op.11 孤独の中の神の祝福(1)
『 10月8日
ついに別室に隔離された。
町で病が流行っていること、亡くなった方の数を考えると、何もおかしいことじゃない。放り出されなかっただけでもマシだろう。
ご飯はリチェルが決まった時間に持ってきてくれる。
今年の夏は寒く、作物が思うように育たなかったから、私の分まで満足にあるようには思えなかった。問いただしたら案の定自分の分を足しているようだったから叱っておいた。
あの子は優しすぎる。
だから私の看病などという損な役回りを押し付けられるのだ。 』
◇
山の麓に泊まり、夜が明けてからリチェル達はラクアツィアに向けて出発した。
カラカラと馬車の車輪が回る音が早朝の山道にこだましている。
町から少し離れた丘の上に、修道院はひっそりと立っていた。
(あ、この道……)
窓から見える道に、見覚えがあった。
あの坂道で良く歌を歌っていた。確か、クライネルトの当主に声を掛けられたのもこの辺りだ。
「懐かしいか?」
前に座ったヴィオに聞かれて、リチェルは少し迷って頷いた。
懐かしいか、と言われると本当は良く分からない。心はポッカリと穴が空いたようで、何の感情も浮かばない。ただ淡々と昔を思い出した。まだ四年前、リチェルはここで暮らしていたのだ。
(もっと、ずっと昔のことのように感じる)
たった四年。その月日で、こんなにも自分を取り巻く全てが変わるものだろうか。
『──リチェル』
不意に脳裏に蘇った声に、ハッとした。
リチェルには幼い頃からずっとお世話になったシスターがいた。他でもないリチェルを父から受け取ってくれた人で、当時の孤児院の院長をしていた。名前は──。
(あれ……?)
頭を押さえる。名前を、思い出せない。
昔の記憶がこの数年で断線したみたいに容赦なく途切れている。ずっとこの孤児院にいたはずなのに、その思い出はもう随分と遠い。
「リチェル、着いたよ」
ヴィオの声に我に返った。隣に座っていたソルヴェーグが『大丈夫ですか?』と尋ねてくれる。慌ててリチェルは頷いた。
「ほら」
先に降りたヴィオが差し伸べてくれた手に手を重ねて、リチェルは馬車を降りる。触れた手に跳ねた心臓を必死で落ち着けて、目の前の修道院を見上げた。
変わっていない、気がする。
まだ朝も早いからか、人の気配はあまりない。裏手から微かに子どもたちの声が聞こえてきた。すぐ裏に孤児院が併設されているのだ。
「おはようございます」
馬車に気付いたのだろう。
修道院の玄関を掃除していた修道女が声をかけてきた。年頃はちょうどリチェルと同じくらい。グレーの頭巾に、白い簡素なブラウス、くるぶしまである黒いワンピース。修道服よりやや簡素なそれは見習いのものだ。
「こちらは教会ではないのですが、何か御用でしょうか?」
丁寧に取り繕ってはいるが、声音は平坦で、一目で歓迎していないことが分かる口ぶりだった。その口調に、忘れていた記憶がじわりと滲む。
そうだ、こんな所だった。修道院は、閉鎖的な空間だったから。
「朝早くからすみません。こちらに併設している孤児院に用があって伺ったのですが、責任者の方はいらっしゃるでしょうか?」
「孤児院に? あぁ、そうなのですね」
ヴィオの言葉に見習いの修道女の声音がやや柔らかくなる。責任者の者を呼んで参ります、と頭を下げたその少女の視線が、ふと、ピタリとリチェルの前で止まった。
「……?」
キョトンとするリチェルをじっと見ていた少女は目を見開き、うそ、と震える声で小さくこぼす。
「あなた……、リチェル?」
「え?」
驚いて見習いの修道女をリチェルの顔を見る。
不思議でも何でもないことだ。だってリチェルは四年前までここにいたのだから。ピンと貼った糸が記憶を手繰り寄せるように、四年前の映像がリチェルの脳裏にフラッシュバックして、目の前の人物と合致した。
「…………マルタ?」
呟いた名前に、マルタが息を呑んだのが分かった。マルタの口が何かを口にしようとして動いて、それが言葉になる前に後ろの扉が開いた。
「シスター・アニェーゼ、お客さま?」
出てきた修道女を振り返り、マルタは頭を下げて『はい』と返事をする。
「孤児院の方に御用があるそうです。今シスター・テレーザを呼びに行こうとしていました」
