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ごちゃごちゃ  作者: 池田 ヒロ
12/37

世界の果てより

※以前に投稿したことのある作品です。


 人間は好奇心あって冒険する者である。

――人々は地上に住むことは無く、空中に都市を作って暮らしていた。その空中都市(エデン)に生まれた時から住んでいる一人の少年エリックは地上へ行くことを夢見る。祖父から借りた『世界の果て』という冒険物語と少しの食料に、それに釣られて着いてきた犬とともに地上を目指して行くのだった。

 少年、エリックは冒険に憧れていた。


 ここは空中都市(エデン)。人々は遥か昔に地上を捨てて、空に大きな都市を作り上げて住むことを定めた。地上を捨てた人々の末裔の一人でもあるエリックは現在、祖父の家にある本を読んでいた。彼は本を読むことが好きで、よく祖父の家に遊びにきては本を読み漁っているのである。


 彼が読んでいるのは『世界の果て』と言う本である。年季が入った本のようで、それは手書きで書かれていた。


 本の内容はエリックと同じ名前の主人公がひょんなことで空中都市から地上に行き、冒険するという物語だ。その話を見る時はいつも目を輝かせて読書していた。


 彼自身、本を読むことも好きだが、一番は冒険が好きなのである。本を読む以外に彼は近所を探検したりすることもある。大抵の場合、彼はよく家に帰るのが遅くなったりして母親に怒られたりもしていた。


「これ、エリック。またおじいちゃんの本を読んでいるのかい?」


 エリックが本を読んでいると、祖父がやってきて声をかけてきた。祖父の声に彼は本から顔を上げた。


「うん、これとても面白いね。作者は誰なのか分からないけど」


 そう言うエリックは本の表紙を見た。書かれているのはタイトルのみで著者名は無かった。もし、作者が判れば、その作者が書いた他の本も読むのだが――彼はは残念そうにため息を吐いた。


「おじいちゃん、これはどこで買った物なの? もしかして、おじいちゃんが書いたの?」


 エリックの祖父は彼に近付くと、優しく彼の栗色の髪を撫でた。


「残念だが……おじいちゃん、物語は書けないなあ。エリックは書いてみたいかい?」


「うーん、僕は書くより冒険をしてみたいよ。冒険のわくわく感が僕は大好きなんだ」


 そう答えると、彼の祖父はしわのある顔を更にしわくちゃにさせて、笑った。


「そうかい、そうかい。ところでお母さんが呼んでいたよ」


 祖父にそう言われ、エリックは返事をした。


「おじいちゃん、この本を借りていってもいい?」


 エリックがそう聞くと、祖父は頷いた。


「ああ、いいとも」


 エリックは祖父から本を借りて家に帰った。


 それから彼は家に帰り、母親の仕事を手伝った。そして、自室で祖父から借りてきた本を夜明けとともに読み終えた。その時の彼は話のラストに興奮していて自分も地上を見てみたいと思い始めた。


 エリックは本と部屋から見える窓の外を眺めた。空は明るみを見せている。


 果たして、本当に地上は人々が住めないような場所なのだろうか。



「この目で確かめに行ってみよう」



 彼は自分の部屋にあるショルダーバッグを持ち、台所から母親にばれないように食料をいくつか取って、バッグの中へと入れていく。そして、何か役に立ちそうだと思った少し長めのロープもバッグに詰めては手に祖父から借りた本を持ち、母親が起きる前にそっと家を出た。


 少し冷たい空気が彼自身の体を包み込む。肌寒いと感じていたが、わくわくと感じる心がそれを吹き飛ばしてくれそうだった。


 エリックの家は通りの端にあり、近くには下へと続く階段が二つあった。彼はその内一つの階段を利用して地上を目指した。


 下へと続く階段を下りて行っていると、散歩中のおばさんと会った。おばさんは微笑ましそうにエリックに声をかける。


「おはようございます」


「どこへ行くんだい?」


「地上へ行くの」


 そう答えると、おばさんは彼のその言葉に表情を一変する。



「何を馬鹿なことを言っているんだい! 地上へ行くだなんて言わないでちょうだい!」



「え?」


 おばさんは目を三角にして怒鳴ると、彼を下へと行かせないように通せんぼした。エリックはどうして地上へ行ってはいけないのかおばさんに尋ねた。



「地上は危険な世界よ。生きて帰れるなんてありえないんだから! ほら、こんな所にいないで家に帰ってお母さんの手伝いをしなさい!」



 エリックはこのままではこのおばさんは通してくれないだろう、むしろ、強引に家の方へと連れ戻されるだろうと思い、家の方に逃げるように戻った。


 家に戻ると、母親は起きているようだった。部屋の奥から物音がする。だが、母親は彼に気付いておらず、忙しそうにしているようだった。


 それを機に彼は母親に見つからないようにして玄関のドアをゆっくり開けた。周りにあのおばさんはいない。彼はもう一度静かに外に出た。その際に母親の声が聞こえてきた気がするが、気に留めてはやりたいことが出来ない。


 先ほどとは別の下へと続く階段で下りることにした。下り始めてすぐに帽子を被ったおじさんと会った。


「おや、おはよう」


「おはようございます」


「どこへ行くんだい?」


 エリックは地上へ、と言いそうになったが、あのおばさんのように怒られてしまっては地上へはいけないと思い、「ちょっとそこまで」と答えた。


 その言葉を聞いたおじさんは一人頷いた。


「そうかい、階段には気を付けてなあ」


 おじさんは彼の頭を軽く撫でると、そのまま階段の上の方へと行ってしまった。おじさんの背中を見送った彼は階段を下りていく。


 階段から見える空中都市の下の方は雲に隠れていて見えなかった。雲はとても厚いのか、地上は全く見えそうにない。ずっと先にある向こう側を見ようとしても雲の大海が続いており、地上の様子は見えなかった。


