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神愛 ─ 永遠の刹那 ─  作者: 神愛
第4章 中学生編 ― それぞれの場所 ―
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第1話 名前を選ぶ日

期末テストも終わり、間もなく卒業式を迎えようかとしている日の放課後。

チャイムが鳴り終わった教室には、夕方の光が斜めに差し込み、机の影が床を這うように伸びていた。

御珠は静かに荷物をまとめ、鞄の口を閉じる。


咲良が明るい声で近づいた。


「御珠ちゃん、部活いかない?」


御珠は肩にかけた鞄を整えながら、ちらりと咲良を見る。


「そうね。たまには行こっかな」


咲良はぱっと笑みを広げ、軽く腕をゆらす。


「じゃあ一緒にいこ。何して遊ぶ?」


「そうね。YouTube見て理の研究しよっかな」


咲良がくすっと笑う。

二人は教室を出て、混みはじめた廊下を並んで歩き出した。


(雪杜も来るかの。一緒に遊びたいのじゃ)


視線を前に戻すと、進路の先にPC室へ向かう角が見える。

その途中、職員室前を通った瞬間──


扉ががらりと開き、高橋先生が姿を見せた。


「あ、御珠さん」


呼ばれた御珠はすぐに足を止め、頭を下げる。


「先生。こんにちは」


高橋はやわらかい笑みを浮かべながら近づく。


「ちょっと時間いいかしら?」


御珠は瞬きをひとつして、咲良と視線を合わせた。


「はい、なんでしょうか?」


「少しお話ししたいことがあって」


その言い方に、咲良が「……あ」と察したように声を漏らす。


「私、先に行ってるね」


「うん」


咲良が軽く手を振り、廊下を駆けるように離れていく。


高橋が申し訳なさそうに頭を下げる。


「ごめんなさいね。春原さん」


咲良の背中が角を曲がり、姿が見えなくなる。

廊下のざわめきが一段遠のいた。


(妾、何かやらかしたかの?)


胸の奥で小さく呟きながら、御珠は先生の後ろへついて職員室へ向かった。


―――


職員室には、放課後のざわめきが満ちていた。

コピー機の音、先生たちの低い会話、紙がめくられる音──それらが遠のくほど、御珠は緊張したまま椅子に腰をおろす。


向かいに座る高橋先生は、いつものように書類を整えながら、やわらかい表情で御珠に向き直った。


「あのね、御珠さん。前から気になってたことがありまして」


御珠は背筋を伸ばし、小さく頷いた。


「はい」


「二学期の終わりに、名字が変わったと報告してくれましたよね?」


一瞬、御珠の指先がぴくりと動く。


「……はい」


ほんのわずか表情が強張ったのを、高橋は見逃さない。


「校内では“御珠 ミタマ”で通してますが、戸籍上は“天野 御珠”だと」


「……はい」


「それで……今の状況なら、名字が変わったことを公表してもいいんじゃないかと思いまして」


その言葉が落ちた瞬間、御珠は息を呑んだ。

胸の奥を指でなぞられたようで、視線が揺れる。


「……どういうこと、ですか?」


高橋は机の上に手を重ね、体をわずかに前へ傾けた。


「あなた達、一月にクラスの皆の前で大暴露したでしょう?

 孤児だったこととか、その……傷……のこととか……」


「……はい」


声は小さかったが、嘘のない返事だった。


高橋はゆっくり続ける。


「あの後、クラスの皆はあなた達を受け入れたわ。

 今は誰もあなた達のことを変な目で見ていない」


御珠は目を伏せる。

あの日以降、クラスメイトたちが手を伸ばしてくれた記憶が、胸に残っていた。


(確かに……皆、妾を守ろうとしてくれておる)


「だから、この流れなら名字を変えたことも自然に受け入れてもらえると思うの」


御珠は言葉を失い、その可能性の重さを噛みしめた。


「2年生に進級するタイミングで、“天野 御珠”として公表してみない?」


言葉がそこで途切れる。


御珠の拳が膝の上でぎゅっと握られた。

胸が熱を帯び、喉がきつく締まる。


(名乗れる……?

