子に乗ってローブをひらりと振った。

布がふくらんで波のように揺れ、モニターの光がそこへ淡く吸い込まれる。


部屋の端では、史が布を静かに畳んでいた。

指先の動きは落ち着いているのに、視線がときどき駆の方へ滑る。


「……読んでますか?」


駆は資料をまとめる手を止め、声を潜めて返す。

その目元に、わずかな疲れと決意が混じっていた。


「……はい。少しずつ、ですけど」


史は息を詰めた。

肩がごくわずか揺れ、胸の奥へ小さく落ちる音がしたように見えた。


「……無理は、しないでください」


駆は目を伏せ、けれど逃げないように軽く息を整える。


「大丈夫です。ちゃんと……読んでます」


史はその言葉にそれ以上触れず、畳んだ布を整えながら小物の整理へ戻った。

横顔には安堵か迷いか判別のつかない揺れが、わずかに浮かぶ。


夕陽が薄くなり、窓際の明かりが静かに引いていく。

代わりに室内の灯りが強まり、机の上の布や道具の影が長く伸びた。

その光の移り変わりが、準備の時間と、それぞれの胸にある変化をそっと照らしていた。


―――


駆はスタンドライトの下でモニターを開いている。

薄い光が机の上だけを照らし、部屋の隅は静かな影に沈んでいた。


中学に入った頃には、データは電子化されていた。

小学6年3学期、卒業、入学、中学1年と淡白な日々が続く。

山もなく、谷もなく、“事実”が積み重なっていく。

淡々と、ただ淡々と。

まるで修行かなにかのように。


『記録に深い意味なんてありません』


史の言葉が脳裏に蘇る。

その声が、目の前の文章の冷たさと妙に一致していた。


(これじゃただの苦行だ。

 意味もなく、ただ、ただ、毎日、毎日……

 なんの目的もなく。誰に読ませるでもなく)


読むほどに胸が痛む。

光の反射が画面に揺れ、駆の眉を震わせた。


(これ……本当に、意味のない罰だったんだ)


猫が横切った。

誰がどこを通った。

雨が降った。


それだけ。


こんな記録を二年近く、誰にも見せることなく続けてきた史。

心が壊れない方がおかしい。


気づけば、涙が頬を伝っていた。

滴はキーボードの縁に落ち、照り返した光が画面ににじんだように見える。


(こんなの……

 一人で背負うものじゃない)


胸の奥がぎゅっと締め付けられる。

痛みに似た熱がじわじわと広がる。


(壊れる前に……守らなきゃ……)


史の姿を思い浮かべた瞬間、胸が跳ねた。

反射のように反応する自分に、駆は目を見開く。


(……守りたい……?

 なんでだ……なんでこんな……)


記録を読むほど、史の痛みが自分に流れ込んでくるようだった。

静かで、でも鋭い針のように。


そして、気づいてしまう。


(俺……史さんが苦しむのが……耐えられない……)


言葉にならない感情が胸に熱を灯した。

それは恐怖にも似ていて、けれど後戻りできないほど真っ直ぐだった。


(……これ……もしかして……)


駆はブラウザを起動し、AIのコンソールを開いた。

暗い部屋に、カーソルの点滅だけが呼吸のように明滅する。


(……聞いてどうするんだよ。

 でも……)


指がゆっくり動き、震えるようにキーを押した。


《誰かを強く守りたいって思うのは普通のことですか》


送信。


少しして、AIの返答が表示される。

機械的なフォントが、妙に胸に重く残った。


《それは恋愛感情である可能性が高いです。

 “守りたい”という感情は、相手への強い愛情や独占欲に由来することが多いです。

 その人を考えると胸が苦しくなる、笑っていてほしいと思う、他の誰かと親しくすると嫌な気持ちになる――

 それは恋と呼ばれます》


駆はゆっくりと息を吸った。

呼吸が胸の奥に落ちていく。


(……やっぱり、そうか)


胸が痛いのに、どこかで納得していた。

逃げようとする心と、もう逃げられない心が重なり合う。


(俺……史さんのことが……)


モニターの光が小さく揺れた。

指先も、視線も、熱に浮かされているようだった。


(……好きなんだ)