 エリックはそんな景色を眺めながらも下へと下りて行った。


     ◆


 日が高く上がった頃になって、エリックは適当に階段の上に座り込んだ。階段はまだまだ下へと続いている。この階段はどこまで続いているんだろうか、彼はそう考えながらショルダーバッグの中に入っている食料を食べ始めた。


 ごはんを食べ終えて、本を開いた。開いた場所は話のラストのページである。そこだけを見て彼は立ち上がると、階段を下りていく。


     ◆


 ようやく階段を下り終えた、エリックは階段下にある町へと着いた。日は大分下へと傾き始めていたが、人々が行き交うとても賑やかな町だった。初めてきた町に彼は胸を躍らせていた。町の中を散策しながら下へと続く階段を探す。


 町の広場では露店が展開されており、エリックはその店にある商品を眺めながら町並みを楽しんでいた。色々と欲しい物はあるのだが、今の彼にはお金が無い。お金は母親が持っているのだ。


 母親はまだ彼がお金を持つことは早いと考えているようであり、もしも、彼が何か欲しい物があるならば、彼女の仕事の手伝いを五回もしなければいけなかった。ただし、手伝いを五回したところでエリックが望んでいた物とは違う物しか買ってもらえないこともしばしばあるのである。


 露店をエリックが物欲しそうに見回っていると、後ろから何かが背中を押してきた。犬の鳴き声が聞こえた。後ろを振り返ると一匹の大型犬が尻尾を振って優しそうな目で彼をじっと見ている。


「な、何?」


 犬は一吠えすると、エリックが持っていた本を取ってどこかへと行こうとした。彼は急いで犬を追いかける。


「こら、待て!」


 追いかける犬は以外にもすばしっこく彼は全力疾走で追いかけなくてはならなかった。犬は尻尾を振りながら逃げる。逃げ行く場所は路地裏である。人気は既に無くなっている。


 どれほど走ったのだろうか、エリックの肺は張り裂けそうなくらい辛かった。犬はまだ元気のようで、尻尾を振りながら逃げ続ける。


 しかし、犬はとある広い場所に出ると、立ち止まってこちらの方を向いた。犬は尻尾を振りながら口に咥えていた本を地面にそっと置いた。辛うじて追いかけてこれた彼はようやく本を取り返すことに成功した。乱れた息を整えるために大きく深呼吸をして、取り戻した本を見ると、苦笑いするしかない。


「うわあ……涎でべとべとだ」


 エリックは涎付きの本を指で摘むように持ち上げた。すると、犬は彼のショルダーバッグのにおいを嗅ぎ始める。そして、バッグの中に顔を突っ込もうとしてくるため、彼はそれを止めた。


「うわっ! 何だよ、お前……。――もしかして、お腹空いているのか?」


 犬にそう聞くと、一吠えした。どうやらお腹が空いているようだった。まだ彼のショルダーバッグのにおいを嗅ぎながら彼に物欲しそうな目で見てくる。


「しょうがないなあ……」


 犬の物欲しそうな視線に負けたエリックはショルダーバッグの中から食料を取り出すと、それを半分にして犬にあげた。もう半分はエリックが食べた。


 ごはんを食べ終えて、犬は彼をどこかへと案内すると言わんばかりに服を引っ張り始めた。犬に従うことにする。


 前へ数歩進めば、足を止めて彼が自分に着いてきているかの確認を取っていた。無論、そのようなことをされればエリックはきちんと犬に着いて行かざるを得なかった。


 犬の後を着いて行き、やってきた場所は夕日が見える空き地のような場所だった。周りに家は見当たらない、人の気配はしなかったが、とてもいい場所だと思えた。犬はその場に座り込んだ。彼もまた犬の隣に座り込む。


 犬はちらりとエリックを見た。彼は本を夕日に向けて立て、涎を乾かしていた。


 犬がエリックに向けて一吠えした。


「どうしたの?」


 エリックは犬を撫でた。彼は犬にいたずらされたからと言って、嫌うことなかった。彼は動物が好きなのである。よく探検の最中に捨て犬や捨て猫を家に連れて帰ってくることもあるが、母親はそれらを見ると、元の場所に戻してきなさい、と怒られてしまうことを彼は思い出しながら犬の体を優しく撫でる。


 犬と一緒にいて、安心しているのか急に眠くなり始めてきた。欠伸が出てくる。犬は小さく鳴いた。彼は眠い目を擦る。


「ごめん……背中を借りるね」


 エリックは犬の背中に頭を置いてそのまま眠ってしまった。犬は静かに彼を見守りながらも目をそっと閉じる。


     ◆


 翌日、エリックは犬の一吠えで目を覚ました。目を開けると、自分がいる場所は自分の家ではなく、知らない場所だった。ここはどこだ? そう考えるもすぐに彼は地上へ行く途中だったと言うことを思い出した。日は少し高く上がっていた。


 犬が吠え、ショルダーバッグのにおいを嗅ぎ始めた。どうやらお腹が空いているようだった。彼はまたしても食料の一食分を半分にしてその半分を犬にあげた。犬は嬉しそうに食べ始めた。エリックももう半分を食べる。


