表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/25

7.棺桶は宅配便で

 ――まぶしい……。


 棺桶の蓋が開けられるとゆっくりと覚醒感がやってくる。体中が痛いのは、脳味噌が痛がっているだけで、自分が痛いわけではない。


 相澤亜衣里は、吹き飛ばされてなくなったはずの右手を思い出すために、拳を握り込み、てのひらを開くことを数回繰り返した。手はある。間違いなくここに。無理矢理、脳味噌に思い出させてやる。動く以上はあるのだというシンプルなメッセージ。


 記憶も痛みも、全てニセモノだ。そのことを、脳味噌に思い出してもらわなければならない。今日は、ほぼ右半身三分の一くらいを失って、それでもかろうじて生きていたところに、至近距離から頭に被弾して墜ちた。頭のほうは痛くも痒くもないから、そっちのほうで多分即死したのだろう。意識が明確なときの傷、じわじわと苦しみぬいて死んだときが、起きたときに最低の最低なのだ。

 今日のような即死の直前に大怪我をした場合、強烈な痛みだの喪失感をある程度引きずってしまうが、それにしても死んだ自覚が脳味噌にないほうが、自分に帰りやすいことは確かだ。それに気が付いて以降、痛みが続く、ナマゴロシ状態が大嫌いになった。積極的に「弾除たまよけ」ポジションを買って出るようになって、幾星霜が過ぎた。

 頭の悪い男どもは、亜衣里の蛮勇を信じられないと笑うが、半分吹っ飛ばされて、生還してくる連中の方が、絶対脳味噌が傷ついてるはずだと確信がある。

 その証拠に、今日だって、即死前に吹っ飛ばされた右手の方が、有ることを思い出すのに苦労するではないか。


 棺桶を覗き込んできているミッション・サポーターの金城きんじょうのあきれ顔がぼんやりと見えた。これって、いつ見ても――ドラキュラが覚醒するところみたいで厭だよなァ――というのが、彼女のホンネである。



     * * *




 どちらかというと、棺桶からは、ナイス・ボディのイケメンの王子様のキスで、白雪姫モードが希望なのだ。小学校のときから群を抜いて体格に恵まれていた彼女は、学芸会でお姫様をやったことは一度もない。


 亜衣里とて、生まれた直後から象だった訳ではない。健康に恵まれたぷくぷくと可愛らしく太った幼女時代は、ママが絵本を読んでくれるのが大好きだった。当然のようにお話に出でくるキャラクターで自分をかぶらせるのはお姫様だった。そう、これでも、ずーっとちっちゃい頃から、お姫様にあこがれているのだ。

 けれど、心外なことに健康優良が行き過ぎて、幼稚園のころは既に同学年の一番大きな子より頭一つ大きかった。いわゆる相撲取りの小学校時代の集合写真のようなアレだ。

 小学校の修学旅行の集合写真では、隣に立っていた担任の女教師よりでかかった。


 そのころのママは「女の子は成長が早いから、そのうちみんなに追いつかれて同じぐらいになるわよ」と、言っていた。それを無邪気に信じていたけれど、その期待はずーっと裏切られ続けた。高校で百八十五を越えた辺りで成長はようやく鈍くなってくれたが、やや遅きに失した感は否めない。


 高校時代に所属していた演劇部では、足りない男手を補うための男役がいつもだった。お姫様だっこされるどころの話ではない。軟弱な男より亜衣里に抱かれたいという我が儘な友人の願いをかなえて、カーテンコールのときには、彼女をお姫様抱っこしてやった記憶まである。

 あの年頃の女の子には、ナマモノの男はちょっと濃すぎるのか、女子校でもなかったのに、ファンクラブまで作られてしまったのは、残念すぎる青春だった。

 大道具の男の子に、高い場所に据えつけるモノを押さえる係として指名されつづけ、女の子らしさを宣伝するために身長を聞かれたときには五センチ以上さばを読んで、百八十三センチと答えることにしているが、まあ、みんな百八十超過という情報までで亜衣里の大きさに納得してしまうのか、その端数のこだわりにだれも気付いてくれない。


 自分で言うのもなんだけれど、運動神経も抜群だった。軟弱な文化部に所属していながら、運動会で走っては、陸上の短距離のランナーを蹴散らして悔しがらせ、球技大会ではバスケ部の女子でできるやつはだれもいなかったダンクシュートを叩き込んで格の違いを見せつけた。もちろんバレーボールなど、甘いブロックの上からスパイクを叩き込むなど、さして難しいことではなかった。