―――


駆は、淡々と続く“苦行のような記録”を読み進めていた。

モニターの白い光が、机の上と手元を薄く照らしている。

事実が積み重なる毎日だった。


淡泊で、乾いていて、誰の影も落ちない。

だが、そこで流れが変わる。

中学二年の春だった。


視線はあるページで止まった。

スクロールする手の力が抜け、行間に吸い寄せられていく。


[日付]20XX/4/10

[場所]空き部室

[事実]

・1年生が2人訪問

・量子論の話をする

・名前を聞く→春原 咲良

[推測]

・部活を探して迷い込んだ

[備考]

・また来てと声をかける

―――


「……そうか。最初に咲良と出会ってたのか。

 備考に『また来てと声をかける』……?

 史さんが?どういう心境の変化が?」


駆は息を小さく呑んだ。

スクロールする指が自然と速くなる。

乾いた記録の奥で、火が点くのがわかった。


[日付]20XX/4/11

[場所]空き部室

[事実]

・「みたま」と名乗る1年生が訪問

・軽い会話

・「ゆきと」という少年が「変な人に会った」と話していたので様子を見に来た

[推測]

・「ゆきと」は昨日のもう一人の方の少年と思われる

[備考]

・「みたま」は落ち着くのでまた来ると話す

―――


「御珠、様子を見に行ってたのか。

 雪杜に惚れてないか確かめに行ったんだろうな……はは」


乾いた笑いが漏れた。

笑っているのに、胸の奥がざわつく。


続いて、次の枠。


[日付]20XX/4/11

[場所]PC室

[事実]

・「佐藤 駆」と名乗る1年生が挨拶

・AIによる記録の電子化

・「ゆきと」らしい少年と春原氏はPC部に所属

[推測]

・AI利用による可能性

[備考]

・佐藤氏は有能

―――


「これ……俺のことか。

 “有能”って……そんな風に見てたのか」


その瞬間、胸の奥がひっかかった。

指先が止まり、呼吸がふっと浅くなる。


「……待てよ。俺が?有能?

 これは……史さんの“評価”じゃないか?」


史の記録は、徹頭徹尾“事実”のはずだった。

そこに初めて、“評”のような言葉が混じっている。

乾いた列の中に、ほんの少しだけ人の手触りが残った。


ページをめくるごとに、記録は少しずつ密度を増していく。

投げる推測も、人を見る眼差しも、どこか柔らかい。

硬質な文章の奥に、変化が積もっていた。


駆の指が止まる。


(俺たちとの出会いが変化をもたらした?)


モニターの光が静かに揺れ、部屋の影がわずかに伸びる。

天井を見上げるように、駆はぽつりと呟いた。


「……史さん」


昼間よりずっと深い声音だった。

胸の奥に落ちた変化が、言葉の端にそのまま表れていた。


―――


放課後のPC室。

文化祭準備が本格化し、机の上は昨日よりさらに賑やかになっていた。

布やLEDライト、小物、占いブース用の道具が無秩序に散らばり、光が輪郭をやわらかく拾っている。


咲良が受付札を手に取り、雪杜へ身を寄せる。


「ねぇ雪杜、この受付札さ、もうちょい色濃くしていい?」


「うん、見やすい方がいいと思う」


御珠はWebカメラを鏡代わりにして自分を映し、昨日より深くフードをかぶりながら画面へ顔を寄せていた。


「どうじゃ?“神秘のさーや様”感が増したと思わんか?」


咲良が即座に反応し、笑顔を弾ませる。


「うん、怪しさのレベル上がってる!」


雪杜も軽く笑いながら視線を返す。


「うん、いいと思うよ……似合ってるし」


その賑わいの中で、駆は黙ってキーボードを叩いていた。

占いテンプレの調整画面を凝視しているが、集中というより、胸の内を画面の奥へ押し込めているように見える。


(……昨日の記録……“有能”……

 史さん、あんな書き方、今まで……)


