第27話 恋のバレンタイン戦争
朝の教室には、冬特有の静けさが落ちていた。
雪国の窓から差し込む白い光が机を淡く照らし、生徒たちの吐く息はうっすら白い。
雪杜は席に着き、まだ冷たい指先で教科書をそっと机に並べていた。
隣の席では、咲良がチラ、と横目を送る。
気づかれたくないらしく、すぐに視線をそらしては、またチラ。
背筋だけは妙にまっすぐで、落ち着かない様子が隣から伝わってくる。
(……咲良、なんかさっきから僕を見てる気が……)
咲良はプリントを整えるふりをしながら、ちらりと横目を送る。
その瞬間、目が合いそうになり、ぶん、と勢いよく顔をそむけた。
耳まで赤く染まっていて、隠しきれていない。
「……あの、咲良?」
呼ばれた途端、咲良の肩が大きく揺れる。
「な、なに!?べ、別に見てないよ!?」
「まだ何も言ってないけど……」
咲良は机の角を指でつつきながら、視線を彷徨わせた。
頬は白い息よりも温かそうに色づいている。
「だ、だって……その……
喪が明けて、雪杜元気でたかなって……それが気になってただけで……」
「う、うん。それは嬉しいけど……」
雪杜は咲良の表情をそっと伺う。
期待と不安が混ざったような、落ち着かない目の揺れ。
何か言いたいことを抱えているのは、もう明らかだった。
(そういえば……)
「……咲良。あのさ」
その声に、咲良がびくっと肩をすくませた。
「な、なにっ……?」
「あの……クリスマスの“埋め合わせ”のこと、なんだけど……」
その瞬間、咲良の息が止まった。
まばたきがぱちぱちと速くなり、胸の音が届きそうな静けさが降りた。
「……約束、ちゃんと……覚えてるよ?」
「……っ!」
咲良の顔が、一瞬で花が咲くように明るくなった。
だが慌てて感情を押し込み、声のトーンを必死に低くする。
「べ、べつに……忘れてたら怒ってただけで……
べ、別に……めちゃくちゃ楽しみにしてたとかじゃ……」
雪杜は胸の奥でそっと笑い、言葉を続けた。
「じゃぁ……その……ここだと目立つから、放課後で……」
「……!う、うん!!
放課後!絶対だからね!!」
咲良は思わず立ち上がりかけ、慌てて椅子に座り直した。
制服の裾が小さく揺れている。
チャイムが鳴り、教室が一気に始業の気配へと切り替わった。
二人は気まずそうに姿勢を正し、前を向く。
雪杜は前列の方へ視線を移す。
そこには御珠が座り、窓の外を眺めてから、柔らかく微笑んだ。
(……よい。まずは咲良が笑う番じゃ……)
―――
放課後。
玄関の戸が閉まる乾いた音と同時に、雪の冷気が細く家へ入り込む。
「おじゃましまーす!」
咲良が声を弾ませ、慣れた手つきで靴を脱いで上がり込む。
その気配に応じて、奥の部屋から御珠が顔をのぞかせる。
「雪杜、咲良、おかえりじゃ」
御珠が戸口に立ち、安堵したように微笑む。
家の中がふわりとあたたかくなる。
咲良はぱっと表情を明るくして言う。
「御珠ちゃん、ただいま!」
御珠はその様子を見て、やわらかく目を細めた。
「うむ。そなたもこの家にだいぶ馴染んできたの」
咲良の頬が一瞬で赤くなる。
三人は当たり前のようにこたつへ集まった。
冬の夕暮れがカーテン越しに柔らかく入り、こたつのぬくもりが部屋いっぱいに広がる。
咲良はこたつへ潜り込むなり、そわそわと膝を揺らし始めた。
「咲良、なんか落ち着かないね」
「え!?そんなことないし!」
御珠は横目でちらりと咲良を見る。
「……咲良よ。そなた、今日ずっと落ち着かぬ様子じゃったぞ?」
「だ、だって……!あの……その……」
「……デートのこと?」
その一言で、咲良の足がこたつ布団の下でばたついた。
「~~~っっ!!
な、なんでそういうこと言うの雪杜!?
言われたら意識するじゃん!!」
雪杜は苦笑しつつ、予定を思い返す。
「ふふ。
じゃぁ、今週の土日とかどう?
