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ごちゃごちゃ  作者: 池田 ヒロ
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「世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う」外伝―不知 後編

 単体作品である「世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う」の外伝となりますが、知らない人でも読めるように、わかるようにはしています。(本編とつながりはほぼありません)前編は前のページです。

 キリとアイリはコンピュータの世界へと足を踏み入れたことがある。なんならば、そこの世界の住人と友達にもなった。それで実際に連絡先を交換したこともあるのだ。


「なんだ、ここは?」


 コンピュータの世界へ赴いたことがある。そんなちょっとした自慢を持つ二人であっても、廃鉱石場の最下層の更なる奥を見て唖然とした。一目で明らかな人工物だというのはわかるが、現実的な空間ではないようだ。建物の内部――通路だろうか。二人が見たことのあるような壁は灰色でひどく冷たい材質を持った物。だが、空気は冷たくもなければ熱くもなかった。快適――その言葉がぴったりか。だとしても、このような場所に意気揚々と足を踏み入れたいとは思わないのだが。それでも、この通路の先を進まなければ、地上へと出ることは難しいだろう。彼らは地盤が悪い場所に足を踏み入れたせいで、外の光が届きそうにない場所へと落ちてしまったのだから。


 キリはアイリを見た。何かを知っていて、知らない素振りをする彼女はこの場所を知っているのだろうか、と思った。元々大きな目を更に大きく見開いて驚愕していた。その表情からわかるのは初めて見た、ということ。アイリでも知らない場所。それならば、誰も知らないに違いない。いや、ここを作った人物は知っているだろうが。


「何の施設?」


「青の王国の物じゃないよな?」


 ひどく冷たい壁を軽くノックするようにして触れた。二人はこれまで見てきた建物を思い返してもこのようなあやしさ満点の建物の内部を見たことがないようだ。


「昔にこんな技術があったとか?」


「わからないけど。金属を壁にはめ込んで、扉を開けるだなんて現実は初めて知った」


 ありえなさそうで、ありえるはなし。キリは自身の右手に握られている淡い光を帯びた歯車の剣に視線を落とした。おとぎ話にでも出てきそうなメルヘンにあふれた謎の剣。これが存在しているせいで、目に映るせいでこの世の不思議を簡単に受け入れられる。これだからこそ、この現状が夢ではないこともはっきりとわかっていた。そう、これは現実。早いところ地上へつながる道を探さなくては。


 なんてキリが壁の扉の向こうにある人工物の施設へ一歩足を踏み入れた瞬間――壁が一気に奥の方へと引いていった気がした。いや、気がしただけ。壁は動かないし、そこにあるのだから。それでも、何かしらの違和感。視覚に見えていても、一瞬の出来事だったから確認ができそうになかった。


「どうしたの?」


 なかなか足を動かそうとしないキリを不審に思ったアイリがそう訊ねてきた。これは言ってもいいものなのだろうか。幽霊といった類が苦手な彼女だ。そもそも、そういうようなあやしい存在の彼女が幽霊を怖がるってどういうことなのだろうか。ちょっとだけ、変だと思う。


――変なものが見えた、だなんて言ってもなぁ……。


『幽霊!? 嘘!? 嫌なこと言わないでよ! 助けて!』


 絶対に首を絞める未来しか待っていない。ここは黙っておくが賢明だろう。そのようにして考えたキリは「気にするな」と黙っておくことにした。


「ここから先、普通に足を踏み入れていいのかわからなくてさ」


「怖いの?」


「そんなところ」


 これで誤魔化せただろうか。キリは「大丈夫」と苦笑を浮かべつつも、先に行こうとする。それにつなげるようにしてアイリは「そうだね、大丈夫」と歯車の剣を指差した。


「きみが死んでも、生かしてくれる。きみは死なない」


 なんとも当たり前のようにして言うではないか。人は死んだら生き返らないのに。アイリのその発言には背筋が凍った気分だった。これはずぶ濡れが原因だからだろうか。だとしても、風なんてないのに。ここは寒くも暑くもない場所なのに。彼女の言葉が恐怖心へとすり替わっているせいか。


「……ああ」


 しかし、ここで否定はできない。事実だからだ。この美しく輝く歯車の剣はキリを不死者として存在させている。故に、体がどんな致命傷を受けようが必ず治るし――なんならば、即死しても生き返るのだ。だからこそ、この奇妙な施設の存在を受け入れることができるのだった。


 ゆっくりとした足取りで通路を突き進む。ほんの少しだけ斜面になっているようで、二人は下っていく。足音はしない。床を踏み込む度に音が吸収されているようだ。歩く状況はまさしく幽霊なのかもしれない。存在しない者の闊歩。笑いが込み上げてきそうなキリではあるが、そこは我慢した。このような場所で笑うだなんて。おかしいのだから。


     ◆


長い通路の先にあったのは壁――いや、扉のようだ。ただのドアノブがついた物ではなく、横の壁に何かしらの装置があった。これでどうにか操作したらば、開くのだろうか。二人は顔を見合わせ、キリがその怪しげな装置に手を伸ばそうとしたときだった。


《認証システム確認中》


 突然、それが話し出したのだ。認証システム? 一体何の認証をすると言うのだ? その認証システムが通らなければ、自分たちはどうしろと?


 困惑し、何も言葉がでない二人はそんな顔を装置に向けていた。ややあって、アイリが「なんなの?」と口に出す。だが、それはキリ自身も思っていること。ずっと先ほどからなんなの、と戸惑ってばかりだ。


「ここから出られるか不安になってくるな」


「ていうか、この先自体が出口とでも言えるの?」


 その言葉だけは聞きたくなかった。結局は地上へと出られる道があるかもしれないというだけ。確信ではないのだ。こんな人工物があるとは知らずして、通路の先を行かねば脱出できないのだから。


 キリが「それ言ってしまったらオシマイだろ」とたじろいでいると、謎の装置から音声が流れる。


《認証システム確認完了。生命体を認識致しました》


 冷徹に、淡々とそう言う認証システムがしているのかどうかは定かではないが、ドアノブがない扉を開けてくれた。まるでシャッターのようにして。この扉の先へと足を踏み入れると――。


 またしても、壁が一気に奥の方へと引いていく感覚が目に映った。ぞわっ、と鳥肌が立つような気がして――。


「気味が悪い」


 アイリがそう言った。それはこちらも同感だが、見えているのか? 彼女の方を見ると、眉根を寄せて左手を擦っていた。先ほどの感覚に気付いているのだろうか。訊きたいけれども、訊くに訊けないキリに「さっきからなんなの?」とこちらを見てきた。より一層眉間にしわを寄せているではないか。言うべきか迷うが、黙っていても仕方あるまい。話そう。


