序章:前世は肉球?
序章:前世は肉球?
「……何だこれは?数千年の観測史上、このようなカテゴリは存在せん!」
純白の法衣を纏ったニルヴァーナ人の集団、三界評議会(通称トリス・メギストス)の議場に戦慄が走った。
魂の履歴を覗く神通力『宿命通』が映し出したのは、厳格なる六道輪廻のシステムを嘲笑う、
あまりに異様な紋章だった。
【人】→【肉球?】→【人】
「……『肉球』なのか?」
畜生道ではない。
上部に丸が4つならんでおり、下部には山のような記号が表示されている。
魂に刻まれているのは、明確に記号化された猫の肉球。
「高位存在の介入か、あるいは新カテゴリか?」
「新カテゴリ……畜生道から猫が独立するなどありうるのか?」
数千年の理を揺るがす、この前世は肉球?の履歴の持ち主こそが、本作の主人公である。
※
序章:黄金神殿
迫るヘッドライトの白光と、逃げ遅れた黒い仔猫の震える小さな背中。
体が勝手に動いたのは、思考よりも速い「反射」だったのだろう。
「……目覚めたか、お人好しよ」
青年の前に黒檀を黄金で縁取った豪奢な玉座に――一人の少女が座っていた。
健康的に日焼けした褐色肌に、雪のように白い亜麻布の衣装。
漆黒の髪の頭頂部からは、ぴんと尖った猫耳が覗いている。
首元や手首を飾る重厚な金の装飾品が、彼女が動くたびに硬質な音を立てた。
天井には夜空を模したラピスラズリの青と、瞬く金箔の星々。
高い天井を支える列柱には、精密な象形文字が刻まれ、
床に敷き詰められた白石は柔らかな光を放っている。
猫耳の少女はふんぞり返ってアンク(上部が輪になった十字架の杖)を彼の方に向けた。
「『猫を殺すものに災いあれ』……偉大な作家H.P.ラヴクラフトはそう書き残した。
じゃが、お前は自らの命を差し出し一匹の仔猫を救った。実に見事な最期じゃったぞ」
「あの猫はどうなりました?無事ですか」
「妾の言葉を遮るとは――不遜じゃな」
少女がアンク(杖)で床をトン、と叩いた瞬間。
神殿の天井と床が消失し、果てしない虚無が広がった。
青年の息が止まる。
「……すみません、気になってしまって」
「……仔猫は無事じゃ。眷属を命がけで救ったお主の功績に免じて、許してやる」
少女が言うと、一瞬で元の神殿へと戻っていた。
自分の行き先より先に猫の心配とは、お人好しにも程がある青年。
誇らしげで愛らしい彼女の表情を見ていると、生前最後に救ったあの仔猫の面影が不思議と重なった。
気がつくと、青年は吸い寄せられるように手を伸ばしていた。
「……よかった」
「ん……っ」
少女の柔らかな黒髪を撫でると、彼女は猫のように目を細めた。
だが数秒後、少女は目を見開く。
「な、ななな……撫でるでない!妾はバースト!神なんじゃぞ!?何たる不敬!」
バースト神は顔を真っ赤にして、持っていたアンク(杖)を振り回して威嚇する。
慌てて青年は手を引っ込めた。
彼女はぷいとそっぽを向きながら、自身の腰元から伸びる細い尻尾をパタパタと小刻みに揺らした。
「妾の毛並みはレベチ(レベルが違う)じゃし
……まぁ、どうしてもというなら
……今回だけは、特別に許してやらんこともないが?」
チラリとハチミツ色の瞳でこちらを覗いてくる。
「コホン!……お主の望む『恩寵』を言え。
猫を救ったティア1の英雄に、二度目の生を謳歌するための恩寵を授けてやろう」
バースト神が腕を広げると、黄金の光が渦を巻く。
二度目の人生。もし、そんな奇跡が許されるのなら?
「もう一度命を借りられるなら、ヒーローになりたい」
バースト神は怪訝な顔をするが、青年は続ける。
「俺……ほんの少しだけ、後悔しているんだ。
車が迫ってきたとき、『誰か』助けてくれって!思ったんだ。
でも、誰も助けてくれなくてさ。だから、俺はその助けてくれる『誰か』になりたい。
助けてくれる『誰か』に、その絶望を止められる『誰か』になりたい」
「お人好しにも程がある」
バースト神が呆れたように、でも嬉しそうに言う。
バースト神が杖を軽く地面に突くと、足元が眩い光に包まれた。
「では、お誂え向きの世界がある。混沌の海で隔てられた五つの世界じゃ。
混沌の海を飛び越え、解決が必要な場所へと駆けつける力。
神通力の一つ、神足通。
ファストトラベルではないから、気をつけよ。
ヒーローには必殺技が必要じゃろう?バーストストライク、最強のパンチじゃ!
二つの恩寵を貸してやる。人助け以外の――私利私欲には使えんが問題なかろう。
神(の恩寵)を試してはならんぞ?
では……行ってくるがよい、英雄志望よ!」
黄金の光が青年の体を包み込む。
バースト神はいたずらっぽく微笑み、胸元にそっと手をかざした。
女神バーストが彼の輪廻に干渉し、新たな生を与えた証。
――すなわち彼の魂の履歴に、『肉球』の紋章が刻印された瞬間であった。
黄金の光に飲み込まれていく、最後の言葉。
「では、またの」
という少女の、小さな独り言だった。




