7 貴族子息になれ(2)
次の日、トーガシュは、やはり夜明け前に目を覚ました。
柔らかで温かなベッドに少し名残惜しさを覚えながら、室内履きに足を入れ、音を立てぬようにストレッチを始める。
寝間着はワンピース型で運動に適しているとは到底言えないが、トーガシュにとってはそれも鍛錬の一部だ。今後、貴族子息として生きていく以上、動きにくい衣服を纏うのが常となるのだ。貴族の衣装で鍛錬を積んでいかねばならない。
(さて、次は鍛錬がてら屋敷内の情報収集だな)
軟禁状態だった昨日までと異なり、この部屋は鍵がかかっていないはず、と思いながら、トーガシュは音を立てず部屋の扉に向かった。
そして、ドアノブに手をかけた途端。
――ジリジリジリジリ!!
と、大きな音が部屋の内外で鳴り響いた。
驚いたトーガシュが、咄嗟に身を屈めながらベッドまで走り、枕元に隠し置いたアイスピックを利き手に構え、反対の手で枕を盾のように掴んだところで、部屋の扉が勢いよく開いた。
「トーガシュ様!」
転がり込むように現れたのは、ひどく慌てた様子の青年だった。初めて見る顔だ。
「ご無事ですか!? 侵入者はどこに!?」
「……僕は無事です。特に侵入者は確認していないのですが……」
困惑しながらも、トーガシュは警戒を続け、青年をよく観察する。明けきらぬ薄闇でも、廊下からの明かりが入ってくるため青年の姿はしっかり見える。
赤茶色の長めの髪を振り乱し、歳の頃は二十歳前だろうか。
中途半端に纏った衣服はタカメッツ家の男性上級使用人に支給されるもののようだし、紋章入りのタイとカフスは、中でも側近らに与えられるものだ。
しかし、昨日までに屋敷内で彼を見かけることはなかった。
「んーと、トーガシュ様? その、お手にある攻撃力高めなそれは一体? 侵入者が来たんじゃ?」
彼は彼で混乱しているようだが、トーガシュも、人少ない時間に一人で現れた初対面の人間をすぐに信用することはできず、腰を落としたままじっと彼の挙動に気を配る。
「え、えー!? もしかして警戒されているのは俺!? で、でも感知器が…ん、んー??」
そんな膠着状態の中、さして間をおかずに複数人の足音が聞こえてきた。
「っ、何がありました? トーガシュ様は…ご無事のようですが…」
家令のクラースら他の使用人が駆けつけてきたのだ。
彼らの様子を確認してからようやく、トーガシュは警戒を解き、しれっとアイスピックを枕元に戻した。
「ん、親父! 感知器が鳴ったんだよ! 侵入者かと思って、俺、慌てて来たんだけど、なんかトーガシュ様、ずっと臨戦体勢でさぁ」
「早く目が覚めたので外に出ようとしたら突然警報が鳴ったのです。…クラース、この者は?」
クラースに言い募る青年を横目に見やり、トーガシュは、意識してゆったりと落ち着いた声を出し、被せるようにクラースに問うた。
途端にクラースの目が輝く。
「ああ! トーガシュ様、ご立派でございます。昨日は突然運動を始めるなど、貴族としてはしたない振る舞いもされていたので少しばかり心配していたのですが。やはりパーニシュ様の血を継ぐお方、貴族の気品というものを生まれながらお持ちなのでしょう! …ああ、失礼いたしました。これは今日、トーガシュ様の専属執事としてご紹介するつもりでした者でして。恥ずかしながら私の不肖の倅でございます」
クラースが凍りつきそうなほど冷たい目で青年をじろりと見据える。
青年が分かりやすくびくりと震え、固まる。
ついでに、クラースを昨日怒らせたばかりのトーガシュの背も自然にぴしりと伸びた。
昨日、クラースに懇々と叱られ、トーガシュは胸に決めたのだ。明日、つまり今日から、全力で貴族子息になってやるぞ、と。
前世、各地の超高級ホテルのいくつかでホテリエとして働いたことがあった。
