第10話 おうち通信改革1
春休みのだらけた空気が居間に沈んでいた。
こたつの熱がじんわり広がる中、雪杜と御珠は並んで寝転び、スマホを縦にしたり横にしたりしながら画面を覗き込んでいる。
「雪杜、この動画面白いぞ!」
御珠が得意げに画面を突きつけてくる。
雪杜はこたつ布団に頬を沈めたまま、半分起き上がるような声で応じた。
「お、どれどれ」
ふたりの頭が自然と近づき、小さな画面の中で動く派手なサムネイルが、反射して瞳に映る。
「……二人で覗くと小さいね」
「うむ……もっと大きな画面で見たいのう」
御珠の声がやたら真剣で、雪杜は思わず居間の奥へ視線を投げた。
古い大型テレビが、音もなくそこにある。
「あの大きなTVで見られたらなぁ……」
ぽつりと言った言葉が、静かな部屋に溶けた。
雪杜は思い出したように、スマホを軽く振る。
「そういえば、家にWi-Fiないから、動画見るとパケット使っちゃうんだよな」
「ぱけっと?」
御珠は未知の単語に眉をひそめる。
雪杜は説明するために言葉を選びながら、空中を指でなぞった。
「通信量。なんて言うんだろ。情報が電波に載って飛んで来るんだけど、その量?」
「ふむ……電波の理……」
御珠はなぜか神妙な顔をしていた。
「とにかく、動画を見過ぎると、速度制限がかかってまともに見れなくなるんだ」
「それは困るのう……」
御珠はスマホを抱え込むようにして渋い顔をした。
お気に入りの動画が見られない、という現実が相当ショックらしい。
雪杜は天井を見つめ、こたつの端をぽんと叩きながら考え込む。
「Wi-Fi、導入できないかな……」
その呟きは、昼下がりの静けさの中で、小さな決意の芽として落ちた。
―――
PC室には、始業式直後のざわめきがまだ残っていた。
大きな窓から差し込む春の光が、机の縁で反射している。
咲良が職員室に呼ばれた愚痴を一通り吐き終え、ようやく雪杜が椅子に腰を落ち着けた。
「そういえば、今日は調べ物に来たんだ」
「調べ物?」
咲良がちょこんと椅子を回しながら首をかしげる。
その横で、駆はモニターに向かって何かの作業を始めていた。
「家の大画面で YouTube を見る方法」
「Fire TV Stick でいけるぞ」
「そう、それ」
駆の即答に、雪杜は助け舟を出された気分でPCに向き直る。
画面が青白く立ち上がり、キーボードを叩く軽い音が室内に広がった。
(うーん、結局 Fire TV も Wi-Fi いらうのか)
(Wi-Fi がないと話にならないな)
額に手を当てたまま、雪杜は小さくため息を漏らす。
隣の駆の方へ椅子を引き寄せる。
「ねぇ。駆の家って Wi-Fi ある?」
「あるぞ。うちは光回線に、無線ルータを導入してる」
「え、光。なんかかっこよ」
「親父がそういうの好きでな。なんか勝手にやってくれる」
「便利な父親だ」
雪杜は純粋な感嘆の声を漏らしながら、画面に映る配線図を眺める。
「光か。工事が要りそうだし、何か難しそうだな」
駆は椅子の背にもたれながら、解説に入った。
「ホームルータなら、工事不要でいけるぞ」
「なにそれ?」
「よくわからんけど、通信制限がない高速4G電波だ。
ホームルータにスマホを Wi-Fi で繋げば使い放題になる」
「それだ!」
雪杜はすぐにブラウザを切り替え、「ホームルータ」と入力する。
検索結果が勢いよく並び、画面が情報で埋まっていった。
「なんか“WiMAX”ってのがいっぱい出てきた。違いがわからん」
「元は全部 KDDI の回線だ。
料金やサポート体制の違いが中心だから、品質は概ね同じだぞ」
駆の言葉に雪杜は頷きながらスクロールを続けた。
「月五千円くらいだな。
三千円代もあるけど、途中解約できないとか縛りがきついな」
そのとき、PC室の奥から軽い足音が響き、御珠が画面を覗き込むように近づいてきた。
「雪杜、調査は順調かえ?」
「ホームルータってのを導入しようかと。
だいたい五千円くらいかかるらしいんだ」
「家に Wi-Fi があるなら、スマホは格安SIMで十分になるぞ?