 彼が食べ終えると、犬は涎が乾いた本に手を置いた。尻尾を振り、一吠えをした。それはまるで地上までの行き道を案内するから着いてこいと言わんばかりであった。


 エリックは本を手に持って犬に「案内いいか?」と聞いた。すると、犬は尻尾を振りながらその場から離れようとするため、彼は後を追った。


 彼らは下へと続く階段を見つけると、犬が先頭、エリックは後を着いて行くようにして下へと続く階段を下りていく。


     ◆


 下の方へと下りて行く内に周りの景色が段々と見えにくくなってきていた。写真で見たことがある、これは雲だ。空中都市の最下層付近でよく発生しやすい。いつもは雲を見下ろしてばかりのエリックだったが、間近で見ることが出来て嬉しく思っていた。ここまでくると、地上へ近付いてきたと実感が沸いてくる。


 試しに階段下をちらりと覗いてみると、下はまだ雲に隠れていて地上は見えなかった。だが、この雲を抜ければ地上を見ることが出来る。彼はそう考えるだけでわくわくしていた。


 しばらくの間、地上の方を眺めていると、下の方にいた犬が吠えた。


「あ、ごめん、行く!」


 エリックは犬の後を追う。


     ◆


 雲の中の階段を下り切って、とある場所へとやってきたエリックたち。ここで犬はまたショルダーバッグを嗅ぎ始めた。お腹が空いたらしい。エリックは仕方無く、その場に座り込んで犬と食料を分け合った。


 彼が持っていた食料はこれが最後だった。もしも、今日中までに地上を見られないのであれば、諦めて家に帰るしかないのだ。いや、おそらく見られるだろう。ここは雲の中であるのだ。雲の中を抜けることが出来れば見ることは可能だ。


 それはそうと、エリックはごはんを食べていて気付いたことがあった。人がいないのだ。ここには人の家は建ち並んでようだが、誰も外を出歩いているようには見えなかった。むしろ、その家に人が住んでいる気配を感じない。


 食べ終えた、犬は彼に着いてくるように吠えた。急いで食べ終えると、犬の後を追う。次に階段を見つければ、晴れて地上を拝められるかもしれない。早く見てみたいものだ。


 しかし、犬は路地裏の方へと入って行ってしまった。慌てて追うエリックだが、犬が入って行った場所は人の家だった。あの家だけ周りに立ち並ぶ家と違って誰かが住んでいる気配がするが、流石に人の家にお邪魔する気はない。


「……もしかして、自分の家を教えただけ?」


 どうやら、犬が案内していたのは地上への道のりではなく、自分の家だったと言うことにエリックは落胆した。仕方ない、残りは自分で探そう。


 路地裏から出ようとすると、表通りからようやく人の姿を二人ほど見つけた。だが、その人を見て彼は逃げるように路地裏へと逃げ込む。何故か、その人物は武器を所持していて、緑色の軍服を着ており、見るからに怖そうでおっかなさそうな軍人たちだったからだ。


 あの人たちは誰なんだ、と彼は緊張する。空中都市で見掛ける武装している者たちは紺色の軍服を着ており、警備団と呼ばれている。彼らの服装は緑色だからこそ、見たことの無い者たちだからこそ彼らを見てエリックは怯えていた。


 物陰から謎の軍人たちの様子を窺っていたエリックだが、彼らに見つかってしまった。ちらりと横目で彼と視線が合うが、すぐに立ち去って行った。


 ここら辺の自治区警備団関係の人なのだろうか? それならば、あまり疑わしいような行動を取らないようにして普通に下を目指そう、と考え、実行することにした。そして、路地裏から出ると、階段を探し始める。


 そうとは言っても、ここは雲の中の人気の無い町である。人気が無いのは構わないが、視界が悪いと数歩先の道が見えにくいのだ。前から、後ろから人の気配はするし、全てすれ違う人は謎の軍人たちのみである。彼らはエリックを見る度にじろじろとこちらを見ていた。その視線が怖いと感じながらも、本を握りしめて階段を探す。


 ようやく下へと続く階段を見つけたエリックは下りる前に周りを確認した。緑色の軍人たちはいない。彼は階段を下り始めた。その階段は手すりもなければ両側に壁すらもない危険な階段だった。強い風が吹く度に彼は立ち止まって風が止むのを待った。不安定な場所にいるせいか、足元が揺れている気がした。


 エリックは階段下をそっと見た。下は雲に隠れていて、どれくらいの距離があるのか判らない。


 ここから見える雲の下と言うのは地上か、それともまだ空中都市なのか――下手に階段から落ちれば一溜りもないだろう。そう考えてしまった彼は生唾を飲み込む。


 あまり下の方を気にして見ない方がいい、そう言い聞かせて階段を下りていると、誰かが階段を上ってくるのが見えた。服は緑色、武装をしていた。緑色の軍人である。エリックは嫌な予感しかしなかった。



 ばれませんように、ばれませんように。何も聞いてきませんように。



 心臓が高鳴る。耳元で鼓動が聞こえてくる。冷たい、強い風が吹いていると言うのに頬が熱かった。彼は何とか不審に思われないように平然を装うつもりなのだが、やり切れるのかが不安だった。


 エリックは下から登ってくる緑色の軍人である男に階段下へと落ちないように、また、自分も落ちないようにして道を開けた。男はお礼を言うと、彼の頭を軽く撫でて上へと行こうとした。