胸の奥がざわつく。

駆はあえて画面を見つめ続け、その揺れをごまかした。


その時、史がそっと近づく。

足音は小さいのに、駆の耳が先に拾っていた。


「……読んでますか」


昨日と同じ問い。

けれど、胸に落ちる重さは違った。


「……はい。

 読んでます」


声がいつもより低い。

史はその変化を感じ取ったのか、瞬きが一度だけ止まる。


「……無理、していませんか」


「してません。

 ……あと少しです」


史の目が揺れた。

安堵に、そこへ収まりきらない何かが混ざっている。


「……わかりました」


静かな一言。

それだけなのに、駆の胸が跳ね、熱を帯びた。


(俺……史さんの声、こんなに……)


思考が熱に触れたように膨らむ。

駆は慌てて視線を画面へ戻した。


すると――


「む?駆よ、顔が赤くないか?」


「赤くない」


即答。

早すぎて、逆に目立つ。


咲良が首をかしげた。


「駆、なんか今日変じゃない?」


「変じゃない」


雪杜が振り返り、自然に声をかける。


「あ、テンプレ進んでる?

 ありがとう」


「……おう」


やり取りはいつものものなのに、駆の胸は別の熱で動いていた。

部室はいつもの明るさで、仲間の笑い声も途切れない。

それでも駆の内側では、音の奥で何かが鳴り続けている。


少し離れたところで、史が駆の背中を見つめていた。

彼が普段より言葉を控えていることに、薄く気づいている。

だが――彼女は言わない。


踏み込まない。

それは、長い間“記録を書いてきた者”が守ってきた距離だった。


部室には変わらない笑い声が続く。

その中で、駆の胸だけが静かに熱を持ち続けていた。


―――


夜。

駆は机に肘をつき、スタンドライトだけが照らす狭い世界で、モニターを睨むように記録を読み進めていた。


史の記録の変化は、もう掴めている。

淡々とした“事実”の羅列が、二年の春頃からわずかに揺れはじめた。

そこに生まれた熱を、駆は確かに受け取っていた。


けれど――


(……変だ)


中間テスト以降。

そこから、記録の量が急激に減っている。

[事実]の行も、[推測]の欄も、意図して余白を残したように少ない。


そして――


(……俺のこと、書いてない)


胸の奥がざわりと揺れた。

光の反射が視界の端で乱れ、呼吸が浅くなる。


(史さん……俺のことが嫌いになったのかな?

 見たくもなくて……記録する気にもならない……?)


胸が冷えていく。


だが――


(いや……それなら……デートなんかするわけないし。

 大事な話だって……)


理屈では“嫌い”はありえないとわかっている。

それでも、自分の低い自己評価が、真っ直ぐ受け止めることを拒んだ。


(じゃあ……逆、なのか?)


心臓がひとつ跳ねる。


(史さん……俺のこと……)


慌てて首を振った。


(いやいやいや……ないだろ。

 俺なんか、そんな……)


思考が渦を巻き、出口を失う。

胸だけが熱を抱え込んでいく。


スクロールする。


最後に記録されていたのは、ハッカソンの日だった。


[日付]20XX/7/30

[場所]駅前

[事実]

・1年生4人

・2年生1人

・3年生4人

・全員、荷物多め

[推測]

・2年生は1年の時で懲りている

[備考]

・宿泊込みの合同合宿


以降の記録なし。

それだけ。


「……これだけ?」


思わず声が漏れた。


(あの日は……忙しかったしな。

 記録どころじゃなかった……のか?)


スクロールする。

空白。


海での打ち上げも、夏祭りも記録がなかった。


「……」


(あれだけ……一緒にいたのに)


胸に残ったのは、切なさとも違う、名のつかない熱だった。


駆はモニターを静かに閉じた。

部屋の中で音が吸い込まれる。


(……読み終えた)


長かったはずの記録が、いまはあまりに静かに感じられる。


(最近の分がないのは……まだ電子化してないだけ、だよな)


胸の奥に揺れる不安を押さえつけるように呟く。


けれどそのすぐ下では――


(……書けなかったんじゃないか。

 俺のこと……どう書けばいいか……分からなくて)