あー今年は14日が土曜日なんだね。
バレンタインだ」
「む!バレンタインデート!」
「バレンタインデートだね」
「バレンタインデートじゃの」
三つの声が重なった瞬間、部屋の動きが止まる。
そして、咲良と御珠の視線がバチッとぶつかり合う。
「さて、どちらが先に雪杜とデートするかの」
「む!当然私。バレンタインデート」
御珠は余裕のある笑みを見せる。
「ふむ。ならば妾は後でもよいかの。
後の方が印象に残ろうというものよ」
「む!じゃぁ私が後」
「なら、妾は先でもよいかの」
「むむむ!!じゃぁ私が先!!」
「ならば妾が後じゃ!!」
こたつの下から伝わる二人の気迫に、雪杜の背筋がひやりとする。
「えぇぇ……もう訳が分からないよ……?」
咲良は両手を広げながら訴える。
「だって御珠ちゃんに譲ったら負けた気がするもん!!」
「妾とて同じよ!
そなたに譲ったら……負けのような……いや負けじゃ!」
「むむむ……!」
「むむむ……!」
二人が机を挟んで睨み合い、熱がじりじりと部屋に広がる。
二人の圧に飲まれそうになりながら、雪杜はそっと声を差し込む機会を探す。
喉の奥がひゅっとすぼまるような緊張が走る。
「あ、あの……三人でというのは……」
「「それはない!!」」
「……」
(大晦日に“来年も三人で歩むのじゃ”って言ってたのに……)
その決意とは裏腹に、“女同士の順位争い”はまた別次元の法則で動くらしい。
そんな女心が理解できない雪杜であった。
御珠がこたつの縁に手を置き、真剣な顔で口を開く。
「……よいか咲良。
“先”も“後”も譲れぬなら――」
「……なら――」
二人の声がぴたりと揃って重なる。
「じゃんけんだね」
「石拳しかあるまい」
二人の手が構えられるのを見て、胸の奥に懐かしい光景がよぎる。
(GWのときもじゃんけんで決めてたなぁ……)
「負けないからね、御珠ちゃん!!」
「妾とて、そなたには負けぬ!!」
「じゃーんけーん」
「ぽん!!」
──結果
咲良:パー
御珠:グー
「……っしゃああああああああああ!!!!!!」
「ぐ……ぐぬぬぬぬぬ……!!
妾が……妾が……負けた……じゃと……?」
咲良はこたつの上でガッツポーズを連打しながら跳ねる勢いだ。
「じゃあどっちにしよっかなー」
御珠はふてくされながらも、口調だけはどこか柔らかい。
「好きにするが良い。
というか、妾、最初から譲っておったのじゃが……
石拳に意味はあったのかの……?」
(先ならバレンタインデート……
でも後の方が印象に残る……
チョコレートは後日でもいいよね……)
「決めた!後にする!日曜日!」
咲良は勢いのまま雪杜へ向き直る。
「ということで雪杜!!
私たちは後のデート!!
バレンタイン当日じゃなくなっちゃうけど覚悟してね!!」
「う、うん……なんか気合すごい……」
御珠は布団に沈みながらも、小さく笑みを漏らす。
「……よい。
では妾たちは“先”じゃ。
そなたらの前に、雪杜と楽しむとするかの」
「いいよ!
御珠ちゃんのデート、絶対越えてみせるから!」
御珠はにやりと口角を上げた。
「ふふ……望むところじゃ」
(……これデートの度に毎回やるつもりなんだろうか)
こたつのぬくもりは三人の笑い声と溶け合い、そのまま冬は静かに次の景色を整えていった。
―――
「じゃぁ順番も決まったし、詳細も決めちゃおうよ」
その言葉に応じて、向かいの雪杜がこくりと頷く。
「そうだね」
咲良が御珠へ視線を向ける。
その仕草を受け取った御珠が、わずかに肩をすくめた。
「む……妾、邪魔かの」
「その……目の前だとネタばれするし。
御珠ちゃんがもっといいプラン出すかもだし」
御珠は小さく笑みを漏らす。
「ふふ。妾がおると、そなたらが遠慮するじゃろ?
