「世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う」外伝―不知 前編
――もしも、溘焉として逝く俺自身の運命が変えられるならば――。
死に逝く運命を変えられた少年――キリは正体をよく知らない少女――アイリと共に、王国から与えられた任務を請け負うこととなる。そこには本人たちも、誰も知らない物語が一つあった。
単体作品である「世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う」の外伝となりますが、知らない人でも読めるように、わかるようにはしています。(本編とつながりはほぼありません)
穏やかな波の音に連れられて一隻の船が小島の波止場に着いた。その船から出てきたのは一組の少年少女。彼らは青色の軍服を身にまとっていた。二人は軍人と言っても、まだまだ卵に値する訓練生――いわゆる学徒隊である。そんな彼らの内、黒髪ショートカットの少女は「いかがですか!」と後から降りてきた少し長めの茶髪の少年にそう訊ねるのだった。
「初めての海! 初めての島への渡航! 感想をお聞かせくださいな!」
「どんなキャラだよ……」
少年は少女が手にしているビデオカメラに鼻白んだ。確かに、彼は初めて海というものを見た。初めて船に乗り、どこかの島へとやって来た。だが、彼女のその言い草はどこからどう聞いても煽っているようにしか見えなかった。少年は「止めろよ」と小さくため息をつく。というか、カメラにあまり撮られたくないという気持ちが大きいというのもあるが。
「えぇ、なんでぇ。デベッガ君の雄姿をきちんと取ってあげないと可哀想じゃん。だって、三銃士軍団に入って初めての任務でしょ? これ撮って、『戦力外』っていうアホどもを黙らせてあげようよ」
少女の言葉にデベッガと呼ばれた少年――キリ・デベッガは押し黙ってしまう。彼女の言う通りである。彼は軍人育成学校の中で戦力外と呼ばれている学徒隊員。だが、少し前にとある功績を手に入れて、この国――青の王国の王位を継ぐ、王女のための私軍『三銃士軍団』という団に入団したばかりだった。キリの胸間には剣と槍、拳銃がかたどられた記章が日光に当たっている。
「でも、本当は俺を撮るためのカメラじゃないんだからな。そこら辺をハルマチはわかっているのか?」
何もキリは押し黙ってばかりではない。ハルマチと呼んだ少女――アイリ・ハルマチに、そう注意を促すのだが「わかっているよ」とこちらを撮ってばかり。もっと、島の内部を映せよ、と口に出す。
しかしながら、キリは撮られている恥ずかしさはあるのだが――内心は島を映そうが、こちらを撮ろうがどちらでもいいと思っていた。なぜならば、その理由には三銃士軍団の証であるバッジに隠されていたからである。このバッジ、ただの証明をするためだけの物ではない。ここだけの話、偽物ということ。彼はなぜに偽物の三銃士軍団の証を持っているのか。それは――。
アイリ・ハルマチという人物を探るため。
【スパイは言い過ぎたかな? でもね、ありえなくはない話なんだ。なんせ、彼女の出身地は不明なのだから】
軍人育成学校の学校長でもあり、学徒隊を束ねる隊長に言われた言葉。そう、アイリはキリにとってもよく知らないような人物。だからこそだ。一番近しいと思われる自分に――戦力外と嘲笑われている自分にこのような任務が舞い降りてきた。今回、この島へとやって来たのも調査という名目でアイリの正体をあぶりだすことなのだった。
キリは服の下にある『あれ』に目を落とす。ここからでは何も見えないが、服の下に何かがあるのは知っていた。それはもちろん――アイリだって。
この場で、しかも心内だけで言えること。キリは青の王国としての手先として存在すると共に、アイリの何かしらを知っている。だが、その「何かしら」をキリは上手く説明できない。服の下の『あれ』について詳しい説明を誰にもできないからである。何かしらを知っているのは彼女だけ。アイリが彼に『あれ』を渡したのだから。だとしても、『あれ』のことを彼女は最低限のことだけしか教えてくれなかった。それでも、とにかくは、自分は与えられたことに集中しよう。そして、自分にとって都合の悪いことはなかったことにしないと。まだ『あれ』の謎は解明できていない。この任務でアイリがぼろを出し、目の前からいなくなってしまうことが怖かった。そうならないで欲しい。それでも、国を裏切るような真似はしたくない。これがキリだけが持つ葛藤である。
長いため息をついたときだった。「なんでため息?」とアイリが顔を覗かせてきたのだ。これにキリは仰け反ったようにして肩を強張らせた。急でびっくりするではないか。キリは「なんだよ」とたじろいだ。
「べ、別になんでもないし。ほ、ほら、早く行くぞ」
今の自分は平然としているだろうか。心の隅では不安が潜んでいるようだった。それでも、こちらのぼろは出したくない。もちろん、アイリのぼろだって。だからこそ、何も出さないようにしてキリは彼女に島内にある拠点へ行くことを促す。だが、彼女はある意味でしつこかった。
「なんでぇ? デベッガ君、海は初めてなんでしょ? はしゃがなきゃ損だよ」
