八話
「……まさかの全員集合ですか」
約束の昼食休憩の時間。
頼まれていたランチを用意してきたわけなのだけど、彼と護衛の二人くらいかなと思っていたら、生徒会役員の全員が集まってしまった。
「僕たちも昼に仕事することにしたから、よろしくね」
それに、なんだか側近たちからすごい期待の眼差しをランチボックスに向けられている気がする。
「えっと、言っておきますけど、素人の作るものなので、たいしたものじゃありませんよ」
「多少の毒見はするが、昼食は各自で用意するように言ってあるから、気にしなくていいぞ」
「そうですか。では、こちらへどうぞ」
クロスを敷いたティーテーブルにランチボックスの中身を広げていく。
温かいものが食べたいというご要望だったので、保温できる容器にホットサンドとポタージュを入れて持ってきたのだ。
その場でナイフを取り出し、ホットサンドを半分に切って大皿に並べていく。
サクッと焼かれたパンの中からはとろりと溶けたチーズが垂れ、ベーコンやトマトなどの具材が照って、スパイスの芳醇な香りが漂い食欲を刺激する。
それなりに美味しそうにできているとは思う。
人数分の皿を用意していると、それを見ていた側近たちが生唾を呑み込み言葉をこぼす。
「ごくっ……美味そう……」
「本当に美味しそうだね……じゅる」
「これは匂いだけで美味しいってわかります」
彼へお手拭きを渡し、取り皿を持って訊く。
「中身はそれぞれ少し変えているのと、毒見も含めて多めに作ってきたので、お好きなものを選んでください」
「ふむ、ではこれとこれ、それとこの赤いソースは昨日と同じものか? なら、それも」
彼が選んだものを綺麗にお皿によそい、テーブルに置く。
それから、スープ皿よりもマグカップの方が手軽に食べられるだろうと、カップに湯気の立つポタージュを注いで出す。
「熱いので気をつけてくださいね」
「ああ、ありがとう。ベラノクスはなんでもそつなくこなすな」
彼が感心したように呟くので、笑顔で答える。
「殿下のお力になれるのなら、なんでもしますよ」
側近たちにも彼にお出ししたものと同じものを取って出すと、即座にかぶりついて食べだす。
「うっっっま! なんだこれ、外側サクサクで内側とろとろ! 旨すぎる!!」
「この赤いソース、チーズにすごく合うね! 毒見と言わず、いっぱい食べたいー!」
「スープも香り高く、コクがあって非常に美味しいです。野菜の風味が優しく、身体が芯から温まります」
美味しそうに食べる側近たちを見て、彼もカップの中をじっと見てそろりと口をつける。
「……あっつ!」
「え! 大丈夫ですか?!」
彼が口元を押さえたので、慌てて口直しに用意していた水を差し出す。
急いで水を飲ませ、わたくしは彼の顔を押さえ、上向かせて言う。
「殿下、口を開けて見せてください!」
「あ、いや、熱いものを食べることがなかったから、少し驚いただけだ。たいしたことはない」
「早く見せてください!!」
「…………あ」
わたくしの勢いに気圧され、彼はおずおずと口を開いて見せた。
「ああ、良かった。少し赤くなっているようですが、火傷ほどではありませんね……」
そこで、わたくしはハッと気づく。
動転していたとはいえ、彼に軽々しく触れて、口の中を覗き見るなんて、とんでもない暴挙に出てしまったということに。
「はわああああっ?! で、殿下、とんだご無礼を! 申し訳ございません!!」
瞬時に流れるように後退し、スライディング土下座をして全身全霊を込め、ひたすら謝る。
『いつも心に、YES推し、NOタッチ!』の掟を破ってしまった。オタクの風上にも置けない、あるまじき蛮行。個人的心情では万死に値する、磔獄門の極刑ものだ。
床で蹲って震えるわたくしを見て、不憫なものを見るような目で彼が言う。
「いや、私の不注意だ。お前が謝ることではないだろう。だから、それやめろ。私の方がいたたまれなくなる」
「はい、やめます」
即答してすっくと立ちあがるわたくし。
なんとも言えない顔でわたくしを眺める彼。
「相変わらず、切り替えが早いな」
「殿下が嫌がることはしません。これは自分に課した絶対的な掟です」
「よくわからんが、そうなのか……冷めないうちにお前も食べろ」
「はい、いただきます」
席に着いてわたくしが食べ始めると、彼もゆっくりと食べて呟く。
「身体が温まるな。美味い……」
温かい食事を食べ、ホッと表情を綻ばせる彼が尊い。
「気に入っていただけて嬉しいです。ありがとうございます」
ありがたいので、手を合わせて拝んでおく。
温かいものが食べたいとリクエストしていたのに、食べ慣れていなくて猫舌だったのは少し意外だったけど、どことなく猫っぽくもある彼が猫舌なんて、ちょっと、いやだいぶ、いやかなり、可愛いと思う。萌え狂える。
「殿下はなんとなく猫っぽい気がするんですけど、犬と猫どちら派ですか?」
「どちら派? どちらもそれぞれの良さがあって可愛いからな、悩むな」
「俺は断然、犬派だ。一生懸命で健気なところなんか、愛くるしくて仕方ないだろう」
「僕は猫かな。自由気ままでそっけなく見えて、不意に甘えてくるのがたまらないんだよ」
