傷の話 前編
ある夏休みの早朝。
ふと目を覚ますと襲ってくる寂寥感。
私はベッドから身を這い出して、机に向かった。
引き出しから一冊のノートを取り出す。
悩んでいるときに自分の気持ちを整理するためのノートだ。
多分、他人が見たら呪いのノートだと思うことだろう。
ちょっと前にコーヒーの染みがページの端についていたけれど、コーヒー好きの父が盗み見たのだろうか。それはちょっとプライバシーの侵害だ。
でも、さすがの父親もそこまで私を管理しようとはしていないだろう、ということにして置こう。
私はシャープペンシルを左手で持ち、文章を紡いでゆく。
『田宮くん。好きだよ。
田宮くんは私に笑いかけてくれないし、正直、脈なしだと思う。
悲しい。
なんで、私はお喋りなんだろう。引くよね。
料理もできないし、ケチだし、女子力もない。
愛されたいよ。
そのためにはこんな私じゃ駄目だってわかっている。
なんで障害者に生まれちゃったんだろう。
田宮くんは私の障害のことを引かないって言ってくれたけど、私自身には引くよね。
障害の症状のせいで空気が読めませんって言っても、別に免罪符にはならない。
モテたいとは常に思っているけど、要するに、愛されたいのだ。
これは、常に考えていること。
私の悪いクセ――――お喋り。
授業中も、三十回くらい質問するし、家であったことから、友達の言動まで何から何まで第三者に喋る。
黙りたい。
人格を変えたい。
コミュニケーション力がないクセに、気にしいだから常に悩んでしまうのかもしれない。
なんの取り柄もないどころか、人並みにできることが勉強しかない。
ロッカーに荷物をしまうという動作でさえ、遅い。
しかも、その勉強だって、人一倍努力して世間的には中の上、レベルなのだ。
コミュニケーション能力がないならないなりに、せめて口を慎めるようになりたい。
もっと無口で、愚痴っぽくなくて、爽やかに微笑んでいる、普通の女の子に。
無理だけどさ。
そんな気にしいの私が、感じの良いバカを演じている理由を今日は話そうと思う。』
***
私は小さな頃から、母に『あんたは障害者なんだよ』と言われて育ってきた。
でも私は、『喋れるし、あんな変な奴らと違う』と思って母の言葉を聞き流していた。
初めて自分が障害者だと自覚したのは小学五年生の時。
移動教室の班決めで自分だけがあぶれて、『あれ? もしかして私、クラスのはみ出し者じゃね?』とやっと理解したのだ。
周囲の人たちが難なく空気を読んで行動してちゃんと友達を作っているのに、私は『のろま』や『ウザい』と虐められたり、パシられたりしていた。
ある時、『なんであんたこんなにどんくさいの?』とクラスメイトの女子に怒鳴られて『私はアスペルガーなんだ』と答えた。
しかしわかってもらえるはずもなく、更に『キモい障害者』とか、当時アスペルガー症候群の人が起こした事件がニュースになったので『犯罪者』と言われるようになった。
新しい父親が、虐められている私を見かねて、中学からは特別支援学級に在籍することになった。
もちろん、特別支援学級は知的障害者のためのクラスなので、授業だけではまともな学力をつけることはできない。
最初は家で参考書に向かって学んでいたけれど、そんなので学力が身につくはずもなく、中学一年生の冬から進研ゼミ中学講座を始めた。効率的に学べるので、助かった。
ちなみに、アスペルガー症候群、ADHD、LDなど、知的障害のないこれらの障害を『軽度発達障害』という。
軽度発達障害者で特別支援学級に在籍している人は少ない。
だいたいの人は通常学級に在籍して、一週間に一回から数回、通級指導教室と呼ばれる所に通うか、通常学級に在籍して担任及び、学校からできる限りの支援をしてもらうかである。
中には何の支援も受けていない人もいる。
でも、彼らは困っていないわけじゃない。
他人に迷惑をかけて虐められたり孤立した結果、引き籠りになる人もいる。
国が支援を始めた順番を障害別に表すと、身体障害者→知的障害者→精神障害者(発達障害者)だ。
国の長年の支援の甲斐あってか、身体障害者は同情的な視線に晒されても、よっぽど性格の悪い奴じゃなければ、悪意に晒されることは少ない気がする。まあ、多少はあるだろうけど。
そして、障害者には障害者手帳と言うものがある。国に申請してこれを手に入れなくては、障害者としての支援をほとんど受けることができない。
身体障害者は身体障害者手帳を取得できる。
知的障害のある人には療育手帳(東京では愛の手帳)がある。
精神障害者の人は精神障害者保健福祉手帳を持つことができる。
――――現在日本には、発達障害者手帳というものはない。
私は精神障害者保健福祉手帳の二級を取得している。発達障害者なのに、国では精神障害者としてカウントされているのだ。
アスペルガー症候群の人や、ADHDの人はコミュニケーション能力や落ち着きのなさからくる生き辛さやストレスで、うつ病など精神疾患にかかる場合がある。
これを二次的な障害――――二次障害と言う。
それを防ぐためにも、理解ある主治医に出会えれば、私のように障害者手帳がとれる場合がある。
さて。特別支援学級に入った中学生の私は、さすがに事態を飲み込める程度には賢かった。
アスペルガー症候群の人は状況把握が下手だとか言われるけれど、私の障害は軽く、ひどく客観的にものを考える子供だったのだ。
クラスメイトの四分の一が、三十歳まで生きることが叶わないだろう身体の弱い子供たち。
話したこともない通常学級の生徒が、私の存在を知っていて、虐めてくる。
この環境は異常だ。
それだけならまだしも、特別支援学級のクラスの雰囲気はうるさい。
障害の軽い子は、重度の障害者を虐める。
弱いもの虐めが大嫌いな私には、とてもストレスだった。
最初は、虐められっ子を庇っていたけれど、やがてストレスで過呼吸を起こして、父から『過呼吸を起こすくらいなら学校に行くな』と言われた。
私自身は不登校なんて恥ずかしいから、学校に行こうとしたけれど、父親は許してくれなかった。
その後、学校に通う代わりに、不登校児のための適応指導教室に通うようになった。
そこでの日々は楽しくて、初めて友達もできた。
ただ、適応指導教室はフリースクールと違って『学校に戻るために指導をする場所』。
一年ごとに元の学校に戻らなくてはいけない。
だいたいの生徒はまた不登校になって、適応指導教室に戻ってくるのだが、私は中学二年生で過呼吸を起こすことなく、元の特別支援学級に通うようになった。
でも、そのときにはもう、人の優しさを信じることができなくなっていた。
不登校仲間は人の痛みがわかるから、私にも優しいんだ。
健常者の多くは、私を受け入れてくれないし、障害者だって性格がいいとは限らない。
そう思うと、新学期の私は机に向かって、ただひたすら無表情で俯いていることしかできなかった。
適応指導教室での束の間の幸せは奪われたのだ。
もう誰とも関わりたくない。
汚い世界を見たくない。
我ながら中二病だ。
そんなとき、後ろから声がした。
「あ! これ、チルノのファイル!」
机の上に置いてあった私のいとこからのもらい物のファイルを見て、そいつは笑った。
「お前、東方好きなの?」
それが、山名公明くんとの出会いだった。
※ 参考
「進研ゼミ中学講座」 ベネッセコーポレーション
「チルノ」東方Project