「そうですか。それならこちらでお待たせするより、一緒に孤児院の方までお連れしては? 貴女もあちらで仕事があるでしょう」
「はい。ではそう致します」
「では」
そう言って上品に笑って、修道女は扉を閉めた。
仕草も口調も上品だが、閉ざされた扉からは無言の拒絶が感じられて気持ちが重くなる。
孤児院は子どもたちばかりで、シスターも優しい人がいたけれど、併設する修道院に関する記憶はない。修道女たちは基本外の人間との関わりを持たない。それが例え、同じ土地に立つ孤児院であっても。
ヴィオ達の様子が気にかかるが、そうやって気遣うのは今度はマルタに失礼な気がしてリチェルは無言で拳をキュッと握りしめる。
「こちらへどうぞ」
扉が閉まるとマルタはこちらを振り返り、それだけ口にして歩き出した。最初に名前を呼んだ以外何も話そうとしないマルタの様子を不自然に思ったのか、ヴィオがリチェルに視線をやったのが分かったが、見返せなかった。
「あの、マルタ?」
沈黙に耐えかねて口を開くと、『何ですか?』と他人行儀に返された。
「その、みんな、元気?」
リチェルの質問にマルタの表情がピクリと動く。多分マルタが引いた線を早々にリチェルが踏み越えてしまったからだろう。
だがヴィオ達のいる手前黙るわけにもいかないと判断したのか、マルタはリチェルを一瞥して淡々と吐き出した。
「……誰か死んだか、って聞いてるなら、あなたが知ってる子はみんな生きているわ。ここではね。出ていった子は知らない」
辛辣な返事だった。
でもその言葉に、ホッとしてしまう自分もいる。孤児院では幼い子もいて、冬を越せない子は珍しくなかったから。でも、リチェルの知っている子は、と言う事はそうでない子もいたのだろう。
良かったとも言えなくて、そっか、と短く返事をした。
「貴女は……、見たら分かるわね。立派な格好をしているもの。良かったじゃない、幸せそうで」
少しもそうは聞こえない口調で、マルタがそう口にする。
「マルタは誓願を希望したの?」
少し間を置いて『そう』と短く答えが返る。
「貴女みたいに立派な方に引き取られる子は稀だから。引き取り先は選べないけど、選べる選択肢があるならマシなものを選ぶでしょう」
誰かに聞かれたら明らかに咎められる言葉にヒヤヒヤしてしまう。思わず『マルタ』と名前を呼ぶと、リチェルの意図に気付いたのか『誰もいないわよ』とマルタが煙たそうに答えた。
選べる選択肢があるなら。
マルタは簡単にそう言うけれど、孤児院にいる女子が誰でも修道院に入れるわけではないから、その道が示されたと言うことはマルタが努力した結果だと思うのにどこまでも冷めた口調だった。
孤児院の中に入ると、子ども達の声があちらこちらから響いてきた。怒られるので大声で騒いでいる子はいないが、それでも分別のつかない年齢の子はいるし、みんな子どもだ。そこそこ騒がしい。
「あ、マルタだ! マルター! ラヴェンナがバケツのお水ひっくり返したのー!」
「マルタ! ニコラが鼻血でた〜!」
予想はしていたが、マルタは見習いとして孤児院の子達の世話係もしているらしい。口々にかけられる言葉にイライラしたように『今お客様の案内中!』とマルタが返事をする。
「それにシスタ・アニェーゼって呼びなさいっていつも言ってるでしょう! というか年長組は何してるの⁉︎ パウロ! ちゃんとお世話なさい! ロゼはどこにいるの⁉︎」
マルタの叱りつけるような声に、ダルそうに十二歳くらいの少年が部屋から顔を出した。
「今ラヴェンナの着替えしてたんだよ。先に脱がしてあげないと風邪引くだろ? ロゼは上でチビ達の世話してる」
そこまで言って、少年はピタリと動きを止めた。一瞬マルタが怪訝そうな顔をして、だがすぐに『マズい』とでも言うような表情を浮かべる。
「──リチェルだ」
呆然としたように少年が口にした。いきなり出された自分の名前にキョトンとして、先ほどマルタの呼んだ名前で無理矢理記憶を結びつける。
「パウ……」
「リチェルだ!」
そう叫ぶと、パウロは転がるように廊下に出てきて階段を上っていく。
「ロゼ! ろーーーーぜーーーー‼︎ リチェルが帰ってきたーーーー!」
「え、うそ⁉︎」
階段の上から悲鳴のような少女の声が聞こえる。転がり落ちるように階段から降りてきた少女は、リチェルの姿を見るとパッと顔を明るくして『リチェルちゃん!』と呼んで飛びついてきた。
