「二人の主」
カナリアと別れた俺とアネモネはそれから間もなく最上階に位置する司令室へと到着した。かなりの広さを持つその部屋の扉を開けると中から生暖かい空気が死臭と共に立ち込める。
頭がくらくらするほど濃厚なその匂い。血の匂いが充満したその部屋で俺達を出迎えたのは……
「悪いな……クリス」
ぽんぽんと、グレン元帥の『生首』を手で弄ぶヴォイド・イネインだ。
「いやあ、案外簡単だったわ。やっぱりレオナルドがおらんと警備もザルよね。ここまで来るのに一時間もかからんかったんじゃないかのう」
「……言いたいことはそれだけかよ」
「…………」
「グレン元帥を殺し、この戦争は王国側の勝利。はい、めでたしめでたしってか? 外を見てみろ。ここからなら良く見えんだろ。人が死んだ。大勢死んだ。あれは全部、お前のしでかしたことだぞ」
「……言いたいことはそれだけかいな」
「…………」
重苦しい沈黙が司令室を包む。いつしか手遊びを止めたヴォイドが立ち上がり、俺と向かい合う。その瞳はかつて共に旅した頃のものとは違う。深く、黒く、淀んだ色を見せていた。
「……なんでだよ」
俺は、そんな友人の変貌に……
「何でなんだよッ! ヴォイド!」
「…………」
「何で俺に相談しなかったッ! 何で俺に打ち明けてくれなかった! 最初に言ってくれれば……こんなことになる前に、何かできたかもしれないのにッ!」
俺の胸中渦巻くこの感情は怒りでも、悲しみでもない。
ただの、後悔だった。
「わしは……お前のことを信じきることが出来んかった。もう、人を信じるのは疲れた。裏切り、裏切られるのはもうこりごりなんよ」
「だったら……なんで……」
何で俺を助けたんだよ……ヴォイド。
「……クリス。わしはもう、止まれんのよ。今更諦めるには大切なものを犠牲にしすぎた」
「そんなこと、ない。確かにお前は罪を犯した。だが、それは……償えばいいじゃないか! 罪なんて誰だって持ってる! それは当たり前のことなんだ!」
人の行いに、善悪の二元論は通用しない。
クリスタを助けるために、禁忌を犯す必要があったように。
エマを助けるために、罪を犯す必要があったように。
「正しいことが罪になることだってあるんだよ……ヴォイド。なあ、お前だってそうじゃないのかよ。自分の正しいと思ったことのために、今まで頑張ってきたんじゃないのかよ」
「…………」
「俺はお前を悪い奴だなんて思ってない。何か理由があるんだろ? だったらそれを教えてくれ。俺達はまだ……やり直せる」
「……お前はホント、いい奴じゃね。クリス」
そう言ったヴォイドはその虚ろだった表情に、ぎこちない苦笑を浮かべた。それは呆れているようでもあり、感心しているようでもあった。しかし、その笑みも長くは続かない。その表情に再び虚ろを宿したヴォイドは、
「だからこそ。お前にこの『役目』は渡せない」
はっきりと、俺を拒絶した。
「役目、だって?」
「……もともとわしが求めていたのはわしのスペアよ。わしに何かあったときの代替品。予備のプランを遂行する代行者。ならばわしが全てを終わらせればそれで何の問題もない。クリスがこれ以上、手を汚す必要はない」
「一体何を言っている! ヴォイド!」
俺の問いかけに、ヴォイドはそのボサボサの髪をかき回し、
「わしはお前のことを気に入り過ぎたんよ。手放してしまいたくなるほどにのう」
恥ずかしそうに、そう告白するのだった。
そして、
「だから、」
ヴォイドの目に、殺意が灯った。
「物語は終わり。クリス──お前はここで死んでくれ」
轟ッ! と風を引き連れ背後に迫る気配に振り返ると、そこにはすぐ近くまで迫っていたクレハの姿があった。まるで忍者のように音もなく背後を取られた俺の首元にクレハの匕首が迫り……
──キィィィィンッ!
甲高い音を立て、クレハの匕首と俺の花一華が激突した。
「クリスッ!」
俺の腰から刀を抜き取り、俺の代わりにクレハの攻撃を防いでくれたアネモネが叫ぶ。どうやら迷っている暇はないらしい。俺はアネモネから花一華を受け取り、クレハと対峙する。
一合、二合、三合と刃を打ち交わしていく俺とクレハ。どうやら剣の腕はほぼ互角といったところらしい。クレハも相当の力量だ。メテオラで才能を強化させている俺とここまで切り結べるなんて。
袈裟気味に振り下ろされたクレハの匕首を刀身で受け止める。力はないが、速度が尋常ではない。カナリアの稽古を受けていなかったら今頃ばっさり逝っているだろう。俺は心の中で鬼教官でいてくれたカナリアに礼をして、そのまま力を背後に流すように受ける。そして返す刀でクレハの真っ白なふとももを狙い斬る。その寸前──
「鋼糸が来るっ!」
大きく跳躍して後退したクレハに、ヴォイドの狙いを悟る。
(こっちが本命かッ!?)
