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<ハノキア踏査編> 86.絶望の先

86.絶望の先


 「!!」

 (宇宙のような空間に蠢く存在!‥‥まさか!‥‥イヌトのヘギャザテか!!)


 雪斗(スノウ)は頭応留美を見た。


 「これは一体何だ?」


 念の為自分がヘギャザテを知っていることは伏せた。


 「私にも分からない。ただ夥しい数の触手と目が恐ろしい怪物だった‥‥。見ただけで吸い込まれそうで、しかもその先には何も存在しない正に虚無の世界があることだけが分かったの。それを見たダンは、虚無に襲われる恐怖で恐れ慄く表情になっていると思ったら真逆で嬉しそうな表情を浮かべていたわ‥‥‥‥。私は今でも思い出すだけで恐怖でどうにかなってしまいそう‥‥得体の知れない怪物も、虚無の世界も、そしてそれを嬉しそうに見ていたダンもね‥‥」


 頭応留美の腕に鳥肌が立っているのが見えた。

 余程怖いのだろう。

 だがその感覚に陥るのは無理もなく、瀬良南の兄の瀬良呉人と有留平太も恐怖で逃げ出している。


 「何故そんな場所に、そんなヤバそうな奴のいる場所に試験体の精神体は飛ばされたんだ?」

 「分からない。いえ、ダンはやる仮説を立てたわ。それも研究日誌に書いてある。そして見せた本当の理由もね」

 「‥‥本当の理由‥‥」

 (ヘギャザテ以外に何かあるのか?)


 雪斗(スノウ)は読み進めた。


・・・・・


 恐ろしい異形の存在を前に私とダンはなす術なく、転移した精神体はその怪物に吸い込まれるようにして消えた。

 私は思わずモニターのスイッチを切った。

 ダンは私を睨みつけたが、その目よりも怪物の目の方が恐ろしかったのだ。



 4月22日。


 怪物が出現してからダンは私を遠ざけるようになった。

 だが私は社長として、そしてひとりの科学者としてこの研究に責任を持っている。

 ダンの暴走を止めることも含めてきちんと見届けなければならない。



 4月23日。


 突然来客があった。

 面識のない人物であり、通常であれば秘書が内容を聞いて状況を見て断るのだが、どうやら秘書が必要と判断したようだ。

 その人物は私と瀬良南に会いにきた。

 交換した名刺を見て驚いた。

 大手ITエンターテイメント会社のミネルヴァース社のマーケティング本部長だったのだ。

 名を(なか) 鬼使密(きしみつ)といった。

 どこから聞きつけたのか、電脳世界に人の精神体を転送する技術について尋ねてきたのだ。

 極秘裏に進められているプロジェクトにも関わらずどうやって知ったのか。

 謎は謎だが大手のマーケターということで話を聞くことにした。

 内容はこの研究に対する資金援助を行う代わりに独占販売権が欲しいというものであった。

 ミネルヴァース社の企画力と連携力があればグローバルで途轍もないバーチャルワールドを形成し、世界の規模が数百倍になるという話だった。

 確かに大手のミネルヴァース社と組_めばそれも絵空事ではなくなるだろう。

 だが、それは時間の差でありどのような手段を取っても何れ世界中に広がり無数の電脳世界で人々が精神体となって生活する未来がくるだろうし、我が社は一応資金繰りで困ってはいないため、資金援助を受ける必要はないと考えている。

 この話は断る方向としよう。



 4月27日。


 ダンがいつもの冷たい表情で話しかけてきた。

 彼は完全に私を科学者として見てはいない。

 助手以下程度だろう。

 だがそれでも良い。

 この研究が上手くいくのであればそれでも良い。

 

 ここのところ、ダンは例の怪物の世界に精神体が飛ばされた原因についての解析に追われていた。

 データについては私も手伝っているが、肉体から精神体を分離するプロセスも、精神体をデータ化するプロセスも、そしてデータ化された精神体を転送するプロセスも過去の実験隊のデータと比較しても全くといってよいほど差異がなかった。

 その状況を踏まえ、ダンはとある仮説を立てた。


<ダンの仮説>

・精神体は肉体と結びつくことで現在の宇宙に留まる力を得る。

・だが、精神体単体ではこの宇宙に留まることは出来なくなる。

・今回電脳世界を生み出しそこに精神体を止めることに成功したのだが、ここでひとつの仮説が成り立つ。

・電脳世界そのものは我々が作り出したと思っているが、実際にはそうではなく電脳世界に我々が侵入し、勝手に街を作ったという仮説だ。

・物理世界では広大な宇宙があり、地球が存在しその中で我々は生存しているが、その中で死にゆく星もあれば新たに生まれる星もある。

・それと同様に電脳世界においても広大な宇宙が存在し、そこにいくつもの星と同義の電脳世界が存在する。そして今回我々は新たな星が生まれたように新たな電脳世界を作り出したと言える。

・いわゆる広大な電脳宇宙に電脳星を作り出したということだ。

・そして電脳宇宙で何らかのエネルギー変動が発生したなどの原因で精神体の転送のプロセスが歪められ本来着地すべき我らが作った電脳星ではなく、別地点に着地したということだ。

