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六話 覚醒、夢の終わり

「な……にやってんだ!」


 一瞬の混乱。しかし、俺の体は考えるよりも先に動いていた。

 閉まりかけていた扉をギリギリで止め、強引に身体をねじ込んで部屋に入り、そしてミルガイア侯爵と相対する。


「チッ……いい所で邪魔を……」


 ミルガイア侯爵はエルクを床に抑え込み、身動きが取れないようにしている。最も厄介なのは、彼女の口が塞がれていることだ。

 エルクはまだ無詠唱魔術がつかえない。ましてこの状況だ。パニックに陥って、口が開いたとしても正常に魔術を構築することは難しいだろう。


「エルクを離せ!」

「そりゃ無理だ。せっかくのチャンスなんだ……しっかり味わわせてもらう」


 侯爵がべろりとエルクの頬を舐める。

 塞がれた口でエルクは叫んだ。しかし、それは遠くへと届くようなものではない。

 俺にしか、届かない。


「一応言っておくが、私はこれでもB級術師だ。お前はEランクだったな……魔力を持たないガキが、武器もなしに私に勝てるわけもない」

「そんなのやってみなきゃ……」

「それに、私に傷でも負わせてみろ。騎士達が飛んできてたちまちお前はお尋ね者だ。わかったらさっさと消えろ……あ、いや。そうだ」


 侯爵は笑う。クライヴが悪戯を思いついたような、エディ王子が俺を引き入れることに成功した時のような、そんな美しい笑顔とは違う。

 欲望に犯され、歪み切った、おぞましい笑顔。

 俺はそれを笑顔だと知覚するまでに数秒を要した。太りきった頬が歪み、唇から涎が垂れる。


「お前。えーっと……そうだ、カイン。お前、確かエルクの婚約者だったな。お前、エルクとどこまでやった」

「……何もしていない。手を繋いだだけだ」

「そぉーか!じゃあお前、エルクの事が好きか?」

「当たり前だ……!」

「うひゃひゃひゃひゃ!!そぉーかそぉーか!!政略結婚なのに好きな相手と結婚できるとは、幸せ一杯だなぁ!」


 侯爵は手を叩いて―――片手はエルクの口を塞ぐのに使っているので、自分の太ももを叩いて笑った。


「だがなあ。残念なことに、私は上級貴族。侯爵だ。この国ではなあ、権力を持つものは何をしてもいいことになってるんだよ。

 エルクは今この瞬間からお前の婚約者ではない。私の慰み者に永久就職だぁ!

 ぶひゃっひゃっひゃ!!嬉しいなあ、カイン!!」

「……なんで」


 ぶちゅ、と音を立てて、侯爵がエルクの頬にキスをした。その光景はまるで、エルクがオークにでも補食されているかのようだった。

 エルクが声にならない叫び声を上げ、目から涙を零した。


「カイン!元婚約者のカイン!!エルクの事が大好きで堪らないカイィィン!!!お前はそこで愛するエルクが慰み者にされるのを見ていろ!!それが一番興奮する!!決定!!!」

「なんでお前みたいな奴が……」


 塞がれた口で、エルクが何かを言っている。もごもごとしか聞き取れないけれど、何と言っているのかはわかる。

 何でかはわからないけれど、聞こえる。


『みないで』


「あ〜興奮してきたな〜カイィン、ちゃんと見てるんだぞ?お前みたいなガキのとは違う、でっかい私の」


「なんでお前みたいなやつが、そこに居るんだ!!」


 瞬間。

 侯爵の豚のように太い腕が、()()()()


「な……?これ、動かな……」

「エルクから手を離せ、この豚がっ!」


 僕が手を動かすと、侯爵の腕はエルクの口から離れ……

 そして、()()()()


「ぎゃあああああああっ!!!!」


 飛び散る肉片。吹き出る血液。

 それらが、真下に居たエルクに飛び散る。


 ああ、またエルクが汚された。

 こんなのじゃ足りない。こいつを―――


「なんの騒ぎだ!!」


 警備をしていたのであろう騎士たちの声がして、我に返る。やばい、これが見つかったら間違いなく処刑台送りだ。


 自分が何をやったのかは理解できていない。この力が何なのかも。けれど、騎士複数名に勝てる保証なんてない。僕は血にまみれ、気絶したエルクを抱き抱え、逃げる準備をする。

 そこで騎士が一人突入してきた。即座に彼は警笛を鳴らす。異常事態であることは王宮の誰もが理解しているだろう。


 どこへ……そうだ、ともかくクライヴのもとへ!

 そう思った瞬間。


 辺りの景色が変わった。

 警笛が鳴り響いている。まだ王宮の中だ。


「カイン!?エルク!何があった!」


 ふと傍らを見ると、クライヴがそこに居た。血に塗れたエルクと尋常ではない様相の俺を見て、クライヴは俺たちに駆け寄る。

 俺はクライヴと向かい合った。


「すまない、クライヴ。俺たちはここに居られなくなった」

「何が……状況を説明してくれ!」

「俺たちの夢、全部お前に託すことになってすまない。せめてお前だけでも、頼む」

「待って!何が……」

「ここに長居したらお前まで疑われるから。ごめん」


 俺は窓から部屋を飛び降りた。


「待ってくれ、カイン!!」


 クライヴの声が聞こえる。聞いた事のない、ねだる様な、わがままを言うような、そんな声。


 ごめん。


 心の中で謝ったけれど、きっと届いてはいない。

 そしてまた次の瞬間、俺は知らない景色の中に居た。


 警笛の音は聞こえない。少なくとも王宮からは離れた場所のようだ。

 身体が重い。けれど、今は逃げなければならない。

 ここはどこだ。

 腕の中のエルクを抱き直す。絶対に落とさないように、大切に、赤子を抱くように、後頭部を抑える。


『怖い、怖い、怖い、助けて!』

『やだ、やだやだやだ、カイン、見ないで』

『気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い』

『ごめんなさいカイン、ごめんなさい、ごめんなさい……』


 脳に直接流れ込んでくる映像。声。

 これは……エルクの記憶?

