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◆
「行くのかい?」
女が溜息混じりに煙を吐いた。
露出が多く身体のラインを浮き彫りにした扇情的なドレスは、男なら誰もが振り向く美貌と肉感的なプロポーションを持つ女ならではの衣装であった。
今やPL達に欠かすことの出来ない拠点、ラシエムの港町の娼館スブロサの女主人であるアマリアはNPCながら男を惑わし精を奪うサキュバスという種族を代表するかのような色香を匂わせている。
部屋の中には紫煙が漂っており、その元はソファの上で横になっているアマリアが持つ煙草からだ。
「はい。今までお世話になりました」
煙草の匂いだというのに香のような匂いに鼻腔を擽られつつ、アマリアの向かいのソファに座っていた別の女が頭を下げた。
アマリアと違いその女は軽装ながらも防具を着ており、大きなローブをその上に羽織っていた。
「別にいつまで居たって構わないんだよ? 他の子達もここに居を構えるつもりみたいだし、ここにいるからって何も客を取らせるつもりなんてないんだしね」
「それは分かっています。でも、甘えたままなんて我慢出来ません」
「別に気にする必要はないよ。貴女達の保護に関しては〈イルミナティ〉とゴールドから補助金を貰っているからね」
「それは…………」
膝の上に乗せた女の手に僅かながら力が込められる。
「それとも、間接的とはいえ男の庇護下にあるのは気に食わないかい?」
「違います。ただ、負けたままだと思われるのが嫌なんです。同情なんて求めてないんです」
「ふふっ、負けん気が強いね。それなら止めないよ。好きなように頑張るといいさ」
「はい、ありがとうございます。あまり話し込んでいると出発しにくくなるので、行きます」
「そうだね。リムに見つかる前に行くといい。でも、偶には遊びに来な。うちの店は女もオッケーだから」
アマリアの言葉に女は苦笑を返して立ち上がって部屋から出て行った。
一人部屋に残ったアマリアは煙草の灰を灰皿に落とし、女が去って行った扉を見つめた。
「早死にならなきゃいいけれど」
呟いた言葉は届く筈もなく紫煙の中に消えていった。
◆
「飯くれ飯」
「めしーっ」
「すいませんが、これでこの乞食どもに食事を用意してくれないでしょうか?」
テーブル席に着いて早速飯を店主に要求する。リュナがマイ箸を二刀流で構え、シズネは食材アイテムの米六人分(内五人分がリュナ用)をカウンターに置く。
「店に入って第一声がそれなの?」
頭に花飾りをつけた女店主は俺達の態度に慣れたらしく、口で文句を言いつつも米を受け取って調理を始める。
ここは北東地方にある都市の一つ、エコンラカという名の街にあるカフェ兼バーである。看板も置いてないといういかがわしさ満載な店だが、所謂穴場という奴で結構利用している。まあ、別の理由はあるが。
風の魔王ベルフェゴールがくたばって二ヶ月が経過した。二回目のマップ開拓も終わって特に大きな事件もなかった。強いて言うならマップ開拓が上手く行かなかったらしいが、わざわざマップを制限する壁があったのならその向こう側の難易度が高いのは当然だろう。
俺は取り敢えず気の向くまま(棒倒しによって進路決め)フラフラしている。シズネはともかく、何故かリュナがついて来ているのだが、喧しいのを除けば盾になるから便利ではある。
「できたわよー」
店主が日本食を二人分テーブルの上に置いた。
「おかわり!」
「早えよ!」
白米の入ってたお椀を掲げて叫ぶリュナの後頭部を叩く。
新しい領域に行けるようになって一番得したのは日本人だろう。なんたって、白米があるのだ。味噌もある。マグロもある。醤油だってある。目撃した瞬間、迷わず店に入って食べてしまった。
なんだかんだで久しぶりの日本料理。米自体は前からあったが、白米がなかったのだ。
しかしここにはある。食い物に煩い日本人が狂喜乱舞したのは言うまでもなく、店で食うだけじゃなくて市場で食材を求めるPLが殺到して荒らしていったのは記憶に新しい。その時の写真が撮られて新聞にまで乗る始末。掲示板には――ニッポン人に飯を取り上げたアカン、とまで書き込まれた。
まあ、一部の街では先に来ていた俺がとっくに買い占めたけどな。おかげでNPC商人に睨まれるし、一部のPLが米を買い占めた犯人を探し出そうとする始末だ。
「食べ物の恨みは恐ろしいですね」
「本当にねえ」
「毎度毎度うちの御主人様が申し訳ありません」
「いいのよ。高騰したお米分けてくれるし、何より退屈しないわ」
「………………」
シズネと店主が井戸端会議の主婦のような感じで雑談し始める。使役される側のシズネが保護者のような態度なのでイラッとくる。
「フェブリス、いつものくれ。あと、茶。熱いの」
「はいはい」
笑みを零しながら店主のフェブリスがカウンターの中の床板を外し始める。微妙に花の匂いが香って来るのだが、如何にも嗅いだら駄目になる系の香りだった。
「はい、どうぞ」
床下から取り出されたのは蜂蜜のような黄金色の液体が入った小さな瓶だ。
「おう」
受け取る為に手を伸ばす。
するとフェブリスが俺の手を包むように掴んで引く寄せ、掌に瓶を乗せた。そして優しく、それでいて刺激する微妙な力加減で撫でるようにして手を引っ込めた。顔には変わらず母性的ながら引き込まれそうな笑みが浮かんでいる。
このフェブリスというNPC、種族は違うがサキュバスのアマリアと同類だ。というかメル友という時点でお察しである。つか、メル友って、おい。
触られた箇所をシズネのエプロンドレスで拭う。
「どうして拭いちゃうのかしら?」
「なんかベタつくから――蔓を伸ばすな燃やすぞ!」
木製のカウンターから伸びてきた植物の蔓を振り払う。ヴェチュスター商会の魔導人形と云い、店をやってる奴はカウンター越しに攻撃できる手段を持つのがデフォルトなのか?