外でそんなに使うこともないだろ。
音声付きでも月千円とかになる」
「え、何それ」
雪杜は即座に新しいタブを開き、「格安SIM」と入力した。
画面に小さな文字がびっしり並ぶ。
御珠は駆の肩越しに画面を覗き込みながら、感心したように言う。
「駆は物知りじゃのう。
一家に一台、駆じゃの」
「俺を家電みたいに言うな」
ぶっきらぼうな返事だが、駆の耳がほんの少し赤くなった。
「ほんとだ2GBなら月千円」
「2GBは少なくみえるが、上限に達しても通信できなくなるわけじゃない。
LINEや電話なら使える」
雪杜は計算するように指先で机を叩く。
「今、スマホ代が二人で六千円くらい。
WiMAX を入れて、スマホを格安SIMに変えると……
全部で七千円」
少し肩を落としながら呟いた。
「千円高くなっちゃう」
「むむ……」
御珠は眉を寄せ、スマホを胸に抱くようにして唸る。
「Fire TV できるし、家でスマホも使い放題になるぞ?」
駆の一言で再び雪杜は考え込み、静かに息を吐いた。
「……父さんに相談してみよう。
ガス解約で結構浮いたって言ってたし……」
窓からの光が机に伸び、その言葉の輪郭をはっきりさせた。
―――
夜の天野家は静かだった。
外は冷え込んでいるのに、居間だけ灯りが落ちていて、畳の上に柔らかな影を作っている。
雪杜はスマホを握りしめ、深呼吸をひとつしてから発信ボタンを押した。
御珠は少し離れたところで、気づかれぬように見守っている。
「もしもし、お父さん?」
『雪杜か。どうした?』
俊明の落ち着いた声がスピーカー越しに広がる。
その響きは遠いようで近く、胸の奥をざわつかせた。
「あのね、家にWi-Fi導入したいんだけど……」
『Wi-Fi?』
「WiMAXっていうホームルータなんだけど、工事不要で使い放題なんだ。
動画とか見放題になるし、スマホも格安SIMに変えればそこまで料金変わらないんだけど……」
説明が終わると、電話の向こうが静まり返った。
気にするなと言われても、雪杜の肘がこわばる。
『……いいぞ』
「えっ、いいの?」
俊明の返答はあっさりしていて、胸の内がふっと緩む。
『ガス解約で月三千円くらい浮いたからな。ホームルータ、便利そうじゃないか』
「ありがとう、お父さん!」
『それに、大画面で動画が見放題って良いじゃないか。御珠ちゃんも喜ぶだろ?』
「うん!」
ほんの小さな会話なのに、家族の気配がそこに宿っていた。
『というか、うちもそれにするかな』
「えっ!?」
『詳しく教えてくれ。家族全員で乗り換えるぞ』
思いがけない展開に、雪杜は慌てて姿勢を正した。
その様子に、御珠がほほ笑ましそうに目を細めた。
数分間、配線や料金の説明を続ける。
『なるほど。じゃあ、俺のほうで手続きを進めておくよ』
「ありがとう、お父さん」
その時だった。
『ぱぱーだれとおはなししてるのー?』
「え?パパ?」
俊明が小さく笑ったような息を落とす。
『おっと娘が呼んでる。また連絡するよ』
ぷつりと通話が切れ、部屋の静けさが戻った。
御珠がそっと近づく。
「どうじゃった?」
「うん……導入は問題ないって。
むしろ、家族みんなで乗り換えるって喜んでた」
「これでWi-Fiが使い放題になるのじゃな!」
「うん……」
御珠は、その声の沈みをすぐに察した。
「どうかしたのか?」
雪杜は視線を落とし、手の中のスマホを見つめ続けた。
「最後、電話でぱぱーって呼んでる声が……
あれが……僕の妹……」
部屋の静けさが張りつめる。
御珠は何も言わず、雪杜の動きを待った。
「……雪杜?」
「……うん」
雪杜はゆっくりとスマホを置き、唇を噛んだまま俯く。
御珠はその隣へ座る。
「……妹君、じゃな」
「うん……わかっていたけど……
でも……声を聞いたのは、初めてで……」
その告白は、寂しさというより驚きに近い震えが混じっていた。
御珠は迷わず雪杜の手を取った。
小さく、確かに包み込むように。
「……雪杜」
「ん?」
「妾は、ずっとそなたのそばにおるぞ」
その言葉は慰めではなく、決意だった。
雪杜はゆっくり顔を上げる。
御珠はその瞳をまっすぐ受け止めながら続けた。
「妾とそなたは、家族じゃ。
血は繋がっておらぬが……いや、繋がっておらぬからこそ、選んで、一緒におる」
その“選んだ”という響きが、雪杜の胸を静かに叩いた。
「……御珠」
「そなたが寂しいと感じるなら、妾も一緒に寂しいのじゃ。
そなたが笑うなら、妾も一緒に笑うのじゃ。
それが、妾とそなたの家族じゃ」
雪杜は目を潤ませ、しかしどこか安心した色を浮かべる。
「……ありがとう、御珠」
御珠は晴れやかに、子供のように嬉しそうに微笑んだ。
「さあ、Wi-Fiが来たら、動画をいっぱい見るのじゃ!」
「うん……!」
その返事はしっかりしていた。
笑顔もようやく戻っていた。
それでも――
心の奥には、小さな寂しさが確かに残っている。
けれど、隣には御珠がいる。
その事実が、雪杜に前へ向く力を与えていた。