見えにくい鋼糸が司令室を縦横無尽に駆け巡り、壁や床、そして俺達へと襲い掛かる。
「アネモネッ!」
「っ!」
アネモネの小さい身体を強引に引き寄せ、俺の体の影に隠す。そして──
「ぎッ……アアアアアァァァァァァァァアッ!」
体中にとてつもない激痛が襲い掛かる。皮膚が、肉が、骨が、どんどん削がれていくのを感じる。剃刀が体内を駆け回っているようだ。地面はすでに俺の血で真っ赤になっている。痛みとショックで飛びそうになる意識を、
「クリスっ」
愛しい人の声で、何とか繋ぎ止める。
「ぐっ」
このままでは死ぬ。
俺は最後の意地で地面に向けて掌底を放つ。床をぶち抜き、階下へ避難するためだ。
瓦礫と共に崩れ落ちる俺を、今度はアネモネが抱きしめる。そして……ドォォォォォン! 下の階まで落下した俺達は無様に地面を転がり回る。
「クリスっ」
「ぐっ……か、体中痛いが……まだ大丈夫だ」
痛む体に鞭を入れ、立ち上がる。彼女の前で格好悪い姿は見せられないからな。
「一旦距離を取ろう。あの距離は危険すぎる」
「分かった」
ヴォイドの攻撃範囲は中距離、クレハの攻撃距離は近距離。そして俺とアネモネはどちらも遠距離を得意とする戦闘スタイルだ。だったらこちらから向こうに近づいてやる理由はない。そう思ったのだが……
「ぐっ! 追ってきてやがる!」
天井から無数の糸が大挙として迫ってくる。どうやら俺達の場所を勘で狙い撃っているらしい。精度こそ欠いているが何しろ数が多い。全てかわすのはきっついぞ。
このままではジリ貧。だったら……こっちも反撃するまでだ!
「轟き、迸れ──《デア・ドンナー》!」
「クリスっ! ダメっ!」
アネモネの静止が聞こえるが、もう遅い。呪文を唱え終えていた俺は掌からヴォイドのいるであろう方向に向かって雷撃を放つ。
────────ッッッッッッッッドォォォォォンッッ!
本物の雷さながらの轟音を引き連れて空間を翔る閃光。その振動は周囲の窓を粉々に砕き、天井に大穴を開ける。
あ……しまった。
そこでようやく俺もアネモネが呼び止めた理由を悟る。
これ、室内で使うような技じゃねえわ。
「……崩れたらどうするの」
「……ごめん」
どうやら威力が強すぎたようだ。室内で戦った経験ってあまりないから完全にうっかりしていた。てへぺろっ!
「……ごっついモンぶっ放すのう。皆まとめて生き埋めになるところじゃ」
天井に空いた大穴から降り立ったヴォイドも呆れ顔。すいませんね、加減できなくて。だけどお前らにはこれくらいで丁度いいだろ?
「手加減して勝てる相手でもないと思ってな」
「過大評価は嬉しいが、あまり無茶するなよのう」
過大評価、ねえ。
そうであったならもっと楽だったんだけどな。
たらり、と額に滲む汗に苦笑いが浮かんでくる。俺達が今ここで立ち止まり、暢気に会話をしているのには理由がある。俺達の背後には……すでに鋼糸が展開されていたのだ。
逃げ道を封じられ、正面から向き合うことを強制された形だ。どうやら向こうも近距離戦なら分があると思っているらしい。まるでボクシングのリングのように張り巡らされた鋼糸のスタジアムの中で、俺とアネモネ、ヴォイドとクレハが向かい合う。
「鋼糸は引っ掛けるもんがある室内だと凶悪に機能する。ま、飛んで火にいる夏の虫ってことやね」
「……すでにあちこちに罠を張ってたってことか」
いくらなんでも逃げる俺達を先回りして鋼糸を設置したとは考えにくい。ならば俺達が来る前に最初から準備していたということなのだろう。道理でここに来て王国兵の姿を見なくなったと思ったぜ。味方が鋼糸に引っかかるのを防ぐためにも、ヴォイドはあえて中に入れなかったのだ。となると……この陣はまさしく必殺だ。俺達はすでにヴォイドの術中にある。くそっ、蜘蛛みたいな戦い方しやがって。
「うちの隊長がこれ見たら怒るだろうなぁ。なんて卑怯な闘い方だ! ってよ」
「仕方なかろう。非力なわしとしてはどんな手でも使うしかないんよ。卑怯と罵られようと、な」
な・に・が! 非力だよ! 嘯きやがって、ちくしょう。
「これがお前の切り札ってことかよ。ったく、笑えねえ」
「安心せい。他にも切り札は沢山ある。どっかで笑えるじゃろ」
そう言ったヴォイドは懐から年季の入った小太刀を取り出す。それを逆手に構え、左手は空……いや、そっちの手で鋼糸を操作しているのだろう。服の袖から何本もの糸が伸びているのが見える。ついでにクレハもいつの間に取り出したのか二本目の匕首を手に、こちらを睨みつけている。
まさに万全。戦闘準備を整えたヴォイドとクレハ。
なるほどね。ここで俺達を狩ろうって魂胆か。
「では……第二ラウンドを始めるとするかのう」
戦況は圧倒的不利。鋼糸の対策もまだ見つかっていない。
俺達の首を狙う三つの刃が光を反射し煌く。白く、白く、白く──。