気づきたくなかった最終行が、胸の内側にそっと浮かんでいた。


駆はゆっくりと息を吐き、目を閉じる。


「……史さん」


その名を呼ぶ声は、昨日よりも深く、苦しく、そして優しかった。

届くことを望むように。

触れられない距離を確かめるように。


―――


放課後のPC部室。

机の上には占いブース用の小物が整然と並び、布はしわなく張られている。

フードと小物類は一つひとつ丁寧に箱へ収められ、準備の痕跡が作品みたいに整っていた。


御珠がパーティションの隙間から衣装一式を持ち上げる。


「ふむ……“さーや様”衣装、これで完成じゃな」


咲良が目を輝かせて駆け寄る。


「ほんとに怪しい感じでいいよね……!絶対人気出るって!」


雪杜も柔らかく笑った。


「うん。

 あとは当日の流れを確認するだけだね」


その横で、駆が端末の前でテンプレートの最終確認をしていた。

画面に映る文字列を真剣に追い、キーを軽く叩く。


「……よし。

 占い結果の自動整形も動いた。

 問題ない」


史は受付まわりの導線図を確認し、そっと頷いた。


「受付動線も完了です。

 あとは……当日、落ち着いて進めれば」


咲良が胸元の名札を整えながら声を弾ませる。


「大丈夫だよ!

 みんなでやれば絶対楽しくなるって!」


準備の作業中なのに、部室にはどこか誇らしさが残っていた。



――合唱


音楽室から漏れる合唱の声が、廊下へ微かに届く。

1年2組の、最後の練習だった。


「よーし。いい感じだ。

 授業での練習はこれが最後になる。

 あとは自主練しておくように」


「「「はい」」」


明るい声が返り、その中で御珠が前に立っている。


「御珠さんも。

 最初はぎこちなかったけど、よく指揮できるようになってる。

 頑張ったね」


「はい。ありがとうございます」


生徒たちの心の声は一斉に同じ方向へ傾いた。


(((かわいい!)))



――地域の歴史・文化調査


展示ブースの机の上には、地域の史跡写真や古地図プリントが整然とまとめられていた。

紙の匂いがわずかに残り、手元に達成の余韻を引っかける。


「歴史調査の方も準備できたね。

 図書館の人、感心してた」


駆が肩を軽くすくめる。


「AIで地図補正入れたりしたしな。

 まぁまぁよくできたと思う」


咲良はノートを閉じながら、机に肘をついて微笑む。


「お母さんに神社の歴史とか聞いた甲斐があるよ。

 お祭りの歴史って案外深くて面白かった。

 まさか元の春原神社が、雪杜の家の裏山にある神社だったとはね」


「あー、あれびっくりしたよね」


雪杜の胸に、静かな記憶が折り重なる。


(御珠……あそこにいたんだよな。咲良の家と繋がってたとは)



――前日


道具の片づけが終わり、PC室に穏やかな静けさが戻ってくる。

占いブースはパーティションで一角を切り分け、暗幕が柔らかく垂れていた。

小さな神秘の部屋が、そこにできあがっている。


咲良は窓際に歩み寄ると、手を合わせて空を見上げた。


「明日、ついに本番かぁ……」


「うん。無事に成功するといいね」


御珠は胸を張って宣言する。


「妾、しっかり“神秘”を演じてみせようぞ」


「いや神秘っていうか……怪しさなんだけど……まぁいいか」


雪杜が笑いながら水晶玉を持ち上げる。


「あの水晶も三千円くらいで買えてよかった」


「そうそう!あれがないと占いって感じしないもんね」


その一方で、駆は黙って机を拭いていた。

何気ない動作のはずなのに、胸の奥には昨日までと違う熱が静かに灯っている。


その気配に触れたのか、史が小さく駆を見る。


「……明日、よろしくお願いします。

 駆くん」


駆は一瞬だけ視線を揺らし、息を整えて答える。


「……はい。任せてください」


短いやり取りの間に、互いの距離がひっそり変わった。


最後に雪杜が部屋の電気を消す。


「いよいよ明日か……」


カチ、と音がして部屋が暗くなる。

扉が閉じる瞬間、薄い緊張と期待が静かに満ちた。


明日、この準備が“本当の幕開け”になる。

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