数年をかけてとある要人らの私的な情報を集める指令だったが、そのために王族や大富豪らVIPの行動を具に観察し、彼らに仕える者としての所作を徹底的に我が身に叩き込んだことがあった。
その経験を、トーガシュは今、大いに活かすつもりだ。
目下の者にはVIPの振舞いを、目上の者にはホテリエの所作を基本に、差分はこれから追々学んで身につけていくのだ。
クラースには悪いが、少なくともトーガシュが生まれ持つ気品や貴族らしさなど皆無だと思っている。だって、本人が自分の中に一欠片も見出せないのだ。
しかし、気品は作れる、というのがトーガシュのモットーだ。ついでに、”かわいい”や”威厳”も作れると信じている。
オーラだとか言われたらお手上げだが、言葉遣いや発声の仕方、姿勢、動きの角度や速度、目線の動きなどにこだわれば、周囲に与える印象をコントロールすることは可能だ。
実際、クラースの反応からするとこの方針で合っていそうだ。
この青年がトーガシュに仕える存在なのだというならば、本来、紹介も名乗りもないのにトーガシュの許しなく口を開いてはならないのだ。
クラースは、家令であり、当主ピメントの指示もあって、使用人の域を超えてトーガシュの躾や教育に当たっている。だからトーガシュを頭ごなしに叱ることができるのであって、そうでない限り、トーガシュは子どもだろうが主家の一員として毅然と対応せねばならないのだ。
そんな基本的ルールを今さら思い出したのか、青年は慌てて口を噤んで礼を執った。
「全くお前は…。
改めまして、これの名はエーリツ。ご覧の通り、執事見習いとしてもまだまだ未熟です。実は、元々魔道具職人だったのを、トーガシュ様がこちらに運び込まれてから急遽呼び戻したのです。これからビシバシと教育していく予定です。
もっとも、そういうことですので、トーガシュ様におかれましてはお好きなようにこれに仕込んでいただくことが可能ですから、是非に」
まるで悪役のようにニヤリと口角を上げながらクラースが放った言葉に、トーガシュは思わず遠い目になった。
(若いとはいえ成人しているだろう青年に仕込めって…六歳児になんてこと言いやがるんだ、このおっさんは…)
「…あー、うん、これからよろしく。
それで、あの警報音は結局何だったのですか」
「おそらく、このバカが勝手に仕掛けた魔道具の類でしょう。どうぞ、厳しく指導してやってください。
私は一刻も早く旦那様にトーガシュ様のご無事をご報告して安心していただかねばなりませんのでこれで失礼いたします。繊細なお方ですから」
この場は僕に丸投げかー、とトーガシュは再び遠い目になった。
「それから、今後は屋敷の備品を持ち出す際は一言お声掛けを。キッチン担当の者が胃を悪くしますゆえ」
部屋から出る際、クラースはベッドの方を見やりながら冷ややかに言い残していった。
トーガシュがアイスピックを隠したのはしっかりバレたようだった。
ぴしり、と背を伸ばしながら、叱責や罰を受けただろうキッチン備品担当者に心の中で謝罪をした。
「……で、エーリツだったか」
「はい!」
ため息をひとつついたトーガシュは、赤茶髪の青年に向き直った。
礼を解いた青年は目をキラキラさせていて、確かによく見れば、クラースの面影がある。ただ、父親にはない素直さに溢れている。思っていることがそのまま出てしまう迂闊さ、いや正直さも。
「さっきの警報についての説明と簡単な自己紹介を。
簡潔に頼むよ。朝食前に今後についての打ち合わせも済ませたいからな」
せっかく父親から勧められたのだ。この青年には是非とも自分の味方、いや共犯者になってもらおうか。
さて、どうやって懐柔しようか、この素直さにはやはり素直に打診するのが一番か、と思案しながら、トーガシュは悪戯げに目の前の青年に笑いかけた。