 妾が、天野の名を……堂々と?)


勇気と恐れが交錯する。


「……先生」


高橋が静かに目を細める。


「はい」


「それは……雪杜に迷惑をかけることにはなりませんか?」


その問いは、御珠の心そのものだった。


高橋は否定せず、優しい微笑みを浮かべた。


「迷惑?どうして?」


「わたくしが天野を名乗れば……雪杜と同じ名字になります。

 また変な噂が……」


「あなた達が一緒に住んでるのは周知の事実よ。

 いまさら家族だと言っても誰も驚かないわ」


御珠は小さく息を吐く。


「……そう。かもしれませんね」


高橋はそこで表情を引き締めた。


「ただ、ひとつ確認しておきたいことがあるの」


御珠の肩がぴくりと動く。


「……なんでしょうか」


「戸籍上、あなたは天野くんの叔母よね」


「……はい」


「でも同級生だから、学校では兄妹として扱う方が良いと思うの」


御珠は瞬きを忘れる。


「兄妹……」


「同級生の叔母はさすがに話題性が強すぎるから」


御珠は胸の内を握られるような感覚で呟いた。


「……確かに。

 元々そのために隠そうって話にしましたし」


高橋は一度深呼吸する。


「それで、もし兄妹として……いいえ叔母と甥だとしても、クラス編成に影響が出る可能性があるわ」


「クラス編成……?」


「ええ。兄弟姉妹は基本的に別のクラスにするのが学校の方針なの」


御珠の目が大きく揺れた。


「……!」


高橋は静かに続ける。


「絶対ではないけれど、公表したら、別クラスになる可能性が高いわ」


御珠は喉の奥が痛むような感覚で言葉を漏らす。


「それは……」


「もちろん、強制じゃないわ。

 天野くんとも相談して決めていいから」


御珠は深く息を吸い込み、自分の中の揺れを押し込んだ。


「……雪杜と、相談させてください」


「ええ、そうしてちょうだい。

 もしクラスが変わっても先生も可能な限りサポートするから」


「ありがとうございます」


「返事は急がないけど、終業式の前までには結論を出してね」


御珠はゆっくり頭を下げる。


「わかりました」


深々と礼をしたその影に、決意と迷いが絡み合っている。


(別の教室に……雪杜と離れる……

 でも、天野を名乗れる……)


