元魔王、少女と出会う
ある日の昼下がり、ロストは静かな森の中を散歩していた。
「今日は……あっちに行ってみるか」
つぶやくと、ロストは森の西側へと歩を進める。木漏れ日の差す小道をしばらく歩いていると、視界が開けた場所に出た。そこは小高い丘のような地形で、森の広がりを一望できる。
「ここは見晴らしがいいな。今度ピクニックでもするか……ん?」
辺りを見渡していたロストの視線が、ふと地面に倒れている何かを捉えた。
「あれは……人間? この山に人間が住んでいるとは聞いていないが……」
慎重に近づくと、それは十代後半ほどの少女だった。服は破れ、全身傷だらけ。意識はないようだ。
「ふむ……」
ロストは少女に向かって右手を掲げる。
「《治れ》」
静かな呪文のような言葉と共に、温かな光が少女の体を包み込む。たちまち彼女の傷は癒え、元の姿を取り戻していった。
「これで怪我は大丈夫だろう……おい、人間、起きろ」
声をかけるが、少女は反応しない。
「……起きないか。なら、とりあえず連れて帰るとするか」
そう呟いたロストは、少女を抱きかかえ、静かに歩き出した。
――それから数十分後。
ロストは自宅に到着した。そこは森の中にひっそりと建てられた邸宅で、庭では蟻人たちがテーブルやイスを並べ、昼食の準備をしていた。
「ただいま」
「おかえりなさいませ、ロスト様。ちょうど今、昼食の準備が整ったところで……って、その子、人間の女の子じゃないですか!? 一体どうしたんですか?」
「森の中で倒れていたから、傷を治した。だが目を覚まさなくてな……とりあえず、連れてきた」
「連れてきたって……その後のことは?」
「ん? いや、特に考えていない。ただ目の前に倒れていたから、助けた。それだけだ」
ロストの飄々とした返答に、蟻人は深いため息をついた。
「はぁ……ロスト様、その思いついたら即行動する性格、そろそろどうにかしたほうがいいですよ。……とりあえず、その子はベッドに寝かせておきましょう」
「分かった」
ロストは少女を自室のベッドに寝かせ、その後、蟻人たちと昼食を取った。
食事を終えたロストは自室に戻り、ベッドで眠る少女の様子を見に行った。まだ目を覚ましてはいない。
ロストは椅子に腰掛け、少女が目を覚ますのを静かに待つことにした。
――二時間後。
「……う、うぅ……」
少女がうっすらと唸り、ゆっくりと目を開ける。上体を起こし、周囲を見渡した。
「……ここは、どこ……?」
「ようやく目を覚ましたか」
不意に聞こえた声に、少女は驚いたように振り返る。そこには、椅子に座るロストの姿があった。
「……あなたは、誰ですか?」
警戒を含んだ声で、少女は問いかけた。
「俺はロストだ」
「……あなたが、私を助けてくれたんですか?」
「ん? まあ、そういうことになるな」
少女はベッドから下り、ロストに深く頭を下げる。
「助けてくれて……ありがとうございます」
「礼などいらん。……ところで、お前はなぜあんな場所で倒れていた?」
ロストの問いかけに、少女の表情が曇る。目を伏せ、声を絞り出した。
「……言いたく、ありません」
「そうか。なら、それでいい」
あっさりとした返答に、少女は意外そうに顔を上げた。
「……聞き出そうとしないんですか?」
「言いたくないことを無理に聞き出したって、意味がないだろう」
「……あなた、変わった性格だってよく言われませんか?」
「ん? よく分かったな。さっきも部下に“その性格、どうにかした方がいい”って言われたところなんだが……性格って、そんな簡単に変えられるものなのか? お前はどう思う?」
「……多分、無理だと思います」
「そうか……」
ロストは頭を掻きながら、残念そうに呟く。その姿を見て、少女がふっと微笑んだ。
「ふふっ……あなた、面白い人ですね」
「……」
ロストは黙って少女の顔を見つめる。
「……お前、笑った顔、可愛いな」
「……え?」
「いや、さっきまで暗い印象だったが、笑うと印象が全然違う。可愛いと思ってな」
「わ、私が……可愛い……そんなこと、初めて言われました……」
頬を染める少女に、ロストは素直に言葉を返す。
「そうなのか? こんなに可愛いのにな」
「あ、あの……そういうの、もう言わないでください。恥ずかしいです……」
少女は顔を両手で隠し、くるりと背を向けた。
「なぜだ? 可愛いものに“可愛い”と言ってはいけないのか? クロには毎日のように言ってるぞ?」
「く、クロ?」
「俺のペットのことだ。ちょうど今、後ろの窓からこっちを見てるぞ」
「えっ?」
少女が慌てて振り返ると――
「グルルルルルゥ」
窓いっぱいに、巨大な顔があった。
クロの大きな目と、少女の目がばっちり合う。
「……」
「グルルゥ?」
その瞬間――少女は真っ青な顔で気を失い、ベッドへと倒れ込んだ。