確かに海を見て少しは心の中ではしゃいだよ。初めて船とやらに乗ってわくわくはしたよ。でも、目の前にある物と胸に取りつけられた物は上司に提出する分のカメラ。写真ではなく、動画。それの前ではしゃげるかよ。もう十六なのに恥ずかしい。
誰がカメラの前ではしゃぐかよ、とキリは眉根を寄せつつ青色をした個人の連絡通信端末機を取り出した。この『島での調査』としての任務を与えた自分の上司からもらった地図を展開する。
「くだらないことは止めて、行くぞ」
「はいはい」
まだこちらを撮っているアイリに地図を見せながら、島の中にある自分たちの拠点へと向かうのだった。
◆
自身の連絡通信端末機で地図を弄りつつ、キリは「そう言えば」と気になるようだ。
「俺のこと散々初めてだ、初めてだって言うけど……ハルマチは海を見たことがあったのか?」
「え、まあ。そりゃあ、もちろん」
アイリは島の内部を動画に撮りながら答えた。彼女曰く、色んな場所に行ったことがあるらしい。色んな場所へ? キリは「たとえば?」と詳しく知ろうと訊いてきた。これに対しての彼女の答えはというと――。
「海とか、山。あとは町だね」
答えをもらったのは素直にありがたいとは思う。だとしても、地名ぐらいは言ってもらいたいものである。それだけの情報だったらこちらも同じだ。今日初めて海に行った。山には行ったことがある――というか、故郷が山間にある村である。町だって、自分が住んでいた村から山道を下りれば町がある。行ったことがないのはないだろう。というか、大抵の人がそれらの場所に足を踏み入れたことはあるはず。
答えに納得がいかないキリにアイリは「そっちは?」と反問してくる。
「デベッガ君こそ、行ったことのある場所は?」
お返しだ。
「海とか、山。あとは町かな」
「あたしと変わらないじゃん」
あっ、こいつ鼻で笑いやがった。自分に返ってくるようなものなのに。
「うるさいな。言うほど色んなところに行ったことがないんだよ」
「あぁ、親に言うほどおでかけとか連れていってもらっていない系?」
「……まあな」
なぜだか沈黙に陥る。急に無言状態になる二人。気が重いな。双方とも口に出そうとする言葉が思いつかないらしい。その沈黙状態はしばらく続き――ややあって、アイリが「家族は?」と思ってもいなかったことを訊かれた。
「きみって家族はいるの?」
「いるよ、いる。家族は故郷にいる」
「……お父さん、戦争で死んだとか、なんか言っていなかったっけ?」
「そう。……ハルマチは?」
じっとキリの薄青色の目がこちらを窺っていた。その悲しみにあふれたような目に思わずアイリは視線を逸らした。なんだか、見ていられない気がしたから。可哀想ではある、が別の何かを感じ取った気分だ。それがなんであるかはわからないのだが。それでも、この変な空気をどうにかするために「お父さんならいるよ」と答えた。
「ちょっと、曲者って感じ」
なんて言うが、キリの悲しみにあふれた目は普段の彼の薄くて青色の目へと戻った。ちょっと、という単語に反応したらしい。心の中で「え? ちょっとなの?」と訊き返した。実際は声に出して言いたいが、そこは黙っておくことにした。なんでって、そっちの方が賢明だと思ったから。
――ハルマチも結構な曲者だよな? 親が親なら子も子、とはよく言うもんだぜ。
「曲者って?」
「んー、よくわかんないけど、何かを発明している人だよ。確か」
発明家? アイリ曰く、自身の父親のことをよくわかっていない様子。そして、母親のことを話さないのはいないのか。死別? 離婚? そこまでは突っ込めそうにない。人のプライバシーに関することだ。キリはそこまでデリカシーのない人間ではない。
「デベッガ君のお父さんは何をしていたの?」
「……農業もしていたし、工場でも働いてた、と思う」
「兼業農家か」
ここでまたしても二人の間に沈黙が訪れる。キリはあまり父親のことを言いたくなかった。それにアイリも同じだろう。きっと、どちらも親に関してあまり探られたくないはず。こっちとしては、嫌な記憶がよみがえってくるから言いたくないだけ。悲しい、つらい思い出。ああ、嫌だ。嫌だ。嫌なことを早く忘れたい。
キリが頭を振って、嫌な思い出を忘れようとしていると、アイリが「お」と声を上げる。その声と共に、彼女の視線を追った。二人の目の前には汚い白の壁につる性の植物が絡まった仮設小屋があったのだ。どうも建てられて時間はかなり建っている様子。何も汚れているのは壁だけではない。四方の内、三つの壁に取りつけられた窓は土埃などで汚れている。傍から見て、誰かがいるという場所ではないと言えるだろう。この近寄りがたい仮設小屋を見てアイリが一言。
「汚いなぁ」
率直だ。素直だ。事実、キリも汚いとは思っているが口には出さない。思うだけで彼はあらかじめ預かっていたこの小屋の鍵を取り出して開けた。
ドアが軋む音が聞こえたが、中を見て二人は目を少しだけ丸くする。中は思ったよりも狭くない。外から見れば、とても狭そうな小屋だと思うのだが。いざ、中を見れば彼らが自由にいることができるぐらいの広さだった。外壁は汚いというのに。内部は埃が僅かに積もっているだけで特に問題はなさそうだった。
