第一章 日常が終わった日 7
華奢な体躯。腰まで伸びる長い黒髪。慎ましい胸の膨らみ。
「お、女の子? これが……、俺?」
雨塚はもう長い夢を見ているのだとしか考えたくなかった。
頬っぺたをつねってみると、残念ながら少し痛かった。
そんなことをしていると後ろから声が聞こえた。
「あんた! こんなところで何してるんだい!」
振り返ると、モンゴルの民族衣装を着た女性がいた。四十代後半だろうか、雨塚は母親に怒られているような感覚を思い出した。
「家に戻る途中で大きな音がして来てみれば、こんな時に呑気に水浴びかい? 早くこっちにおいで! さっき空から真っ赤な隕石が落ちてきたんだよ! あたしゃ世界の終わりでもやってきたんじゃないかって……。兎に角逃げるわよ!」
そう促され、雨塚は湖から上がる。
「ところであんた、服は?」
こっちが聞きたい、とは言わなかった。
「あ、あれー? どこに置いたっけかな? あははははは」
正に、棒読みだった。
「不思議な嬢ちゃんだね。まさか宇宙人じゃないだろうね?」
「生まれも育ちも地球です……」
今となっては少し自信が無い。
「まぁ、宇宙人がそんなにモンゴル語を話せたらびっくりだわね」
――この女性は、今何と言った?
雨塚自身、自らは日本語を発して、この女性も日本語を話しているのだと思っていた。しかし、この女性には雨塚の言葉がモンゴル語に聞こえているのだと言うのか?
混乱する雨塚を気にも止めず、女性は雨塚の腕を掴んだ。
「私はオユンタナ。一先ず、家に行くよ! ついてきな!」
言われるがまま雨塚は彼女について行った。
オユンタナの家に着き、タオルを借りて体を拭く雨塚。家と言っても、遊牧民の集落であり、複数のゲルが草原にあるだけだ。雨塚達の利用するはずだったゲルとは異なり、正真正銘オユンタナ達の家だ。
ゲルの外では、オユンタナ達が大声で話している。
「だから! 動物達は置いて一端街に避難しましょうって!」
「動物達は俺達の財産だぞ! 置いて行けるか!」
「とは言っても、命あっての物種だろ、バトー」
「命の危険があるかもまだわからないだろ!」
どうやら、家畜を置いて逃げるか否かで数人が口論をしているらしい。声を荒げるのも無理は無い。あんなものを見たらパニックになっても仕方がない。
あの『赤い結晶体』、彼女達は隕石と言っているが、雨塚にはただの隕石には思えなかった。
「ひび割れた空。赤い結晶。赤い粒子。あの白い化け物。そして……」
独り言を言いながら、自分の体を確認する雨塚。
「この身体……。何もかもどうなってんだ……」
時折感じる自らの体の柔らかさに顔を赤らめる。女性の体には免疫が無い。
成人男性であった雨塚は、今や十代半ばの少女になっていた。
今日起きた事柄に対して、一つたりとも原因がわからない。雨塚に理解できるのは、恐らく考えてもわからないことだけだ。
「これから、どうしようかな……」
今できる事と言えば、今後の方針を決めることぐらいだが。携帯電話も無く、オユンタナに電話を借りたとしても、覚えているのは実家の電話番号くらいで、宮内をはじめ医療援助参加者に連絡する手段は無い。
「先輩達は無事かな……」
独り言を続けながら雨塚は、鏡に映った自分を見て脳裏に引っかかるものを感じた。
顔は雨塚好みの美少女。化粧をせずともぱっちり開いた双眸をはじめ、顔の各パーツが整い、背丈や体型を含め、まさに雨塚の好みを具現化したような少女の姿。
まるで、雨塚が思い描いたような。
何かに気付いたのか、雨塚は洗面台にあったヘアゴムで髪を結い始めた。
長い髪を二房に分け、ツインテールに。
そして、長い髪を結び終わった雨塚は、鏡の中の自分から一つの答えを導き出した。
「この姿……やっぱり……」
その瞬間、
「きゃああああああああああああああああぁ!」
耳をつんざく、悲鳴。