・故に僕が見たあの異形の生物は電脳宇宙で生きる生命体であり、我らが行なった実験で精神体が電脳宇宙に侵入したことを受けて確認しに来たのであろう。これまで人類が散々想像してきたものとは違う形で地球外生命体と遭遇したことになる。

・これを電脳世界の威霊、電威霊と名付けよう。


 私はその仮説を肯定も否定も出来ない。

 それを証明する術を持たないし、論理の紐付けも出来ないからだ。

 電脳宇宙という概念そのものが理解に及ばない。

 電脳世界は所詮クラウド上に展開された仮想空間であり、確実に私が中心に作り上げたものだ。

 完全にプログラムの積み上げであり、宇宙などではない。

 だが事実、果てしなく続く虚無の世界は宇宙とも言い換えられるほどであり、仮にそこがダンの言う通り電脳の宇宙だとしたら、そこに生命体がいても不思議ではない。

 ただひとつ言えることはダンが電威霊と名付けた存在がとてつもなく恐ろしいということだ。



 5月10日


 ダンが突然私を研究室以外の場所を指定して呼び出してきたため向かっている。

 思考が読めず、感情の起伏の範囲が異常であるダンの呼び出しは不気味だ。


 呼び出された場所はとあるホテルの一室だった。

 そこにはダンとミネルヴァース社のマーケティング本部長の(なか) 鬼使密(きしみつ)氏がいた。

 差し出されたのはIITT(アイイット)社の、私の会社の株式譲渡を進めるための覚書だった。

 しかも進めてきたのはダンだった。

 困惑する私に仲氏はとある額を提示してきた。

 IITT社で私が得られる生涯年収の100倍以上であり、私と佳奈美が一生遊んで暮らせる額であった。

 不気味な笑みと冷たい目でダンは私に覚書へのサインを要求してきた。

 確かにIITT社を立ち上げたのは佳奈美のためであった。

 佳奈美を育て幸せにするために経済的な基盤を築く手段として立ち上げた会社なのだ。

 だが、事業内容は私が心血を注いできたものであり、それを簡単に見ず知らずの他者に渡すことは納得出来ない。

 私は意を決して覚書へのサインを断り、その部屋を出た。



 5月23日


 佳奈美が学校で倒れた。

 体育の授業中に突然意識を失って倒れたらしい。

 病院に駆けつけると佳奈美は元気な表情を見せて、“何しに来たの?研究があるでしょ?” と言った。

 時々甘えてくるが根はしっかりしていて気を遣ってくれる。

 こんな時まで私を気遣ってくれる佳奈美を見て私は自分がダン怖さに研究に没頭してきたことを後悔し、自然と目から涙が溢れ出し止まらなくなった。

 姉であることを忘れ、ベッドで寝ている佳奈美の手を握りながら泣いた。

 佳奈美は私の頭を優しく撫でてくれた。まるで私が妹のようだった。

 


 5月28日


 佳奈美が退院できるとなり、病院に迎えに行くと医師から絶望的な話があった。

 佳奈美の頭部に悪性の腫瘍があるというのだ。

 私はその場で気を失ったらしい。気づくとベッドに寝かされており、その横には佳奈美が座っていた。

 佳奈美は私が研究に没頭しすぎて過労から倒れたのではと心配してくれた。

 どうやら医師は佳奈美には伝えずにいてくれたようだ。

 私はまた佳奈美の手を握り泣いた。



 5月30日


 研究室へ出向くとダンが珍しく真剣な表情を見せた。

 何故か佳奈美の悪性脳腫瘍の話を知っていたのだ。

 佳奈美の姉である私の同僚だと言い、医師会のツテを使って担当医から話を聞いたというのだ。

 心配してくれての話だと思うが、異常な行動だと思った。

 だが、医師と会話して佳奈美がどのような状態なのかを正確に把握したらしい。

 ダンには医者を凌駕する医療知識がある。それ故に試験体から脳だけを取り出し血液循環器と接続して酸素供給を行うという荒技もやってのけたのだ。

 ダンによると佳奈美の脳腫瘍は脳を侵食し一体化しているため、脳を圧迫することがなかったことから今まで頭痛などに襲われることなく気づかなかったらしいのだが、かなり侵食が進行したため、突然気絶する症状が出たのだという。

 その言葉で再び絶望に襲われ私は気を失いそうになった。

 だが、ダンは私に安心しろと言った。

 佳奈美の脳腫瘍を治すと言ったのだ。

 症状から手術でどうなるものでもないと理解していただけに信じられない言葉であった。

 だが、もしそれが可能なのならば、私はどんなことでもする覚悟がある。

 彼の治療法は私の想像を超えていた。

 脳腫瘍の存在しない佳奈美のクローンを作り、佳奈美の精神体を電脳世界へと送った後、クローンに戻すというものだった。

 私は反対したかったのだが、それを拒んだところで佳奈美の症状が良くなるわけではないため、一縷の望みを託してダンの案に賛同した。

 ただし、条件があり、IITT(アイイット)社をミネルヴァース社へ事業譲渡する要求を飲まなければならなかった。

 私は即時に承諾した。



 ここで研究日誌は終わっていた。



いつも読んで頂きありがとうございます。

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