 緑色の軍人が何も言ってこないと分かると、彼は安心したのか大きく息を吐いた。


 何も言われなくてよかった。


 そう思ったエリックが階段を下りようとした矢先――。



「坊主、どこへ行く気なんだ?」



 一番聞いて欲しくなかった質問をされてしまった。その場で硬直する。再び、大きく心臓の音が聞こえてきた。緑色の軍人は彼に近付いてきているのが判る。


 逃げるべきか、否。下手に逃げればあの軍人に捕まり、地上へ行くということがばれてしまう。


 エリックは緑色の軍人の方を向かずに「ちょっとそこまで」と少し震えた声で答えた。


 緑色の軍人は彼の肩に手を置いた。手が置かれた肩が強張る。



「そこまでとはどこのことだ?」



 彼は緑色の軍人の方へゆっくり顔を向けた。


「お、おじさんは……どこまで?」


 何とか話を逸らそうとするエリックだったが、緑色の軍人は話を誤魔化すな、と睨まれてしまう。


「俺はお前に話を聞いているんだ。言え」


「……あ、し、下に僕の家があるんだ!」


 エリックはそう苦し紛れの言い訳をするが、それは緑色の軍人に通用しなかった。男は首根っこを掴んでくる。これでは逃げることすら出来ない。


「この先に家などないぞ?」


 緑色の軍人は彼が持っていた本に目を付けた。そして、それを指差しながらその本を見せてみろ、と言ってくる。それをエリックが断わると男の目付きは更に鋭く怖い目に変わった。


「お前、まさか……地上へ行こうとしていないだろうな?」


 緑色の軍人の質問に答えようとしなかった。他に、何か言い訳を考えていた。


 父親、もしくは祖父が彼と同じように働いているという言い訳? いや、その言い訳が通用するかが甚だ怪しい。


 焦って言い訳を考えているエリックに緑色の軍人は声をかける。


「……何も答えない坊主に俺がいいことを教えてやろうか?」


 緑色の軍人の言葉にエリックは男を見た。男は言葉を続ける。



「地上は死の世界だ。お前みたいなちんちくりんが行っても一日も持たない場所なんだよ」



「死の、世界?」


「何で、俺たちは地上ではなく空を選んだのか知らないだろう? 大抵の大人たちは危険だとしか言わないからな。……地上のエネルギーが枯渇しているからなんだよ。だから、俺たちは住んで苦になる地上よりも楽な空へ逃げたんだ。さあ、解ったら早く家に帰ってお母さんの仕事のお手伝いでもしていな」


 いつも地上へ行っても危険なだけだ、と大人たちは答えてくれなかった。初めてそれ以外の意見を大人から聞いた。


 緑色の軍人がエリックの首根っこを掴んだまま、階段の上の方へと上がろうとした時、自分の家に帰っていたはずの犬が男の手に噛み付いてきた。男は犬を放そうと、暴れ回った。自分たちが階段下へと落ちないように用心する。


「何だ? 犬!?」


 やがて、あまりにも騒ぎ過ぎたのか、階段下の方から緑色の軍人たちが大勢やってきた。彼らを見たエリックは流石にまずいと思い、犬に声をかける。


「逃げよう!」


 彼らは男の手から抜けるように階段上へと逃げ出した。


 後ろから緑色の軍服を着た男たちがエリックたちを追いかけてくる。彼は何も分からない下への恐怖を無視してまでも全力で上った。


 走っているせいなのか、風のせいなのか足元が揺れる、揺れる。足場の不安定さがより増してくる。


 そのせいでエリックは一段足を踏み外してしまった。その影響で階段に使われている石のブロックが緑色の軍人たちの方へと落ちていく。踏み外した原因は彼の足下が濡れていたから。周りは雲に囲まれており、霧雨のような物が降っていた。だから誤って石のブロックを踏み外して、彼らの方へと落としてしまったのだ。


「ご、ごめんなさい!」


 彼は緑色の軍人たちに謝りながらも、走って逃げた。だが、足が滑って、下へと落ちそうになってしまう。犬は心配そうに彼を見る。


 足元が揺れていることは緑色の軍人たちにも解っているようで、下に落ちないように慎重に追いかけてきていた。


 緑色の軍人たちから逃げているエリックだったが、後少しで階段を上りきれそうなところで強い突風が階段にいる者たちに襲いかかってきた。それと彼らが振動を加えたことにより、そこにある足場が今にも崩れそうだった。



「坊主! そっちは危ないから一度こっちに来い!」



 そう、緑色の軍人たちは声を上げる。だが、彼は捕まるのが怖いのか、彼らの方へ行くことは無く、上へと走る。


「走るな、危ない!」


 緑色の軍人のその声とともに、エリックの足場から一部の石のブロックが崩れ始めた。犬は急かすように彼に向かって吠える。


 エリックが石のブロックに足を置く度に壊れ始めたのだ。


「坊主!」


 エリックと犬が走る階段の石のブロックは前からも壊れ始める。



 あと少しで通りへ行けるのに。



 犬は彼が持っていた本を取り、階段の向こう側に見える通りの方へとジャンプした。続けてエリックもジャンプする。


 犬は華麗に向こう側へと着地し、彼自身も通りの地面の下の壁に激突するが、何とか向こう側へと辿り着くことが出来た。

 

 下手すれば見えない下へと落ちかねない。自分の体を支えているのは腕のみだ。足場を探って探し出し、足をそこへかけようとするも崩れて落ちそうになってしまう。こちらへこられない緑色の軍人たちはエリックに向かって叫んでいる。遠くから急ぎ足が聞こえてきた。


