32、私、○○一筋なので!
試合の結果に、ハインリヒはほっと肩を下ろした。
これで、なんの憂いもなくアーサーを側近騎士に指名できる。王前試合の優勝者であれば、誰もが納得するはずだ。
清々しい心地で、隣に立つアリスに声をかける。
「決まったな。行こうか、アリス」
だが、返事がない。アーサーが優勝したというのにやけに静かなアリスに、ハインリヒは眉を顰める。
正直、もっと騒ぐかと思っていた。さらに言えば、ハインリヒを押しのけて、アーサーの元へ駆けていっても驚きはしない。
だというのに、アリスは柵に手をかけたまま、じっと演舞場を見つめて微動だにしない。
この日のために、この瞬間のために、今まで奔走してきたのだろう? 心待ちにしていたのだろう?
一体何を考えている。
「――アリス?」
再び呼んでみても、反応が返ってくることはない。
途端、不安になる。今の試合が、アリスにどう影響したのか。
アリスの肩に手を置いて、振り向かせようとしたとき――
「ハインリヒ、呼ばれてるわ。表彰式よ、行きましょう」
「だが」
「しつこい男は嫌われるわよ。今はそっとしておいてあげなさい」
「…………」
エスティナの言葉にハインリヒはぐっと顎を引き、聞き分けのない子供のように眉を寄せる。それでも姉の威圧は強く、ハインリヒはずるずると引き摺られていく。
「安心して。ルーカスを置いていくわ」
「何も安心できないが……」
早々にアリスに刃を向けたのだ。むしろ不安要素しかない。
だがエスティナは、入口で控えるルーカスに指示をして、ハインリヒを引き摺ったまま演舞場へと向かった。
■
アリスは放心状態で、その場から動けずにいた。
柵を握る手が微かに震えている。
脳が痺れる。身体中の血が沸き立つ。鳥肌が立つ。
アーサーが優勝したことによる狂喜だろうか? それとも、アーサーが怪我をしなかったことによる安堵か?
――違う。
アリスの心が必死に訴えている。今すぐにでも走り出して剣を握りたいのだと、あの場所に立ちたいのだと、全身全霊で叫んでいる。
(私は――やっぱり剣が好きだ)
アーサーのために捨てたつもりだった。
でも、どうしようもなく好きなのだ。その気持ちを、口から手を突っ込まれて、無理やり吐き出させられた気分だ。
試合の最後、アーサーの剣が変わったのを感じた。
今までは忠実な騎士の剣だった。それが何に影響されたのか、少し遊び心を混ぜた、闘いを楽しむ勇ましい剣になった。
あんな剣を振るうアーサーを、見たことがない。
これからも、隣に立っていたい。いつかアーサーと共に、戦ってみたい。
そのためには、今のように流れに身を任せるのではだめなのだ。アーサーのためだと理由をつけて、逃げることも許されない。自分のために、自分で行動しなくては。
連綿と続くしきたりだから仕方ないと諦めて、知らない貴族の元に嫁いでは、その夢は叶えられない。知らない貴族の元へ嫁ぐのが嫌だからと、ハインリヒの話を流れるまに受けるというのも、きっと違う。
長いこと思考にふけっていたようだ。意識を戻すと、どうやら王前試合は閉幕したのか、観客席はまばらになっている。
一番大事な、心待ちにしていた瞬間を見逃してしまったらしい。
演舞場にも人影は見当たらず、表彰式も、王族の指名も無事に終えたようだ。アーサーは、ハインリヒの側近騎士に指名されただろうか。
アーサーのことを捨て置いて、自分自身のことで考えふけってしまうなど、今までのアリスでは有り得ないことだった。でもこれからは、そういうことが増えていくのだろう。
認めなくてはいけない。前に進まなくてはいけない。
アリスは覚悟を決めたように、両頬をぱしんと叩き、踵を返す。
王族席の出入口には、エスティナの側近騎士であるルーカスが、両手を後ろに組んで姿勢正しく立っていた。アリスの姿を認めても、動く気配はない。敵ではないと認識してくれたのだろう。
そのまま通り過ぎてもよかったが、アリスはなんとなく声をかけた。
「ルーカス様、次回は万全の時に是非、お手合わせをお願いしたいですわ」
「……恐縮です。ご要望とあらば、いつでもお声がけください」
「ありがとうございます。楽しみにしておりますね」
アリスはにこりと微笑み、駆け出していった。動きにくいドレスとは思えないほどのスピードで走り去り、すでに背中が小さくなっている。
ルーカスは片手で後頭部を掻く。
あれは、凡人では太刀打ちできない類の人間だ。アリスの振るう剣は、きっととても滑らかで力強いのだろう。
「とんでもないお姫サマがいたものだ……。王太子妃などという籠に閉じ込めてしまうのは、勿体ない」
ぽろりと出た本音は、王族に聞かれていれば不敬とも取られかねない。ルーカスは、ぱっと口を覆ったのだった。
■
――我らが白の王子、王前試合優勝! 悲願の側近騎士に指名!――
「また変な記事が書かれてる。新聞社は、もっとまともな語彙力を持つ者はいないんだろうか?」
「……国民に親しみを持ってもらうのも、騎士として大事な要素だぞ」
控え室のソファに腰掛けたアーサーは、タイトルセンスのない新聞をつまみ上げる。
王前試合の結果が出て、アーサーが見事にハインリヒの側近騎士に指名されたあと、新聞社各社は急いで記事を作成したようだった。
傍らには、ハインリヒが仏頂面で足を組んでいる。
