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番外編:覚悟を決める



「——キス、してもいいですか」


その一言にアデルの思考が一瞬で停止する。

馴染みのない単語が頭の中で何度も再生され、その場で呆然と立ち尽くしてしまった。


(き、き、キス……? ああ、そうか。恋人同士だもんな。そうか、普通するよな……キス……)


途端に視線が泳ぎ、身体の動きがぎこちなくなる。

手元にあった書類をうっかり床に落としてしまい、慌てて拾い上げる姿は明らかに不自然だった。


「挙動不審」


ふっと吹き出すユリウスに、アデルは顔を真っ赤に染める。


「なっ……! お前が急に変なこと言うからだ!」

「俺はなにも変なこと言ってないですよ」


笑いつつも、いつも通りの落ち着いた口調でそう返す。

不意に視線が絡み、アデルの心臓がどくんと跳ねた。


「そ、その、ユリウスは、したいのか? ……き、キスを」

「したいですね」

「ふぐぅっ……」


即答され、アデルの口から情けない声が漏れ出た。


……いや、わかっている。

晴れて両思いになったというのに、未だに恋人らしいことのひとつもできず、どこかぎこちないままでいることを。

ユリウスが気を遣ってくれているのも、ちゃんと知っている。

急かすような素振りも見せず、こちらの歩幅に合わせてくれるように、少しずつ距離を詰めようとしてくれているのがわかる——その優しさが痛いほど身に染みる。

だからこそ応えたいと願うのに、いざとなると気恥ずかしさが上回り、つい逃げ腰になってしまうのだ。


(……いい加減に腹を決めろ自分。逃げてばかりでは師匠の名折れだ)


アデルは心の中で何度も叫びながら必死に自分を奮い立たせる。

心に決めた人の願いを聞いてやれなくてどうする、と。

覚悟を決めて、大きく息を吸った。そして——


「……よしっ、ユリウス!」

「はい」

「目を瞑れ!」

「——はい?」


気合を込めてそう叫ぶアデルに、ユリウスの目がほんの少しだけ見開かれた。


「ど、どうした。すればいいんだろ? ほら早く」


震える声でそう言いながら拳を握りしめるアデルをユリウスは困惑したように見つめ返す。


「いや、まぁ、そうなんですけど……そう来るか」

「……?」


ふぅー……と顔を伏せ息を吐くユリウスにアデルは首を傾げる。

なにか間違ったことでも言っただろうか。


「師匠からしてくれるんですか?」

「だ、だからそう言ってるだろ!」


どこか期待を込めた瞳でそう尋ねられ、アデルの背筋がびくりと跳ねた。

こんなやり取りをしている間も鼓動はどんどん早くなるばかりだ。

隠しきれない動揺を悟ったのか、訝しげに眉を潜めるユリウス。


「……ちゃんとできるんですか?」


真顔でそう尋ねられ、アデルは思わずムッと眉を吊り上げた。


「おうよ、任せろ!」


強気に返事をするものの、何故かユリウスは煮え切らない様子だ。

まるで「この人、本当に大丈夫か?」とでも言いたげである。


「わかりましたよ。——では」


やがて諦めたのか、ユリウスは肩を竦めながら椅子に座ると大人しく目を閉じた。

無防備な彼の目元にアデルは手をひらひらとかざす。


(よしよし、ちゃんと瞑っているな)


アデルは小さく頷きながらユリウスに向かい合う。

だが、彼の顔を見つめている内にじわじわと現実味が押し寄せ、顔がどんどん火照っていった。


(……うぅ、思った以上に恥ずかしいぞ、これ。あれだよな? 唇を重ねたらいい……んだよな?)


焦りに似た感情が胸の奥で渦を巻く中、アデルはそっとユリウスに顔を寄せた——その時


「——まだですか?」

「ヒィッ!? 急に喋るな!」


突然放たれたユリウスの声に大きく飛び上がった。

ユリウス自身は全く悪気がないどころか、ただ静かに様子を伺っただけなのだが、アデルにとっては心臓を直撃するほどの衝撃だった。

バクバクと早鐘を打つ胸を押さえながら、じりじりとにじり寄り、再びユリウスと対峙する。

こんな調子ではいつまで経っても終わらない。


(……ええい、ままよ!)