 けれどよく言ったものだ。三つ子の魂百まで。笑われるのが厭さに、小さな声ですら言ったことはないが、お姫様になりたいという要求は、現実に遠ければ遠いゆえにか、とてつもなく強くなっている。亜衣里は思う。なんてことだろう……と。


 忘れもしない高校のとき。乙女ゴコロをいつもやさしくくすぐってくれた、あこがれの先輩が、亜衣里にもいた。どうせお姫様役がまわってくるはずもないのに、彼女が演劇部なんかに入った理由の大きな一つが、その先輩の存在だった。彼は、演劇部の部長だった。

 彼が卒業していくとき、思い切って告白した。


 彼は、亜衣里を見上げながら、こう返した。


「友達としても、男役の後輩としても、亜衣里のことは好きだ。……けど、お姫様だっこができるサイズの女の子じゃないと、だめなんだ」


 亜衣里は悔しくて、一晩中枕を濡らして泣きつづけ、乙女ゴコロに決心したのだ。自分は絶対に、自分をお姫様だっこしてバージンロードを歩くような男を捕まえてみせると。

 非力自慢をするようなタラな男は絶滅してしまえ……。だがしかし、世の中、タラばかりだった。亜衣里を抱き上げようなんていう、酔狂に挑戦しようとする男がまずいない。

 そこで、運動神経のみに優れていて、脳みそには若干の不自由がある者の多くが行くからというほどの理由で進学先に選んだ大学を追い出される年頃、つまり就職適齢期に差しかかったとき、亜衣里は、体育会系の男がわんさか生息していそうなところにしようと、至極単純に考えた。警察とかガードマン系と、自衛隊系しか思いつかなかったのは、ファンタジー読みの彼女の偏った読書遍歴の帰結だったといって過言でない。


 自衛隊と警察を天秤にかけて警察を選んだのは、土砂崩れ災害が多い亜衣里の故郷では、自衛官は正義の闘うヒーローというより、発災時の頼もしい助っ人というイメージが一番濃かったからだ。北海道の友達も言っていた。「自衛隊って雪祭のためにいるんじゃないの?」と。どうせなら悪漢を蹴散らす様な種類の男がいいではないか。


 しかし亜衣里は知らなかった。警察というところは、結局男尊女卑の考えがいつまでもベースにある男職場であって、亜衣里のような、叩き出す成果が男に有無をいわさぬレベルの女には、とことん冷たい職場であることを。

 婦人警官仲間には、いつものように亜衣里のシンパともいうべきファンクラブを結成され、男からはさっさと嫁にいかせたいが、あれを片づけるのは至難の技だと、そこまで厭味を露骨に言われる。おとり捜査でも、そこまでデカイと犯人を警戒させてしまうからとバックアップに回された。

 ただ、押し出しがよく、頭もそこそこ切れ、身体操作能力が抜群の女であることで、推薦されたのが、国賓のファーストレディの身辺警護など、女でありつつ、ゴリラであることを要求されるポジション――セキュリティ・ポリス――だった。いつの間にか押しやられてしまっていた、というのが亜衣里自身の感想ではある。

 機動隊出身者が多い特殊急襲部隊(SAT)の中でも、SP出の亜衣里の経歴は、異色といえるものだった。SP時代の亜衣里は、少数精鋭の貴重な女性戦力として、先着警護部隊(SAP)ではなく、ばりばりの近接保護部隊だった。

 

 もちろん、SPに選出されるということは、柔道は三段以上、射撃上級以上は最低レベルである。基本真面目な彼女は、要警護者と普通に意思疎通ができるようにと、激務にあったにも関わらず、英語、フランス語、スペイン語、アラビア語、中国語の日常会話をマスターしている。

 SPというのには、不文律だが容姿端麗であることも確かに条件の一つとされている。そういうわけで、亜衣里の同僚には、マッチョなイケメンは掃いて捨てるほどいた。ただし、その中の一人として、自分を恋愛対象とみなしてくれなかったというのが亜衣里の感覚だ。