仕方ないの……妾、しばらく留守にするのじゃ」
「ごめんね……」
「なにお互い様じゃて」
言葉と同時に、御珠の姿が榊の光へ吸い込まれるように薄れた。
「ひゃ!消えた!?」
驚いて身を乗り出す咲良に、雪杜が苦笑しながら説明を添える。
「そっか。咲良は初めて見るよね。
今でこそ、ずっといるけど、最初の頃はあんな感じでいたりいなかったりだったよ」
「ふ、ふーん。そうなんだ」
その返事のあとで、室内の音が遠のいた。
薪ストーブの鳴る音だけが耳に残る。
「なんか雪杜の家で二人きりって変な感じ」
「いつも三人だったからね」
咲良の視線が少し沈む。
暖色のこたつの灯りに、わずかな不安が滲んで見えた。
「……御珠ちゃんに悪いことしちゃったかな」
「気にすることないよ。お互い様って言ってたし」
「そっか……
あ、でもさ……千里眼とかで覗いてたりしないよね?」
雪杜は、昔の御珠の言葉を思い出しながら答える。
「それは……やろうと思えばできるっぽいけど、前に、“無作法な神ではない”って言ってたから、やらないと思うよ」
「ふふ……だよね。
御珠ちゃん、そういうとこはちゃんとしてるもん」
「……うん」
胸の奥がくすぐったくなり、雪杜は心の底をぼそっと覗かせる。
(でも僕の動画とか、アレとか覗いてるっぽいんだよなぁ……)
咲良はこたつの上で指先をつつきながら、ちらりとこちらを見る。
その頬は、こたつよりも温かそうに色づいていた。
「……でもさ、二人きりって……なんかさ……」
「なに?」
「……その……“デートの相談”なのに……
なんか……すでにデートっぽいというか……」
「……言われると意識するからやめて……」
「えへへ……」
二人の頬が同じ具合に赤く染まる。
視線があちこち泳ぎ、机の上の距離が少し甘くなる。
「えっと……じゃぁさ!
まずはデートの場所決めよ!
日曜日だよね。
どこ行く?」
「そうだね……
いまならちょうど雪まつりとかのイベントやってそう。
ちょっと寒いかもしれないけど」
「いいね!んで暗くなったらイルミネーション見たり……」
「遅くなると怒られない?」
「むー。
怒られるかも……」
「暗くなるギリギリのタイミングならちょっとだけ見れるかもよ」
「うん。じゃぁそうする」
こたつの下で、咲良の足がこっそり弾んでいる。
(っし!これでいい雰囲気になったら……ぐふふ)
「何かよからぬこと考えてない?」
「なにもー。なにも考えてないよー。
デート楽しみだなー」
「じゃぁ、お昼一緒に食べてから適当にぶらぶらして、雪まつり見て、夕方はイルミネーションってことで」
「うん!決まりだね!」
そのとき――
神棚の榊がカサッと震えた。
「……御珠、帰ってきた?」
「え、早くない!?」
榊の前に淡い光が集まり、御珠が姿を現す。
「ふむ。決まったようじゃな」
「き、聞いてた!?
タイミング良すぎない!?」
「まぁ気配で分かるからの。
内容は聞いとらんぞ?」
二人は思わず同じ顔になる。
((本当かな……))
「む。なぜ疑うのじゃ」
雪杜が視線をそらしながら口を開く。
「なんかいつも僕が見てる動画の内容知ってるし……」
「それは……そなたのことは何でも知りたいのじゃ……」
その言葉に、胸の奥をぎゅっと掴まれるような感覚が走る。
同時に“動画”のワードが羞恥となって襲いかかり、雪杜は悶絶した。
「むー。彼女の前でいちゃつくのやめてくれますー?」
「そなたらもいちゃついておったではないか」
「やっぱ見てるじゃん!」
「案ずるな。デートの内容は意図的に見んようにしておったからの」
((意図しないと見えちゃうんだ……))
「むー。ならいいけど」
咲良は肩の力を抜きながら立ち上がる。
「さてと……デート内容も決まったし、そろそろ帰るね」
「うん。雪ですっころばないように気をつけてね」
「気をつけて帰るのじゃ」
「じゃねー」
咲良は明るい声とともに手を振り、玄関へと消えていった。
戸が閉まると、家の中にしんとした静けさが戻る。
「……行っちゃったね」
「うむ。良き顔で帰っていったの」
少し時間を置き、雪杜は隣の御珠へ向き直った。
さっきまであれだけ騒がしかった部屋が、急に二人きりの状況になる。
「……えっと、その……
僕たちのデート内容も……決める?」
御珠の表情はいつも通り落ち着いているのに、声がわずかに柔らかい。
「……うむ。
そなたがそう言うなら、そうしようかの」
その一瞬、御珠のまつげが揺れた。
(雪杜よ……妾とのデートを“自分から”口にしてくれるとは……
……嬉しいのじゃ……)
「じゃあ……決めよっか。
咲良のときみたいに……その……二人で」
「ふふ。そなたとの二人きりの時間。大切にするのじゃ」
二人は並んで、あたたかいこたつへ入り直した。
―――
夕方のこたつは、あたたかい光を抱いていた。
雪杜は膝の上で手を組み、言葉を探すように視線を揺らす。
「じゃあ……どうしよっか。
また映画でもいく?」
その提案に、向かいの御珠がゆっくり首を傾ける。
「映画もよいのじゃが……和江殿に会いにいくのはどうじゃ?」
不意の提案に、雪杜は瞬きを一つ。
「和江さん?