「えっ?」


 どうやら階段が崩れる音が聞こえたのか、緑色の軍人たちが通りの向こう側からこちらへとやってきているのが見えた。


 犬は口に咥えていた本を地面に置き、彼のショルダーバッグを引っ張り始めた。彼なりにエリックを助けようとしているようである。それに対して彼は気力で踏ん張りながらも何とか安定した場所へと身を置くことが出来た。


 窮地を乗り越えて一安心する彼らなのだが、まだ何も終わったわけではない。緑色の軍人たちに捕まらないように犬が置いた本を手にして走り出した。走り逃げ行く一人と一匹に緑色の軍人たちは「待ちなさい!」と彼らを捕まえようとする。


「君! ちょっと?」


 エリックは立ち止まらず、逃げることに専念した。緑色の軍人たちの間をすり抜けるようにして走る。犬が大きく吠えながら先頭に立った。彼は犬の後を追う。


 そして、犬が先ほど入って行った路地裏へと逃げ込んだ。



 緑色の軍人たちがエリックと犬が入り込んだ路地裏へと踊り込むと、そこには一人の老人が立っていた。彼は睨み付けるように彼らを見ている。一人の男が彼に話しかける。


「ここに、少年と犬が通らなかったか?」


 老人は鼻で大きくため息を吐くと「孫だ」そう、答え、彼らの足下に何かがパンパンに詰まった小袋を投げた。それを彼らは拾い、中身を確認した。小袋の中は大量の金貨が入っていた。


「……馬鹿な孫と犬が迷惑をかけた。それで勘弁してくれ」


 緑色の軍人たちは互いに顔を見合わせると、老人に頷いて、路地裏前から立ち去って行ってしまう。完全に彼らがいなくなったと言うことを確認すると、物陰にあるごみ箱の方に声をかけた。


「行ったぞ」


 ごみ箱からエリックと犬は出てくる。彼らの頭の上には生ごみが乗っていた。


「す、すみません。ありがとうございます」


 エリックは頭を下げながら先に犬をごみ箱から出して、自分も出た。


「お前さんはあいつらに睨まれるようなことをしまったのかい? 一体何をした?」


「いえ……別に、何もしていません」


 老人の質問に対してエリックは彼から視線を逸らした。


「……そうかい。それならば、家の犬が原因か。家に来なさい、お詫びにお茶でも振る舞おうじゃないか」


 老人はそう言うと、エリックを手招きして路地裏の奥へと案内した。犬は老人の横を歩く。彼は頭の上に乗った生ごみを払い除けると、彼らの後を追った。


     ◆


 老人の家は本だらけだった。本は壁に寄せてあり、天井に届くほど高く積み上げられていた。


 老人はエリックにテーブルの席に座るように促した。彼はテーブルの席に座った。テーブルの上にも本は大量に積み上げられている。余程この老人は本が好きなのだろうか、と思う。


 彼の祖父の家にも大量の本はあるのだが、ここまで多くある本は見たことは無かった。よくよく見れば、祖父の家には無い本も沢山ある。


「本が沢山ありますね」


「ああ、全部本屋に出された物は買って読んでいるよ」


 そう言いながら、エリックにお茶を淹れて差し出してくれた。彼はお礼を言うと、お茶を飲むため、本をテーブルの上に置いて飲んだ。何だか、そこに自分の本を置いただけでもその本が老人の物だと思える気がした。


 老人はエリックの涎が乾いた本を見て「本は大切にしろ」と言う。


「本は人の知識だけあらず、物書きの心も入っているんだぞ」


「……ごめんなさい。でも、この本はこの犬が噛んじゃって涎塗れになっちゃったんです」


 エリックがそう言うと、老人は苦笑いした。犬の頭に手を乗せて悪かった、と詫びを入れる。彼は首を横に振り、お茶を一口飲んだ。ずっと外にいたから体が温まった気がした。


「ところで、家の犬はお前さんを巻き込んでまであいつらに何をしたんだ?」


「えっと、色々と……それよりもあの緑色の軍人さんたちは何ですか? ここの警備団さんたちですか? 服って普通は紺色の服ですよね?」


 そう質問をすると、何度も頷き、緑色の軍服を着た者たちのことについて教えてくれた。


「彼らは空中都市最下層警備団だ。ここの警備しかしておらん。ここに初めてきたのであれば、知らないのも無理はない」


「何で、ここだけですか? 普通の警備団の人じゃダメなんですか?」


 エリックは分からないことだらけで、いくつもの質問をぶつけた。老人は彼の質問に対して苦笑いをした。


「お前さんは地上のことで親とかにどう聞いたことがある?」


「親とか近所の人は危険だからって言っていました。そのことは詳しく教えてくれませんでした。でも、あの緑色の軍人さんは死の世界だって言っていました。地上はエネルギーが枯渇していて、人々は地上を捨てざるを得なかったって……でも、この本には自然豊かで美しい世界だって書いてあるのに……」


「……そりゃ、お前さん。それはただの物語だからだよ。見たことが無い物は想像でしか書けないんだ」


 老人のその言葉にエリックはしょんぼりする。


「だが、見たいと思っても地上に行けないのは事実だ。実はあの連中は地上を見たことがある奴らだからなんだよ」


 エリックはあまりの驚きに椅子から立ち上がった。彼は老人に落ち着きなさい、と言われ椅子に座り直す。


「つまり、地上を見たことがある人があの緑色の軍服を着るんですか?」


「そうだな」


 老人はそう言うと、お茶を啜る。


「だが、あいつらは地上の全てを見たと言うわけではないぞ。地上へ行くにはここから下りる階段を下りて、門を潜り、更にはまた階段を下りて門を潜るとようやく地上へと出られる。そこで周りを見渡すだけだ。どこかへ行くことも無いし、出来ない」