 どうやら男というものには、プライドとやらいうものがあるに違いない。格闘訓練でも滅多な覚悟では制することができず、射撃の腕もオリンピック級、頭も多少自信がある。そういう自分のような女は、彼らはそもそも恋愛の対象外としているに違いない、と、亜衣里は思っていた。事実、激務である彼らは現実に配偶者選びをする年頃になると、官舎で夫の帰りをじっと待つようなタイプの人を伴侶に選んでいた。

 激務は激務だったが、労働者の権利が過剰に保障されている現代において、二十四時間仕事に拘束されるわけではない。恋人もいず、結婚も遠い。就職してからの仕事の関係で、大学までの友人たちとは距離があいてしまった。亜衣里は、持て余した暇を勉強につぎ込んだ。二種司法試験は、その趣味の生涯学習の一環として取ったものだった。


 ステキな王子様に愛を告白される夢をずーっと持っているにもかかわらず、ステキでない野郎すら、彼氏として持っていたことがない。人生イコール彼氏居ない歴鋭意更新中であった。


 亜衣里は、鏡の中の自分を見る。別に特別に人間の範疇からはみ出した造作とも思えない。デカイだけだ。それでも人間の範疇におさまっている中途半端なデカさ。人生は不公平だと、ボヤきの一つもため息と共に吐き出したくなる。


 そんな亜衣里が上司の残留依願を蹴ってSATに志願したのは、男漁りが目的ではない。SPというものは警護対象が男性ばかりとは限らないから、男性に比べれば少ないが、女性の数もそれなりにいる。身長百八十前後で、格闘技の達人であり、銃火器の扱いに長け、法律や政治、国際情勢について存分に語れる、能力的に対等な友人というものを、彼女はSPになって初めて得た。

 その一番の親友だった八木透子やぎとうこが、三年前、自爆テロを阻止しようとして爆死した。そのとき、彼女は心からテロリストというものを根絶したいと思った。


――要人というものは、本当に社会を守ってくれるのだろうか? 


 そんな疑問に捕らわれたら、SPなんてやってられるものではない。SPは自分から攻撃することはしない。悪さをしているやつを叩きのめすこともしない。飽くまでも要人の命を守るためにしか働けない。そんな立場に我慢ができなくなった。透子の仇討ちをしたかった。

 我慢ができなければ、我慢しないというのが亜衣里の基本的性格で、だから彼女はSAT勤務を勝ち取るべく、猛然と上に働きかけた。飽くまでも彼女は行動する人なのだった。




     * * *




金城きんじょうさん、人質は?」

 棺桶の中で目覚めさお姫様が、瞬き数回と芋虫のようなもぞもぞ動きをちょっとはさんだだけで、そう口にした。こんなふうに、言葉がすんなり出て来るということは、相澤の脳味噌が生きていることをちゃんと把握しているということだ。並の隊員なら、死んだ直後にこうはいかない。金城は苦笑する。


「あいあいがルート確保してくれたから、何とかね……大丈夫? 気分は?」

 金城の役所やくどころであるSSS、SATサポート・スタッフというのは、SAT自体の効果的な運用を目的とするだけでなく、隊員の受傷事故防止にも厳しく目配りをするのというものだ。シンクロライドしてのこととはいえ、よく死ぬことで有名なあいあいは、金城にとって常に監視の対象だ。

 ちなみに「あいあい」というのは、今の部署で新規採用された愛称ではない。アイザワでアイリであいあい。その単純な響きの言葉は、子供の頃からずっと亜衣里のものだった。

 「アイアイ」という童謡がある。サルのアイアイを歌ったもので、幼いころ彼女は自分のことのようで、その歌が大好きだった。

 ある日、アイアイを図鑑で見て、ショックを受けた。みごとなぐらい可愛くなかったのだ。お目目が丸くて、尻尾がながいのは歌の通りだったけれど、そういえば「可愛い」などと、あの歌にはひと言も入っていなかった。


 あいあいというのは、自分に合っている渾名あだなだと亜衣里は思う。齧歯類げっしるいだと思えば可愛いけれど、サルだと思うとびっくりするような外見。あいあいも闘う人間だと分類すればみられるはずだが、可愛い女の子になろうとすれば、周りをビックリさせる。

 ちなみに、SATの忘年会で、「この際だからはじけて、好きな格好をしてこい」といわれたとき、ハイヒールを履いて、パニエを仕込んだ膨らませたスカートをはいて、ひらひらのビスクドールの格好をしていった。一人ぐらい「可愛い」と言ってくれることを密かに期待して。けれど、「おしゃれ」と分かってくれた男は一人もいなかった。それどころか「仮装にしても、頑張ったなぁ」と言われてしまった。