「ロゼ⁉︎」
「本物だー! リチェルちゃんだ! わ〜〜〜! 可愛い〜〜〜! お洋服ヒラヒラしてる! え、どうしたの⁉︎ 可愛い!」
リチェルの手を握ってぴょんぴょんはねる少女が記憶の中でまだ八歳かそこらだった元気な少女と結びつく。
名前はロゼッタ。記憶より随分と背が伸びている。昔はリチェルがお世話をしていたのに、今はもう子ども達のお世話をしているらしい。
当然だ。彼女はもう十二歳だ。
「え、この人達、リチェルちゃんを買った人? お金持ちなんでしょ?」
「ロゼ!」
叱りつけるようなマルタの声に、ロゼがピタリと動きを止める。
「失礼なこと言わないで。それより子ども達のお世話は? 仕事を放り出して来ていいと思ってるの?」
静かな声にそれ以上の怒気がこもる。一瞬で静かになったロゼはちらりとリチェルを見て、マルタの方も一瞥するとそっと手を離した。すみませんでした、と淡々と口にすると、ごめんねリチェルちゃん、とこちらは愛想よくリチェルに謝って、名残惜しそうに二階へ戻っていった。階段から顔を出したパウロが、やってしまった、というような顔を浮かべている。
と、一階の扉から三歳くらいの小さな少女が半裸のまま濡れた服を引きずって出てくる。
「ぱうろぉ、ラヴィ、おふく、きてないよぉ」
「あ、やば! ごめんラヴェンナ!」
走ってきたパウロがラヴェンナを濡れた服ごと抱っこして、部屋に入っていく。
「マルタ! さっきの俺のせい! ロゼのこと怒んないで! あ、違う。シスター・アニェーゼ! リチェル、後で話しよ!」
「う、うん」
リチェルが思わず頷くと、パウロは嬉しそうに笑ってそのまま部屋に引っ込んだ。ごめんよラヴェンナ〜、という声がドア越しに聞こえてくる。見物に顔を出していた子ども達もマルタの機嫌が悪いことを察したのか、そろそろと部屋に戻っていった。
その様子を見送って、マルタはヴィオとソルヴェーグに向き直ると頭を下げる。
「申し訳ございません。失礼なことを」
「それは構いませんが、一つ尋ねても?」
「はい?」
顔を上げたマルタに、表情を変えずあくまで淡々とした口調でヴィオが問いかける。
「あれくらいの子供が、当然のように『買う』と口にするのは何か理由が?」
ヴィオの言葉にマルタはスッと表情を消した。瞳を伏せてヴィオに向き直る。
「私の教育が行き渡っていないせいです。気分を害してしまったのであれば、謝罪します」
事務的な口調でそう言って、マルタは再びヴィオに頭を下げた。
「貴女に謝罪してほしいわけではありません。少し気になっただけです」
キュッと、マルタの修道服を握る手に力がこもったのが分かった。
「…………」
リチェルも何も言えなかった。
ヴィオの気持ちは分かる。疑問に思って当然だ。
『この人達、リチェルちゃんを買った人?』
口にしたロゼには恐らく他意はないと、思う。無邪気な声で自分達の身を『買われる』物だとそう口にする子ども達。確かにそれは、正常ではない。
だけど言い方はともかく、孤児院の子たちがいつかどこかに貰われていくのは当たり前のことだ。マルタの性格であれば尚更、外部からそれを指摘されることを嫌うだろう。
ヴィオとは異なり、ソルヴェーグは表情を揺らすこともなくいつものように沈黙を守っていた。疑問に思っている様子もなく落ち着いている事に少し、ホッとする。
部屋の向こうではまだ子ども達の声が響いていた。きっと扉を開ければ、大変な事になっているだろう。世話を見る人間が少ないのだ。もしかしたら年長者はロゼとパウロしかいないのかもしれない。
「マルタ。もし良かったらこの後少し仕事を……」
「要らないわ」
手伝えたら、と言おうとした言葉をピシャリと遮られた。冷たい視線でリチェルを見て、マルタは口を開く。
「貴女『お客様』でしょう? 中のことなんて、しなくていいわ」
それがヴィオ達へ配慮された言葉だと言うことはすぐに分かった。マルタは本当はこう言いたいのだ。
余所者は黙っていて、と。
そのことを察して口を閉じた。確かにリチェルは今となってはよそ者に違いない。だから『うん、ごめんね』とだけ、リチェルは口にする。
その事にまたマルタが苛立ちを見せたのには、気付けなかったけれど。