何気なく話を振り、彼に側近たちも交えて学生らしく賑やかに昼食休憩をすごした。
育ち盛りの男子生徒ばかりということもあって、余分に作ったつもりだった大皿もすっかり空になってしまった。
食後のデザートになるだろうかと、小腹が減った時にでも食べようと持ってきていたリンゴを剥いて出す。
「……これは?」
見慣れないのか、彼は皿の上にちょこんと座るリンゴを見て首を傾げた。
「ウサギさんです」
「ウサギさん……?」
彼がまじまじと見て、側近たちも覗き込んでじっと見るので、わたくしは胸を張って答える。
「そうです、ウサギさんです」
「これが、ウサギさん」
なぜだか驚愕の表情を浮かべられているのが不思議なんだけど、どこからどう見ても至って普通のリンゴのウサギさんだ。
「なんでも器用にこなすやつだと思っていたが、意外なところで不器用なのか……?」
「え? すごく上手くできたと思うんですけど?」
そう言えば、この世界ではリンゴの皮をウサギの耳に見立てて切る、日本特有の切り方みたいなものはなかったような気もする。
あるとすれば、職人が作る彫刻みたいな写実的な飾り切りとかだろうか。
そういったものと比較されると、たしかにちょっと風変わりというか、独創的に見えなくもない気がするけど。
側近たちがウサギさんとわたくしを交互に見て言葉をこぼす。
「「「あー(察し)」」」
「あー(察し)、じゃないですよ?」
うんうんと頷く側近たちの姿を見るに、誤解されている気しかしない。
「これアレだろ、美的センスが人とズレてるやつだろ」
「絵とか前衛的すぎて、画伯ってあだ名つけられちゃうやつだよね」
「人には得意不得意、適材適所がありますから、気を落とさないで」
わたくしの肩にポンと手を置いて、彼まで哀れみの眼差しを向けてくる。
「なんでも完璧にこなすより、少しくらい不器用なところがある方が、私は人間味があっていいと思うぞ」
「完璧なウサギさんなんですけど! 慰めの言葉みたいなのかけるのやめてくださいます?」
日本人だったら間違いなくなんの違和感もないウサギさんなのに、奇抜なセンス認定されてしまうだなんて、解せない。
「もういいです! 要らないならわたしが食べます!!」
なかなか食べようとしないので、わたくしがむしゃむしゃと食べてしまう。
「ああっ、ウサギさんが!」
「もぐもぐ……ごちそうさまでした」
リンゴを食べられて阿鼻叫喚し、皆が絶望顔して放心する。
そんなに食べたかったら、早く食べたら良かったのにと思いつつ、手早く後片付けする。
「さあ、食事が終わったら食休みに二十分ほど仮眠を取りますよ。仮眠用にソファーを整えたので、殿下はこちらへどうぞ」
「仮眠? そんなもの、私には必要ないぞ」
素直に従わないのはわかっていたので、いかに仮眠が有意義なのかを力説する。
「仮眠することで仕事の効率は飛躍的にアップするんですよ。食後すぐは内臓が忙しく働くので、頭の働きは鈍くなるんです。昼寝をしてリフレッシュしてから仕事に打ち込んだ方が、疲れにくくなりますし、圧倒的に効率が上がるんです」
生徒会室脇に設けた衝立の奥、仮眠用に整えたソファーを指し示せば、彼はチラリと視線を向けただけで眉根を寄せる。
「私は仕事をしようと思って来たのであって、昼寝するために来たわけではないぞ」
「ですから、昼食休憩中に仕事をするのであれば、効率的に仕事をこなすためにも、仮眠は必須事項です」
「いや、側近たちもいるのに、私だけが仮眠を取るわけにはいかないだろう」
「殿下が休まれるなら、側近の皆さんも気兼ねなく休まれますよ。ですよね?」
彼の背後に座っていた側近たちへ投げかければ、示し合わせたように寝たふりをする。デキる側近たち、ナイス連携。
側近たちがすでに仮眠している姿を見て唖然とし、物言いたげにする彼を急かす。
「ほら、もう皆さん既に仮眠してますし、殿下もお休みください。時間になったら起こしますから」
「お前だけ起こしておくわけには――」
「もちろんわたしも仮眠しますとも。お側には控えておりますけど」
「う……すぐに寝るなんて無理だ。私は寝つきが悪いんだ。寒くて眠れない……」
「そうなんですか。ならば、仕方ありませんね」
わたくしが諦めたと思ったのか、彼が仕事をしようと席を立つ。
「じゃあ、私は――」
「殿下は冷え性なご様子なので、体温の高いわたしが横で温めます。存分に暖を取ってください」
すかさず、その手を取って強制的に仮眠用ソファーに連れていって座らせ、わたくしも隣に座る。
推しにむやみやたらに触れるべきでないのは当然ではあるのだが、冷え性で凍える推しを放っておくことなんてできないので、これは致し方ないことなのだ。
断じて、やましい気持ちで推しに触っているわけではない。ので、わたくしは推しを温めるためだけの熱源に徹する。
そう、わたくしは人ではない、ただの暖房器具。ヒーターだ。ヒーター……。
強く念じた瞳で見つめると、彼は根負けしたようにため息を吐く。
「――はぁ、わかった。私の負けだ」
観念した彼は脱力してソファーに身体を投げ出し、横に座っていたわたくしの膝に頭を預けた。