勇者でなくとも。
いつもありがとうございます。
最終話です。
「フェリシアさま。龍平です」
俺は、扉をノックする。扉の向こうに、大きな『妖魔』の『気配』。
「どうぞ。入って」
記憶と変わらぬ、可愛らしい鈴のような声が応えた。
俺は、息を整えて扉を開く。
窓は閉められている。
意匠を凝らしたランプが、部屋の中央で、ゆらゆらと灯りをともしているが、薄暗い。
サバナルへ旅立つ前に、一度だけこの部屋に入った。
嫁入り前のお姫さまであるから、二人きりになったのは、ほんのわずか。しかも、扉は少し開いた状態で、『紳士』であることを強要された状態ではあったけれど。
フェリシアは、指一本触れることすらためらわれるほど、清らかで美しかった。
「全てが終わったら、あなたの妻にしてください」
キラキラと輝く青い瞳。さらりとした金髪。将来の約束として交わしたキスは甘くて、柔らかだった。
物語の主人公になったかのような、夢のように、甘い時が思い出され……何も知らなかった自分の無知に思わず唇を噛む。
今の自分は……勇者という名に全く相応しくない。
「フェリシアさま?」
俺は、戸惑いながら部屋に入る。ソファも、テーブルも、記憶と同じ、高貴な女性の部屋に相応しいもののままであるが、どこか殺風景だ。以前は、美しい花が飾られていた窓際は、ガランとしている。
一歩、足をすすめると、ゾクリと肌が泡立った。まごうことなき、俺がサバナルで感じた『魔王』の気配だ。
部屋の奥にある白い扉が開いていて、天蓋付きのベッドの上に、フェリシアが腰を下ろしている。
彼女の傍らに、サバナル王のそばにいた、黒いカラスがいて、ぞくりとした。サバナル王の最期が脳裏によぎった。
「リュウ、落ち着いて」
ベネトナシュが低い声でそう言った。
俺は、深く息をして、フェリシアを見る。
薄暗いため、はっきり色はわからないが、フェリシアの服は、薄物の夜着だ。
身体の線を全く隠さない、まるで新妻が初夜を待つかのようなドレス。豊かな胸の谷間をさらけだし、くびれた腰、そして太ももにまとわりつくようなデザインで、裸体でいるより、みだらだ。
しかし、その美しいラインをさらしている肌は、緑色。長い髪は触手のようにのたうっている。青かったハズの瞳は、赤い光を帯びている。
ただ、顔は、記憶と同じ美しいままであることがさらに、おぞましさを感じさせた。
「リュウヘイ……来て」
フェリシアの重ねたことのある柔らかな唇から、甘い言葉が洩れる。
彼女は、ゆっくりと服を脱ぎ始めた。ベネトナシュの存在が見えていないかのように、俺に手を伸ばしながら、美しい乳房をさらけだし、誘う。
ひとりであれば、つい手を伸ばしてしまう……それほどに艶やかで、男を魅了する肢体であった。魔と同化した肌の色さえ、淫靡である。
俺は、震える手で剣を抜いた。
剣先を彼女に向ける。伝わってくる振動は、まぎれもなく、魔の証だ。
「リュウヘイ……私が欲しくはないの?」
潤んだ瞳で、俺を見あげる。背筋がざわりとする。愛おしさと、おぞましさが俺の中に渦巻く。
「目を見てはダメ!」
ベネトナシュが叫んだ。
「あなたが好きなの。好きだって、言ってくれたじゃない?」
ふるえる唇。のばされる細い腕。そのすがるような瞳は、抱き寄せずにはいられないほどに、愛おしい。
「リュウ!」
ベネトナシュの声で、我に帰った。
そう。ここで、迷っていては、絶対にダメなのだ。
「リュウヘイ、私を見て。私だけを、見て。お願い」
フェリシアの声は悲痛で。耳を塞ぎたくなる。
おろしかけた剣をフェリシアに向け、目を閉じて、意識を剣先に集中した。
『光は影、影は光。流れよ、大いなる扉の向こうに』
俺の身体から力が流れ、眩い光がフェリシアの身体を包み込んだ。