アデルは意を決して、目を閉じたユリウスのもとへ一気に顔を近づけた。



——ほんの一瞬だけ、時が止まった。

柔らかな感触、互いの息遣い、触れた場所から広がる熱。


すぐさまガバッと身を離す。

目を開けたユリウスと視線が合うと、アデルは顔を真っ赤に染めながら口元を手の甲で覆い隠した。


「ど、どうだ?」


唇に残る余韻がこそばゆくて、気まずそうに目を逸らしながら言葉を紡ぐ。

しどろもどろに身を縮こませるアデルの様子にユリウスはふっと笑った。


「いや、そんなに照れられると、こっちまでつられてしまうんですけど」

「し……しょうがないだろ、慣れてないんだから……」


アデルは涙目になりながら羞恥心を隠すように両手で顔を覆おうとする。

けれど、ユリウスはすかさずその腕を掴むと迷いなく引き寄せた。


「……っ!?」


思いがけない力にアデルはあっという間にバランスを崩し、次の瞬間には向かい合う形でユリウスの膝の上に座らされていた。

互いの体が密着し、彼の熱がじわりと広がる。

心臓の音がうるさく響く。けれどユリウスはアデルの肩に手を回し、逃げられないよう腕に力を込めた。

そして柔らかな笑みを浮かべると、俯きかけたアデルの顎を持ち上げ強引に視線を合わせる。


「ちょっ……見るな……」

「駄目。ちゃんと見せて」


弱々しく抵抗するアデルだったが、ユリウスはそれを許さなかった。

じっくり、観察するように、耳の裏まで真っ赤に染まったアデルを愛おしげに見つめる。

視線を受けた場所からぞくぞくとした甘い感覚が身体に広がり、否応なく呼吸が荒くなっていく。

堪らずギュッと目を瞑るアデルの耳元でユリウスは小さく囁いた。


「——お返しです」

「お、お返しってなにを……んぅっ……!?」


熱く湿ったものが唇に触れる感触に、アデルの身体が大きく跳ね上がった。

触れた部分からぞくりと甘い痺れが広がる。

それがユリウスの唇だと気づくのに時間はかからなかった。


熱を含んだ息遣いと、唾液が絡み合う音に脳髄が麻痺する。

けれども逃げる隙など与えられるはずもなく、ユリウスは容赦なくアデルを追い詰める。


——こうして、彼が満足するまで解放されることはなかった。




***


[ユリウス side]




(……まさか、師匠のほうから来るとは)


静かに目を閉じながら、ユリウスは内心で呟いた。


——本当は、自分のほうからするつもりだった。

不慣れなアデルに負担をかけないよう、できる限り自然に、優しくリードするつもりでいた、けれど——


「——まだですか?」

「ヒィッ!? 急に喋るな!」


目を閉じていてもわかる。アデルが不自然なまでに緊張しているのが。

気合いと覚悟だけで突き進もうとしているのが、ありありと伝わってくる。


(いや、そもそも恋愛経験ゼロみたいな人が、どうやってリードしようっていうんだ)


内心ではツッコミを入れつつも、笑みを浮かべそうになるのをなんとかこらえる。

それでもアデルなりに真剣に向き合おうとしてくれているのだから。


(……まぁ、やる気はあるみたいだし。とりあえず任せてみるか)


思考を切り替えて、そっと息を吐く。

たとえ多少ぎこちなくても、不器用でも、それでもいい。

自分のために勇気を振り絞ってくれているのだから。


(でもまぁ、師匠の気が済んだら——次は俺の番ってことで)


そんなことを思いながら、アデルの気配が徐々に近づいてくるのをユリウスは静かに受け入れるのであった。



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