胸の奥で、そのふたつが静かにぶつかり合い続けていた。


―――


夜の天野家は、蛍光灯の淡い光が居間を照らしていた。

テレビではニュースキャスターが淡々と話しているが、食卓の上では箸の音さえ控えめだった。


『もうすぐ震災からxx年が経ち……』


御珠は箸を置き、湯気の立つ味噌汁の向こうにいる雪杜をじっと見つめる。


「雪杜よ。少し……相談があるのじゃ」


雪杜は首を傾げ、箸を止める。


「相談?」


「高橋先生がの……妾の名字を公表しないかと提案してきたのじゃ」


その言葉に、雪杜の動きが止まった。

箸が宙でピタッと固まる。


「名字って……天野、ってこと?」


「うむ。いまは“御珠 ミタマ”で通しておるが、2年から“天野 御珠”としておおやけにせぬか、と」


雪杜はすぐ返事をせず、こたつ布団を握るようにして考え込む。

リビングの時計が「コッ」と音を鳴らした。


御珠はそっと視線を落とす。


「妾は……どうすべきか迷っておる」


「迷ってる?」


「名乗りたい気持ちはある。じゃが……」


御珠は小さく息を吸い、続ける。


「先生が申すには……天野として公表すると、別の教室になる可能性が高いと」


雪杜は大きく息を呑んだ。


「え……別の教室?」


「うむ。学校では、兄弟姉妹は別の教室にするのが基本だそうじゃ」


その瞬間、二人の間の会話が途切れた。

こたつの熱は足元にあるのに、胸のあたりがひやりとした。


「そっか……」


御珠は胸の前で手を重ねる。


「戸籍上は叔母と甥じゃが、学校では兄妹として扱うそうじゃ……

 なので、妾が天野を名乗れば……そなたと別の教室になるやもしれぬ」


言葉が落ちる。

時計の音が、やけに大きく響いた。


雪杜はゆっくりと、御珠の方を向く。


「御珠は……どうしたい?」


御珠は迷いを飲み込み、目をそらさず言った。


「……そなたが決めてくれぬか」


「僕が?」


「そなたが嫌なら、妾は今まで通りでよい」


その言葉に、雪杜は深く息を吐く。

こたつの中で足を少し組み替えた。


「……正直、御珠と別のクラスになるのは寂しいよ」


御珠の肩がわずかに震える。


「……妾も、じゃ」


「でも……」


雪杜はまっすぐ御珠を見る。


「僕は、御珠と家族だってことを表立って声に出したい」


御珠の瞬きがゆっくりになった。


「雪杜……」


「学校では距離を置いてたけど……今は違う」


御珠は小さく息を漏らす。


「……」


「もう一緒に住んでるのもみんな知ってるんだから、隠す必要はないと思うんだ」


その言葉に、御珠の瞳がうるむ。


「じゃが……別の教室に……」


「うん。それは寂しい」


「……」


「でも、それでも……御珠が天野を名乗れる方が大事だよ」


御珠の胸に、あたたかい痛みが広がる。


「……本当に、よいのか?」


「うん」


「妾と離れても?」


「クラスが離れても、休み時間には会えるし、放課後は一緒に帰れる」


御珠は視線を落とし、こたつの縁をそっと指でなぞった。


「……」


「それに、家に帰れば、いつも通り一緒だよ?」


そこで雪杜は、そっと御珠の手に触れた。

指が重なるだけで、二人の距離が近づく。


「御珠は家族だから」


御珠はこらえきれず、涙をぽたりと落とした。


「……そなた」


その涙は悲しみではなく、名を受け取った重みへの返礼だった。


「ありがとう……雪杜」


「ん」


雪杜は御珠の手をしっかり握る。


「じゃあ、決定だね。御珠が天野を名乗る。兄妹として」


「……うむ」


「たとえクラスが離れても、御珠は僕の家族だから」


「……うむ!」


二人の手のひらが、言葉より強くつながりを示していた。


御珠は涙を拭い、そっと笑う。


「妾は雪杜の妹として、天野を名乗ろう」


「うん!」


少し照れながら御珠が続けた。


「よろしくの。兄上」


その言葉に、雪杜は撃ち抜かれたように息を止める。


「あの……できれば“お兄ちゃん”で……」


御珠は呆れたように笑った。


「なんじゃ。相変わらず妙な趣味をしておるの」


そして、喉を整え──


「よろしくね。お兄ちゃん」


その破壊力に雪杜はしばらく動けなかった。


「……っは!お兄ちゃんの破壊力!」


「戻ってきたのね。お兄ちゃん」


「や、やめて。また気を失うから」


そう言いながら、雪杜は思い出したように問いかける。


「ところで、妹で良かったの?

 御珠の誕生日っていつになるの?」


御珠は少し誇らしげに答えた。


「1月1日ということになっておる。

 そなたと出会った日じゃの。分かりやすくてよいじゃろ?」


「そっか。僕が12月27日だから、僅差で僕がお兄ちゃんでいいんだね。

 よろしくね。妹?ちゃん?」


御珠は小さく笑いながら言う。


「そこは御珠でよくないかの?お兄ちゃん」


その後、天野家では──

“お兄ちゃん” “妹ちゃん” の呼び名が、しばらく流行することになるのだった。

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