op.11 孤独の中の神の祝福(8)
「泊まり? えぇ、もちろん構いませんよ! リチェルのような模範的なお嬢さんがお世話をしてくれるなら、子ども達もとても喜ぶでしょう」
リチェルが今夜は孤児院に泊めてもらえないか、と言う申し出を口にするとテレーザは手を合わせて大袈裟に喜んで見せた。
テレーザの目の前には先程町で買ってきた紙とペンが大量に積まれている。
ソルヴェーグが提案したのはとても簡単なことだった。
『文房具が足りないと申し上げていたので、気持ちばかりですが持っていきましょう』
子供の数を確認することもなかった。ある分を買い占める勢いだった。
お陰で町から丘までの短い距離をまた馬車にお願いすることになってしまったが、ヴィオもソルヴェーグも涼しい顔をしていてリチェルは戸惑う事しかできなかった。
お金を……と震える声で申し出たのだが、大した出費じゃない、と二人とも全く取り合ってくれなかったのだ。
ただ、効果は抜群だった。
『現金だと何に使われるかわからないからな。どうせなら子供達の役に立つものがいいだろう。今回はそういう意志があると示すことが出来ればそれでいいから』
行き道の馬車でヴィオが口にしていたが、その通りのようで、テレーザのヴィオとソルヴェーグへの態度は手のひらを返すように様相を変えた。それはリチェルに対してもだ。
『きちんと君を大事にしている人間がいると言う意志が伝われば、それだけでああ言う手合いは十分牽制できる』
その通りだった。
昨日昼の時間を伝えにもこなかったテレーザは、午後は茶菓子さえ用意してくれた。作業があるから丁重に断ったものの、そうすると子供達の何人かを作業に駆り出してくれた。
リチェルの寝室も客室を用意してくれたので、最悪倉庫で寝ることになってもと思っていたのだがそうなる事もなさそうだ。
ただそこまでしても結局その日の作業では何かそれらしいものが見つかることは無かった。ヴィオとソルヴェーグは夕方には町へと引き上げ、リチェルは一人孤児院に残ったのだった。
◇
夕飯の後、火を借りて作業をしていたのだがやはり一人だとなかなか捗らず、リチェルはランプを持って廊下へ出た。
コツコツ、と靴の音が廊下にこだまする。
不意に廊下の向こうから子供の泣き声が聞こえた気がして、リチェルは顔を上げた。
(どうしたのかしら?)
小さな子供達はもう寝ている時間のはずだ。
「……ほら、ラヴィ。泣かないで……」
階段から微かにロゼの声が聞こえてくる。階段を上がっていくと、足音に気付いたのだろう。ロゼがリチェルの方を見て、泣きそうな顔をした。
「……リチェルちゃん」
「どうしたの?」
「ラヴィが……」
ロゼが抱っこしているのは、今朝方パウロが着替えをさせていた小さな女の子だった。名前は確かラヴェンナ。
最年長とはいえロゼはまだ十二歳で、三歳のロゼを抱っこしているのは重いだろう。そのラヴェンナはロゼにしがみついたまま、ぐずぐずと泣いている。
「ままぁ、まま……っ、ままぁ……」
「だからいないんだって。ママ、もういないの。ごめんね」
「ぇう、ままぁ……」
えぐえぐと半分寝ながら、ラヴェンナはぐずっている。
「この子、まだ来て日が浅いの?」
「一ヶ月ちょっとかな。最近ちょっと夜泣いちゃうんだ。ラヴィは両親が事故で亡くなってるから……」
その一言で分かった。
きっと、この子は愛されていたのだろう。
小さな手はリチェルの手にすっぽりと収まるくらいだ。何度もしゃくり上げる声が悲しかった。キュッと拳を握り締めると、ロゼの顔をうかがう。
「この子、人見知りする? わたしが抱っこしたら嫌がるかしら?」
「え? うーん、大丈夫だと思う。たまに応援できてくれたシスターさんが抱っこしたりするし」
「じゃあ、代わってくれる?」
「本当? 重いよ?」
そう言いながらもロゼも誰かに代わって欲しかったのだろう。そっと渡してくれたラヴェンナは人が代わって身じろぎしたものの、体格的にロゼよりは安定するからだろう。ぐしぐしとリチェルの肩に顔をこすりつけてまたふぇ、とぐずりだす。
