孤独な若草の離れ 壱
私は歩き出した類に付いていった。この屋敷は広すぎる。歌橋家とは大違いだ。更に私はかなり狭い離れで暮らしていたため、より広く感じる。大きな池の上に屋敷が建っていて、家のどこを歩いていても池に浮かべられた蓮の花の蕾と、池をのびのびと泳ぐ色とりどりの鯉の姿が見える。池の岸の辺りには水辺に生息する植物が植えられ、生け垣の外からは桜の枝が伸びている。
「池の上にお屋敷を建てるなんて、よく思い付かれましたね。わたくし、このお屋敷が気に入りました」
私が広い縁側で立ち止まってそう言うと、前を歩いていた類が歩みを止めて振り返った。
「嬉しい限りでございます。若奥様のそのようなお言葉を聞いて、若旦那様はさぞお喜びになるでしょう。さ、こちらが若奥様のお部屋でございます。ご夫婦の寝室は別にございますので、こちらの部屋は私室としてお使いくださいませ」
類が指した部屋を見ると、一部屋で私が暮らしていた離れの二倍はあろうかというくらいの広さの和室だった。数々の調度品が並べられ、木の香が清々しく、全て新品なのだということが分かった。私は一度も新品のものをもらったことがない。この部屋を見るだけで、嬉しくなった。私は類にお礼を言いつつ、ふと気になったことを尋ねた。
「類、あの建物は何でしょうか?渡し廊下が見えますが」
私は縁側から見える新しい私室二つ分ほどある建物について訊いた。あの建物だけ、この屋敷から少し離れた所に建っている。渡し廊下で繋がっているから、物置か何かだろうか。私が首を傾げていると、類は少し悲しそうな顔をしながら答えてくれた。
「あちらは、若旦那様がお住まいになっている離れでございます。朝夕、食事を扉の前にご用意して、しばらくしてから見に行くと空の食器が置いてあります。その他、若旦那様が必要だと思った物は若旦那様が紙に書いて離れの扉の前に置いてあります。使用人からは若旦那様の幼い頃の様子から取って若草と呼ばれております」
「若草……」
若草というと、明るく陽気で、利発な方だったのだろうか。でも、離れに籠ってしまうのも無理はない。若草という明るくて優しげな言葉から、大好きな使用人たちを傷付けたくなくて、自主的に籠ったのだろう。勝手に決めつけるのは良くないと思うけれど。
「何故、若旦那様……椿様は、若草にお籠りに?」
私が気遣いながらそう訊くと、類は首を振った。
「私どもが話して良いことではございませんゆえ。若旦那様から直接お聞きになってください。私が言えることは、先代の旦那様ご夫妻が事故でお亡くなりになってから、若旦那様は若草に閉じ籠るようになったということだけですわ」
「そう……あっ、そういえば、花嫁衣装はどこにあるのかしら。一度見てみたいわ」
私は無理矢理話を逸らした。類の辛そうに話す姿は、見ていられないほどだった。案の定、私が別の話題を出すと類は明るい表情になった。
「はい。ご案内致します。とても素敵に仕上がっておりますのよ」
嬉々として話す類の背を追いながら、私は顎に手を当てた。一筋縄では行かなそうだ。あやかし使いという条件に加え、心に何か持っている。そんな私の推測の答えが出たのは、翌日のことだった。