小屋の中には二人掛けのソファに丸テーブル。そのテーブルの上には発熱電灯。そして、少しだけ離れたところに木箱が一つある。中身は空の模様。
聞いてはいた。一応、誰かが管理している、と。キリは連絡通信端末機を取り出して、電波状況を確認する。うむ、良好だ。
「なんか、いい感じ」
外のときとは打って変わって、アイリは少しだけ上機嫌になりながらもソファに荷物を置いた。彼女が持ってきた物は一週間分の携帯食料と、もしものときのための銃器である。もちろん、キリの荷物も同様だった。彼は丸テーブルの近くに荷物を置くと、簡易湯沸かし器を取り出した。それをテーブルに置く。アイリはカメラを置いてソファに座る。そこに置いている荷物からは二人分のカップを取り出してテーブルに並べる。彼らは一息用にお茶を用意した。キリはその後、木箱の上に座って安堵する。
「やっと落ち着いた」
「ねぇ。外を見たら覚悟していたけど」
カップの中身を啜るアイリであったが、ここは周りが鬱蒼としていて日当たりが悪いところだ。そう、彼女は暗いところが苦手。もっというならば、幽霊が苦手。故に「電気つけるね」と火点け機を取り出す。それをテーブルの上にあった発熱電灯に火をつけるのだった。アイリがこういった暗い場所が苦手なのはキリも知っていた。あまりの恐怖心からか、人の首を絞めようとした前科があるのだ。忘れたとは言わせない。だからと言って、からかう気はない。やっと落ち着けたのだ。面倒事はごめんだ、として彼は「なあ」と別の話題を持ちかけた。
「調査、明日からでもいいよな?」
「うん」
この島へとやって来たとき、日は傾いていた。今から任務をこなすことはあるまい。
まず、二人の名目上の任務は『島の内部にある廃鉱石場の調査』なのだ。キリはその廃鉱石場の見取り図を広げた。割と広めの場所であり、地下へと四階層ある。地図を見る限り、なかなか入り組んだ場所と言えるだろう。迷子にならないか心配だ。特にアイリが、である。
「広いねぇ」
「時間はいくらでもかかっていいって言われているから、大丈夫だろ」
そう、この名目上の任務に時間の問題はない。隊長は長期戦に挑む気なのだろう。もしも、食料が足りなければ連絡をしてくれ、と言っていた。だから、船から持ってきてもらえるはず。
「でも、時間あるって言っても今はヒマだね。外に出てみない?」
「いいよ」
◆
明日からが本番というアイリ。彼女は別に問題あるまいとしてカメラを仮設小屋に置いたまま外へと出た。確かに問題はない。こちらにもカメラはあるのだから。きらりと光るは三銃士軍団の証。それが彼女の姿を捉える。
「うーん、空気が美味しい」
と言うアイリであるが、本当は何かを撮りたかったのかもしれない。カメラがないせいなのか、彼女は暇潰しに自身の赤色の連絡通信端末機で二人を自撮りする。自撮りだけではない。景色も撮り出すのだった。
「持ってくればよかったのに」
苦笑を見せるキリに「思い出作りたいもん」と言う。
「だから、支給されたカメラよりもこっちの内蔵されたカメラでパシャリ!」
キリに向かって写真を撮った。フラッシュが眩しい、と怪訝そうな顔をする彼に「そんな顔しないで」と言ってくる。
「いい写真が撮れないじゃん」
「あいつじゃないんだから」
キリの言う『あいつ』というのは写真を常に持ち歩く彼の幼馴染でもあり、同じ三銃士軍団員でもある。誰彼構わず写真を撮るため、そこだけ他の人からは低評価を持つ人物だ。
そう言うと、アイリは「確かに」と一瞬だけ考えるが、撮ることは止めない。だって、思い出作りたいですし。彼女の思うことは止めたりしない。故にキリもまあいいかで済ませようと、真上を見上げると――。
「おっ、美味しそうだねぇ」
アイリも気付いたらしい。自分たちの真上には黄色の果実がたわわに実っていた。それを見て、欲しいと思ったのだろう。突然キリに「木登りできる?」と訊いてきたのだ。彼女は黄色の果実を指差している。登れと言っているようだ。たとえ、登れなくとも。
「一応は登れるけど」
「じゃあ、あれ採ってよ」
「いいけど」
キリは軍靴を脱ぎ捨てて、木の枝へと飛び乗った。意外にも身のこなしは軽いようだ。あれだけ戦力外と言われているのに。もしかして、故郷にいるときは木に登っていたのか? あっという間に彼は黄色の果実が生っているところまで辿り着いた。本当にあっという間という言葉は正しいと思う。そして、木から降りるときも早かった。
「はい」
一個だけ採ってきたそれを受け取る。なんだか、逆に一人で食べるのが悪く思ったのかアイリは「先に食べていいよ」と差し出した。
「採ってきてもらったもん。だから、先にデベッガ君が食べる権利あると思う」
その果実を受け取るが、片眉を上げてアイリを見ていた。正直言うと、あやしい。こういう風にして他人のために、とする彼女はそれらしくないのだ。何か裏がありそうだな、と思う反面――その気持ちを無下にできなくて。ついつい「ありがとう」と一口食べた。途端、キリの目は大きく見開かれる。口を手で塞ぐ。顔を下に伏せる。その後に一言。
「不味い」
しかめっ面の顔を見せた。
「だろうねぇ」
アイリはわかっていたらしい。ひどい話だ。キリは涙目で彼女を見る。にこにことしやがって、なんて悪い笑顔なんだ!
