第31話 咲良ブレイク ― 夜に灯る予兆 ―
【ご注意】
本話の序盤には、咲良の心理的な成長を描く過程で、性的なニュアンスを含む描写があります。
これは“恋に伴う身体反応”という自然な変化を扱うためのものであり、過度な刺激を目的としたものではありません。
R15相当の内容となりますので、苦手な方はご注意ください。
―――
布団の上で仰向けになった咲良は、薄暗い天井をぼんやり見つめていた。
部屋に残る暖気が肌にまとわりつく一方で、胸の奥は落ち着かず脈を打つ。
(明日……雪杜とデート……)
枕元を満たす静けさの中で、ふいに彼の声がよみがえる。
『咲良のこと、好きだから。選べないから』
(私のこと好きって……)
布団をぎゅっと握り、横向きになる。
胸がきゅっと締まるのに、どこか甘い。
(雪まつり見て……イルミネーション見て……
いい雰囲気になったら……)
頬がじわりと熱を帯び、息が上ずった。
(……手、繋いで……
暗いところで……二人きりで……)
まぶたを閉じると、浮かぶのは彼の横顔だった。
距離は自然と近づく。
(……キス……)
胸の鼓動が、ひときわ強く跳ねる。
布団越しに伝わる自分の熱に、咲良は身じろぎした。
(えへへ……雪杜の顔……見たい……)
妄想の輪郭が静かに形を持つ。
距離が縮み、彼の息が触れるほど近くなる。
(雪杜の……顔が近くて……
唇が……触れて……
柔らかくて……)
(……あ……)
胸の奥が電気のように震え、呼吸が乱れる。
身体のどこかが切なく疼き、咲良は布団を強く握りしめた。
「……ん……」
小さな声が漏れる。
シーツがこすれ、肩がわずかに震えた。
しばらくして、咲良は大きく息を吸い込む。
胸がゆっくり上下し、火照りが少しずつ引いていった。
「……はぁ……はぁ……」
頬も耳もぽうっと赤く染まったままだった。
(……やば……雪杜のこと考えてただけなのに……
身体……こんなに……)
枕を抱きしめ、丸くなる。
布団の中はさっきよりも暖かさが増していた。
(……明日……キス……できるかな……)
頬がさらに熱を帯びる。
けれど、その顔はどこか満ち足りていた。
「明日……待っててね。雪杜」
そっと枕を抱き寄せる。
咲良の体温が布団の中で安定していく。
指先が静かにほどけたころ、部屋の明かりがゆっくりと落ちた。
―――
玄関には、まだ冬の冷気がほんのり残っていた。
靴をつま先で整える雪杜の横で、御珠がまっすぐ立ち、気配がそっと寄り添う。
「……いってらっしゃい、じゃ」
「うん。行ってきます」
雪杜が顔を上げた瞬間、御珠の表情にかすかな影が落ちた。
その揺れを見逃さず、雪杜がわずかに身を寄せる。
「……御珠?」
御珠は胸の奥を押し隠すように視線をそらした。
「……なに、なんでもない。
咲良を楽しませてやるのじゃぞ」
「……うん」
雪杜が立ち上がり、扉へ向かう。
歩き出す背中が遠ざかる錯覚に、御珠の指先が小さく動いた。
雪杜が振り返る。
その一瞬で、玄関の空気が張りつめる。
「……あのさ」
「ん?」
「……勾玉の中に入って……
一緒に行く?」
「……っ!」
御珠の瞳が驚きで大きく開く。
息が喉の奥で震え、胸がきゅっと締まる。
「……そなた……」
「御珠が寂しいなら……
僕と一緒にいても……」
言葉の優しさが真っ直ぐ届き、御珠は一度だけ目を伏せた。
「……」
そして、ゆっくりと首を横に振る。
その仕草には、未練と覚悟が重なっていた。
「……いや。
そんな野暮なことはできぬ」
「でも……」
「妾は……構わぬ。
きょうは咲良の日じゃ。
妾が……そなたの傍におったら……
咲良も……気を遣うじゃろう」
その声は柔らかいのに、どこか苦い。
雪杜の胸にも、その寂しさが伝わった。
「……御珠……」
御珠は笑った。
けれどそれは、どこか薄く、力をそっと抜いた笑みだった。
「行け。
そなたが咲良を待たせてはならぬ」
「……うん。
ありがとう……御珠……」
扉が開き、冬の風が一度だけ流れ込んでくる。
雪杜が外へ出ていき、扉が静かに閉まった。
玄関には御珠ひとり。
その場に残った温もりが、雪杜の存在をぼんやりと示していた。
「……」
雪杜の足音が、ゆっくり遠ざかる。
完全に消えたとき、玄関の静けさが胸にのしかかった。
「……ふぅ……」
御珠は力が抜けたようにしゃがみ込み、膝を抱える。
凛とした神の姿とは違う、小さな少女の影がそこにあった。
「……雪杜……」
ぽたり、と涙がこぼれ落ちる。
頬を伝うそれを、御珠は止められなかった。
「……一人は……寂しいのじゃ……
神であるのに……」
声が震えるたび、孤独が胸を締めつける。
「妾……そなたとおると……
どんどん人のようになっていくのじゃ……」
涙を拭っても、余韻が熱く残る。
「……行きたかった……
そなたと……共に……」
唇がわずかに揺れ、吐息が切れる。
「……じゃが……
それは……妾の我儘……
咲良の時間を……
妾が……奪うてはならぬ……」
震える指で目元を拭う。
「……妾は……大丈夫じゃ……
大丈夫……じゃ……」
その呟きは、強がりというより祈りに近かった。
御珠は立ち上がり、深く息を吸い込む。
気配を整え、いつもの“帰りを待つ者”の顔に戻る。
「……待っておる。
雪杜が帰ってくるのを……
ずっと……待っておる……」
ゆっくりとリビングへ歩いていく。
