4 動き出す一日
それから数日が経ち、少しはここでの生活に慣れてきた。
朝は、ごはんの準備から始まる。
炊事場にある大鍋に水を張り、砕いた穀物を入れて火にかける。
木べらで混ぜると、これが意外に力が必要で、思わず声が漏れる。
「んん!」
あとは味付けをして煮込んでいく。
次第に湯気と一緒に、優しい香りがリナを包み込んだ。
「お、そろそろできそうか?」
調子いい声が背後から聞こえてくる。
「カイルさん、おはようございます」
「おぅ、姫もおはようさん。朝からありがとうな」
できあがった穀物粥を木の椀によそい、順に配っていく。
「ありがとう」と声をかけられるたび、胸の奥が温かくなった。
しばらくして空になった大鍋に水を張り、木べらで内側をこそげ落とす。
少し温めてから布でこすれば、白く曇っていた底が元の色を取り戻した。
空にした大鍋をひっくり返して、一息つく。
ここまでしていると、次第に朝食を終えた人たちが、ぽつぽつと炊事場の近くに集まってくる。
器を返しに来る者、何気ない雑談を交わす者、次の仕事の段取りを確認する者。
拠点が、ゆっくりと動き出していくのが分かる。
――今日も、一日が始まる。
朝食を終えた拠点は、次第に慌ただしさを増していった。
武具を整える者、荷を背負う者。
天幕の間を、足音が行き交う。
リナは炊事場での作業中、自然とその様子を見送っていた。
「じゃあ、行ってくるぞ」
最初に声をかけてきたのは、少し年上の兵士だった。
「はい。気をつけてくださいね」
「おう。嬢ちゃんも無理すんなよ」
そう言って、軽く手を振る。
続いて、若い兵士が照れたように近づいてきた。
「……その、リナさん」
「はい?」
「今日の粥、美味しかったです。あれがあると……頑張れます」
恥ずかしそうに言い切ると、足早に仲間の元へ戻っていった。
「ふふ……」
思わず、小さく笑みがこぼれる。
「行ってきまーす!」
別の兵士が、遠くから声を張り上げる。
「行ってらっしゃい!」
手を振り返すと、何人かが気づいて、同じように振り返してくれた。
ほんの短いやり取りだが、拒絶も警戒もない。
この数日で、兵士達はリナを心から歓迎してくれている。
そう感じられるだけで、胸の奥が少し軽くなった。
兵士たちの背中が見えなくなり、拠点に静けさが戻る。
残った人々も、それぞれの持ち場へ散っていった。
「人気者だな」
少し不満そうな声。
「嫉妬ですか、カイルさん」
カイルは、言葉だけで笑っている。
リナにはその先の感情は分からない。
「そうじゃないけどな、……なんというか、うーん……」
言葉を探すように、カイルは視線を泳がせた。
「拠点に来たばかりの頃は、あんなに怯えてたのに。今じゃ、すっかり馴染んでるなって思って」
それは、少しだけ誇らしそうでもあり、少しだけ寂しそうでもある声だった。
「皆さんが、優しいからですよ」
リナはそう答えながら、炊事場から歩き出し、自分が使っているテントへと歩きだす。
「それに……私も、ずっと何もしないわけにはいかないですし」
カイルは、リナの次の目的が分かった。
「ああ。今日も吹くのか」
「はい。少しだけ」
「聞いても大丈夫か」
「もちろん」
リナはフルートを手に取り、軽く息を整えて目を閉じる。
最初の音は、控えめだった。
高い音、低い音。ゆっくり、ひとつひとつの音を丁寧に出す。
まだ曲ではない。メロディもない。ただ、息の流れと音の質の確認——基礎練習だ。
それでも、その音色は空気を震わせ、天幕の間をすり抜けていく。
カイルの姿が見え、眉をひそめてこちらを見ているのが分かった。
一通りの練習メニューをこなすと、水分補給のためにテントの外にある、給水所へと向かう。
「さっき、怖い顔をしてましたけど、私の音が変でしたか?」
その問いに、カイルは少し慌てたような素振りを見せた。
「い……いや、自分も鳴らす事ができるのかなーって」
その言葉に、リナは一瞬、思わず顔が熱くなるのを感じた。
フルートを通して、他の人と自分の唇が触れ合う、そんなのまるで――。
「ダメですよ!」
反射で大きな声が出る。唐突に恥ずかしさがこみあげる。
「……そうだよな、神聖な鳴器に触れるなんて、バチ当たりだもんな。すまない」
そういう意味ではないのだが……。
そんなことより、頬が赤くなってしまっていないだろうか。
そんな状態を誤魔化すため、給水所につくやいなや、リナは手に掬った水で顔を洗い流す。
ポケットに所持していたタオルで顔を拭くと、さっきの火照りも静まった気がする。
「隊長!」
カイルの声が聞こえて、そちらを振り向くと、この拠点の責任者である、アマギが立っている。
「すまない、二人とも。時間をくれるか?」
二人はアマギの後に続き、拠点の奥にあるしっかりとしたテントへと向かう。
天幕をくぐると、中央に大きな台があり、それを挟むような形で腰掛がいくつも置いてある。
リナが最初に連れてこられたテントだ。
「座ってくれ」
アマギは静かに言い、リナとカイルに向かって席を示す。
わずかに張り詰める空気に、リナは深呼吸をして背筋を伸ばす。
何の話か——実は話すのはあの日以来で、まだ二回目だ。
アマギは、リナとカイルを前にして静かに口を開いた。
「ついさっきだ。この拠点に、ひとりの伝令が駆け込んできた」
その言葉だけで、空気が変わる。
「近隣を進んでいた遠征隊が、想定外の事態に巻き込まれている。詳しい状況までは分かっていないが……負傷者が多い」
リナは、ただ黙って聞いていた。
問いを挟む余裕はない。
「彼らは岩山の一帯に身を隠している。安全な場所ではあるが、自由に動ける状態ではないらしい」
短い説明の中に、重い意味が含まれている。
「相手は、大型の獣だ。単独だが、相当な力を持っている」
その場に沈黙が落ちた。
「指揮官は……伝令をここに派遣するために、その大型の獣を引きつけたようだ。……大怪我してるかもしれぬ」
それ以上、アマギは語らなかった。
カイルが、静かに口を開く。
「……自分が、様子を見に行くということですね?」
確認というより、受け止めた言い方だった。
アマギは、はっきりと頷く。
「お前が適任だ。状況の確認と、救出が可能かどうかの判断を頼みたい」
カイルは短く息を吸い、頷いた。
「了解しました」
そして、一拍置いてから。
「……リナは拠点に待機ですか?」
その問いに、アマギは一瞬だけ視線を伏せた。
リナは内心、そりゃそうだ、と確信していた。
「――一緒に行ってもらう」
次の瞬間。
「…………え?」
思わず、リナの喉から小さな声が漏れた。
言葉にならない。
ただ、その決定を理解するのに時間が必要だった。
「ええええええええ!」
張り詰めた沈黙の中で、リナの声がテント内を埋め尽くした。
遠征隊編の始まりです。
よろしくお願いします。