どうもこの果実は美味しく食べられるような物ではなかったらしい。口の中で留まっている物をアイリに見られないようにして、食べかけと共に茂みへと捨てた。それが見えなくても彼女は面白おかしいと思っているらしい。けらけらと笑う。その笑い声に驚いた鳥が大きな音を立てながら飛んでいった。であっても、こちらがよっぽど驚きを隠せないらしい。アイリは変な声を出し、腰を抜かす。一部始終を見ていたキリが笑う。
「因果応報だな」
肩で笑っていると、今度はキリの頭に何かが落ちてきた。少しだけ鈍い音がしたから、相当痛いのではないだろうか。ほら、ちょっと涙目。
「因果応報はどっちだよ」
腰を抜かしたままアイリは嗤う。それ、彼女が言える立場ではないのだがな。なんて睨みつつ、キリは上から落ちてきた物を拾った。黒い何か。それは綺麗な模様をした球体の金属。いや、石か? いいや、金属だ、この質感は。
気になるのか、アイリも横から覗かせる。
「綺麗だねぇ」
そう言うアイリの大きな真っ黒な目はこちらに羨望の眼差しとして向けていた。じっと見てくる。まるで、それをこちらに寄こせと言わんばかり。横暴だ。
それでも、見かねたキリは「あげる」とそのまま渡してしまった。受け取ったアイリは「ありがと」と嬉しそう。だが、彼も嬉しそうにしているのだった。
◆
日は海の彼方へと沈み、島内には暗闇が訪れた。その暗くて静かな場所には一ヵ所だけ明かりが灯っている。その場所――仮設小屋の中にはキリとアイリがいた。彼女は昼間、もらった金属のような丸い物を発熱電灯に当てながらうっとりとしていた。余程気に入っているらしい。ほら、連絡通信端末機のカメラで撮り始めた。お茶を飲む彼はあげてよかったのかもな、と少しだけ頬を緩めた。
「何だろうねぇ、これ。綺麗」
「多分だけど、採掘場にある鉱石なのかもな」
「なるほどねぇ。流石はデベッガ君。筆記試験がトップなだけある」
なんだか、少しだけばかにされた気がした。キリは片眉を上げながらも、唇を尖らせる。事実ではあるが、嬉しくないやい。不貞腐れるようにして「明日からだぞ」とアイリにそう言うと、自身の荷物を床に寝かせた。これを枕代わりにして寝る気のようである。ソファは別に彼女が使ってもよかったからだ。床で寝ることに苦痛はない。ただ、起きたら体の節々が痛いだろうが。
もう寝よう、と言うキリ。彼は発熱電灯に手をかけようとするが「待って」とアイリに止められた。ああ、そうだった。彼女は暗いところ――もっと言うならば、幽霊が苦手。彼女自身あやしい人物なのに、幽霊が苦手とは。思わず鼻で笑ってしまった。それを見たアイリは「笑わないでよ」とむくれる。
「怖いんだもん。怖いもん。しょうがないよ」
「いや、まあ……そうだけど」
こちらは暗い場所なんて慣れている。だが、アイリを尊重してあげた方がいいだろう。そう思って、消すのを止めてあげた。
「じゃあ、お休み」
「うん、お休みなさい」
◆
そこに奇妙な模様が描かれた丸い何かがあった。それを俺は知っている。どこかで見覚えがあるが、思い出せない。上手く頭の中で考えることができない。成りゆきに任せるがまま、俺はじっとそれを見ていた。それを見るときの感情は何もない。ただ、じっとみているだけ。
体を動かすことなく、じっと。じっと。じっと。視線は逸らさない。逸らせない。謎の何かを見つめるだけ。
茫然と丸い何かを見ていたときだった。それの形が急に変わり出したのだ。何かの形になりたがっているようだ。でも、何になりたい? わからない。ただ、ただぐにゃぐにゃに蠢いているだけ。それを見て俺は何も感じない。ああ、動いているな。それだけ。それだけなのだ。まだまだ見るだけ。
ぐにゃぐにゃはやがて、大きく波打ち始めた。それを見た途端、恐怖を感じるようになった。逃げたくても逃げ出せない。足が動けそうにない。目が逸らせない。こんなにも怖いのに。
ぐにゃぐにゃぐにゃ。ぐにゃぐにゃぐにゃ。ぐにゃぐにゃぐにゃ。ぐにゃぐにゃぐにゃ。
気持ちが悪いのに。怖いのに。逃げたいのに。どうしてだろうという疑問をはねのけて、丸かったそれは先端をこちらに向けてぐにゃぐにゃの手を近付けてくる。
嫌だ、来ないで! 更なる恐怖が俺を襲う。手の平で必死に抵抗をしようにも、そのぐにゃぐにゃの感触は初めて感じる何か。払い除けても、形は何も変わらない。足が動けないから、手で抵抗しているのに。
こっちに来るな! どんなに足掻いても、もがいてもぐにゃぐにゃは離れようとはしない。段々と手に絡みついてくる。腕に、体に、顔に、首に――。
「うわぁあああああああああ!?」
◆
第一に目へと飛び込んできたのは窓。それに絡みついたつる性の植物。ここはどこだ。ああ、そう。ここは島。自分は任務でここに来たのだった。
キリはゆっくりと上体だけを起こして、仮設小屋の中を見渡した。奇妙な夢を見た。本気でびっくりして内容は飛んでしまったが、怖い夢だということは覚えている。地味に汗を掻いている。蒸し暑いのか? 上着を脱いだ。少しだけ涼しく感じる。