王族席に残したアリスを迎えに行きたいが、エスティナに脅された言葉はハインリヒの胸にぐさりと刺さっていた。行きたいけれど行けない、そんなもどかしさが、ハインリヒの焦燥感を煽っている。
アーサーはハインリヒの苛立ちに気付かないふりをして、手でつまんでいる記事に目を落とした。
「そうは言いましても……これはあまりにも」
王前祭の記事を思い出す。どうにも、親しみというよりからかいの要素を強く感じるのは、考えすぎだろうか。
いたたまれない気持ちになり、アーサーは話を変える。
「それで、先程から脇腹を抑えておりますが、何かあったんですか?」
「…………君の妹は、いささか異性の耐性がないように思う」
ハインリヒは苦悶に満ちた表情で、脇腹をさすった。
それだけで、何が起こったか、アーサーにはある程度察することができた。大切な妹に何をしてくれるのだと、半眼で睨みつける。
「仕方ないですよ。さる御仁が幼少期からアリスを囲ったせいで、あのとき以来、異性と関わる機会がなかったんですから」
「私のせいだと言いたいのか?」
「それに、アリスは随分と気にしていましたよ。いつまで経っても、落第点のアリスだって。とっくに淑女教育も王妃教育もクリアしているのに、社交界に出さないためにわざと教育期間を伸ばして。婚約の申し込みもたくさん来ていたのに、全て燃やされて」
「何がいけないんだ」
「………………」
全く悪びれないハインリヒに、アーサーは遠い目をした。
アリスはこのまま、どこぞの貴族の元に嫁がねばならないと考えているようだが、そんなことをこの男が許すはずがない。どんな手を使ってでも、王太子妃という立場に持っていかれるだろう。
どれだけ入念に、どれほど時間をかけて外堀を埋められたのか、アリスは気付いていない。アリスも、とんでもない人に目をつけられてしまったものだ。
自由になってほしい。そう願いながらも、この結果に辿り着くように道を敷いたのは、アーサーも同罪である。
「……来たか」
何かに気づいたように、ハインリヒが腰を上げる。
訝しげに眉を寄せたアーサーも、一拍遅れて反応した。ヒールの足音が聞こえてきたのだ。この控え室に足を運べるような人間は、数えられるほどしかいない。
いくらなんでも、気配に敏感すぎないか。アリスレーダーでも働いているのだろうか。
足音は扉の前で止まり、ノックの音がした。「どうぞ」とハインリヒが声を投げると、程なくしてガチャリと扉が開かれる。その先にいたのはやはり、アリスで。
アリスはアーサーの姿を見つけるや、ぱっと顔を輝かせて、アーサーの胸に飛び込んだ。
「お兄様! 優勝、おめでとうございます! とても、
とても格好良かったです!!」
「ありがとう」
「それと……殿下の側近騎士に指名されたとも、伺いました」
「うん、そうだよ」
アリスの口が、きゅと窄まった。素直に祝福の言葉は送れないらしい。
焦れたのか、ハインリヒがそっと近くに寄ってきた。気配を素早く察知したアリスは、アーサーから離れ、じっとハインリヒを見上げた。
■
「さぁ、アリス。答えはでたかい?」
その声は、優しく、低く、そっと窘めるような言い方だった。試合後に意識を閉じてしまったアリスを、気遣ったのだろう。
もちろん、どうしたいか、答えは出ている。
「ハインリヒ殿下――」
アリスは、ハインリヒの前に跪いた。決意に満ちた瞳で、ハインリヒを見上げる。
「この婚約、謹んでお受けいたします」
「――アリス」
その言葉を聞いた瞬間、ハインリヒの顔が綻ぶ。
やはり、表情豊かなひとだ。
守ってあげたくなる。しあわせにしてあげたくなる。この感情をなんというか、アリスはまだ知らない。
「アリス・ブロワは、王太子妃として、ハインリヒ・レチアーナ王太子殿下の剣となり、この命をかけてお護りすることを誓います」
「――――――うん?」
「ははっ」
ハインリヒは笑顔のまま硬直し、アーサーは面白いものでも見たかのように、堪えきれずに笑い声をあげる。
唯々諾々と、決められた檻には収まらないという、アリスらしい決断だ。
一方、想定とは異なる返事を得たハインリヒは、困惑したようにシルバーグレーの瞳を揺らす。
「それは……私のことを好き、と受け取っていいのか?」
「はい? いいえ。私は、殿下のことをお傍でお護りしたい、と申し上げました」
「アーサー……私は今、振られたのか?」
「アリスなりの愛情表現ですかね」
これが今、アリスが出せる最適の答えだった。この先、どう変化していくかは分からない。けれど、この選択が間違いではなかったと、確信する日が来るだろう。
喜ぶべきなのか悲しむべきなのか判断しあぐね、青い顔をして頭を抱えるハインリヒ。満足気に微笑むアーサー。
これが、アリスのしあわせのかたちだ。
二人の様子を眺めて、アリスは楽しそうに晴れやかな笑声をあげた。まるで、太陽のように明るくあたたかい笑顔だった。
――それから数年後、ハインリヒ王太子殿下の即位式が行われた。その隣には、はちみつ色の髪をした美しい王妃と、王妃によく似た相貌をした側近騎士を伴っていたという。
王城内では度々、王と王妃の仲睦まじげな様子が目撃されることになるのだが、それはまだまだ先のお話。
これにて、「私、お兄様一筋なので!」完結です。
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