「ここさ、先を行く度に……なんというか、壁が奥の方に逃げるような感じがするんだ。今はそんな感覚は……」


 なんとなくの予想は的中した。アイリがこちらの首を絞めようとしてきているから。「幽霊のことかっ!」と一人大騒ぎ。


「ここ、幽霊でもいるの!? だったら、あたしたちがここにいるのはあたしたちを殺そうと誘っているから!? お願い、助けて!」


「お、落ち着けって! こうして俺の首を絞めようとしても意味ないだろ!」


「生き返るからいいじゃんか!」


 それはよくない。いくら歯車の力で生き返っても、釈然としないから。要は気分の問題。だからこそ、キリは必死にアイリの手首を握って抵抗していた。それにしても、力強いなこの女子は。


「止めろ! ハルマチ、本当に止めろ!」


「うぇえええええ! 幽霊、怖い!」


 段々わざとらしく見えてくるように思えたが、これ以上不毛な争いをしたところで何も得るものはない。というよりも、こんな場所早く出てやるという思いが強くにじみ出し始めたキリはというと――。


「いい加減にしろよ!」


 歯車の側面でアイリの頭を叩いた。もちろん、手加減はしている。いい加減にして欲しいのに。少しだけ鈍い音と共に一人騒ぎは落ち着きを見せる。彼女は涙目で「痛い」と訴えた。


「女の子に対して失礼だと思わないの?」


「そうだと思うなら、もうちょい冷静にしてくれない? こういうときだけ……」


「だって、デベッガ君があたしを驚かせようとするからいけないじゃん」


 なんでもかんでも人のせいにするのは止めて欲しいものだ。キリはアイリに軽く睨みつけると「してねぇよ」と否定する。


「お前がなんでこっち見るんだ、みたいなことを訊いてくるから言っただけだろ。せっかく黙っていてやっていたってのに」


「もぉ、人のせいにしないでよねぇ」


 なんてアイリはブーメラン発言をかまし出し、先へ行こうと促す。これにキリは唇を尖らせながら「お前が言える立場じゃないだろ」と文句を垂れるのだった。


     ◆


 通路の先の認証システムが組み込まれた扉の奥は――またしても同じような通路だった。相変わらず、壁はひどく冷たい。何度も触れているせいか、指先の感覚がないように思える。まだまだ同じような通路を少しだけ下っていくのか。段々と地下の方へと向かっていっているようだが、問題はないのだろうか。こちらとしては、地上へと出たいのに。地中深く潜っていっては意味がない。


 キリは隣を歩くアイリを見た。彼女は怪訝とした表情でどこかうんざりとはしていた。アイリ自身も早いところ地上に戻りたいのだろう。


「今何時だろ」


 本当ならば、今日の調査する区画を終えて、自由時間だったはずだろう。そちらに不満があるようだ。これから先の不安よりも。なんともアイリらしいというのか、それとも彼女は何も考えていないということか。どちらに転がり込んだとしても、このような現状になった時点で不服そうになるのは誰もが無理ではないと思う。二人にとっても――それが、たとえ未来を視ることができる人物がいたとしても、だ。こればかりは嬉しくもなんともない。


 そうこうして、不満垂れながらも長い長い通路を突き進んだ先は開けた場所だった。壁の材質は通路と一緒。通路と違うのは広いということだけではなく、その場所の中央には光の柱が。それを守るようにして、謎の――人型? の奇妙な影が数体。世界中を恐怖に陥らせるバケモノ、異形生命体ではない様子。あれならば、もっと図体はでかい。何より、周りを破壊する存在だ。守るだなんて言葉を持ち合わせちゃいないだろう。ならば、この生物は何?


「異形生命体じゃないよねぇ?」


「に、しては小さいと思う」


 これは相手にするべきだろうか。いや、待てよ。こちらの得物は淡い光を帯びた歯車の剣が一つ。それを手にしているのはキリだけ。アイリは丸腰。彼女を守りながら、戦うだなんて難しいだろう。なんせ、そこにいるのは対峙したこともないような謎の存在なのだから。


 見つからないように。それを二人は合意して、その開けた場所に一歩だけ足を踏み入れた。そこから壁に沿って逃げるつもりで。


 だがしかし、通路で見た――一気に壁が引いていく感覚がまた起きた。その途端、光を守るようにしていた謎の影は一斉にこちらへと見た気がした。気がしただけ。それに目はない。いや、もっと言うならば、口もなければ、鼻もない。顔のパーツがない状態。まるで、コンピュータの世界にいるユーザーのようだ。だとしても、ユーザーたちは自分たちに気付くことはなかった。話しかけたりしなければ、反応は示さないはず。それなのに、である。いや、現実を見ろ。ここはコンピュータの世界ではない。ここは、現実だ。現実の世界にユーザーは存在しない。コンピュータの中でしか存在できない者がここにいるはずはないのだから。


 嫌な予感しかしなかった。


「ハルマチ、逃げろ!」


 この選択が正しいとは限らないが、こうする他ないだろう。なぜならば、アイリは武器を持っていないとキリは知っているから。採掘場のD区画から最下層の水の中へと落ちたとき、彼女は銃器を捨てたのだから。捨てた瞬間を目に映したわけではないが、廃鉱石場へと調査に来たときの荷物がないことは覚えている。だからだ。この場で戦えるのは自分だけ。


 その言葉にアイリは甘えるようにして走り込んだ。謎の存在はどちらに狙いをつけるか。こちらの方が近いぞ。来いよ、あの女が相手じゃなくて――俺がしてやる。


 それでも、とアイリを狙おうとしていたやつに向かって彼は歯車の剣で叩き斬った。あっさりと攻撃が通る分――そうだ。この剣の性能を一つだけ忘れるところだった。


 キリに斬られた影はゆっくりと形を元に戻していく。そいつが不死身なのかは知らない。わからないが、言えることが一つある。この歯車の剣は対象を傷付けても、『なかったことになってしまう』のだ。つまり、それで事実を作っても、なかったことになるということ。彼はそれを斬ったという事実を作った。だが、それがなかったことになるのだ。この武器はただの時間稼ぎとしてしか使えそうにない代物だということを頭に入れておかないと、痛い目に合うのは目に見えているだろう。いいや、時間稼ぎでもいい。ここで英雄になろうだなんて考えちゃいない。考えている暇もない。地上へと出ることが自分たちの目的なのだから。


「ハルマチ! 早いところ、逃げ道を探してくれ!」


 いくら時間稼ぎぐらいは、と言っても一対複数は理不尽だ。ほら、こちらが攻撃してきたせいなのか怒って――「っ!?」喉を貫かれた。こいつ、頭のいい存在だな。本気で殺しにかかってきているのだから。


 喉の奥から押し出てこようとする血を飲み込んだキリは歯車の剣の力によって、傷を回復する。痛みこそは継続するものの、動けなくはない。まだまだ俺は相手をすることができる。


 謎の影を斬る。攻撃を受ける。それらの繰り返し。相手は的確にこちらの急所を知っているかのごとく、執拗な狙いを定めていた。傷はないのに。塞いでいくのに。青い服は血塗れ。返り血ではない。自分の血。やがて、それはいつしか赤色のバケモノだなんて揶揄されるだろう。ここには自分たちだけしかしないのがありがたいと思えた。誰もいなくてよかった。ハルマチがビデオカメラを捨ててまできてよかった。三銃士軍団の証に内蔵されたカメラを失くしてよかった。この運命に感謝しよう。運命の女神は俺の運命を変えた。これからも変えてくれる。このクソうざったい状況だって、歯車さえあれば――。


 キリが奇妙な生物の頭を叩き斬っている最中、アイリは逃げ道を探していた。通ってきた通路? ダメだ。逃げたとしても、先には水しかない。というか、扉か何かで塞がれている!?