 そのことを聞いてエリックは自分の本に目を落とした。


「おじいさんは……地上を見たことがあるんですか?」


「いや、見たことはない。話は彼らに聞いた。もちろんこれを使ってな」


 老人はそう言うと、小袋を取り出して、中に入っている金貨を取り出した。


「あいつらは金さえやれば地上へ行くこと以外に何でもしてくれているんだ」


 彼はそれを聞いて苦笑いするしかなかった。


「ところで、その本はどこで手に入れたんだい?」


 老人はそう言いながら煙草をふかしていた。周りに煙草の臭いが充満する。エリックは祖父の物だと答え、老人に見せた。本を手に取った老人は煙草を口に咥えて本のページを捲る。しばらくの間吟味していた。


「……お前のじいさんはエトワールか」


「おじいさん、おじいちゃんのこと知っているんですか?」


 エリックは驚いた表情を老人に見せた。


「ああ。エトワールはわしの旧友だ。そして、この本はわしがエトワールにやった物でもある」


「びっくりしました。そのことは今まで聞いたことなかったので……」


「ははっ。ここ数十年は連絡すらもしていなかったからな。向こうもこっちも死んだもんだと思っていたんだろうな」


「おじいちゃんはまだまだ元気ですよ」


 その言葉に老人は聞いて安心した、と言うと、席から立ち上がり、本のページを捲りながら家の窓から外を見た。そして、彼の方を見た。



「お前さんはこれからどうするかい? 家に帰るかい? それとも、自分がしたいことをするかい?」



 老人の言葉にエリックは視線を足元に落とした。


 彼は老人に自分が地上へ向かおうとしていたことを言うか迷っていた。もし、言ったとしても彼が自分を緑色の軍人たちに差し出されてしまうかもしれないのだ。


 老人の方を見た。老人は窓の外を見ている。


 いや、とエリックは思う。地上へ行くには階段を下りなければいけない。だが、その階段は壊れてしまっている。これでは地上へ行くことは出来なかった。もう、家に帰るしかないのかな……そう諦めが出てき始めてくる。



「面白い物を見せてあげよう」



 老人は窓の外を見ながらそう言うと、エリックの目の前にあるテーブルを動かし始めた。雑に動かすものだから、テーブルの上に積み重なっている本が崩れ落ちてしまう。それを無言で見ていた老人はいいや、とあっさり床に落ちてしまった本をテーブルの上に雑に置いた。


 それを見ていた彼は苦笑いするしかない。


 老人が動かしたテーブルの下には人一人が通れそうなくらいの穴があった。


「これが何か分かるかな?」


 老人の問いかけにエリックは首を横に振る。


「地下室にも沢山の本があるんですか?」


「いや、これは地上への抜け道だ」


 その言葉にエリックは目を丸くした。


「地上への行き方は何も正規の行き方だけとは限らない。わしだって地上へ夢を見ていた時期もあるんだよ」


 そう老人は言いながらエリックに本を返した。


「先ほどのやり取りを見ていたぞ。子供なのによくやるなあ」


 どうも彼が地上へと続く階段を壊したところを老人は見ていたようだった。


 老人は地上へと続く抜け道を指差した。



「もう一度聞こう。お前さんは家に帰りたいかい? それとも、地上へ行きたいかい? ただし、地上に行くならば、この道はある場所を境に後戻りが出来なくなるのだが……」



 エリックは地上へ続く抜け道と老人を交互に見た。彼は迷っていた。


 抜け道を行けば、地上を見に行くことは出来る。だが、家に帰ることが出来ない。一生、緑色の軍人たちの言う死の世界で過ごさなければならない。


 家に帰れば、安心した生活を得ることが出来る。だが、地上を見ると言うことは出来ず、ただの憧れで一生を終えるのだ。


 エリックがどちらを取るかで迷っていると、犬が彼のショルダーバッグのにおいを嗅ぎ始めてきた。またもお腹が空いているようだが、バッグの中に食料はもう無いのだ。


「あ、ごめんね。もう、無いんだよ」


「……そいつはよく人から食べ物をせびるんだ。悪かったな」


 彼から犬を引き剥がした。犬はお腹が空いているようで、老人に鳴き付いた。老人は仕方なく犬にキッチンから干し肉をあげると、嬉しそうに犬は干し肉にありつく。


「まだ、迷っているのか?」


 老人は干し肉を食べている犬の頭を撫でながらエリックにそう尋ねる。何を答えていいか分からないのか、老人から視線を逸らした。


「……お前さんはどうして地上へ行きたかったのかな?」


 どうして、と言われてもエリックはただ地上を見て見たかっただけなのだ。ここまで命掛けになるとは思っていなかったのだ。だからこそ、今の彼には迷いがあった。



「この本に書いてある地上と実際の地上ってどんな違いがあるかこの目で見たかったんです」



 彼が素直にそう言うと、老人は笑った。笑われた理由が解らない。


「何だ、それだけのことか。十分な理由じゃないのか?」


「え?」


「実際の地上を見たかったからここにまできたのだろう? あいつらに地上の真実を聞かされても大人しく捕まることも無く逃げてきたんだろう? それならば、答えは簡単だ。お前はその自分自身の目で地上を確かめに行くべきだ。本当に地上が死の世界なのかをな」