小さくため息をつきつつ、ソファで眠るアイリを見た。静かに寝息を立てている。まだ夜明けは来ていない。外が真っ暗だ。眠るか、と横になって目を閉じようとするのだが――彼女の方から物音が聞こえた。そちらの方を見れば、アイリが体を起こして茫然としているではないか。どうしたのか。気になったキリは「ハルマチ?」ともう一度体を起こして呼びかけた。途端――。
「ひぃっ!?」
肩を強張らせ、目を大きく見開いた状態でこちらを見てきた。どうやらびっくりさせてしまったらしい。日頃のお返しとして、その顔を目に焼きつけておこうではないか。ちょっとだけ笑いたい気持ちを抑えながら「大丈夫か?」と訊く。
「なんで俺にビビってんだよ」
「いや、びっくりするよ。だって、なんか変に怖い夢を見たし」
怖い夢? アイリも怖い夢を見ていたと? 一体どんな夢なんだろうか。もしかして、同じ夢? もし、そうならば――アイリに訊けば見た夢を思い出せるだろうか。キリが彼女に夢の内容を訊ねるが――。
「覚えていないよ。デベッガ君が幽霊ばりに人を驚かせるから」
「……勝手に驚いたのはそっちだろ。いきなり起き上がるから」
失礼なやつめ。
しかしながら、二人同時して怖い夢を見るというのはなぜなのだろうか。自分はわかる。本来は一つしかない任務を二つこなすというアイリが知らない嘘。目の前にいる彼女を騙していることがあるから。
「緊張しているからか?」
そういうことなのか? なんてキリが考えていると、アイリが「異形生命体はいないって報告受けているのに?」と言ってくる。
「確か、指示書か何かに書いてあったよね? あいつはいないって」
異形生命体。この世にはびこる謎のバケモノである。その正体は元人間らしく、反政府軍団があやしい薬品を人に投与してあんなバケモノにしているとか。詳しいことは二人にはよくわからないが、キリ自身その異形生命体にされそうにあったこともあれば、殺されそうになったことも。また、倒したこともある。だが、今回の任務の舞台であるこの島には異形生命体の目撃情報はなく、いないという結論が出ている。それ故もあってか――。
「変なことを言わないでくれよ。銃器なんて害獣対策としてしか持ってきていないんだからさ」
あのバケモノは小隊が幾度もシミュレーションして、ようやく倒せる厄介者だっていうのに。それに、違法賭博闘技場や王国の保護区でも見たことのある『腕なし』や『偽者の自分』までもが出てきたら本気でどうしようもない。そのときはわざと偽物の三銃士軍団の証を壊してまで挑まないと――こちらの分が悪過ぎる! それほどまでやつらは強い。こちらの不都合が悪目立ちするほど。
「だよねぇ?」
本当はわかっているでしょ、と言いたげなアイリ。そうであっても、もう何も言う気にはなれない。明日があるから。寝ないと。キリは彼女の言葉に何も反応することなく、横になった。なるべく、自身の顔がアイリに見られないようにして、顔を隠す。
「寝るぞ」
「……はいはい」
見抜いているのか、そうでないのか。わからないが、諦めて横になってくれた。それから物の数十秒して寝息が聞こえてくる。その音に安心したキリは大きく息を吐くと、目をそっと開いた。
窓から見える外はすでに白み始めていた。
◆
眠れたのか、眠れていないのか。それはキリだけを見ればわかった。彼の目の下には隈ができている。疲労感が見えている。一方でアイリの方は「結局怖くてあんまり眠れなかった」という割には通常通りにしか見えなかった。本当に彼女は眠れていないのか。それを確かめる術はない。そのため、「そうか」と自身の荷物の中を漁って携帯食料と見取り図を出した。
「今日はどこら辺の調査になるの?」
アイリがお茶をカップに注ぎながら訊いてくる。これにキリは携帯食料を袋から取り出して「A区画のところ」と見取り図に記載されている一階層であるA区画を指差した。
「多分、事前に聞かされているかもしれないけど、採掘場は四階層になっている。一日に一区画調べれば、四日で終わるだろ」
「妥当だねぇ。根詰めてやるよりか、あたしはのんびり派」
別にアイリのために、そう決めたわけではない。この調査の本当の目的は彼女の正体をあぶりだすこと。すぐに終わる調査だなんて。何者であるのか、わかるわけあるまい。なんとも言えない表情のキリに彼女は携帯食料を頬張りながら「調査項目ってどんなんだっけ?」と訊いてきた。
「ごめん、指示書は寮に置いてきちゃった」
「……三つだよ」
廃鉱石場における調査内容は――。
①採掘場で劣化の激しい場所はないか。
②不審物はないか、または害獣の巣はないか。
③以前使用して、放置しているトロッコといった機材は使用できるか。
キリが教えてくれたおかげで「あぁ、そうそう」と思い出した様子。
「そうだったねぇ。ありがと」
「そうだよ。はい、調査表は失くすなよ」