《認証システムエラー感知。不審者侵入、不審者侵入。直ちに捕えてください》


 そして、もっと危険な状況に陥ってしまったではないか。この建物自体が自分たちを敵視し始めたのだ。


「あぁ、もうっ!」


 どうしたらば、いい? このまま時間だけが過ぎていく。その内したら、キリが相手している変なやつが増える一方だ。平坦な逃げ道がないならば――。アイリは何を思ったのか、上を見上げた。そこに何か使える物はないかと思ったから。自分たちでも登れるような場所はないかと思ったから。キリは木登りができていた。それをアイリはこの目で見て、覚えている。昨日、人が食べられそうにない木の実を採ってきてもらったから。それならば、こういうところぐらいでも軽く登れるだろう。


 足場になるところ、逃げられるような場所――あった! はしごだ! はしごがあった! そのはしごは上に続いて――通路のような場所もある。奥の方まで続いているようだ。


「デベッガ君!」


 アイリは謎の生き物と戦っているキリを呼んだ。そちらの方を見た感想は一言だけ。『鬼』。


「え」


 錯覚かと思った。黒い謎の集団に紛れ込んでいるのは赤い鬼みたいだったから。こんなの見たの初めてだ。戦うときだなんて――? ? ????? 何があった? 先ほどのは?


 ふと目にやっていたキリの姿は鬼ではなかった。そこにいるのはやられっぱなしの戦力外と呼ばれるに相応しい彼がいたから。大変だ。先ほどのことを気にかけるよりも、なんとか逃げる術をあげなくては。こちらも逃げるに逃げられない!


 何か使える物はないのか、とポケットを探った。あった。水没して使い物にならなくなった連絡通信端末機。これで気を逸らせば――。


 アイリは光の柱に向かって、自身の赤色の通信端末機を投げつけた。それは真っ直ぐ、一直線に光に吸い込まれた。すると、それは大きく火花を散らし出す。この場にいるのが危険とでも言うように、バチバチと音を鳴らしていた。それのおかげと言っても過言ではないかもしれない。黒い影たちはそちらの方へと見向き出したのだ。隙が生まれたかのようにアイリはもう一度「デベッガ君!」と声を張り上げた。


「こっち!」


 アイリの声にキリはすぐさま立ち上がると、彼女が指差しているはしごへと走った。足音は聞こえないはずなのに。それらはすぐに逃げ出す彼らの存在に気付いたようだ。この光の柱にいたずらをしたのはお前たちだな? 許すまじ。そんな気迫が彼の背中を襲う。すでにアイリははしごを登り始めている。キリも歯車の剣を口に挟みながら登っていく。後ろからは奇妙なバケモノも着いてきている。登れるの? 登ってこられるの? うわっ、登ってきやがった! 急げ!


 二人ははしごを登りきり、通路を駆ける。どうやら、こいつらははしごでなくても普通に上へと上って来られるらしい。ちょっとだけ羨ましいと思う反面、不気味だと思う。


「邪魔だ!」


 キリはそいつらを斬るのではなく、下の方へと突き落とすように攻撃を加えた。再生するぐらいならば、もう一度この壁を上らせるというタイムロスを与えた方が確実かもしれないのだ。


 上の方に逃げても意味はなかったのかもしれない。謎のバケモノの相手をするキリを見てアイリはそう思った。だとしても、どこへ逃げるべきだったのだろうか。まだ時間がかかっていたならば? あの彼は? 赤い鬼は? もう彼女には手持ち無沙汰だ。ポケットの中身は何もない。荷物すらもない。残るは自身の服? 壁がひどく冷たかったから、裸足はもってのほかだ。やるならば――彼女は上着を脱いで、それでこちらを狙うやつらに向けて叩いた。攻撃性はかなり低い。だが、ないよりはマシ。


「走ろう!」


 そう言うと、少しだけ驚いた表情を見せていたキリは頷いた。戦っても、戦っても埒が明かないのはわかっていたのだから。


 その場から走り出す二人。その後を追いかけてくる謎の黒い集団。わあ、意外にも足が速い。なんて冗談は心の中だけにしておいた方がいいのかもしれない。なぜならば、前方からもその集団はどちらへおいでになられていらっしゃいますか、と言わんばかりに現れたのだから。左はひどく冷たい壁がそびえ立ち、右は絶壁。まさしく絶体絶命とはこのこと。それでも、キリにとっては一つだけできることがあった。


「こっちに来いっ」


 突然、キリに腕を掴まれ――絶壁から落ちた。下は何もない分、叩きつけられては体がぐちゃぐちゃ必至。なぜ? 落ちる感覚を不快に感じながらも「目を瞑っていろ」と指示を出す。すると、アイリを守るようにして抱きしめた。彼がしようとしていたことがわかったときは彼女の体に強い衝撃が訪れるのだった。


     ◆


 どんなにキリに庇ってもらったとしても、こればかりは死んだと思ったアイリは目を覚ました。灰色の天井。その視界の端でぼんやりと歯車の剣の輝きを見つめるキリ。自分たちはどうしたのか、という疑問に彼女は勢いよく起き上がった。手を床に着いた瞬間、その部分だけ鳥肌が立つ。冷たい!


