op.11 孤独の中の神の祝福(3)
『 10月23日
身体が酷く怠い。熱もある状態が普通になってきた。
私をこの部屋に押し込めた人たちは今頃ほら見たことか、と己の正しさに酔いしれている事だろう。
それなのにあの子は何も変わらずに毎日私の世話をしにきてくれる。
病に侵された私に触れることに少しもためらわない。
この子を見ていると、私のなれなかった理想が目の前にいる気分になる。
隣人への愛を、無償の献身を。
幼い頃から何一つ損なわず、あの子は持ち続けた。
それがどれだけ稀有な才能なのか、私は知っている。
人は皆心に罪を持ち、手に入れた愛を腐敗させる。心を綺麗なままに持ち続けられる人間など私も含めていないのだ。
だからあの子の心が美しいままである事を願ってしまう。
今ある心の形を、いつか致命的に損なう可能性を恐れてしまう。
その時、あの子の心がどんな風に変わるのか。
私は、それがとても恐ろしい 』
◇
今までの郵便物などが押し込められた資料室は、端的に言ってとても汚かった。
乱雑に積み上げられた紙の山は、所々雪崩れを起こしている。その雑然とした様子に、リチェルはしばし言葉を無くした。用事があるから、とマルタはさっさと行ってしまい、取り残されたリチェルはヴィオとソルヴェーグを恐る恐る振り返る。
「あの、二人は町で待っていて頂けたら……」
流石にこの紙の山からの捜索に付き合わせるわけにはいかない。むしろここに置いて行ってもらった方がいいのだろうか、と考えていると、『手伝うよ』とヴィオは当然のように口にした。ソルヴェーグも同じく頷く。
「ヴィオ様が残るのであればもちろん私も残ります。この有様では人手があった方が良いでしょう」
それに、とヴィオが静かに口を開く。
「正直君をここに一人で残すのは抵抗がある」
ヴィオの声はいつもより固かった。今まで聞いたことがない声音が怒っているように聞こえて、リチェルは先程の応接室での会話を思い出した。怒って当然だろう。
「……ごめんなさい」
「リチェルが謝る必要はないだろう」
「その通りですよ。リチェル殿が気に病む必要はございません」
「でもお二人に、とても失礼なことを……」
「これでも歳の分経験だけは積んでおりますからな。あの程度のことは慣れております。しかしヴィオ様が何も言わなかったのには感心いたしましたな」
皺を深く刻んで微笑むソルヴェーグにヴィオの方は苦り顔だ。
「あのな……俺だって空気くらい読む」
ヴィオとソルヴェーグがこうして軽口を聞いてくれることが救いだった。リチェルにとっては申し訳なくていたたまれなくなるような出来事でも、二人にとっては大きな事ではないと言う事がわかるから。
埃だらけだな、と呟きながらヴィオが乱雑に積まれた紙の束をひっくり返す。そして、
「……それにここはリチェルが育った場所なんだから、そう悪いことは言えないだろう」
そう、ため息と共に吐き出した。
「……っ」
その言葉に胸がつまった。怒って当然なのに、ヴィオが何も言わなかったのはリチェルのいた場所を大切に思っていてくれたからなのだ。じわじわと嬉しい気持ちが込み上げて、同時に今までは感じながった感情が顔を出す。
(それは、誰でもそうなのかしら……?)
そう考えてかぶりを振る。前までは優しい人だから、とだけ思えた言葉が、今はそうじゃない。それがとても、苦しい。
何か言わなきゃ、と思って、そういえばシスター・テレーザと話し始めた最初の時もヴィオが助けてくれた事を思い出した。
「ヴィオ、さっき最初に私の代わりに喋ってくれてありがとう」
クライネルトの事を聞かれた時のことだ。リチェルの言葉にヴィオは一瞬間を置いて、何のことか分かったのだろう。役に立てたなら良かった、と優しく笑う。
(ダメだな……)
それだけのことで心臓がはねる。嬉しいと言う気持ちが、ただそれだけではない。心がズルズルと引きずられるようで、うん、とかろうじて頷いて目を逸らす。
役に立つも何も、そばにいてくれるだけでリチェルにとっては心強い。
だって他でもない、貴方だから。
そんな事、言えるはずもないけれど。
「まずはリチェル殿のお父様から連絡があった年の郵便物が、どの辺りにあるか探しましょうか。手分けして私はこちらを、リチェル殿は左側から見ていただいていいですかな? ヴィオ様はその棚を、構いませんか?」
「あぁ」
珍しくソルヴェーグが仕切って指示を出してくれる。はい、と返事をしてリチェルは指示された場所から整理を始めた。





