終
水晶球に映し出される映像を見つめ、青年は皮肉げに頬を歪めた。
「愚か者が。あれほど侮るなといったものを……」
込められた皮肉と侮蔑は、当の本人には届くことはない。
側に置いてある小さな卓台から杯を取り上げ、青年はゆっくりとそれを傾ける。
喉を通り抜ける芳醇な酒の香りを楽しむこともなくそれを飲み干し、青年はチラリと背後に視線を向けた。
何時からそこにいたのであろうか。
幾重にも垂れ下がった布地を後ろにし、一人の女がその場に佇んでいた。
「何用だ?」
冷淡な青年の言葉に何の表情も示さず、女は優美な動きで水晶球に近づいた。
その奥底を見つめ、女は口を開く。
「摩利支天は、破られましたか」
感情の見えない、独白めいた声音。
別段青年に何かを求めているというわけではないのだろう。女は深紅の瞳を細めで吐息をついた。
「……何時まで続くのでしょう、このような事は」
唐突、とも言える内容に、青年は女の真意を測るかのようにその顔を見つめた。
「多くの神の血が流れ、多くの神が死んでいく。
何時、終わるのでしょうね……このような事が、何時まで続くのでしょう……考えたことはございませんか、毘沙門天様」
女の瞳の奥に、深い陰りが見え隠れする。
その光に、毘沙門天と呼ばれた青年は僅かに眉を寄せ、やがて大仰に肩をすくめて見せた。
「その様なこと、考えるまでもなかろう。奴らが生きている以上戦は続く。
しかし、先ほどの言葉、愛染明王、貴様の兄のことを言っているのではないのか?」
半瞬、愛染明王は動きを止めるが、ゆっくりと頭を横に振り、苦笑じみた微笑を浮かべた。
「どう思われます?」
「さぁな」
「……今更、兄のことをとやかく言ったところで、何になるというのです?無用な血が流れるだけではありませぬか。すでに、兄のことは忘れました。貴公があの方のことを忘れたように」
瞬間、毘沙門天が敵意や殺意と見紛うほどほどの眼光を愛染明王に向ける。
しかし、それを受け流して、愛染明王は水晶球に手を伸ばした。
「私は、兄の代わりに明王一族を束ねる身。一族を守るためならば、どのような事でもいたしましょう。たとえあなた方が私を誹ろうとも……私は……」
ふっと寂しげな笑みが愛染明王の顔からこぼれるが、すぐにそれは消え失せてしまう。
ふいっと愛染明王は視線を毘沙門天に移し、何時もと変わらぬ凍てついたような微笑を浮かべる。
「今までの言葉、全てお忘れください。私ともあろうものが、どうかしておりました」
そう言い置き、愛染明王は優美な動きで水晶球に背を向け、毘沙門天の横をすり抜けようとした。
「待て」
静かに、毘沙門天が口を開く。
珍しいこともあるものだといいたげに動きを止め、愛染明王は振り返ることなくその場に足を止めた。
「城内の噂、聞いたことがあるか?」
「噂、ですか?」
「そうだ。
貴様が、人界へと密偵を放ち、その行動を見定めておるとな」
「それはそれは」
「噂は噂だが、十分気をつけることだな」
「お言葉、肝に銘じておきましょう」
それだけを残し、愛染明王はかすかな衣擦れの音と共にその場を後にする。
それが完全に消え去ると、毘沙門天は緩く頭を横に振った。
何故、あのようなことを口走ったのかと、自分自身に問いかけてみる。
「馬鹿なことを口走ったものだな……そう思わんか?」
相手のいない問いかけは、薄暗い室内を微かに揺らす。
自嘲じみたものを口の端に乗せ、毘沙門天は杯の中に残っている酒を緩い動きで掻き回すと、それをゆっくりと飲み干すべく口へと運んだ。
じっとその場に立ち尽くし、忍は閉じていた瞼を開く。
「答えて、なかったよね」
真由美が崩れ去った場所に一人でやってきたのは、己の意思を真由美に伝えるためだ。
柔らかく、優しい笑みを浮かべ、忍はいなくなった彼女に向けて言を綴る。
「僕も、好きだよ」
ここにいるのは、決意を新たにするためだ。
これ以上、大切なものをなくさないために。
「もう、迷ったりはしない。僕は、自分自身を知ったんだ。自分が進まなきゃいけない道も、見つけたんだよ。
その道を、まっすぐ行くよ。これは、僕自身が選んだことだから」
決意に満ちた光が、忍の瞳に輝く。
「今日は、それを言いに来たんだ」
そこで言葉を切り、忍はしばし躊躇ったように視線を彷徨わせた。
そして、そっと囁くような声音をあげる。
「見守って、くれないかな?僕が、二度と迷わないように」
その言葉を肯定するかのように、ふわりと忍を抱きしめるかのように風が吹き抜ける。
それに安心したように微笑んだ忍が、ゆっくりとその場に背を向けて歩き出した。
後ろは、振り返らない。
自分で決めたことなのだから。
彼女は、何時でも自分の側にいてくれる。
肌でそれを感じて知るから……。
忍の行く先には、仲間達が待っている。
遙か昔から、強い絆と約束で結ばれた仲間達が。
龍王奇譚第二幕の幕開けはいかがでしたでしょうか?
辛い展開にはなりましたが、彼等の成長と意志の強さを確認するためのお話しにしたつもりです。
天界にとっては人間はあくまでも滅びの対象であり、その為に人間を人形のように使うことは当たり前だと考えているのだという部分を書きました。とはいえ、それが上手く伝わってくれるか心配ではありますが。
読んでくださる方には超感謝です。誤字脱字などを見つかりましたら、どしどし送ってください。