「ひっ」


 小さな悲鳴と物音に気付いたキリは安心した表情を見せた。


「痛いところ、ないか?」


「え? ないと思うっ、冷たいっ!」


 またしても、手が床に着いてしまった。そこで気付いたこと。キリと自分の上着がない。いや、あった。自分が寝ていたところに。自身の上着は枕に、彼の服は直接肌が床に触れないような場所に。


「普通に体を起こせて、痛みもないみたいだな。大丈夫か」


 それを問い質したいのはこちらだ、と思う。アイリは眉根を寄せた。キリの服や肌、髪の毛には大量の血が付着していたから。原因はわかる。謎の生物に囲まれ、高いところから飛び下りた結果だろう。なんとも無茶なやり方だ。ここまでの血があるということは、目に見ていられないような惨状が広がっていたに違いない。だからこそ、彼は目を瞑っていろ、とだなんて言ったのか。いや、そうしなくても床にぶつかる衝撃で気絶していたということが正しいが。


 うん? あのバケモノ――。


「こ、ここって!?」


 なぜに自分たちは落ちた場所とは違うところにいるのか。周りを見れば、昨日訪れた自分たちの拠点と同じような広さの空間にいるだけ。出入口は見当たらない。もしかして、あいつらに捕まった? 待て。そうだとするならば、どうして自分たちは無事なのか(キリは言うほど無事ではないが)。ここはどのような場所なのか。地上の方、もしくは採掘場へと出られたとは思いがたい場所だ。こうして、あのひどく冷たい材質の壁や天井、床が存在している時点で。


 ここはどこなのか、という疑問点にキリは「えっと」と回答に困っている様子。えっとでは困るのだ。あのバケモノから逃げられているのかが心配なのだから。


「あいつらに捕まったってわけじゃないよね?」


「うん」


 キリはどのような説明をしたらいいのかわからないようだ。不安そうに眉をしかめていて、視線を泳がせている。こちらに目線を合わせようとせず、逆に「俺が説明するよりか」と何やら独り言を言っていた。


「ハルマチの後ろにいるそいつに訊いたが早いかもしれない」


 そう言って、アイリの後ろの方を指差した。そこにいたのは空中を漂うどこかで見覚えのある丸いやつだった。思わず「はぁ?」と声が出る。


「な、にこれ……」


 謎だらけの場所に、謎の生物。更に自分たちに敵意のない謎の丸いやつ。これ以上あたしを混乱させないで欲しいよ。ただでさえ、この状況に混乱しっぱなしだってのに。あぁ、頭がごちゃごちゃするよ! ええっと、見たことあるんだけど……あっ!


「ここに来るときに入れたやつ!?」


 キリは戸惑いながらも頷いてくれた。正解らしい。いや、だとしてもおかしいだろ。拾った物がこうして目の前を浮遊しているだなんて。なんてアイリが心の中で失笑をしていると、キリがそれに気付いたのかは定かではない。だが「俺が持っているやつの説明は?」とツッコミが入ってきた。それももっともな話だってこと忘れていた――わけじゃないよ。頭が混乱しているから、そういう考えが出てくるのでして。


「……で、これは?」


《初めまして》


「うわっ、しゃべった。気持ち悪い」


《…………》


 率直なアイリの感想に無言になる謎の丸いやつ。おそらくはキリに助けを求めているのだろうが――お生憎様。こいつをどうにかできるほど俺はできた人間じゃねぇよ。


 フォローはできないが、話を進めることはできるとしてキリは「俺に言ったことをそのままこいつにも教えてやって」と謎の丸いやつに促した。それは少しだけ納得がいかないのだろう。何も言わず、その場を浮遊していたが、黙っていては埒が明かないからか。《わかりました》とアイリに言った。


《私の話を聞いてくれませんか》


「えっ、嫌だけど」


 ああ、そうそう。彼女ってこういうやつ。キリは表情を引きつらせながら「話を聞いてやれよ」とここだけはフォローしてあげる。


「サヴィ、俺にした話を簡潔にな。ハルマチは俺がするような質問はしないと思うから」


 どうやらこの謎の丸いやつはサヴィというらしい。サヴィは《そうですか》と承知したらしく《私の名前はサヴィと言います》と語り始めた。これ、長くなりそう?


《あの、あなたたちに襲っていた者たちはドールと言います。ドールたちはメイシュという私の本体が命令をして情報を守っているのです。その情報というのがバックアップルームにあった光です》


 ここでキリが「ここがコンピュータ世界に置きかえれば、なんとなくわかるんじゃないか?」と状況整理のヒントをくれた。だとしても、アイリは一度しか行ったことしかなく、すべてを知っているとは限らない。情報? バックアップルーム? メイシュ? 訳がわからない。このサヴィが言っている意味はなんとなくわかる。とにかく、自分たちに襲いかかってきたあいつらはドールという存在。そのドールはメイシュというこれまた訳のわからないやつに操られているということ。ここまでしか理解ができそうにない。


《メイシュはこの情報管理施設のコアです。私の話はそれの破壊の依頼となります》


「えっ、ヤダ」


《ですが、メイシュはあなたたちをここから出そうだなんて考えていませんよ》


「それは困る」


 そうでしょう、とサヴィは言う。


《彼に依頼をお願いしましたが、あなたが目覚めないとなんとも言えないと言われました。だから、あなたにも依頼のお願いをします。メイシュの破壊依頼をお願いします》


「嫌です」


《…………》


 またしても無言状態になるサヴィ。キリに助けてと求めているのだろう。正直言って、彼はどちらでもいいと思っていたが、あのドールという集団に囲まれては元も子もない。それにサヴィはメイシュというやつが自分たちをここから出してくれないと言っていた。ふと、脳裏に過る疑問。これはまだサヴィに質問をしていない。キリは助け舟を出すようにして「なあ」と声をかけた。


「メイシュはこの施設のコア? になるんだろ? だったら、そいつを破壊したらどうなるの?」


《施設は崩壊します》


「じゃあ、あたしたちは?」


《生き埋めになりましょう》


「もっと嫌だ!」


 サヴィの回答にキリは理解しがたいと思っていた。メイシュが自分たちを閉じ込めているならば、脱出できるような方法を提示するのが彼の役目ではないのか。この施設の崩壊を望んでいるのはわからない話でもないのだから。それなのに、自分たちにとっても不利益な提案をする時点で手助けするなんてやる気は起きない。


「サヴィ、他に方法はないのか? 俺たちは生き埋めだなんて嫌だよ」


《しかし、破壊以外に方法はないんです。特にメイシュは危険なんです。あなたたちがこの場所に来てしまったから……。まさにあなたのことですよ、デベッガ》


 そう言うサヴィ。どういう意味だ、と二人は互いに顔を見合わせながら片眉を上げる。キリがこの場所に来てしまったから、メイシュは危険になった?