胸に下げたDVDがごーっと音を立て、フェリシアから暗黒の影を吸い込み、俺は衝撃のあまりに、吹き飛ばされて、ベネトナシュに支えられる。
光の渦が消え、影は封じられた。カラスの姿は消えた。
「フェリシアっ」
フェリシアは、どさりと、ベッドに倒れ落ち、俺は思わず、剣を捨てて、彼女のそばに駆け寄る。
「ぐわっ」
手を伸ばしかけた俺の身体を、彼女の髪がしゅるしゅるとのびて、捕えた。首と身体に触手のように巻き付いた髪の毛が俺の身体を締め上げる。
フェリシアの瞳がカッと見開かれ、俺を睨みつけた。
「勇者の隣に立つのは、私のはず……サバナルの魔王の娘のはずがない」
「……フェリ…シア?」
息が出来ない。彼女の目に浮かぶのは、嫉妬。そして、憎しみだ。
「愛していると……そう言ったじゃない」
「くっ……」
締め付けから逃れようとしながら、手足を動かそうとするが、全く動かない。
「どうして、その女なのよ?!」
フェリシアが憎しみのこもった目で俺と、ベネトナシュを睨んでいる。
誤解だ、と言いたいのに、声が出ない。
「どうして、私が『聖女』じゃないの?」
フェリシアの髪が天に向かって逆立つ。怒りが、彼女を突き動かしているようだ。
フェリシアの目は、赤く輝いており、服を脱いで露わになった上半身の肌は、ひとの肌と同じ色ではあるもののぬるりとした光を放っている。
意識が遠のいていく……そして、俺は気が付いた。
彼女は、『勇者』に恋をしたのだ。
もっといえば、『勇者』とともにある『聖女』の座を欲していたのだ。
ベネトナシュを『聖女』とした『ゴメイザ』への憎しみと嫉妬。それが魔を引き寄せたのだろう。
「……フェリ……シア……俺は…きみを」
俺は、真実、彼女が好きだった。お姫さまに憧れる単純な子供じみた想いに過ぎなかったのかもしれないが、俺が勇者でありたいと思ったのは、彼女ゆえだった。
のせられて。おだてられて。でも、そうありたいと思ったのは、彼女の隣に立ちたかったからだ。
「ゴメイザの名において」
朗々としたベネトナシュの声が響いた。ついっと、彼女の杖を持つ手が、フェリシアを指す。
「焼き払え」
フェリシアの身体が炎に包まれた。
「ギャー」
フェリシアの悲鳴が上がった。苦悶の表情は憎悪に満ちていた。
「……お前が!」
フェリシアののたうつ髪が、炎に巻かれながら、ベネトナシュを捕えた。
「お前さえいなければ!」
「リュウ!」
髪に締め上げられながら、ベネトナシュが俺を呼ぶ。とびかけた意識が戻ってきた。
炎で緩んだ触手の締め付けを俺はようやく振りほどき、彼女を突き飛ばした。
「ごめん、フェリシア!」
そのまま、捨てた剣を拾い上げ、フェリシアの胸に突き立てる。
剣は彼女の身体を貫き、ジュワッと音を立てて彼女の身体を焼いた。
俺は、突き立てた時に感じる肉の感触。見開いたままの彼女の目が宙を睨む。
「リュウヘイ……」
彼女の目が青色を取り戻す。
「私は……」
フェリシアの瞳から、ひとしずくの涙がこぼれ落ち……動かなくなった。
俺は、膝をついた。
彼女に贈った愛の言葉。少なくとも、俺の中では嘘ではなかった。
「フェリシア…」
ほろほろと涙があふれてくる。もう動かない骸を抱きしめ、俺は声を上げて泣いた。
「ゴメイザと話したい」
全てが終わり……カウスに俺はそう言った。
あのあと。
ブランクル王は、意識を取り戻した。彼の話では、ベネトナシュの神託がくだったあたりから、フェリシアの様子がおかしくなり、おそらく、俺がサバナルの王を倒した時期ぐらいから、彼自身の記憶も曖昧だということだ。
彼は、サバナルを当初から救うつもりがなかったことを認め、カウスと俺に謝罪した。
お互い、思うところはいろいろあるが、罵りあっていても始まらない。
そして。妖魔の気配が完全に消えるのと同時に、ゴメイザの鎧と剣はいずこかへと消えた。もはや、俺は、勇者ではない。完全にお払い箱だ。