 酔っぱらった勢いで涙がとまらなくなった亜衣里をなぐさめたのもまた、金城だった。それ以前から、彼女は金城に頭があがらなかったのだけれど、あれ以来、彼女の前では素直に心を吐露できる気がしている。泣いているところを優しい胸で抱かれた記憶はやっぱり照れ臭いけれど、とても気持ち良い記憶だ。この際、男は諦めて、レズビアンに転向してみようかと、酔った頭で真面目に考えたぐらいだ。


 金城は、数少ないSATの女性隊員のOBだ。SSSの金城は、今もまだ少ない女性隊員の精神支柱として、指令車にいてくれるだけで有り難い存在だ。


 多分データ上は彼女より名簿が前にくる人間もいるのだろうけれど、今までのところ「あいうえお順」の名簿では、常にトップにいつづけた。

 人間好むと好まざるとに関わらず、そこにいるとクソ度胸がつく。だいたい、自己紹介にしろ、当番にしろ、指名にしろ、真っ先に回って来ることが多い。じっくり考える暇などあればこそだ。

「全く。透子ちゃんの仇討ちにしたって、死にすぎだよ。あいあいは」

 金城がため息混じりに言う。あいあいはSATを志願した理由を、胸に秘めてなんかいないからみんな知っているのだが、別に透子の仇打ち目当てに死んでいるわけではない。けれどそう誤解してくれているなら、敢えて死んだ後が楽な場所を狙っているだけとは、言わない方がいいというぐらいのズルさも亜衣里にはあった。


 中途半端な笑顔を見せて、亜衣里は身体を起こした。やっぱり脳味噌は吹き飛ばされた直前を記憶しているらしく、ちょっと有ることが把握できずに立ちくらみがしそうだった。

「あわてて起きなさんな。あいあいが倒れても、だれも運べないし」

「金城さんまで、ひどいなぁ」

 金城が失言だったとでもいうふうに、ちろっと舌先を唇から覗かせた。

「ごめーん、悪い、悪い」

 金城は思う。もしかしたらあいあいは酔っぱらっていて言ったことすら忘れているかもしれないが、「お姫様だっこしてバージンロードを歩けるような男じゃないと、我慢できないんですっ」という理想の男性像を叫んでいた。恋なんて、そういうものとは関係ないところにあるものなのに……。

 自分だって、切れ者でスマートな男と結婚する予定が、ハゲかけたメタボ体型のおっさんと結婚したのだ。別に打算の産物でそうしたのではなく、ほれちゃったのだから仕方ない。本当に恋愛感情というものは全く不条理で、理想などとは全く関係ないところに、ある日突然に転がっていることに気付く。そんなもんだ。


 SPだったことでも証明されているように、あいあいは目鼻だちも整っているし、頭もいいし、ちょっとぶっ飛んだところもあるけれど、十分に可愛い女の子だ。問題はその大きさと戦闘能力だ。あれであと五センチも低くて、もうちょっとどんくさかったら、彼女に猛攻する男に事欠かないだろう。実際、鈍いあいあいは気付いてないが、女神様を拝むような熱い視線を彼女に向けている若い隊員は少なくない。

 ただ、飲み会で「お姫様抱っこして歩けなきゃ我慢できない」などという恐ろしい課題を公然と与えられては、特攻をかける気が萎えても仕方ないだろう。

 男どもが素直な恋心を告白できないのと一緒で、あいあいは、普通サイズの男をそれだけで恋愛対象から除外してかかっているから、問題はシンプルになる。度胸も根性も中途半端な男にとって、亜衣里は遠くにありて拝むもの。

 一緒に生きていくには価値観を共有できることが大事なのだ。彼氏がほしいとすぐぼやく癖に、原因が自分のデカさ以外のところにあることなど、気づいてなさそうだ。


 あいあいの下らない夢を粉砕するぐらいの出逢いが、あいあいの未来にあってほしいと、金城はそう思うのだが、如何せん、二月ふたつきとあけずに死ぬような激務を嬉々としてこなしているあいあいに、普通の男は堪えられるのだろうかという疑問もある。だれだって、自分の奥さんには、命をかけた仕事なんてして欲しくないはずだ。