 腕の中でエルクはずっとうなされている。俺はエルクを抱きしめて、頭を撫でた。


「大丈夫。エルク、大丈夫だ。俺が、絶対、守る、から……」


 立ち上がれない。這って進むしかない。

 止まるわけにはいかない。

 せめて、エルクだけでも逃がさないと。

 ここで止まったら、エルクが……


 這う腕に力が入らなくなって、俺は意識を手放した。


―――――――――


 目が覚めると、暗闇の中だった。

 いや、うっすらと天井が見える。見覚えのない天井。


「ここ……は……」

「カイン!!」


 突然、抱きしめられる感触。力の入らない体が、腕が若干変な方に曲がる。


「いったたたた痛い痛い」

「カイン……よかった……」


 痛みで硬直していた首を下ろすと、そこに居たのはエルクだった。

 俺の胸に顔を埋めて、涙を浮かべている。

 瞬間、フラッシュバックする記憶。


「エルク!よかった、無事だったのか……」

「先生!カイン起きたよ!!」

「そうか、よかった」


 部屋の奥から女性の声がする。

 目をやると、暗闇の中に一人の女性が居た。

 見る限り歳の頃は二十五歳くらいだろうか。白衣に黒髪がよく映える。


 反射的にエルクを守るように抱き抱えるが、女性に敵意はなさそうだった。エルクも仲良さそうに気さくに話しかけている。


「でもな、エルク。今は深夜なんだ。嬉しいのは分かるが、もうちょっと堪えてくれ」

「あっ……ごめんなさい」


「それで、カイン君だっけ?おはよう。目覚めはどうだ?」

「え……っと、ちょっとぼーっとします」

「そっか。じゃ、はいこれ。牛乳。飲みな」

「え……」


「君、三日も寝てたんだよ。今は身体中の栄養が足りてないから。飲みなさい」

「あ、はい……」


 謎の圧力を感じて、牛乳を受け取って口に運ぶ。初対面の相手から貰った牛乳を飲むのには若干抵抗はあったが、飲んでみると普通に牛乳だった。


「素直でよろしい。経過良好……ふぁ〜あ」

「先生ごめんなさい、起こしちゃって」

「いーよいーよ、婚約者が目覚めたんだし、うるさくしないならいくらでも喜んでいーよ」


 女性は煙草に火をつけた。独特の香りが部屋に充満する。


「さて、じゃ、カインくん。自己紹介しようか。あたしはミカガミ・レイ。レイが名前ね」

「あ……カイン・パスファインドです」


「よーしよし。自己紹介は大事だからね。これであたしと君は知らない同士じゃなくなったねね。

 で、君な〜んか変なことが起きたみたいだねえ。血まみれの女の子と外傷ひとつ無い君がうちの前で抱き合いながら倒れてた時はびっくりしたよ。よかったね、たまたまあたしが医者で」

「助けてくれて、ありがとうございます」

「いやいや。懐から金は半分ばかり抜いてるし、ビジネスですよ」


 悪びれもせずに言う。この人、いい人なのか悪い人なのかわかんないな……


「まずは何があったのかから聞こうか。聞いてあげるから、話してみなさい」

「え……と」


 俺は今日―――三日前の出来事を洗いざらい話した。途中、女性に話すのも躊躇われる内容だったので濁そうとしたが、それも見透かされていたようで、全部話させられた。

 話を聞いている間、エルクは暗い顔で俯いて、俺の服の裾を掴んでいた。俺はエルクを抱き寄せ、話を続ける。話終わる頃には、ミカガミ先生は納得したような顔で頷いていた。


「まあ、まとめると君らは被害者ってことだね」

「そうだと……思います」

「まあ、君たちの状況は一旦いいや。それは置いといて……まずは君の身体の状態についての話をしよう。君、頭がぼーっとするって言ったよね?」

「はい」

「とりあえずこれ食べて」


 小さな包みを渡される。中には白い粉が入っていた。

 舐めると、甘い。


「これは……」

「ただの砂糖。脳は糖分で動くからね。朝になったらご飯出したげるから今はそれで我慢して。で、君の症状なんだけど……」

「はい……」

「なんだと思う?」


 ずっこけた。


「教えてくれないんですか?」

「うん。当たりはついてるけどね。当ててみて」

「ヒント下さい」

「ダメ。ほら、あたしが考えてることを当ててみなよ。あたしの脳内をのぞいねさ」


 エルクがあたふたし出した。とんでもない無理難題だ。無理もない。


『えぇ!?先生どうしちゃったの!?そんな意地悪せずに普通に教えてよ……』


「……え」

「お?」


 にやにやと笑う先生の顔が若干の驚きに染まる。

 今のって……


「さ、どうかな?」


 まさか……いや、そういえばあの時も……

 俺は先生に、先生の脳に意識を集中させる。


『超能力』


「超能……力?え、これ……文字?」

「おお、そこまで読めるんだ」


 よくわからないが、少し先生の予想を上回ったらしい。


「そう、超能力。でもその前に君に言ってなかったことを言っておこうか」

「言ってなかったこと……?」


「あたしの名前はミカガミ・レイ。こことは違う世界の、日本っていう国から来たんだ」

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