《約束の日》 土曜 午前3 少女と少年の旅の始まり
「それにしても……」
そう言った少年は少女と揃って海を見ていた。
「これから二人だけで旅をするかもしれないのにホントに行くの?」
少年が不思議そうに少女に聞いた。
その少女・咲川章子は当然頷く。
「もちろん。そのつもりで来たから」
「中学生同士で。しかも、男女の二人旅だよ?」
「何か問題?」
「問題でしょ! 完全に問題しかないし!」
「ね、そんなことより行く前に聞きたいんだけど」
「そんなことって……」
「……いいから!」
「わかったよ。でももう光より速いものはって話は無しにしてよ」
「違うの。半野木くんも名古屋なんだよね? 何区? 私は中山区、中山の中央市中学校」
章子が聞いてくる。
「こっちは東山区。東山の東千枚田中学」
「東山……動物園があるところか、わたし遠足で行ったことある」
「咲川さんの学校でも行くんだ。
中山区の方はあまり行ったことないな」
「どうせ何もありませんから」
「いや」
昇は首を振る。
「市電あるでしょ? みんな羨ましがってるよ。こっちは地下鉄しかないから」
今の名古屋市は中心部の名駅を境に東は地下鉄、西は路面電車の市電と公共交通網が住み分けられている。
特に駅西の市電は昭和中期を感じさせるレトロな街並みの効果も相まって東とはまた別の観光名所として全国に名を広めつつある。
それで高校になったら、市電通学が憧れなのだと女子たちがよく話題にしていたのを昇は覚えていた。
それをきいて章子は「ふーん」と唇と尖らす。
「仲のいい子でもいた?」
「え?」
「ん?」
章子はすっとぼけた顔で疑いの視線を送る。
「そりゃ今、咲川さんと話すぐらいの女子なら何人かいたけど……」
「へー」
「でもそれって普通じゃないの?」
女子と話さずに学校生活を送れというのは流石に無理難題がある。
「そうですね。普通ですね」
章子はあさっての方を向きながら言った。
「これでみんなともお別れか」
「また帰ってこれるんでしょ?」
「そうだけど……一年ぐらいかかるんじゃない?」
「それは僕たち次第だと思うけどね……」
「その頃には三年生だよ? 修学旅行、行きたかったな」
「僕は別にいい」
「行きたくないの? わたしたちと同じ東京でしょ?」
昇は首を振る。
「今年の飛桂渓キャンプの時も家族旅行を優先させたよ」
「それって二年生での野外活動キャンプのこと? それってヒドイ!」
「ヒドイかな、やっぱり」
クラスの大半からも非難を浴びたことは昇にも記憶に新しかった。
「ヒドイよ。東京とか興味ないの?」
「ないよ。海外旅行とかも全然ない」
「ああ、あの新惑星にも興味なかったからそれも当然なんだ」
「そんなに気になるかな。あの惑星」
首を傾げる昇に章子はなにも言えない。
「だから選んだのかな。ゴウベンは半野木くんを」
「知らないよ。考えたくもない」
「ね」
章子が砂を払って立ち上がった。
「なんで半野木くんはあの惑星に行くの?」
昇は東のあの惑星があるだろう先を見る。
「会わなくちゃいけないヤツがいるんだ。向こうで……」
章子はその言葉で深く心を締め付けられる自分に気づいた。
「誰? その子……?」
昇は首を振った。
「まだ知らないんだ」
「知らないのに会わなくちゃいけないの?」
昇はただ頷く。
「咲川さんは?」
「わたしは……、架け橋になりたいから。向こうとここの」
本当は君に早く会いたかったからとは言えなかった。
「そう。よく聞く動機だけど、そう考えれるのはすごいな」
昇がゴウベンを向く。
「行きますよ! ゴウベン」
昇と章子が駆け寄るとゴウベンは言う。
「準備はいいかな?」
二人は頷く。
「ちゃんと別れは済ませたかい?」
ゴウベンは憂いの目で章子たちの背後を見る。
二人は頷いた。
昇が章子に聞く。
「家族には何て言ったの?」
「秘密。半野木くんは?」
「母さんには兄キに全部話してあるって書置きした」
「お兄さんいるんだ」
「本当は兄キが行けばいいんだよ。それなのにあのバカ兄キときたら」
「わたしは半野木くんでいいよ」
しかし流石に手を繋ぐ勇気まではない。
「咲川さん」
「なに?」
「言ってて恥ずかしくない?」
躊躇なく腹パンをお見舞いしてやった。
「おっほ」
のけぞる昇にゴウベンは憐れみを浮かべる。
「痴話喧嘩はもういいかな?」
二人がすぐに真剣な面持ちになる。
「開けるよ」
ゴウベンが手を真横に翳すと黒い闇が真円にゴウベンの背後に広がった。
まるで先の見えないトンネルの入り口だった。
「……ワープ・ゲーション」
昇が口を開く。
「ワープ・ゲーション?」
「ワープ・ゲートだよ。これを使って向こうの遠く離れた惑星に行くんだ」
「ワープするの?」
昇は首を振る。
「厳密には瞬間移動や空間移動じゃない。
これでもおそらく向こうまで二分かかりますか?」
昇がゴウベンに聞く。ゴウベンは首を振った。
「一分少しだね。大して時間はとらせないよ」
それを聞いて昇は章子に言う。
「光の速度を超えるだけだよ。
熱力学の第五法則、エネルギー相転移によって物質生命体を強制的にエネルギー生命体に相転移させて維持させた状態。
今の僕たちの構成物質をすべてあらゆる熱、位置、運動、情報エネルギーに相転移させてその意思を残したままのエネルギー状体ごと向こうに飛ばして移動させる真科学技術《超魔法》の一種だ。その最高速度は実質無限大。その状態、現象のことを別名で「ワープ・ゲート」「魂の門」と呼んでるのさ」
「魂の門……」
「向こうに着いたらそのエネルギー起点に、向こうの人たちと同様に今の僕たちの状態で肉体を再情報処理されて肉付けされる。たぶん、精神だけが宇宙空間を突き進む感覚になるんだろうね。だから魂の移動ってことになるんだよ」
「正確には宇宙空間を歩く感覚になるね。大丈夫、痛みも苦しみもない。これをくぐれば宇宙を歩いて向こうの大気圏を抜けてスカイダイビングをする。そんな工程になるだけだよ」
簡単に言うゴウベンだが章子にはやはり突拍子もない。
「逡巡するのは勝手だが私は先に行くよ。向こうも待っているしね」
ゴウベンが真円の闇に消えていく。
そのあとを昇が追いかけ、章子もそれに習おうとする。
しかしその寸前に、二人は一瞬だけ立ち止まり自分たちのもといた世界に振り向いた。
少女は言う。
「行ってきます」
少年は言った。
「さよをなら」
その二人の故郷に手向ける言葉の違いが旅の終わりに待つ決定的な運命の違いだった。
それを少女だけが知らず、ゴウベンの用意した旅の扉の入り口に二人してくぐる。
黒い旅の扉はそこで閉じられた。
そしてこれが新世界《新惑星リビヒーン》にて待つ
咲川章子と半野木昇の二人の旅の始まりだった。
第一部「神のつくりし」 これにて終了です。
次回、第二部「待ち人、来たる」 お楽しみに。