自然に、リチェルの唇から子守唄がこぼれ落ちた。
ねむれ、ねむれ、母の胸に。
という有名な歌詞から始まる『シューベルトの子守唄』。
リチェルも小さな頃、シスターによく歌って聴かせてもらった。耳に馴染む曲で、大きくなってからはリチェルも幼い子達を寝かせるときに歌うのが常だった。
とん、とん、と、背中を叩きながら、ゆっくりとラヴェンナを揺らす。
ラヴェンナはしゃくり上げながら、リチェルの肩に何度も顔を擦り付けていた。少しずつ、少しずつ。時間をかけて、嗚咽は小さくなっていく。リチェルが歌っていたのは、恐らく十五分ほどだろう。まだ袖を掴む力は残っているものの、微かにしゃくり上げながら、ラヴェンナは寝息を立て始めた。
「……きっと緊張が解けてきたのね」
そう、ぽつりと呟いた。安堵して、母の不在を思い出す。孤児院に来てしばらく経ってから、夜泣き出す子どもたちは少なくない。
「ありがとう、リチェルちゃん〜〜〜。本当はすっごく困ってたの〜〜〜」
小声でそう言うと、ロゼがピトリとリチェルの背中にくっつく。
「まだ力が入ってるし、しばらく抱っこしておくね。ロゼは寝なくて平気?」
「うん。まだ大丈夫。いつもはちょっと勉強したりしてから寝るんだけど、今日はリチェルちゃんがいるからいいや」
そう言いながらロゼはリチェルにくっついたままだ。
「……久しぶりに聴いたな。リチェルちゃんの子守唄」
「昔ロゼにも歌ってたわ」
「うん、知ってる。毎日歌って、ってお願いしてた。リチェルちゃんの歌を聴いてるとね、安心して眠れるの」
そうこぼすロゼの声はどこか頼りない。そういえばパウロが来月いなくなったら、最年長はロゼ一人になってしまうのだ。
どうしようもない事を受け入れるのは、孤児院の子達にとって日常の一部だ。だからロゼも不満を吐かない。ただ心の淋しい部分を埋めるように、そっとリチェルの背中に体温を預けている。
ロゼはそれから申し訳なさそうに、ポツリと呟いた。
「あの、ごめんね。今朝。一緒の人に、失礼なこと言っちゃって」
「良いのよ」
パウロが謝りに来てくれたわ、と言うとロゼがそうなの、と小さく呟く。
「あとでパウロに怒られちゃった。リチェルちゃんに迷惑かけるかも、って。私そこまで考えてなかったんだ。本当は謝りに行こうと思ってたんだけど、タイミング合わなくて。言えなくて……。一緒にいた人達怒ってなかったってパウロに聞いたけど、本当に?」
リチェルちゃん、後でいじめられたりしなかった? と聞かれてクスリと笑う。
「全然大丈夫よ。本当に優しい人達なの」
自分には、勿体無いくらいに。
良かった、とロゼが安堵の息をつく。
「パウロに聞いた? 今マルタと冷戦中なんだ」
来月からパウロもいなくなっちゃうのに、困っちゃう。とマルタが唇を尖らせた。
「でも本当アイツ意地悪なの。だってテレーザが私たちを商品みたいに扱うの、最近本当にひどいのよ。マルタはもう売られる心配がないからって、ちょっとくらいこっちの気持ちも分かってほしいわ」
「……そうね。ロゼも、辛くなるよね」
目を伏せて、そう呟く。外へ出ていくのは多かれ少なかれ怖い。どんなに強がったって、きっと変わらない。だからこそ大丈夫だ、と言ってほしいのだ。人として、扱ってほしいのだ。
「この間なんて思いっきり引っ叩かれたの」
「…………」
小さく、息をついた。
『シスター・テレーザなんて悪魔のように怒ってさ。放っといたら鞭でも打ちそうな感じだったよね……。でもそれより先にマルタが怒ってロゼを平手打ちしてさ。反省室に放り込んだんだよ』
パウロの言葉が脳裏に蘇る。きっと少なからず、パウロも不満に思っているのだと分かる口調だった。だけど。
(マルタ……)
言うべきか、言うべきでないか迷った。だってきっと彼女は嫌がるだろうから。
(だけど──)
そっと目を閉じて、リチェルは息をつくと、顔を上げた。
「ロゼ」
「うん?」
「マルタの事なんだけど──」