「お前あれだろ。真の姿とか言って全身緑に変身するタイプだろ」
マンドレイクの親戚みたいな感じで。
「…………見たの?」
「………………」
聞かなかったことにして酒とツマミを注文した。勿論、一番高いのをだ。
水割りした透明な液体を飲みながら、掲示板を斜め読みしていく。
フェブリスが薄暗い店内にアロマキャンドルに火をつけ、BGMとして最近では妖精姫とか言われ始めた某歌姫(制作はゴールド、販売や流通がヴェチュスター商会)の新作が流れていた。
飯を食い終わった健康過多阿呆児リュナはスライム(ぶくぶくだったか、べれべれだったか名前忘れた)を枕にして夢の中。シズネは自分の身体に弾丸を詰め込むという正気を失いそうな身支度を行っていた。
掲示板の話題は開拓隊で発見されたダンジョンやクエストの攻略で賑わっており、今のところ魔王が行動を起こしたような話はない。それと、PKどもの話もない。潜在化しているだけで、いずれは派手に事を起こす可能性が高いとマステマは言っていたが…………。
酒を飲みながら掲示板で毒にも薬にもならない話題を見ていると、店のドアが開いて客が入ってきた。
身体を隠すように大きめの外套を羽織り、更にフードを深く被っているという怪しい客だった。そいつは奥のカウンター席に座る俺達を一瞥してテーブル席に着く。
どうやらPLのようだ。怪しさ満点ではあるが、関係ないだろう。店に入って俺を見た途端にフードを取ろうとした手を引っ込めた素振りを見せたことから、警戒しているのは向こうの方だ。
気にせず、ダラダラと時間を過ごす。
注文を取りに行ったフェブリスと先程の客が雑談でもしているのか、明るい声が聞こえた。どうやら知り合いらしく、親しげだ。
フェブリスは一度カウンターの方へと戻り、軽食と飲み物を準備し始める。その時、不意に顔を横に向けると先程の客と目が合った。
正確には、シズネとリュナを見ていた相手の視線と俺の視線が噛み合った。フードの隙間から覗く口元が不快そうに歪み、相手が顔を逸らす。人の事は言えないが感じ悪いなオイ。
「珍しいのよ」
フェブリスが可笑しそうに薄く笑った。
珍しい、か。左を見れば角と尻尾、あと羽の生えた少女が涎を垂らして熟睡しており、右を見ればメイドロボがウィンドウを開いて掲示板に書き込みをしている。
うん、そうだな。怪しいよな。ただ一人の種族:竜人のPLとウィンドウ開いて掲示板に書き込むNPCとか物珍しいを通り越して変だ。だからって見世物じゃないからな?
「クゥ様、メールが」
メイドスレでミニスカ派を糾弾していたシズネが、メールの着信を知らせた。こう言うとメール着信音のボイスのような気がするが、実際は俺宛のメールをシズネが代わりに受け取っているだけだ。
差し出されたメールウィンドウを見ると、当たり前だが、知った人間? からだった。
「アマリアからか」
どうしてPLからの連絡は来なくて、代わりにテロ屋やNPCからメールが来るのか。まあ、俺が拒否ってるだけなんだが。
メールの内容はまず店の近況から始まった。どうでもいい情報だった。次に性欲を持て余したリムが客から敬遠されお茶挽きらしい。もっとどうでもいい。一人寂しい夜を過ごすリムの画像も添付されていたが即削除する。
クソどうでもいい内容過ぎる。なんだこれ、縦読みでもすればいいのか?
で、最後の文になってようやく本題。
「ちょっと出てくる。先に宿に戻ってろ」
「女ですか」
「女だとも」
何故だろう。女に会うという言葉だけなら色っぽい話な筈なのに、奥底では嫌な予感しかしない。女という生き物は武装してなくても油断出来ないあたり、銃持ってる屈強な男の方がマシだ。
店を出る際にテーブル席に座るフードの客を視界の端に捉える。入店時から気付いていたが、やはり女のようだ。
店を出てしばらく歩いてから、店の方を振り返る。
フードの女は横を通り過ぎる俺を訝しげに見ていた訳だが、一体何を考えてるのか分からない。敵意に似たものも感じるが企みの気配は感じられないし、逆にシズネやリュナ、フェブリスに対しては好意的に感じられた。
という事は俺に個人的な恨みが? 路上の石云々か? まさか。俺はセイジュンケッパクな人間だから違う。
「それに…………」
通り過ぎ様にした香水の匂い。あれはアマリアが経営する高級娼館スブロサのサキュバス達と同じ物だった。
「PLが、ねえ」
メールには女PLについての話は一切無かった。なら別件だろう。
もっとも、アマリアとどんな関係にしろ、ろくなもんじゃないのは確かだな。
夜の帳が落ちたエコンラカの街を歩き、ある一軒家のドアをメールに書いてあった通りの拍子でノックする。すると一人でに鍵が開く音がした。
念の為に周囲を確認した後、ドアを開ける。
「いらっしゃいませーっ。毎度ご贔屓ありがとうございます! ヴェチュスター商会エコンラカ闇支店(仮)によう――」
ドアを閉めて回り右した。