こないだ“遊びにきて”って言ってたけど……あれ社交辞令じゃないの?」
「いや、あれは本気であろう。
そなたと妾が来るのを“待っておる”顔であったぞ」
「……そうなのかな。
そっか……修一おじさんにもお世話になってるし、一度くらいちゃんと挨拶行かなきゃだね」
「うむ。それが筋というものじゃ」
雪杜は照れくさそうに頬をかきながら呟いた。
「御珠は大人だなぁ」
「当然じゃ。妾は数千年生きておる」
「いやそういう意味じゃなくて……
なんか立ち居振る舞いが、ちゃんとしてるっていうか」
その言葉に、御珠の動きがわずかに緩んだ。
長い睫毛が揺れて、声が少し柔らかくなる。
「……ふむ。
そなたに言われると……悪くないの」
照れをごまかすように、御珠は視線を落とした。
「じゃぁそうしよっか。
でも……それ、デートの内容としてはいいの?」
「なに、咲良には申し訳ないが……
妾にとっては日々の買い出しすらデートみたいなものよ」
柔らかい吐息とともに、御珠は微笑む。
「毎日そなたと歩いておるのじゃ。
“改まったデート”など、なくともよい」
(……本当は、そなたと“特別な時間”を過ごしてみたくもあるが……
それは望み過ぎというものじゃ……)
雪杜は照れを誤魔化すように、こたつの端を指でつつく。
「うわ……御珠、ほんと大人……
じゃぁなんか菓子折りでも買って持っていこうか。
修一おじさんに連絡しておくね」
「うむ。任せる」
短い静けさのあと、雪杜は視線を横へ逸らしながら零す。
「……でもさ。
せっかくのバレンタインだし……
もうちょっと“デートっぽいこと”もしたいなぁ……」
その一言に、御珠の肩がぴくりと跳ねた。
表情は抑えているのに、耳の先がほんのり赤い。
「……そなたが……したいのであれば、そうするかの……」
(……そなたが望むのなら……望むのなら……
妾は咲良の立場を奪わぬ範囲で……どこまでも寄り添いたい……)
「そ、そっか。
じゃあ……どこ行こうかな……」
御珠の頬に、淡い紅が射す。
「……それは……そなたが決めるのじゃ。
妾との“デート”なのじゃからな」
「うーん。責任重大」
「そう構えずともよい。
妾は“そなたが見せたい景色”を見られれば、それでよい」
「景色……」
雪杜はこたつの天板を指でなぞり、小さく息を整える。
思い浮かんだ光景を、ためらいがちに言葉へ落とす。
「……じゃあさ。
その……公園……とかでもいい?」
御珠のまぶたがゆっくりと上がる。
「公園……?」
「うん。
こないだ空いっぱいに白鳥飛んでてさ。
海沿いの公園にいっぱいいるみたいなんだ。
鳥ってかわいいよね~」
御珠は静かに微笑み、柔らかい光を宿した目で雪杜を見る。
「……ふむ。
そなたらしい選び方じゃな」
「え?変だった?」
「変ではない。むしろ良い。
妾は喧騒より静けさが好きじゃ。
白鳥も、冬の澄んだ気配も……妾の性に合う」
「じゃ、じゃあ……公園でいい?」
「うむ。
そなたが“行きたい”と思う場所なら、それが正解じゃ」
(……白鳥と冬の海か……
妾の気配にも、そちらの方がよく馴染むの……)
「じゃあ、決まりだね。
和江さんの家に寄った帰りに……公園を散歩しよっか」
御珠はまつげを伏せ、口角をわずかに緩めた。
「……よい選択じゃ、雪杜」
「よかった……」
「白鳥は妾と気が合うやもしれぬな。
寄ってくるやつもおるかもしれんぞ?」
「えっ……そんなことある?」
「妾を何年見てきた?
動物たちは妾の気配をよく察するのじゃ」
「……まぁ、御珠なら……あるのかも……」
御珠は小さく息をもらし、やわらかい声を零す。
「ふふ。
そなたと歩く冬の公園……楽しみじゃ」
そして――
咲良と御珠、二人のデートの予定は静かに形を整えていく。
「……あ、でも天気悪かったら中止ね」
「まぁ……それは仕方なかろう」