ありがとう、とお礼を言うと――「そう言えば」と調査表を見ながら言ってくる。
「ここって採掘を再開するから調査することになったの? そこら辺をあたし、聞いていないからわからないんだけど。知ってる?」
「ええっと、俺もあんまり詳しく聞いていないや。ここ――というか、島自体を別の施設にするらしいから土地調査が必要なんだってさ」
「別の施設? 何だろうねぇ?」
「さあ? その内わかることじゃないか?」
キリは肩を竦めると、木箱から立ち上がった。まだ携帯食料を頬張っているアイリに「早いところ今日の分を終わらせよう」と言う。
「ハルマチだって、早く終わらせて自由時間が欲しいだろ?」
「わかってんじゃん。流石は三銃士軍団の戦力外君だね」
嫌なあだ名だ、とキリは苦笑を浮かべつつも「先行ってる」と銃器と調査表を手にして仮設小屋から出ていってしまった。その場に一人となったアイリはというと、残り一口の分を食べて、飲み込むと――。
「デベッガ君も大変だねぇ。慣れない重複任務だなんて」
そう言い残して銃器と調査表、そしてカメラを手にして外へと出るのだった。
◆
島にある鉱石場は七年ほど前に使われなくなったそうだ。その主な原因はこの鉱石場のオーナーが急死してしまったため。それまで私有地だったこの島を国が買い取るのだが――所有権や存続権などの事情により、調査ができなかったという。それが、今回ようやくと言っていいほど、この島が国の固有領土となったため、初の調査隊が派遣された。それがキリとアイリである。
廃鉱石場の採掘場へとやって来て、初めに感じたことは暗い。これでは何も見えない上に、アイリは絶対に仕事をしようとは思わないだろう。そうならないためにも、キリは現場の電気をつけるためとしてのバッテリーを取り出した。それを起動させる機材にはめ込み――電気をつけた。一気に周りが明るくなり、暗闇がなくなる。ちらり、と彼女の方を見れば安堵の表情を見せていた。だろうな。暗闇が苦手なのだから。
「俺はこっちしているから、ハルマチはそっちの方を頼んだ」
「いいよ」
なんて返事はいいだけ。早速アイリは土壌のにおいがする採掘場をカメラに映す。凸凹とした地面の上に敷かれたレールも映す。その起動装置も映しながら「こっちもバッテリーがあれば動きそうだよねぇ」とどこか残念そうに言う。そう、彼女は調査表を手にせず、カメラだけを持って映すだけ映していた。思わずキリの口から「働けよ」とツッコミが入る。
「軽く映すだけでいい。そしたら、全体が見渡せるところに置いて、調査をしてくれ」
「事細かに映さないと。じゃなきゃ、あたしたちの判断だけで劣化しているのかわかるの?」
「……そうだけど、本当は働きたくないからそういう言い訳をしているんだろ」
「なんだ、わかってんじゃん」
図星であっても、平然とした態度を取るのがアイリ・ハルマチ。なんともお気楽な人物だ、と鼻白みながらも「早くやろうぜ」と促す。キリに急かされたことによって、彼女は「はいはい」と適当に返事をする。そして、任された場所へと足を運ばせ、その場に鎮座している機材の劣化確認に入った。何も問題はないか、と採掘機に触れていると――それを起動させてしまった。
二人が調査する区画に音が轟く。調査表を手にしていたキリが思わず落としかけるほどの大きさだ。彼はアイリを見て「何しているんだよ」とそちらへと来るのだが――。
がたがたとうるさい採掘機は壁に穴を空けていく。それを仕事した気になったような表情を見せるアイリは「働いているよ」としてやったりの顔でそう言ってくる。
「いやぁ、今の時代は楽だねぇ。人力でなくて、機械でなんとかなるもん」
「じゃねぇだろっ! お前、何してんのっ!?」
機材を止めろ、と言うキリ。それにアイリは「大丈夫」と何が大丈夫なのだろうか。
「バレなきゃ」
「そういう問題じゃねぇ! いいから、早く止めろよ!」
「止め方知りませぇん」
がががっ、と音を立てながら壁の中を突き進んでいく採掘機。これは本格的に怒られるやつである。なぜって、アイリが適当に置いたカメラにも、キリの三銃士軍団の証にもばっちり映っているこの現状。逃げ道はない。どうすることもない。とにかく、機材を止めることが先決だ。
キリが採掘機に手を伸ばそうとするのだが、ここら辺の地盤は不安定らしい。嫌な音を立てながら、機材ごと地面下へと落下。豪快な音を突き立てる、落下音の大きさに彼らはその場に竦むほど。最後の音が聞こえなくなったところでアイリの方を見た。彼女は「えへへ」と照れているが、照れている場合ではないことを知っておこうね。
「音が大きかったねぇ」
「そうだね、って言っている場合じゃない! 下に確認しに行くぞ!」
見取り図を取り出して確認をするキリに「行かなくてもいいんじゃない?」なんてとんでもない提案をし出す。アイリは何を言っているんだ? しでかした張本人が何を言い出す? この発言、先ほどからのやり取りは動画に入っているんだぞ?
