9 魔法を習得せよ(1)
「トーガシュ様、テーブルマナーはもう大体大丈夫って親父、じゃなかったクラース様に報告しておきますねー。
それにしても、どーこでテーブルマナーなんて習ったんすかー? 孤児院でそんなん習うわけないでしょうしー」
エーリツの、この緩い話し方は嫌いじゃないな、とトーガシュは思う。
トーガシュの側近となるべく精進しようと腹を括ってくれたらしい彼は、トーガシュの前ではあっさりと緊張を解いた。
素の彼はとてもよく喋るが、ゆるゆるふわふわと流れる声だから、早朝から昼時までほとんど一緒にいても気疲れしなかった。
直感は当たっていたようだ。やはり、相性はなかなかいい。
「まあ、独学というか。人の振舞いを見て真似ているだけだよ」
適当に答えるが、嘘ではない。前世でそうやって学んだものだ。
僅かな違いはあるものの、この国でも通用するようでよかった。
今はランチタイム。
早朝のエーリツとの邂逅の後、今日は午前中いっぱいを基本的なマナーや読み書きをエーリツから習い、朝食と昼食もマナーを確認しながらエーリツと二人で摂ることとなったのだ。
「読み書き計算も、普通の6歳の貴族子女よりずっと出来てましたよー。……いやまぁ、俺は普通がよく分かんないすから、たぶんってことですけど…」
だんだんと下を向き声が小さくなるエーリツは、普通というものにコンプレックスや劣等感のようなものを感じているようだ。
確かに、彼の性格は、集団の中で見れば浮きがちなところがあるのだろう。
しかし、カトラリーを操る手つきは優雅なものだし、トーガシュの指導を任されるだけあって、基本的なマナーや所作は見事なものだ。「めっちゃ努力しました!」と言っていたが、それならもっと自信を持ってもいいのに、とトーガシュは思う。
「僕にも普通なんて分からないよ。
ふふ、孤児院育ちで両親を知らない貴族子息なんて、もうそれだけで普通じゃないからね。
だからこそ、エーリツなら僕、仲良くできるかもって思ったんだよ」
エーリツに漂いはじめていた自信のなさが、トーガシュの言葉で簡単に霧消する。
ぱっと上がった顔は、目をきらきらさせ、口元をもにょもにょと動かしている。
感情がとても分かりやすいこの青年を、トーガシュは既にかなり気に入っていた。
出生の話をしても、蔑みも憐みもなく、ただ言葉通りに受け止めてくれるのが何よりいい。
「言ったでしょ、エーリツには、普通の従者になってもらいたいんじゃないって」
「共犯者、でしたっけ? トーガシュ様、犯罪者になるつもりなんすかー? は! ご両親の敵討ちとか!?」
「ははは、犯罪を犯すつもりはないよ」
これも、嘘ではない。
まあ、孤児院で金貨をくすねたり許可されていない場所へ侵入したり、もう既にばっちりアウトな気もするが、前世のようにアウトローな世界に生きるつもりはないのだ。本当だ。
前世を思い出したこともあってか少しばかり遵法精神が緩いかもしれないが、エーリツを巻き込んで犯罪を犯すつもりなんて毛頭ない。
「僕の目指すのは穏やかで気楽な生活だからね。
でもきっと、僕にはどうしても貴族に馴染めないところがあると思う。それに、まだよく分かっていないけど、親を亡くした僕は、今後、難しい立場になるかもしれない。
エーリツがドアに警報の魔道具を設置したのも、僕が命を狙われるかもって聞いたからでしょ?」
「まあ、そうっすね。突然思いついちゃって。トーガシュ様が入浴中だったんで、そのまま報告するのを忘れてました」
「以後は、僕の許可なく魔道具を設置しないこと! 事前許可が絶対! 分かった?」
「はい!」
強めの発音で伝えれば、威勢のよい返事が返ってきた。重要なところは釘を刺しておかねばならない。
「話を戻すと、つまり、外では普通の貴族のように振舞ってみせても、中身はきっと、普通の貴族なんてものじゃない。
だからさ、全力で貴族やる僕と、全然貴族らしくない僕と、両方をエーリツに支えてもらいたいんだ。他人には見せられないような姿も、エーリツの前では、気を抜いても大丈夫って思いたいんだ。
だから、そういう意味で『共犯者』になってってこと」
「はい!」
目をきらきらさせて、心なし頬も紅潮させているこの青年も、きっと自分に好感を持ってくれているのだろうと思うと、少し気分が良い。
しかし、エーリツは、何かに気づいたようにハッとすると、途端にきょどきょどし始めた。
「あ、んーっと……すっごく言いづらいんすけどー…。そのー、俺、多分、隠し事が苦手で。嘘を吐くとか取り繕うとかが上手くできなくて…それもあって貴族向いてないって言われてて…」
しおしおとする様は、11歳も年上などとは到底思えないほどかわいらしくて、トーガシュは軽く吹き出した。
「ふふっ、大丈夫。そんな深刻な秘密を抱えるつもりはないよ。エーリツと二人きりのときは、こうやって楽に話したいってくらいの意味さ。
いずれにせよ、エーリツに嘘を吐けと僕が命じることは絶対にない。安心して」
人が秘密を守れるだなんてトーガシュは信じていない。たとえどんなに心を許した相手であっても。
人は裏切る生き物だから、というだけではない。前世、厳しい訓練に耐える中で否が応でも思い知った。拷問や脅迫に耐えられる人は、決して多くはないと。家族や仕事、誇りなど、大切なものを多く持つ人ほど、圧力に耐え続けることは難しい。
だから、今後も、本当の秘密は、決して外には出さない。独り言であっても、だ。
結局、最強のセキュリティは己の脳のみだ。
「さて、午後は魔法の訓練だったよね?」
食後のお茶も飲み終わり、エーリツに椅子を引かれて立ち上がる。
「はい、屋外の訓練場で受けることになっています」
いよいよ魔法の鍛錬ができる! と、トーガシュはわくわくしながら部屋から出て行った。