「あら……あいあい、オマル呼出しだって……」

 司令室の壁面モニターと同じ画面が、女性隊員の出撃待機基地でもあるSSSの金城のオフィスにも映し出されている。

「……へ?」

 総合司法局呼出しというのはただごとではない。壁の端末の色が黄色に点滅することなど、年に数えるほどだ。

 あいあいは慌てて服を着始めた。シンクロイド・システムの受信器は、着ているものを忠実に形だけ再現してくれるが、飽くまでも見掛けに限定される。機能の再現性はないために、突撃服を着て出るときに、脱ぐ手間をかけるのは阿呆らしい。当然、下着姿になる。そんな必要性から女性の棺桶は、普通に女性専用の部屋に置かれている。シンクロライドしてから、初めて突入服を着用する。


――総合司法局、人口密度稀少域特例総合司法官情報管理課の雑賀さいがだ。相澤亜衣里さんでいいかね?


 慌てて服を着込んで受信モードにすると、亜衣里の目の前のモニターには、白髪まじりの眉毛を裏切って、つやつやと異常に黒い頭髪が違和感たっぷりの男がいた。そいつは前置きもなくしゃべりだした。


「はい。相澤は自分です」

 つい敬礼をしながらしゃべってしまう。習い性と言われればそれまでだ。


――まず、確認しておきたいが、特殊技能保持のための後継者育成に掛かる特別定年延長措置法令のリストに名前があるが、それは確かに相澤さん本人の意志によるものということで間違いないかね。


「さ、三分の一特例~? あいあい、あなた、どういうことよ」

 初耳だった金城の声が裏返った。


「あ……、忘れてた」

 亜衣里も、すっかりその存在を忘れていた。


――……。


 画面の向こうにいる、黒髪ふさふさ男の眉間がひくついた。彼女がそれに応募したのは、頑張って勉強した第二種司法試験に受かった直後のことで、合格後にもらったパンフレットの中に、人口密度稀少域特例総合司法官という、聞いたこともない職種の案内があったのだ。絶対数が少ない。応募が掛かる機会も少ない。何をやってんだか分からない。けれど、宇宙の果てで仕事をするという、余りにもズバ抜けた非日常に、なんとなく心が惹かれた。警察官という日常と、宇宙開拓の最前線という日常が、二種司法試験に受かったことで、突如として垣間見得た。

 だれだって、もし宇宙飛行士になれるとしたら、なりますか?、ときかれたら「ハイ」と答えると思う。

 けれど、じゃあ明日から宇宙に行ってくださいというようなとんでもない方法でオファーが入ってくるというのは想像もしていなかったことだ。

 あいあいの呪い。日本にいる限り名簿の常にトップにいることの呪いが、このたびも堂々と発動したということすら、彼女には分かっていない。


「あ……の。宇宙に……行け……るんですか? 私」

 亜衣里自身が、我ながら素っ頓狂だと思えるような声が、頭のてっぺんから出た。


――まあ、三分の一が発動することが少ないですからね。えっと、まあ拒否権はありますけど、一応概要を読ませていただきます。

 この度、貴殿は総合司法局管轄下にある、人口密度稀少域特例総合司法官として職業訓練を受ける対象として選ばれました。まず、応募してから一年以上を経過しているもの……相澤さんのようにですね……については、無条件で拒否する権利があります。一年に満たないものについては、環境が変わるなど特別な理由の申し出があり、そこに妥当性があれば違約金は発生しませんが、理由に正当性がない場合は、一万円の違約金の支払いをお願いします。……あの、相澤さんの場合、費用なしで拒否することができますが、とりあえず参加の意志はありますか?


 亜衣里は呆然としていた。宇宙に……それもフロンティアに行く? 自分が?


「ちょっと待ってください、雑賀さんでしたかしら? 横から失礼します。SSSの金城きんじょうです。三分の一は、残る三分の二は現職に従事することが条件でしたよね。どうやってフロンティアで仕事をしながら、現職もやっていけるのですか?」


 亜衣里もそれが気になる。黒髪の雑賀が微笑んだ。


――普通の方には、このシステムの説明をして納得いただけるのにも時間が掛かるのですが、あなた方にでしたら「シンクロライドしていただきますから」だけで、十分でしょう?