「あのな、放置状態で怒られるのと、確認しに行って怒られるのどっちがいい?」
「どっちも嫌だけど、別に放置していてもいいじゃん? だって、機材が振動で落ちるってことは地盤が不安定なんでしょ? 知れてよかったねぇ、ここは地盤が悪いっ!」
「なるほど! って、自分が機材を落としたことをなかったことにしようとするなよ?」
アイリを睨みつけるキリ。どうも彼女には逃げ道がないことに諦めがついたか。「わかったよ」と盛大にため息をついた。おい、こっちの方がため息をつきたいのに。
◆
落下した採掘機の確認をしに行くために、ただ行くだけでは危険であるというのはもっともだった。アイリが「ここは地盤が悪いっ!」と意気揚々に言っていたが、それを考慮して進むのは当然かとキリは納得した。また、彼女自身も発言しておきながら気楽に機材の確認をしに行こうだなんて考えていないようだ。持ってきていたビデオカメラを手にして、一足先を行く彼の後を着いていく。キリの手には金属の棒が握られており、先の地面を叩いては進んでいた。
――ここで大きな地震が来ませんように。
レールに沿うようにして下の階層へと向かう。段々と歩く幅が狭まってきている。それだからか、思わず壁に触れた。そこまで圧力はかけていない。なんならば、軽く触れただけだ。それだけなのに、壁はボロボロと砕けていく。この調子だと、地面は穴が空きそう。先へと進むに連れて二人が対する地面の警戒心が強くなっていく。
先ほどまでお気楽でいたアイリにも緊張感が見え始める。頼りになるのは先へと続くことを教えてくれている明かりとレール。それに地盤の安全確保をほんの少しだけしてくれる棒だけ。もう不安要素がたくさん。足を一歩踏み出す度に寿命が縮まっている気がする。心臓に悪い。地面から何かしらの音が聞こえれば、心臓が口から飛び出しそう。なんて冗談で言ってみても、何かしら反応がある彼女は何も示さない。それほどまでに足取りは慎重だった。
「下ってどこまであるっけ?」
「四階層だよ。落ちた音からして、それぐらいあるんじゃないのか?」
つまり、この地面が崩れたならば、相当な高さから下へと叩きつけられる可能性があることだった。考えただけでもぞっとする。
「……痛いのは嫌だなぁ」
「俺だって嫌だよ」
ふと、アイリの視線がこちらに来ていることに気付いた。彼女はキリの顔ではなく、胸元に注意している。一瞬だけ、三銃士軍団の証がばれてしまったか、と思ったが――彼女の場合はそちらではないだろう。ずっと服の下に隠している『あれ』が気掛かりなのだろう。だが、ここで出そうとは思わない。いや、出せない。カメラがある時点で。彼女の手に持つカメラも隠しカメラも見せない方がいいのだから。
この場は言いたいこともろくに言えないようだ。いや、この島にいる時点で――。
「レールの方、錆びているみたいだけど。普通に乗っても問題はないみたいだねぇ」
「七年前まで使われていたからな。まだまだ使えそうだ」
そんなレールに沿って歩いていると、二人の目の前には開けた場所が見えた。見取り図で確認すると、ここは二階層――すなわち、B区画ということになる。A区画とはさして変わらないような場所。強いて言うならば、採掘機と言った機材よりも土嚢が多いぐらいか。そして、害獣など、何かがいるという気配もない。それはその下の階層であるC区画もD区画も同様だった。ほとんどが土嚢が積まれた場所。レールに沿って歩いているから、どこの地盤が悪いのかすらもわかっていない。先に落としてしまった採掘機が気になって仕方ないから。
だが、最下層であるD区画まで来れば、ある程度の地盤はしっかりしていると保証できるはずだろう。それでも確信はないのだが。
A区画から機材が落ちた場所とその真下であるD区画と照らし合わせて、採掘機があるかもしれない場所へと二人は向かうのだった。
◆
間違いはなかった。いや、間違うことはないだろう。ありえるかもしれないから。キリとアイリは唖然とした表情で採掘機が落ちてきたであろう場所を見ていた。そこの地面にはぽっかりと穴が空いている。ここから想像できることは最下層であるD区画よりも更に深層にある場所と落ちたということだ。
「えっ、ちょっと待って」
本気で待って欲しいとキリは見取り図を取り出した。何もおかしな点に気付いたの彼だけではない。アイリもだ。
「まだ下ってあるの?」
「いや……採掘場は四階層まで。それより下があるってことは――」
可能性として考えられるのは、このD区画の下に空洞があるということ。そして、ここもA区画からC区画同様に地盤が脆いということだ。
「下って、どうなってるの?」
アイリは下が気になるのか、穴の開いたところに顔を覗かせた。それを見たキリは「危ないぞ」と注意を促す。そんなに近付いていると、落ちてしまうではないか。いや、彼女も彼女で危険なことは十分に理解しているはず。なんてキリの視線が見取り図へと落としたときだった。彼の視界の端に映るのは――。
アイリが落ちる瞬間。
「ハルマチっ!?」
見取り図と鉄の棒を投げ出し、アイリの手を取ろうと駆け寄るのだが――。
キリが踏み込んだ地面。そこからは嫌な音しか聞こえてこない。しっかりと固めてあるはずの地面は崩れ落ち、やがて彼自身も穴の中へと真っ逆さまに落ちてしまうのだった。そんな彼の目に飛び込んできたのは橙色に光る何か。それにぶつかった瞬間、自身の体が貫いた。体中にまとわりつく何か。泡が邪魔して視界不良。あっ、これは水だとわかった瞬間に、キリは持っていた荷物――銃器すらも捨てて水面へと浮上した。