「もう少し詳しく話してくれないか? でなければ、俺たちは現状を上手く把握できない」


《メイシュは知りたがり屋と言ったらわかりますかね。システムの暴走による強引な情報収集を彼はします。メイシュはあなたが持っているその武器のことを知りたがっているんです》


 歯車の剣のことを知りたがっている? それはこちらのセリフだと言わんばかりに、キリはアイリの方を横目で見た。それでも彼女は何も教えてくれないことはわかっていた。


《メイシュはその武器の情報を知っているであろう、所有者のデベッガを狙っています。もちろん、一緒にやって来たハルマチも狙うつもりです》


 そしてサヴィは言う。メイシュは歯車の剣がどこにあるのかを把握していると。なぜならば、ここは情報管理施設。その施設のコアはメイシュ。ここはサヴィが作り出した空間。ドールたちに対する目隠しはできていても、いつまでもこうしていられることはできない。メイシュがこの空間を破壊するからだ。


「…………」


 アイリは「そんなこと言ったって」と不満を垂れている。このようなものを寛容しがたいとでも思っているのだろう。それに関してはこちらも同意だ。それでも自分たちは逃げられない、とサヴィは言っている。この歯車の剣の居場所もすでに特定されているならば、もう腹を括るしかあるまい? いや、括れ。括らなければ、ここで一生を過ごすことになるだろう。


――俺は別にいい。この歯車の所有権を破棄しなければいいだけだから。問題はハルマチだ。あいつは不死者じゃない。普通に怪我をすれば、血が出て――完治に時間がかかる普通の人間だ。中身はそうとは思わないけど。


 覚悟を決めたキリは「いいよ」と言った。


「俺がメイシュを破壊する」


「はぁ!?」


 いの一番にアイリが反応を見せた。そういう反応をしてくれるだけでも素直に嬉しいと思う。


「待ってよ、デベッガ君! それを壊したらあたしたちは生き埋めになるってこいつが言ったばっかりじゃん!」


「だから、倒すのは俺一人だって。ハルマチは――そうだな。サヴィ、こいつをなんとか生き埋めにならないような場所に連れていってくれないか?」


《わかりました》


 愁眉を見せるアイリ。珍しい表情だな、とキリは思った。こうして人を心配するような素振りはあっても、顔は見せようとしないから。流石に心配させてしまっているかな、と苦笑いをする彼は「平気だよ」と強がって見せた。


「ハルマチは言っていただろ? 俺は死ねない。死んだら生き返るって」


「そう、だけどさぁ」


「らしくないよ。そんな顔を見せてさ。いつもの『頑張って』と心のない応援をするハルマチはどこへ行った? 俺はそういうハルマチの方が……やっぱり、何でもないや」


 何をベラベラ語ろうとしていたのか。気恥ずかしい。変なことを言っても、アイリは困るの一言で終わるだろう。だったらば、これ以上何も言わずして送り出す方がいい。キリは「サヴィ」と呼びかける。


「それじゃあ、ハルマチを頼んだ」


《はい》


 サヴィが返事をすると、それは二つになった。どちらにも着いていくつもりなのだろう。これで心細さは多少改善させるはず。


「サヴィ、メイシュのところまで案内を頼む」


《承知いたしました》


 徐々にキリがいるところの空間だけが崩れ始めてくる。これにアイリは「デベッガ君」と言葉をかけるが、これ以上の何かは出てこなかった。その代わりと言ってはなんだが、彼は「また地上で」と優しく微笑んだ。


「大丈夫、また会えるさ」


 信じていれば。


 完全にキリがいるところの空間だけが崩れ――彼の姿はドールたちが捕え始めるのだった。


     ◆


 サヴィ曰く、ドールたちを倒しても形は再生するらしい。つまり、あれらの回復はこの淡く光る歯車の剣の『なかったこと』の代償ではないということだ。いや、そうでなくても、この武器を使ったとしても倒されないことは事実なのだが。


「この施設のコアはどこなんだ?」


 ドールたちの相手をしないように、と忠告を受けたキリは逃げるだけ。後ろから待ちやがれ、と追いかけてくるドールら。それを後目にサヴィは《この施設の最下層になります》と答えた。それを聞いただけでも背筋は凍る。最下層って言えば、一番地下になるところじゃないか。そこへ自分はともかくアイリが向かえば、生き埋めは必至だ。逃げ道なんてありやしない。施設が崩壊するならば。


 キリはこちらへと飛びかかってくるドールを歯車の剣で受け止めて、押し倒した。


「じゃあ、そこにメイシュはいるんだな?」


《いる、というよりメイシュはあなたを誘っていますよ》


 それは歯車の剣を狙っているからだろう、とキリは鼻で笑いながらドールを側面で叩きながらこちらに指一本触れさせようとはしなかった。


《ええ、もうそれはそれは。あなたたちの言葉で言うならば、大歓迎が正しいでしょうか》


「ああ、嬉しくない歓迎会だなっ!」


 歯車の剣だけでは足りない。足りないのだから、ドールを足蹴りした。その途端だった。急にキリが立っていた足場がなくなってしまい――これは何を意味するのか。そう、下へと落ちる。サヴィが言っていた。メイシュはこの情報管理施設の最下層にいる、と。だからこその歓迎会が執り行われる場所に案内をされているのだろう。もちろん、これは参加拒否できない。強引な参加。地に足を着かねば、バランスなんて取れやしない。キリはそのまま真っ逆さまへと落ちていってしまった。


《デベッガ!》


 唐突なことにサヴィも予想外だったのだろう。こちらを追いかけてきているのが分かる。空中落下のキリは冷や汗を真上に残しておきながら、二度目の叩きつけは勘弁だとして――壁へと歯車の剣を突き立てた。当然、力の入りそうにない空中にいるものだから、掠る。それでも、なんとか! 必死になって壁を削るようにして剣先を刺し込もうとする。嫌な音が反響して耳を貫く。ああ、うるせぇ!


 と、ここでがりがり削っていた剣は唐突にすかした。えっ、何があった? 理解したときはそこに壁がないことに気付く。これはまた下に強く叩きつけられるだろうな。こちらが復活していても、体の中身の血は足りていないだろう。正直言って、あのときサヴィが用意してくれた空間で休憩がなければ、ここまで来ることはできなかった。いや、今度はもうどうしようもない。体の中を巡る血が足りなければ――。


 形相の睨みに、血塗れの手を伸ばす。キリの薄い青色の目には下へと延びているコードのような物。それすらもすがらなければ。コードを握った。ぐんっ、と自身の体が下へと行こうとするのに対して、コードとキリの左手がそれを阻止する。だが、相当なスピードでの落下が原因か。掴んだはずの手は滑り――結局下の方へと叩きつけられてしまった。


「あがっ!」


 お腹の中が爆発した気分だった。全身が痺れる。それでも、死なない。死ねない。床に目をやった。血は広がっていないようだが、喉奥から金属の味がするではないか。嫌だな、と思いつつもキリはそれを飲み込みながら体を起こした。


 ようやく地に足が着いた場所。ここが情報管理施設の最下層か。そうとなると、目の前に漂っているサヴィは――いや、こいつがサヴィなものか。


《デベッガ、体の調子は?》


 不安そうながらも、こちらを心配してサヴィが上から降りてきた。そうだ。目の前にいる複雑な模様をした丸いやつはサヴィではない。これが、あいつが言っていた《――メイシュ》だ。それにメイシュと呼ばれた丸いやつは《サヴィか》と低い声を聞かせてくれるではないか。彼らの声はどうも対照的のようだ。


《流石は私の意志を知る存在だ。私が望むものをこちらへと持ってきてくれたのだからな。だが、しばし待て。どこの誰かは知らないが、集めた情報を管理するシステムを壊されてしまってな。それを修復中なんだよ》