 老人のその言葉にエリックは目が覚めた。緑色の軍人たちの言うことが本当だとは限らないのだ。彼らは空中都市の門の外を見渡しただけに過ぎない。地平線の向こう側まで行った訳ではないのだ。


 エリックは意を決して椅子から立ち上がった。


「おじいさん、僕は地上へ行きます」


 老人はその言葉を待っていたと言わんばかりにキッチンにあった食料をエリックに分け与えた。そして、棚の上に置かれていたランタンを渡す。彼はショルダーバッグの中に入れていた長めのロープで本をバッグに括り付けた。


 ランタンを手に持ち、地上への抜け道の穴の縁へと座り込んだ。そして、老人にお礼を言う。


「そうだ、お前さん。最後に一つ聞いてもいいかい?」


 老人はエリックを見送りながら彼にそう尋ねる。


「はい、何でしょう?」



「名前を聞かせて欲しい」



「――僕はエリックと言います」



 老人はエリックの名前を聞くと一瞬だけ目を大きく見開き、嬉しそうに頷いた。


「そうか、エリックか。うん、うん。いい名前だ。それでは、エリックよ。その目で地上を見に行ってきなさい」


「はい、行ってきます」


 そう言うと、彼は笑顔で地上への抜け道の穴へと入って行った。ランタンの明りが暗がりの穴を照らしだしている。老人はその明かりが見えなくなるまでエリックを見送った。


 ランタンの明りが見えなくなると、老人は満足そうに犬の頭を撫でた。犬に干し肉を与える。



「まさか、自分が書いた物語の主人公の名前とは……」



     ◆


 エリックは地面を這いずりながら先の見えない暗がりの狭い道を進んでいた。緑色の軍服を着た者たちにばれないように老人は一人でこうして道を作っていたのだろう。


 狭くて暗くて暑くて……そう感じてもエリックは前へと突き進んで行く。そうしている内に今度は深い穴が見えた。前は行き止まりだ。穴の縁にはロープが付いていた。どうやら穴の下へと下りなければいけないらしい。


「よっと」


 穴の下へと続くロープに捕まり、ゆっくりと下へと下りていった。


 ロープで降りて行ってどれくらいまであるのかと確認するため穴の下の方にランタンを照らしてみた。穴はまだ深そうだった。彼はゆっくり下りて行く。


 時間間隔が判らない、今自分はどこら辺にいるのか分からない状況の中、ようやく下にある地面まで辿り着くことが出来た。ここから先もまた這いずって行かなければ通れない狭い道のようである。


 彼は少しだけ広いこの場所で老人から分けて貰った食料を食べた。食べる時、誤って半分にしてしまう。今は一人なのに、つい、犬のために食料を半分してしまったことに一人恥ずかしくなった。


 満腹になったエリックは一息を吐くと狭い道の地面を這いずりながら前へと突き進んで行った。


 ふと、上の方から足音が聞こえてきた。何の音なのか、と思いながらもエリックは仰向けとなり、天井を軽く叩いた。そして、天井を押してみる。天井は動いた。


 天井が動いたことにびっくりしてしまったのか、手を放してしまい、物音を立ててしまった。その音は誰かに聞こえていたようで遠くから「誰だ?」と言う声が聞こえてくる。


 危険を察したエリックは急いで伏せた状態になって這いずりながら前へと進むように逃げた。おそらく彼自身がいる場所はあの時の階段の下の方にある道か何かだ。と言うことはあの声は緑色の軍人なのだろう。


 ずっと突き進んで行くと、またロープ付きの穴を見つけた。穴の中をランタンの明りに照らしてみると、穴はそこまで深そうではなかった。地面が見える。彼はロープを使って下へと下りてみた。


 下りた所は先ほどの狭い道とは違って天井も横幅も広くある道だった。だが、この道はあの老人が作った道には見えなかった。


 まるで、元からあった道のようだった。


 エリックがやってきた道の方向を見ると、土砂が積まれており、行けそうにはない。そして何より、地面には細長い鉄が地面に埋まっていた。それは真っ直ぐ前に続いていた。


 しばらく前へと突き進んだ。だが、こちらの前の方も土砂で塞がれており、この先へ行くことは出来なかった。その代わり、横の壁に小さな穴を見つけた。その穴は人一人がようやく通れるくらいの穴で、坂道になっていた。この穴は行き止まりのために老人が作ったのだろう。


 そこへ彼は潜り込み、再び這いずって行きながら前へと進む。


 どれほど前へと突き進んだことか。正直な話、体力は限界に近付いてきていた。疲れが見え始めており、眠気がしてくる。ここで寝るのはどうかと思う彼は眠いと思う自分に鞭を打ち、前へと向かうが、眠気に負けてその場で眠ってしまった。


     ◆


 エリックが目を覚ました頃にはランタンの火が今にも消えそうになるくらい小さな明かりになっていた。これはまずい、そう思い火が消える前に前へ、前へと向かう。


 現在、自分がどこにいるのかは判らない。それでも、あの老人が作ってくれた地上への道をここで諦めたくなかった。ここまできたのであれば、一目だけでもいい、地上を見たい。いや、暗がりの狭い道を戻るのが怖いと言う思うことが一番強かった。ただえさえ一人で地上へ向かうことが心細いからだ。そう簡単に後には引けそうにない。


