「群青と黄金」
大広間で出くわしたのは俺が殺したはずの男、アダム・ヴァーダーだった。
「アダム……お前、何で……」
「何で、とは何で生きているのか? という意味ですか? それなら簡単な話ですよ、クリスさん。貴方の拳によって私は確かに一度絶命しました。しかし、よく思い出してくださいよ。貴方の権能は一体何なのかを」
アダムの言葉に、俺は自分の失策を悟る。そうだ、イザークの左手だってそうだったじゃないか。俺の権能は誰かを傷つけるようには出来ていない。端から俺の権能では、アダムを殺すことなど出来なかったのだ。いや、より正確に言うなら……
「……つまり一度死んで、生き返ったってことかよ」
「ええ、その通りです」
にっこりと笑みを浮かべ、手を叩くアダム。問題に正解した生徒を褒める教師のように態度に俺は内心怒りがこみ上げてくるのを感じていた。
「貴方の権能は再生の権能。元々攻撃力なんてないのです。転生者を殺せるのは転生者の権能だけ。それを忘れてはいけませんよ」
「くっ……」
認識が甘かった。
メテオラと言う力の理不尽さを、俺はまだ理解しきれていなかった。
それがこの現状を生み出している。
「しかし、戦うための力であるはずの権能で相手を殺せないなんて……本当に甘い人間ですよ。クリスさんは」
「……何?」
「だってそうでしょう。考えてもみてください。貴方の権能は平穏を望むことから派生した祈りだ。ならば平穏を保つ以外にも、『平穏以外を叩き潰す』というやり方もあったはずだ」
「…………」
「全てを守りたいと望みながら、その実何も守れてなどいない。いいですか、クリスさん。何かを手に入れようと思うのなら、何かを捨てなければいけないのです。貴方には捨てる覚悟も、失う覚悟もなかった。貴方の祈りは本来ただそれだけのことなのです」
「……てめえ」
言いたい放題言いやがって。
俺が一体どんな気持ちで戦い続けたと思っていやがる。俺の祈りは……お前みたいな下種に否定されるようなもんじゃない。
怒りに震える手で、腰の刀へと手を伸ばす俺に……
「クリス。ここは我に任せろ」
そう言ったカナリアが俺の肩を持つ。
「カナリア?」
「クリスの役目は他にある。安心したまえ、君を侮辱したあの者を許すつもりはない」
そう言って腰の刀を二本、両手に構えるカナリア。
「行け、二人とも。決着をつけるのだ。この戦いに、この戦争に終止符を打つ」
俺達に背を向け、戦闘準備を整えるカナリア。だが、どうだろう。彼女はアダムに勝てるだろうか。二人の権能を考えるなら、いささか不利な気がしてならないのだが……
「大丈夫。我にも切り札はある。心配には及ばないさ」
「……分かった」
どの道急ぐしかない身の上だ。三人もこの場に残ることは許されない。俺は後ろ髪を引かれる思いを振り切り、カナリアの横を通り過ぎる。
頼むぞ、カナリア。どうか……無事でいてくれ。
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遠ざかる二人の友人の姿に、カナリアは羨望の眼差しを送る。
二人が仲良くしている様子を見るとどうしても感じてしまうのだ。羨ましい、と。『嫉妬』は自分の罪ではないと言うのに。どうやら長い時の中で自分もいつしか変わってしまったらしい。
カナリアにはどうしても叶えたい野望があった。しかし、それもすでに手につかなくなってしまっている。それもこれも、全てあの優柔不断な男のせいだ。強いのか弱いのか、よく分からないあの妙な男のせいなのだ。
変わってしまった自分に失望を禁じえない。
しかし……今の自分をどうしても嫌いにはなれない自分も、確かにいるのだ。
(選ばれなかった身だというのに、何と女々しい……彼の力になってやれば彼が振り向いてくれるとでも思っているのか)
そんなことは有り得ないし、そんなことがあればそれはそれでカナリアは残念に思うだろう。なぜなら彼女の愛した男とはどこまでも一途な男だから。
(……我ながら損な性分よ)
振り向いて欲しいと心のどこかで望んでいながら、自分自身でそれを否定する。なんでこんな面倒な性格をしているのかと笑いたくなってくる。
けどまあ……これで良かったのだ。
自分の大好きな二人が、愛し合い、結ばれた。それでいい。それだけで十分だ。愛も未来も、要りはしない。カナリア・トロイが求めるものはもっと激しく、荒々しいもの。
自分自身の存在を証明できる戦場こそをカナリアは求めている。
故に……
「アダム・ヴァーダー。我はお前を殺す」
この強敵を前にして、カナリアは全く臆することなくそう宣言した。
「ふむ……私と貴方にはあまり接点がなかったと思うんですけどねぇ。何か気に触ることでもしましたか?」
「ああ。お前は我の友人を侮辱した。まさしく万死に値する」
「ははっ……貴方もそういう性質でしたか。愛に生きる人は好きですよ、私」