「あっ!」

 亜衣里はとたんに胸が高鳴った。シンクロライドは日常茶飯事でやっている。毎度はシンクロイドに乗ったら突撃服をきて、対重火器装備を身につけて出動だが、今度は、何千光年(多分)離れた遠い宇宙の職場にご出勤なのだ。

 くらくらくるぐらい、すごいことじゃないか。しかも三分の一でいいなら、残りの三分の二は、今の仕事を続けられる。

 だいたい、宇宙が合わなかったら、確か違約金かなんかを払えばいつでも辞退できるのではなかっただろうか。


「いっ、いきます、一番、アイザワ、いきまーーーーっす。宇宙飛行士になりたかったんです、私っ」

 何を隠そう相澤亜衣里の本棚には、王子様が出て来るファンタジーと負けないぐらいの量のSFがあるのだ。


「あいあいっ、マジ?」

 金城がビックリして亜衣里を見る。

「だって、宇宙開拓最前線ですよっ。フロンティア。観光でだったらアバタロイド・ドライブでだって月収の五倍は取られます」

 妙なところで、細かい数字を把握しているなあと思いつつ、オマルの雑賀は続けた。


――受諾の意志があるようですので、続きを読ませてもらいます。

 契約期間は一期を五年として、二期まで検討が可能です。ただし、二期終了の五年後に三十五歳を超過するものに関しては、二期目はなく、後継者として現地に赴任することになるか、現職へ戻るかを選択していただくことになります。……相澤さんは二十八歳でいらっしゃいますから、五年のみ三分の一特例として総合司法官見習いとして働いていただくことになります。御質問は?


「ありませんっ」

「ちょっとあいあい、ちゃんと聞いた方がいいわよ」

「だって、金城さん、たった三分の一ですよ」


 金城と亜衣里の会話が聞こえないのか、敢えて無視しているのか雑賀が続けた。


――特例措置により、現職での身分は貴殿が希望する限りにおいて保証されます。……これはご存じのようですね。説明が少なくて助かります。……ただし、事故・病気以外の理由で契約期間中に職務を放棄した場合、規定により科料かりょうの対象となります。


「最初の一日目で合わないと思った場合も科料の対象ですか?」


 亜衣里が質問した。


――いえ、行ってみれば徒弟制度みたいなものですからね、個人と合わないという場合は基本的に無理がありますから、一か月のお試し期間があります。相澤さんにも拒否権がありますが、当然、現職司法官の方にも、相澤さんを不採用とする権限があります。一か月といっても、三分の一なので実質十日です。司法官に会っていただいて、司法官の仕事を手伝っていただきながら、決めていただければいいです。

 もちろん、その十日で拒否する場合と不採用の場合、これは違約金は一切いただきません。相澤さんは現在の職場に在籍して現職を続けながら、毎月十日を目安に、シンクロイドしていただきます。が、これもご存じでしょうが、身体的な問題から一日の限度は八時間です。まあ、何か重大事件が発生して向こうで手が離せないときも、連続しての搭乗ライドは原則禁止、二日を限度とします。また、現職の仕事の関係において十日以上を三分の一プログラムに参加できない場合、十日までを限度として翌月に持ち越すことも可能です。……御質問は?


 十日、フロンティアにいく。しかも一日八時間。総合司法官がどんな人かは知らないけれど、こんな美味しい話は滅多にない。

 五年間、毎月十日を宇宙で過ごして、残りはここでの日常に帰れる。金城さんとしゃべったり、現場に出動したりするのも自由で、五年後に断るなら違約金も発生しない。取りあえず行ってみて、受け入れ先の担当官が気に入らなかったら即バックも可能。こんなに美味しい話が世の中にあっていいのだろうか。


「是非、是非参加します。よろしくお願いいたします」

 亜衣里がしたのが、お辞儀ではなく敬礼だったので、雑賀も見事になれた敬礼をかえしてきた。総合司法局の人間はあまり敬礼はなれていないと思うのだが。雑賀は警察畑の出身なのかもしれない。


――ご快諾ありがとうございます。三日以内にシンクロイド走査器スキャナをご自宅に宅配便で送らせてもらいます。設置、設定は、専門技術官がいたしますので、開封などしないでください。


「宅配便?」


 宅配便が宇宙へつながる棺桶を運んで来る。まるでSFそのものだ。不覚にも亜衣里はちょっと感動してしまった。

 亜衣里の傍らでは、金城がまるで西洋人のように大袈裟な、オーノーポーズを取っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