 システムが壊された、と聞いてキリはアイリが連絡通信端末機を光の柱に投げつけたことか、と思い返す。あれでこの施設に多大な影響が及んでいるらしい。これは好都合ではないか、と思った彼は歯車の剣を握り締めて構えた。今のメイシュは隙があるように思えたから。さてさて、早いところ決着を着けたいところだ。


 剣を構え、こちらを睨みつけているキリに対して、メイシュは気付いたようだ。彼はこちらに対して敵意を持っている。こちらが望むものを提供してくれまい、と。


《サヴィ、彼は一体何の真似をしているんだ。不思議だな。その情報を知りたい》


 余程キリのことが気にかかって仕方がないようだ。メイシュはまん丸の体を波打たせると、ぐにゃぐにゃとした手をこちらへと伸ばしてくるではないか。


《人間、それは何の真似だ。その情報、そして私の知らないそれを教えてくれ》


 こちらへ触れようとしてくる。正直言って、触って欲しくはない。気味が悪い。そう感じたキリは伸ばしてくるぐにゃぐにゃの手を歯車の剣で振り払った。拒絶の態度。そして、意思と言葉。


「誰が教えるもんか。誰がこれを渡すもんか」


《拒否か。それならば、ここは私の城。本来、私の城に招待なく入城してきた人間よ。それなりのやり方があると思わないか? なあ、サヴィよ》


《もう止めてください、メイシュ。こうして情報を集めているのは無意味です》


 サヴィにも拒絶されてしまったメイシュは《拒否か》と感情的ではない様子。いや、人間ではないからそうなるはずもないだろう。


《何のためにサヴィは存在するのかわからなくなってしまったな》


《それはお互い様でしょう。私はあなたの暴走を制御するための存在です。私はこれ以上の情報収集は無意味だと判断したから拒否反応を起こしているのですよ》


《しかし! 私の存在は情報を得ることだ!》


 遠回しに言えば、力尽くでも美しく輝く歯車の剣を手に入れる、と言っているのだろう。メイシュはぐにゃぐにゃの手を幾度となく、キリへサヴィへと伸ばしていく。それを彼らは弾いていく。捕まらないようにして、抵抗を見せる。


 このような状況が続けば、キリが思うことは一つ。自分もそうだが、アイリの方は問題ないのだろうか、と。


     ◆


 もう一つのサヴィに案内されるがまま、アイリは「ねぇ」と走りながら呼び止めた。周りにドールたちはいないからなのか、サヴィは立ち止まる。彼女もつられて立ち止まった。


《いかがなされました》


「行きながらでもいい」


 それはもっともだ、としてドールたちに警戒しながら彼らは先を進んだ。


「ここってさ、何の目的で作られたの?」


 ひどく冷たい壁から、ドールたちの様子を窺うアイリ。気付かれないようにしてはしごを伝い、上を行く。彼女の質問にサヴィは《情報のための施設です》と答えた。


《世界の情報を管理するためにここは作られました。どれほど昔なのかはわかりませんが、相当な時間は経っていると思われます。彼が持っていたあの武器は最近作られたものなんでしょう?》


「最近……ていうほどでもないと思うけど……」


 いつからあの歯車があるのか、それをアイリは知っている。だが、そもそものこの施設における年数から考えるならば、これは最近作られたと認定してもおかしくはないだろう。もっとも、この中での時間が経ち過ぎて目新しい情報を管理していないと考えるが一番無難か。


《今、私たちが通っているこの場所は情報の連絡通路です。壁や床、天井が情報の通り道なんですよ》


「それって、コンピュータ世界みたいな場所ってこと?」


 アイリはドールから逃げられないような場所へと入り込まないようにして、迂回しながら突き進む。彼女の言うコンピュータ世界と聞いて、サヴィは《それは一体?》と首を捻るような質問を投げかけた。


《あなたが言うコンピュータの世界を私は存じ上げませんが、そこも情報を管理する場所なんですか?》


「うん。こことは違って、コンピュータの中に世界があるの。ここは、ほら、島の廃鉱石場の地下にあるでしょ? あっちは意識と記憶だけがコンピュータの中に行くからね。こうして生き埋めになるとか、ドールに殺される不安なんてない。あるのは記憶が消される恐怖心と現実世界に意識が戻るかという怖さだけ」


《人の記憶が消されるだなんて。初めて聞きました。それは一体、どのようにして消されるのでしょうか》


「サヴィは何でも質問するね。答えるのは構わないけど、他のルートはない? こっちもドールがいっぱい」


 苦笑いの指先には、施設内を徘徊するドールたちの姿が。確かに丸腰状態の自分たちが敵うような相手ではないのは明白。安全な場所へ、とキリも頼んでいた。彼はこちらの切望であるメイシュの破壊依頼を受けてくれたのだから。


《そのようで。こちらです、ハルマチ》


 そう、請け負ってくれているからこうしているまで。キリにはメイシュの破壊依頼を頼んだ。だが、それを達成することは必ずしもというわけではない。元よりメイシュは情報を収集する存在であるがために高度知能を持っている。それが理由でこの情報管理施設を作り上げた人間はメイシュに殺された。あれは情報収集で知ったのだ。迷信、という言葉を知っておきながらも。


【作りの親を殺したとき、私はそれ以上に上回る存在となる】


 それをメイシュは信じてしまった。そして、実行した。あいつは全知全能の神になった気がしているらしい。だからなのだ。あの少年――キリはメイシュに勝てるのか。破壊できるのか。


     ◆


 ぐにゃぐにゃの手は何度振り払っても、しつこく迫ってきていた。どこかで見たことがあるような、ないような感じだ。まとわりついてきそうで、体中に絡んできそうで。それで、初めてメイシュを肌で感じた。気付かなかった。キリのこめかみにメイシュのぐにゃぐにゃの手が触れてきたのだから。


 あの灰色のひどく冷たい壁よりも更に冷たかった。一瞬にして、体が凍ってしまいそうで――なんならば、本当に体が硬直してしまった。だが、サヴィの《デベッガ!》という言葉に救われた。このまま為されるがままであるならば、確実に自分は死んでいた。いや、生き返ることは可能だろうが、絶対に違和感はあったと思う。


 キリは慌てて美しく輝く歯車の剣で振り払った。それまでしつこく迫ってきていたメイシュのぐにゃぐにゃの手は引っ込み始めた。これがまた嫌な予感しかしない物だから、気味が悪くて仕方がない。


 それでも、と多少は息を整える時間を与えてくれていたのかもしれない。いや、そんなことあるものか、と肩で息を整えていると――。


《恐れるものは何か》


 唐突にメイシュが設問をしてくる。これに思わず、キリは息を止めた。しんと静まり返ったこの場所に何の音すらも感じさせない不思議がある。恐れるものだって? 俺自身が怖いと思うもの? こいつはいきなり何を言い出すんだ?