「そうか。我はお前みたいな奴は嫌いだがな」
「あら。振られてしまいましたか。まあ、いいです。お互いのんびり会話している暇はないでしょうしね」
「そこには同意してやる」
「では……行きます」
柔和な態度はそのまま、何の殺気も、何の闘気も見せないままにアダムはカナリアに詰め寄った。
これには百戦錬磨のカナリアもたじろぐ。武人に共通する初動として気というのは確かに存在する。それは視線であったり、息遣いであったり、筋肉の緊張であったりそんな体の動作からにじみ出る予備動作がアダムには全くなかったのだ。
それはアダムが息をするのと同じくらい自然に戦闘行為に移行したことの証明に他ならない。それはどんな武人にも、戦闘狂にも、熟練者であっても到達できない領域だ。
今更ながらにカナリアは悟る。この男は異常だと。
踏み込みが一歩遅れたせいで守勢にまわされたカナリアに降り注ぐのは素人じみた動きの掌底。その一撃一撃は受ければ刀身が砕かれかねない威力を持っているが、ただそれだけだ。そこには鋭さも、戦闘における駆け引きも含まれていない。戦闘のエキスパートたるカナリアにとって、それらを避けることは容易かった。
「シッ!」
そして隙を見て、反撃に転ずる。二本の刀を無手で受けるのははっきり言って無茶だ。何とか刀身の腹を弾くようにして斬撃を反らしてはいるが、それもいつまでも続かない。大広間の端までアダムを追い詰めたカナリアは退路のなくなったアダムに留めの一撃を放つ。
「弐の太刀──水仙ッ!」
二つの斬撃が交差し、×の字にアダムへと迫る。それに対し、アダムは……
バッ! と着ていた神父服を脱ぎ捨て目くらましとする。しかし相手はカナリア。その程度の妨害で標的を逃しはしない。
──ザンッッッ!!
一際大きな斬撃音が大理石の柱を切り刻む。派手な音を立てて倒壊する柱に、カナリアは舌打ちを漏らす。
(くっ……逃したッ!)
アダムは柱を壁に、上方へと跳躍して斬撃をかわしていた。そこが水仙から逃れる唯一の活路と見切っていたのだ。しかし、人は空中で移動することはできない。カナリアにとって今のアダムは格好の標的だった。
今度は刀を腰だめに、抜刀の構えを取る。
「弐の太刀──白椿ッ!」
再び二筋の剣閃がアダムに襲い掛かる。
その……刹那。
カナリアの耳に、その音が届いた。
《嗚呼、憧憬こそが人の性。求め、欲し、渇望せよ。それこそ我欲の究極なり──》
それは一人の男の祈り。
始まりからして全てが終わっていた物語。その主人公に抜擢させられた男の悲しい慟哭。
(ま…………)
《──人の業に是非はない、正否はない、美醜はない。誰しも輝ける明日を望んでいるのだから──》
不公平と理不尽に塗れた世界で歌われる、悲しき独唱。
(……ず……)
《──卑欲連理・神聖なる祝福》
全ての者に等しき祝福を。
歪んだ祈りに呼応して、醜き『群青』が溢れ出す。
(…………いッ!)
アダムから溢れ出す群青がカナリアへと殺到する。
おぞましいほどの死臭を感じながらカナリアは全力で後退する。それを追いかけるのは群青の手。手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手、手だ。
視界を埋め尽くす勢いで増殖を続けるその手に斬撃は通用しない。まるで雲のように通り過ぎ、周囲を腐臭で包み込む。まず変容したのはアダムが立つ床だった。赤黒く変色した大理石はじわじわとその面積を広げ、カナリアへと迫る。
「くそッ!」
毒を吐かずにはいられない。こんな滅茶苦茶な力を使われたら、勝てるわけがないではないか。
「何者も私の祝福には抗えない。醜く腐り果て、泥土に沈むがいい」
認めたくなかった事実を、迫る群青に確信する。この男は……自分より強い。
自身の劣勢を悟ったカナリアに、アダムが笑みを浮かべる。
しかし、
──勝負とは、強いものが常に勝つとは限らない。
《星は空に集い、宵に満ちる。ただ一筋の明星よ、聞き届け──》
窮地に立たされたカナリアが祈ったのは、たった一つの勝利だった。
人は間違い、罪を犯す生き物。そのことをカナリアは誰よりも理解している。故に彼女は他のどの転生者よりも己の罪に対して真摯であり続けた。その結果が、この輝き。
《──ただ一筋の刃を以って、我、鬼と成らん──》
溢れ出るのは至高の黄金。
カナリアは己の弱さを知っている。己の醜さを知っている。人ならば誰しも持ち合わせている罪を知っている。それでも完璧を、至高を求めたカナリアの権能は救済という形で具現化する。
《──弱き者よ、剣を取れ──》
まるで御伽噺の『英雄』のように、一振りの剣を掲げる『英雄』のように。
圧倒的不利を跳ね除ける『英雄』のように。
《──卑欲連理・血塗られた戦乙女》
その手を血で染め、カナリアは戦い続ける。
『英雄』は、戦い続ける。




