エピローグ:武器商人メアリー・スー
メトロ・ポリスのカジノホテル「ジャック・ポット」を取り囲むビルの最上階の一室。
ガラスの向こうに広がる人工の光の海を眺めながら、ミス・メアリーは思索に耽っていた。
再び暗闇に沈んでいたコム・ストックの街の方角が、再び柔らかに煌めいていたのだ。
(ニコロはキューブの略奪に失敗したのね。せっかく教えてあげたのに)
物理的な音声ではなく、思考の波――「他心通」による念話を開始した。
コム・ストックの街に密かに潜り込ませているスパイと、意識を同期させているのだ。
(コム・ストックの街の住人が光を再び喪失することで、無常を悟る機会になるハズだったのにね。
それにしてもトリスって人を見る目が足りないと思わないかしら?
しかも前世が肉球の男が現れたって騒いでいたーー神通力も鈍ったのかしら?)
(トリス・メギストスが現世の統治をニコロに預けているのは、
民に『執着』させ、それを奪われる『喪失』を経験させる。
苦しみを通じてこそ、魂は涅槃へと向かう準備ができる。
すべては計画された苦難のためだそうですよ……グチですか?メアリー)
世俗の頂点は執政官であるが、宗教的な権威は三界評議会である。
そしてトリス・メギストスが執政官を任命するのだ。
彼らの基準において、聖人君子よりニコロやジョン・スミスのような小物が望ましい。
魂を磨くための『苦難』という名の砥石として、どちらが優秀か?
考えるまでもないことだ。
(支配者は小物がいいって、程があるとは思わない?
そのニコロを屈服させたヒーローは他セクターに移動したそうよ)
(トリス・メギストスはどうする方針ですか?)
(天耳通(遠く離れた世界の音を聞く神通力)でいつも通り観測するそうよ……来客が来たから後で)
メアリーは商人の仮面を被り、青年を室内に迎え入れた。
ソファに深く腰掛けた青年――レジスタンスのモーガンが、焦燥感を隠そうともせず吐き捨てた。
「執政官と戦うには、より強力な武器が必要だ」
モーガンの脳裏に焼き付いているのは、ラムダ基地で執政官を屈服させたファズの「黄金の拳」のような。
彼は恩人を誘拐したという理由で、執政官を屈服させた。
そのお人好しが、いつまでもお人好しでいる保証がない。
彼が力に溺れない保証などない。
そうなったら、誰にも止められない。
対面に座るメアリーは、白い肌に静かな微笑を浮かべ、手元のティーカップを優雅に傾けた。
「それなら……相手の武器を、そのままご自分の武器にしてしまうのはいかがかしら?」
「……どういうことだ?」
眉をひそめるモーガンに対し、メアリーは唇をほころばせる。
「私は商人ですもの。レジスタンスだけではなく、体制側とも良好なお付き合いをさせていただいております。
要するに、あなたが体制の内側へ入り込むためのプラン。その口利きをして差し上げられるということです」
モーガンの瞳に、ギラついた野心の火が宿った。
「ニコロよりマシな独裁者になる、か。俺には何の実績もない。
いくら商人でも仲間を売れ、とは言わないよな?」
「滅相もございません。あなた、コム・ストックの街の地理には随分とお詳しいでしょう?」
「それがどうした」
「近々、体制側の科学者が、コム・ストックの街のキューブの調査に向かうことになりました。
先史文明の考古学的調査……という名目になっていますね。その道案内役です。
護衛の兵はつきますけれど、あの迷宮のようなスラムの土地勘を持つ人間は体制側には一人もおりません。
権力の中枢へ上り詰めるための、格好の足がかりになると思わないかしら?」
モーガンは探るような鋭い視線でメアリーを睨みつけた。
「……随分と耳がいいんだな。機密事項だろう?」
「あら、耳の良さには自信がありますのよ」
「なるほど。商人の武器は情報、というわけか。少し考えさせてくれ」
モーガンは己の野望と未来を天秤にかけ、執務室を後にした。
彼が重厚な扉の向こうへ消え、完全な静寂が室内に戻った。
メアリーは商人の仮面を外し、ゆっくりと目を閉じた。
彼女の脳裏で、精神波――「他心通」の念話回線が再度接続される。
(将来有為な若者――ニコロの次の執政官にふさわしい逸材を見つけたの。
元レジスタンスのモーガンがそちらへ向かう。彼の『輝かしい出世劇』を、サポートしてあげてちょうだい)
(了解)
メアリーは満足げに深く息を吐くと、光の海へと再び視線を戻した。
体制側の手に渡ったキューブの解析データが、後に天才科学者レオナルドの手によって混沌の海を渡る
――「シップ」開発の核心データとなることを、まだ誰も知る由もなかった。