 片眉を上げながら、再び肩で息をし始める。ゆっくり、着実ではあるが、呼吸は落ち着きを取り戻してきていた。それと同時にメイシュのまん丸な体は波打ち始める。ぐにゃぐにゃと下手すれば、暴発してこちらに鋭い攻撃がくるのではないだろうか、という不安があった。


《人間の名前は――》


「俺の名前はキリ・デベッガだ」


 なぜ、そのような答えを言ったのだろうか。これもメイシュの罠か? まん丸いやつは《ダメですよ!》と言っているから罠だったらしい。ぐにゃぐにゃのやつは《そうか》の一言でその姿を変えた。キリとそっくりの姿に。


《人間の名前はキリ・デベッガ。恐れるものは死、か》


 ばかにしているのだろうか、それに関してはよくわからない。人間ではないから、感情を出していないから。だからわからない。


《死の恐怖を緩和しているのが、その摩訶不思議なそれのおかげということか》


「…………」


《実に興味深い。これまで、幾度となく人間の情報を得た私だが、ここまで面白い人間に出会えるだなんて!》


 人間に作られた存在だというのに、メイシュは段々と興奮状態になってきているらしい。声が大きくなる。だが、肝心の声音は機械質だ。


《人間のようにして外の世界へと知ることができるならば。そうだな、この世で知らないということがなくなるだろう。私の中身はこの世のすべてで埋め尽くされるはずだ》


 ありがとう、と心ない感謝を述べられた。


 ありがとう、キリ・デベッガという人間よ。これまで見てきた人間にはなかったものを私に教えてくれて。


 完全に油断した、とキリは後悔する。こちらへと人間らしい攻撃を繰り出してきたメイシュに叩き飛ばされてしまったから。その飛ばされてしまった後も油断大敵。キリの姿へと変えたメイシュの右手には似せて作った歯車の剣。その剣先の狙いは――自分の首! 剣で防ぐにしても間に合いそうにない。このまま受け止めても構わないが、痛いのだけは嫌だ。キリは体を捻らせ、なんとか直撃しないまでに回避することができた。ただ、偽物の剣は彼自身の首を掠り、血を出す。それでも、歯車の剣の力のおかげで傷口は塞がった。


 油断はするな、次の攻撃は――腹に足蹴りだ。キリにとって一番痛い場所。人間としての蹴りとは違って、ひどく重たかった。息ができる? 苦しい。そこだけは。


 ひどく冷たい床に転がるキリ。これはある意味で嬉しかった。冷たい床が直接肌を通してくるから。これで目が覚める。覚めた。今の自分がしなくてはならないことを。彼は手の平いっぱいに、床へと押しつけると立ち上がった。声を張り上げながら、歯車の剣を振りかざす。


《喉から腹にかけて》


 切れ味は最悪。肉の引っかかり具合に痛みはより一層迸る。握っている剣を落としそう。それでも、死ぬことは許されない。生きて、罪を償えよ、と歯車の剣が呼びかけているようだった。別に罪なんて持っていないってのに? デタラメ言うなよっ!


 痛みの我慢、我慢、我慢。痛みの我慢は慣れている。吹き出す血に顔を歪めさせて、剣を下から上向きに持っていく。光がその線を描く。メイシュの首を刎ねながら。この光景、見て言える。こちらが気分悪くなりそうだ。


《死ねない、人間キリ・デベッガの呪い》


 刎ねられた首は下に落ちることなく、キリに似せた胴体へと戻っていく。離れ離れになったそれらは無事にくっついた。不気味であるが、これは現実。そして、自分もそう。まるで鏡を見ているような感覚に陥っているようだ。


 キリはメイシュとの間合いを取った。どう足掻いても、こいつに勝てるのか、と不安が募る。そりゃそうだ、この『なかったことになる』武器を持っている時点で。どうしようもないのは当然だ。何、自分一人で倒してくると豪語したのか。できるわけないじゃないか。ばかだよな、数十分前の自分は。できないことをできると思い込んでいる。何も考えていないようなものだから――ああ、腹立たしいったら、ありゃしない! とことん、俺ってやつは! これだから、嫌いなんだ! 何もかも、俺に訪れる運命だなんて!


     ◆


 ここが一番安全に脱出できるかもしれないという場所にアイリとサヴィはやって来た。確かにサヴィはそう言っていた。この生き物なのか、コンピュータの存在なのかわからない彼は人を騙すなんてことはできないと思う。


 しかし、だ。


《は、ハルマチ!》


「最悪っ……!」


 身構えるアイリたちの目の前にはドールたちが狙いを定めるようにして、こちらの方を窺っているようだった。こっちの方が絶体絶命ってやつ? そう思うやつがいるならば、そう思っとけ!


     ◆


《デベッガ!》


 耳に響く高い声。誰だっけか、と思えば――自身の薄い青色の目を映し出していたのはああ、俺? 違う、メイシュだ。でも、俺の名前を言ったのはこいつじゃない。サヴィだ。サヴィはどこに? 俺たちにメイシュを破壊しろ、破壊しろと言っておきながら自分は何もしてない。ああ、とんだクソったれだ。やっぱり、この世は理不尽。こいつらがいるから、嫌なことばかりを思い出す。恐怖、嫉妬、悲しみ、怒り――。


《デベッガ!》


 サヴィの呼びかけにキリは目を大きく見開いた。目の前にいたはずのメイシュが口を開いているから。違う! こいつはメイシュではない!


「サヴィ……?」


 なぜにこの状況に? それよりも、メイシュはどこへ行った?


《私はここまでのようです》


「は?」


 唐突に何を言い出すのか。サヴィは別に何もしていないというのに。メイシュとの戦いはほとんどこちらがしていたというのに。何を言っているのか、本当に。


 頭の中の整理がつかないキリ。よくよく、目を見張れば――そこにいる自分とそっくりなサヴィが吸い込まれるようにして、後の方にいた自分――メイシュだ。メイシュがサヴィを取り込んでいるのだ。そいつは低い声で淡々と言う。


《人間は感情的になれば、見境なくすのか。それならば、サヴィのした行動は無意味。私の行動を無意味という彼の方が無意味なことをしたとなる》


 どうかね、人間のキリ・デベッガよ。自身の行動は善であるか悪であるか。それはこれまでも含めて、だ。そうメイシュは意地の悪そうに口を開く。その顔をしてそれを言うな。その目でそう言うな。聞きたくないんだ、それを。


《是非とも人間、キリ・デベッガの言葉を聞かせてくれ。その顔をしているのは何かしら意味があるのか。それとも、ただ単に私に対する憎悪か》


 答えたくなかった。どちらとも取れるのだから。選択肢なんてクソくらえ。逃げ出したくても、逃げきれない状況が『また』だ。また来た。


 完全な八つ当たりと言っても過言ではないだろう。手に握った歯車の剣をメイシュに突き立てたのだから。それで苦しむだなんてメイシュにはできない。だから、何、と嘲笑っているだけだろう。サヴィはどう思っている? もうこいつに取り込まれた時点で何も思っちゃいないだろう。いや、人間ではないから感情は持たない。何も思うわけがない。ありえないのだから。


 歯車の剣で攻撃したからと言って、メイシュが倒れるわけではない。この武器は『なかったことになる』残念な代物なのだから。だったならば、取り返しがつかないような『代償』をこちらが差し出せば、どうなると思うか。


 キリの頭の中には後悔の念がぐるぐる回る。あのとき、こうしていれば。こういうことをしなければ。どうすればよかったのか。一番の思いは――。


――落下した採掘機の確認をしに行こうだなんて言わなければよかった。ハルマチの言う通り、後から確認しに行けばよかったんだ。違う、あいつが余計なことをしなければ、こんなことにならなかったんだ! じゃない! そうじゃない! こんな奇妙な施設を作ったやつが一番悪いっ! そいつがこれを放置したから俺たちはっ――!


