つぎのはじまり
542:桜の木の下には(ry@働きたくないでござる:2013/7/20(土)03:11
乙乙ノシ
チャット画面に自分の書き込みが反映されたのを確認し、咲楽は小さくあくびをする。引っ越しの作業やネット環境を整えるための準備などのせいで二週連続不参加だったが、今週は参加できてよかった。
今日の『定例会』はこれで終わりだ。引っ越してから初めてのチャットは、いつもとはまた違って新鮮に感じられた。普段は雑談しかしていないが、今日は珍しく『依頼』があった事も理由の一つだろう。雑談もいいが、やはり仕事がくるとチャットもよりいっそう盛り上がる。
咲楽が『彼ら』と知り合ったのは、ほんの偶然だった。『彼ら』はみな、咲楽が快楽殺人鬼である事を知っている。『彼ら』は咲楽のよき理解者であり、よき友人だ。
『彼ら』――――いや、『自分達』が何を目的にしている集団なのか、それは咲楽もわかっていない。こうして週に一回チャットでやりとりをして、スナッフフィルムの作成や殺人ゲームの企画をする、それが『自分達』だった。きっと、この行為に明確な目的意識などないのだろう。各々が各々の欲望を満たすため、『自分達』は活動しているのだ。
たとえば咲楽の場合、満たしたいのは殺人欲求だった。『彼ら』と共に活動していると、殺していい人間を数多く紹介してくれる。しかも、アリバイだとか目撃者だとか死体の処理だとか、そういった面倒な事は一切考えなくていいというおまけつきだ。そのうえまとまった金額の報酬ももらえる。『彼ら』の一員として活動する事は、咲楽にとってメリットしかなかった。
とはいえ、『依頼』がないと『自分達』は活動できない。その間の殺人衝動は自主的な殺人行為で満たすのだが、フラストレーションがたまりにたまったせいで連続通り魔殺人など起こしてしまった。だが、どうせ事件は『自分達』の中でも特に裏工作や隠ぺいに長けた“ブルーブラッド”や“黒雪姫”あたりが裏で手を回してくれるだろう。あの二人の手にかかれば、どんな陰惨な事件もそのうち握り潰されて、お茶の間から消えていってしまう。『自分達』は、そういったアフターケアも万全なのだ。
今日からはしばらく“桜の木の下には(ry”として活動する必要がある。ようやく『依頼』が来たからだ。実行はまだ先だろうが、そのうちスナッフフィルムを作る事になるらしい。咲楽もスタッフとして動かなければならないという。働くのは嫌いだが、人を殺す事は大好きなので大歓迎だった。
『自分達』を束ねているのは、“ブルーブラッド”というハンドルネームの少女だ。『自分達』は今まで幾度もオフ会をしているので、彼女とも何度も会った事がある。自分が言うのもなんだが、“ブルーブラッド”はこんなアンダーグラウンドな集団の頂点に君臨するような少女には見えなかった。だが、自分のようなどこにでもいそうな中学生が殺人鬼なので、人はきっと見た目によらないのだろう。
外見と中身の乖離が激しいのは、咲楽こと“桜の木の下には(ry”や“ブルーブラッド”に限った事ではない。『自分達』は一見すると、みな普通の人間に見える。しかし『自分達』が普通でないのは、咲楽自身もよく知っていた。
そろそろ寝ようと思い、咲楽はパソコンの電源を落としてパソコンラックから離れる。そこで彼女は、学習机の上に置かれていたスマートフォンの変化に気づいた。不在着信を示す緑のランプが点滅しているのだ。
たいして鳴りもしないスマートフォンは、まれにくるダイレクトメールの通知音が煩わしいという理由で常にマナーモードに設定してある。チャットに集中しているあまり、マナーモードのバイブレーションが耳に入らなかったのだろう。
スマートフォンの画面をタップすると、留守電が一件入っているとポップアップが出てきた。表示されているのは公衆電話だ。咲楽は眉をひそめながらも留守電を再生する。数秒の沈黙の後、聞きなれた声が聞こえてきた。
『いつか必ず会いに行く――俺が捕まえてやるよ、殺人鬼』
メッセージはそれで終わりだった。すぐに操作を促す合成音声が聞こえてくる。
「あはっ」
殺し損ねた。それを理解し、咲楽は引き裂いたように笑う。
すでに引っ越しは完了している。引っ越し先は告げていないから、彼が自分を見つけるのは至難の技だろう。だが彼ならあるいはと、胸の内が騒めきだす。
「……待ってるね」
通話状態ではないのだから、自分の言葉が彼に――――佐久良慧に届く事はない。それでも彼女はスマートフォンに向けて囁いた。
「次はちゃんと――殺してあげる」