大きな水の音を立てながら、キリは水面から顔を出した。その傍らでアイリも苦しそうに顔を出す。
「み、水!?」
先ほどから理解しているのに、もう一度繰り返して言うキリ。アイリは咽ながらも「最悪っ」と水が鼻に入った様子。どこか岸辺は? 自分たちは無事そうだ。水に浮かびながらも、困惑する彼女を引いて近くにあった岸辺に上がった。
「だ、大丈夫か?」
二人は全身がびしょ濡れ。アイリはキリに手を引いてもらって、上がった。
「な、んとか……」
アイリ自身も荷物を水の中に捨ててきたらしい。手ぶらの状態でこちらへと来ていた。
改めて、周りを見る。上は穴が空いた天井。そこから自分たちは落ちてきたのだろう。橙色の電気が見えた。どうにかして登らないといけないのか。いや、それよりも水の中に置いてけぼりにした物を取りに戻るべきか? そっと水の中を見てみる。ここら一帯が一階層上の電気のみで照らされているため、底が見えなかった。確か、水に入ったときは結構な深さがあったはず。それならば、取りに行くのは極めて困難。ましてや、A区画から落としたであろう採掘機を引っ張り出すなんて以ての外。銃器だって、火薬は水浸しで使い物にならないに決まっている。もちろん、アイリが手にしていたビデオカメラだって。水没は仕方あるまい。まだこちらの隠しカメラが――。
ふと、キリは上着が吸い取った水気を落とすためにそれを脱いだのだが――三銃士軍団の証が装着されている場所に目を落としたときである。そこにあるはずの物がなかった。えっ? あれ? 一瞬のフリーズ後、彼は「ないっ!?」と再び水の中を観察した。その拍子に、砂利で手の平を怪我する。血が出てくるがそれどこではない。目にやる場所は水の中! 黒い水は表面だけを橙色に染めているだけ。これでは確認しようがないではないか。
「……どうしたの?」
少しだけキリの様子が違うことに気付いたアイリは片眉を上げて、そう訊ねた。ないと言っていた何か。彼は何を失くしたのだろうか。
「いや……バッジを失くした」
だからか。
「こればかりはしょうがないよ。あたしだって、カメラを捨ててこっちに来たんだし」
命があるだけマシと思ったらいいよ、というアイリであるが――それはキリにとってあまりいい顔になるような言葉ではなかった。いいや、これはむしろ好都合と言えるべきなのか? 今の自分たちには上司に提出するようなものはない。ここでの目は自分と彼女だけ。
キリが服の下に隠している『あれ』に目を落としていると、今度はアイリが「あ」と声を上げた。彼女の声がする方に視線を向けると、そこには壁があった。ただの壁ではない。どこかで見覚えのある模様が描かれた壁。その真ん中にあるのは謎の窪みである。この窪みの大きさ――見たことはある。いや、もう知っている。模様で予想はついていた。何もその想像は彼だけに限った話ではない。アイリも気付いている様子。昨日拾った模様入りの丸い金属を取り出した。それを手にしながら――キリを見る。
「どうする?」
「どうするって言ったって」
こんな不思議なことはありえないと思う質ではある。だが、服の下に存在する『あれ』を認めている以上は信じなくて、どのようにして地上に戻るべきなのかと考えなければならないだろう。ここには出口もなければ、上へと通じる階段もはしごもない。行くしかあるまい? アイリが手にしている物が何かしらの鍵であるならば。
キリはアイリしかいないことを再度確認すると、服の下に隠していた『あれ』を取り出した。それは錆びた歯車である。ざらざらの感触と水に濡れた感触が彼の手の平で踊る。それらが怪我したキリの手の平にある血が混ざり合う。集中して――歯車は徐々に淡い光を帯び始める。そして、光と共に一気に歯車は肥大化。それは歯車の剣へと変わった。剣を美しく引き立たせているその美しい光は彼を優しく包み込もうとしている。
「おー、カッコイー」
なんてずぶ濡れのアイリはそう言っているが、感情的でもないし、なんならばこちらを煽っているようにしか思えない。いや、今は一刻も事を争う事態だ。このような場所で反応していては埒が明きそうにない。
「流石は所有者だね。どう? 上手く使いこなしている?」
「ハルマチにはどう見える?」
「んー? 頑張って使いこなして、腕なしを殺してねぇ」
またそれか、とキリは苦笑いしつつもアイリが窪みに丸い金属をはめ込もうとするのを見つめていた。そうだ、この美しく輝く歯車の剣が――目の前にいる自称『しにん』が俺の運命を変えたんだ。死ぬはずだった俺は彼女によって生かされた。その代わりとして、よくわからない武器――もしかしたら道具? である歯車を手に入れた。彼女は言う。自分は死にたいから、それで腕なしを殺せ、と。この歯車には特別な力が備わっているのだ、と。
傷付けられた体の傷を癒すということ。自分にとって都合の悪い事実を書き変えてしまう、過去の改ざんができるということ。ただ、これらには代償が存在する。それがこの歯車の所有者は『不死者』であること。過去の書き変えを行っても、結局は『なかったことになってしまう』こと。正直言って、ある意味での使い勝手の悪いアイテムなのかもしれない。
それでも、現在の武器はこれだけ。銃器は水の底。取り出せても、火薬がダメになっている。やるしかないのだ。外に出るまで。死にたいと言っていたアイリを守りながら。
壁の窪みに収まった金属。それのおかげと言っても過言ではない。音を立てながら、その壁は両開きドアのようにして開く。それはまるで、二人を大歓迎するかのようにして。
後編に続きます。