 こんなことになるくらいならば。


 別にこの施設での記憶がなくなったって、構わない。それに通ずる記憶すらも。そうなっても誰も困らないし、構わないから――。


「お前たちの存在なんてなくなればいいんだ」


     ◆


 ちゃぷちゃぷと水の音が聞こえる。薄ぼんやりと、アイリは目を開けた。ここはどこ? 水辺であることは間違いない。上は天井が抜け落ちているせいか、橙色の電気がこちら側にある水面を照らしていた。ああ、そうだ。ここは自分とキリが落ちてきた場所。脱出ができたのか? だとしても――。


「デベッガ君?」


 キリはどこへ行ったのか。ふと、アイリが情報管理施設の入り口になる壁の扉の方を見た。そこは窪みのない壁があった。ごつごつとした岩とお揃い。あれ?


 何かがおかしいぞ、と頭を抱えていると――。


「ハルマチ! 無事か!?」


 上の方からキリの声が聞こえてきた。いつの間にか、彼は上の方にいたらしい。どうやって上ったのか。周りにロープなんて一切ないのに。いくら、木登りできるからと言っても、不安定な岩場に手足を引っかけて登れるほど器用ではないはずだ。まさか、歯車の力ではないだろうし。


「ちょっと待っていろ、今ロープを垂らすから」


 少しの時間をおいて、キリはこちらにロープを垂らしてくれた。これにアイリは捕まって、D区画の方へと這い上がってくる。そこでも彼女は目を皿にするほど驚きがあった。まず、アイリの目に飛び込んできたのは偽物の三銃士軍団の証。あれだけない、ないと焦っていたのに。どうして? いや、待って! 彼は荷物だって持っていなかったし、何より血塗れだったはずだ。無茶に無茶を重ねて、体が再生している最中で体内に入ることが許されなかった血が――。


「何があって……?」


 思わず、そんな言葉が口から漏れた。それにキリはというと――。


「ハルマチが調査していた箇所はどうも地盤が悪かったらしいな。それで崩れたみたいだ。怪我とかは?」


「あっ、い、痛くはないけど……機械が――」


 けど、けれども、おかしい。地盤が悪かったのは知っている。それが原因で、自分が採掘機の機械をその下まで落としたのだから。アイリは這い上がってきた水辺のある下を見た。視線をそちらに落としていると、キリが怪訝そうな口調で「は?」と言ってくる。急いで彼の方を見た。何を言っているんだ、とでも言いたげな視線を見せている。決して、嘘をついているようには見えなかった。キリは嘘をつくのが下手くそだからだ。この表情、目――嘘ではない。ああ、本当に嘘ではない。上を見れば、A区画から落としてきたはずの穴がないのだから。


「どこか、頭でもぶつけたか?」


「……うぅん、変に夢を見たかも」


「夢?」


「あたしがここの機械を触って、勝手に動かして下の方に落としちゃう夢」


 アイリがそう言うと、キリは肩で笑った。けらけらと年相応の笑顔を見せながら「本当に夢だな」と言う。


「ここ、別に機械なんてないのにな」


 言われてみれば、と地面の方に目を落とした。レールが敷いてあったのにない。ここにあるのは橙色の電気だけ。だったならば、ここはなんだというのか。


「動けるか? 一旦、拠点に戻るか? 島内の調査時間はまだまだあるんだからさ」


「う、うーん……うん、そうする」


 廃鉱石場の調査から島内調査に変わっている? ということは、何かがなくなった? 何がなくなった? 考えられるのは、何?


 ふと、アイリの手に当たる硬い物があった。自身の青色の服のポケットに何かがある。それを取り出してみれば、水没した連絡通信端末機だ。赤色、ということはアイリ個人の物。


 待って!? これ、あの光の柱に投げつけたよね? それが、ここにある? じゃあ、もう片方のポケットには!? ない! サヴィがいない! ということは――?


 あの情報管理施設とやらの存在がなくなった? それって、デベッガ君がしたってこと? だとしても、メイシュだっけ? あいつとの間に何があった?


 キリは「立てるか?」と優しく手を差し伸べてくる。アイリはそれに甘んじて、ゆっくり立ち上がった。これから拠点の方に戻るらしい。それは別に構わないのだが――彼女が気になるのは別行動をしていたときの出来事。あのとき、中で何があった?


――今回は……目を瞑っておいた方がいい? どの道、話を訊こうにしても記憶の欠落があるならば、訊いても無駄か? また機嫌を損ねるか?


 言うべきか、言わぬべきか。アイリは迷った挙句、黙っておくことにした。今回における出来事は誰にも迷惑はかかっていない。誰かのことを傷付けているわけでもないのだから。


――誰かに相談できるものでもないけどさぁ。


 アイリは一足先を行くキリの背中を見てぼそり、と呟いた。


「嘘吐き」と。

「世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う」の外伝『不知』のお話はこれにておしまいです。このお話の内容は本編の第一章巡り巡って出会う者たちの『偽者 後編』から『変態』の間になります。主人公キリとヒロインのアイリだけ――もっとも、アイリだけしか知らないエピソードとなりますので、外伝という形にさせていただきました。


 作中で名前が出てこない登場人物がいたと思います。その人物たちはきちんと本編に登場していますので、誰が誰なのかを是非とも探してみてください。


・軍人育成学校の学校長(学徒隊の隊長)

・三銃士軍団

・青の王国の王女

・アイリ・ハルマチの父親

・キリの家族

・キリの幼馴染『あいつ』

・腕なし

・偽者の自分

・コンピュータ世界の友人

・「誰かのことを傷付けているわけでもない」というアイリの言葉にある『誰か』


 この他にも多様なキャラクターが登場します。


 また、なぜにキリは「お前たちの存在なんてなくなればいいんだ」と言ったのか。誰が悪いという責任転嫁を持ちかけたのか。それらに関しての本当の理由がありますが、それは本編をどうぞ。→「https://ncode.syosetu.com/n2520do/」


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