玄関には、ただ静けさだけが残り続けた。
―――
ショッピングモールのイベントホール前は、昼下がりのざわめきに満ちていた。
行き交う人の間で、咲良が小さく息を整えながら立っている。
少し巻いた髪が光を受けて揺れ、淡い色の私服が頬の赤みをいっそう目立たせていた。
(ドキドキする……
今日こそ……キス……)
胸の奥が熱を帯びて跳ねるたび、指先がそわそわと動く。
ふと視線の先――人混みの合間から、雪杜が歩いてきた。
目が合った瞬間、咲良の胸が弾む。
「咲良!」
「雪杜!」
自然と距離が縮まり、二人の影が並んだ。
「ごめん。待った?」
「ううん、今来たところ」
その言葉に、雪杜がほっと笑う。
肩の力が抜けたのが、咲良にも伝わった。
「よかった」
少し照れながら雪杜が咲良を見る。
視線が離れず、触れたまま長く留まる。
「咲良……その服……似合ってるよ」
「えっ!?あ、ありがと……
雪杜も……その……かっこいい……」
互いの頬が同じ色で染まる。
まぶたを伏せても、高鳴りは隠せない。
「じゃ、じゃあ……お昼、食べよっか。
どこに行くか探してきたんだ」
「うん。楽しみ」
二人が歩き出すと、並んだ歩調のあいだに甘い緊張が残っていた。
―――
モールの中でもひときわ落ち着いたイタリアンレストラン。
木目調の壁に柔らかな照明が反射し、昼なのに穏やかな影がゆれていた。
「いらっしゃいませ。お二人様ですか?」
「はい」
案内された窓際の席へ、二人は並んで腰を下ろす。
ガラス越しの光がテーブルにゆるく落ちていた。
「わぁ……いいお店だね」
「うん。デートっぽいかなって」
「……っ!デ、デートって……」
雪杜はきょとんとしたまま咲良を見る。
「え?だってデートだよね?」
「そ、そうだけど……
改めて言われると……照れる……」
「……そう?」
咲良の胸は、彼の素直さにくすぐられるように高鳴っていた。
(雪杜……ちょっと積極的……?なんか……ドキドキする……)
二人はメニューを開く。
パスタの写真が並び、湯気の気配まで想像できそうだった。
「何にする?」
「パスタかな……カルボナーラとか」
「私はトマトソースがいいな」
「じゃあ、二つ頼んで……シェアする?」
「……っ!!
し、シェア……?」
雪杜は戸惑った顔で首を傾ける。
「ダメだった?」
「ダ、ダメじゃないよ!
むしろ……その……嬉しい……」
「じゃあ、そうしよう」
咲良の口元が、隠しきれずにゆるんだ。
(シェア……同じお皿から食べるって……なんか……カップルっぽい……)
「咲良、何か飲む?」
「あ、オレンジジュースで」
「じゃあ、僕はコーラかな」
「え、パスタにコーラは合わなくない!?」
「……そっかな。
じゃあアイスコーヒーにしとこ……」
(ほんとコーラ好きだよね。言われてやめるところもかわいい)
やがて料理が運ばれ、温かな湯気が二人のあいだにふわりと広がった。
「わぁ……美味しそう……」
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
最初の一口で、咲良の表情がぱっと明るくなる。
「美味しい!」
「うん。カルボナーラもどう?」
「食べる食べる!」
咲良はフォークで雪杜の皿から一口すくい、嬉しそうに味わう。
「……美味しい……」
「よかった。じゃあ僕もトマトソースもらうね」
「うん!」
しばらく穏やかに食べ進めたあと、咲良がふと顔を上げた。
「ねぇ……昨日の……御珠ちゃんとのデート……
どうだった?」
その問いに、雪杜のフォークが止まる。
わずかに影が落ちた。
「……楽しかった……よ」
咲良は一度だけ視線を落とす。
「……そっか」
「……咲良……ごめん……」
「ううん、謝らないで。
きょうは私の番なんだし」
「……うん……」
咲良は小さく息を整え、話題を戻すように笑った。
「で、どこ行ったの?」
「修一おじさんの家に挨拶行って……
それから……公園で白鳥見た」
「え!なんか地味!」
「まぁ、おじさんにはだいぶお世話になってるから。
この機会にって。
あと御珠は静かなほうがよいのじゃって喜んでたよ?」
「そっか……御珠ちゃんらしいや」
「写真見る?」
スマホの画面には、白鳥に囲まれた御珠が収まっていた。
「え、何これ!すご!」
「でしょ。さすが御珠だよねー」
「白鳥、いいなぁ……」
「咲良も……見に行く?
御珠も気に入ってたみたいだし、今度は……三人で……」
「……っ」
咲良は小さく笑う。
寂しさとも温かさとも言い切れない色が、そのまま残った。
「……私はいいけど、いいの?
去年、両手に花で目立つから嫌だって」
「……御珠のステルス機能で目立たないようにできるみたいなんだ」
「え、何それ」
「ね。すごいでしょ」
「なるほど。それで会議の時も三人でとか提案してたのか」
「そういうこと」
咲良はぱっと顔を明るく戻す。
「でも!きょうは……私だけのデートだからね?」
「……うん。
今日は……咲良のための一日だよ」
咲良の唇がわずかに震え、嬉しさを噛みしめるように笑う。
「えへへ……」
(……三人か……
キス……とかのドキドキイベントはないかもしれないけど、雪杜と御珠ちゃんと散歩。
家族みたいでいいかも)
(……三人で家族みたいなデート?ピクニック?してみたいな)
二つの想いが交差しながらも、テーブルの上は柔らかく満ちていた。