 焦れば焦るほど、ランタンの火は弱まっていっている気がした。周りは段々と暗くなっていく。


「持ってくれ、持ってくれ」


 彼は火が消えないように祈りながら前へと進んで行く。涙が出そうにもなった。


 しかし、エリックの願いはここで消えいくように暗くなってしまった。


 今まではランタンの明りで何とかここまでくることが出来たが、いざ火が消えてしまうと怖くて、寂しくて帰りたくなってくる。帰りたいと思っても、暗い道を戻る気にはもうなれなかった。



「泣くな、僕!」



 泣きそうになっている自分の顔に喝を入れるために両頬を叩いた。


「見に行きたいんだ、おじいさんにお世話になったんだ。見に行かなくちゃ!」


 彼は火の無いランタンを置いて前へと進んだ。彼の目に映る光景は全くの暗闇である。何も見えない、何も分からない。自分がどうなっているのかさえ分からない、混乱しているようだったが、涙を飲み込んで地上を目指す。


     ◆


 暗闇の狭い道を這いずっていると、エリックの頭に何かが当たった。それを触ってみると、何か細長い物が天井から出てきていた。手触りからして冷たい物だ。金属か? 何なのだろうか、彼はそう考えるだけで特に気にすることもなかったが、目先に地面がないような場所へとやってきた。ここは行き止まりなのかと思い、手をギリギリまで伸ばして探ってみるも、壁は無かった。それならば、と地面を手探りでロープを探す。


 無い。ロープが無い。と言うことはロープ無しでも行ける穴なのか?


 そう考えたがその穴に飛び込む勇気はなかった。先の見えない物を信じることは出来ないのだ。


 万が一のことを考えた彼はショルダーバッグと本に括り付けていたロープを解き、天井から出てきている細長い物にそれを括りつけた。そして、それを利用して下りていく。


 穴の広さはとても大きいようで、エリックが下りながら周りを手探りしていくのだが、どれくらの大きさかも判らないくらい手が付かなかった。


 しばらく下りて行っていると、まだ穴の中だと言うのにロープが終わってしまっていた。自分の家の中で一番長いロープを持ってきたと言うのに、それでもまだ地面に着かないことに彼は恐怖を感じた。


 限界の所まで下りて行き、足探りで地面の有無を確認するも地面はないようだった。一度、ロープがある場所まで戻って行って取ってくるか、とも考えてみたが、今の彼には上まで上る体力など無いに等しかった。



「……よしっ」



 何かを決心したエリックは手に持っていた本を下へと落としてみた。本が地面に当たる音は小さくない。きちんと下へと落ちた音が聞こえてくる。



 本が地面に当たる音を聞いて確信した彼はそのままロープから手を放した。



 地面に落ちるまでそう時間はかからなかった。エリックは尻から地面へと落ちたが、多少痛むだけでどこか怪我したという訳ではなかった。


 その際、地面に触れて初めて触ったことも無い感覚に陥っていた。土とは言えない、かと言って水を大量に含んだ泥でもない。


「水気が無い?」


 その地面は石という訳ではなかった。乾いた土のようだった。とてもさらさらしている。


 基本的に空中都市にある土は少し湿っている。ごく稀に乾いた土に触れることはあるのだが、指の隙間から通り抜けるようなさらさらとした土に触れたことはなかった。


 触れた土を気にかけていたが、エリックは本のことを思い出し、手探りで本を探した。本はすぐに見つかった。


 彼はその場から立ち上がると、周りを見渡した。真っ暗で何も見えない。どこかへと進まなければ、そう思い、前へと進んだ。


 風が吹いているようで、その乾いた土埃がエリックを襲う。


 目を開けていようが、瞑っていようが暗闇であることに変わりないため、特に気にすることも無く土埃が目に入らないように目を瞑って進むことにした。


     ◆


 しばらく歩いて行くと、段々と周りが明るくなってき始めた。そこで気付いたことは、エリックは地平線が見える乾いた壁が見当たらない土地にいると言うことだった。目の前の空は広く、初めて見る光景だった。空中都市では見たことの無い風景――。


 ここで彼は自分がいる場所が地上ではないか、と推測した。


「ここが……地上……?」


 エリックは辺りを見渡した。後ろを振り向くと地平線の上空に小さく空中都市が見えた。それは空へと真っ直ぐ浮かんでいる。


 空に浮かび上がる都市の上の方には明るい光が当たっていた。その光はきらきらと輝いている。空中都市とは反対方向を見た。



 地平線の彼方から朝日が昇り始めていた。



 彼はたまに自分の家の屋根に上って雲から顔を覗かせている朝日を見たことがあるが、地平線から覗かせる朝日を見て感動していた。綺麗だと思った。本当に地上は死の世界なのかと疑いたくなるくらいの美しい夜明けであった。


 突風が吹き、エリックは身構えた。


 その拍子に彼は本を落としてしまう。急いで本を拾おうとするエリックの目に読んでいる時には気付かなかった文章を見つけた。


 更に落とした本の近くの地面に植物の芽を発見する。ここは周りに植物が存在しないような土がさらさらに乾いているような土地だ。だが、その芽は突風が吹かれて靡こうが、物ともせずに朝日に照らされていた。そして、今にも成長しそうなくらいの力強さを彼に見せ付けていた。


 文章は物語の最後のページの隣のページに書き込まれている。



『それの可能性を見よ』



 その文章を見た彼は一人頷いた。



「信じてみよう」



 植物の芽の横に本を置いた。そして、空中都市(エデン)朝日に向かって歩き出す。本と芽は風に揺れられながらいつまでもエリックを見送っていた。

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