神殿の奥にある召喚の間で俺は、学生服に着替えた。全てが同じ、とは言えないが、来た時と同じものをもち……こちらのものは置いていく。
「リュウヘイが望めば、帰還の時に、話せるはずです。道は神が開くのですから」
カウスはそういって、帰還の魔法陣を描く。俺を見送るのは、カウスと、ベネトナシュのふたりだけ。
俺は罪人でこそないものの、この国の王女を殺めたのだからと、派手な見送りは全て断った。
「リュウ、元気でね」
ベネトナシュが弱々しく微笑む。魔を倒してから、ベネトナシュは考え込むことが多くなった。
思えば、ベネトナシュは、魔を倒すという使命感に突き進んでいたが、親も故郷も無くしている。
辛くないわけがない。
「ベネも元気で」
俺の言葉に、ベネトナシュは淡く頷いた。
カウスの呪文が響き渡り、魔法陣が発光した。
何もない空間って、本当にあるのだな、と、俺は思った。
白い床。どこまでも続くような白い天井。
「ゴメイザ」
俺は、その名をとなえた。
ふわりと気配がして……ほっそりとした女性が目の前に現れた。
理知的な鋭い目。服装は、不思議と東洋風の天女のようだ。端正な顔立ちだが、表情はまるでなく、作りものめいている。
――我ヲ呼ブノハ、ヌシカ?
声ではない。
頭に直接、それは俺に語りかけてきた。
「あなたは、神か?」
俺の問いに、ゴメイザは首を傾げた。
――ソレハ、正シクモアリ、正シクモナイ。
彼女の腕がスウっと伸びて、その先に俺のよく知る世界が見えた。
――我ハ、世界カラ溢レル、生体エネルギーデ、デキテイル。
「生体エネルギー?」
彼女は頷いた。
――ヌシノ世界ハ、魔力デ、エネルギーヲ、消費シナイ。消費モデキナイ。
確かに、俺のいた世界には、魔法はない。
――ソレガ、並行世界ニ干渉スル時、我トナリ、魔トナル。
「……俺たちの世界から溢れたエネルギーが、神であり、魔であるというのか?」
なんという、迷惑な話だろう。
「俺、自分の世界に戻って、そのエネルギーをどうにかすることができる?」
俺の問いに、彼女は首を振った。
――ヌシハ、世界ヲ渡ル前ノ時ニ戻ル。記憶ハ消去サレル。
「え?」
記憶が消去……全てがなかったことになるというのか。
そして、何事もなかったかのように、平凡な高校生活に戻るのか。
フェリシアとの恋も、俺の犯した罪も忘れて……ベネトナシュやカウスを忘れて。
「ブランクルは、サバナルはどうなる?」
――ソレハ、彼ノ世界ノ民ノ問題ダ。世界ノ行ク末ナド、我ニモ、見エヌ。
「そんな……」
彼女の手がすいっと伸びる……あの日、あの時の俺の時間と俺が重なろうとして……
「待って! ゴメイザ」
俺は、思わず声を上げた。
人生にリセットボタンがあるのなら。
誰だって、一度は、なかったことにしたい出来事があるに違いない。
でも。
その中で自分が犯した罪はなくならない。そして、その出来事をなかったことにできない大切なひとたちが、いるとしたら……ボタンを押すことは、俺にはできない。
「リュウヘイ?」
「リュウ……なぜ?」
まばゆい光が消えて、目を上げると、驚愕の表情を浮かべたカウスとベネトナシュが立っていた。
ここは、アゲナ神殿の最深部の召喚の部屋。
俺は帰ってきた。
「俺だけ、すべて忘れて……幸せになるなんてできない」
俺は、帰らないことに決めた。
両親に会いたい。明日の食べ物の心配も、命の危険も感じない、幸せな日々に戻りたい。
でも。
「俺がいなくなったら……カウスはともかく、ベネは、きっと自分の命を粗末にしそうだから」
俺の言葉に、ベネトナシュは、びっくりしたように目を見開く。
「馬鹿だとは思う。もう、俺は勇者じゃないから神の加護もない。でも……ベネが抱えきれないほどの重い荷物を抱えているのに、見ないふりをして、忘れることはできないよ」
「馬鹿ね……」
ベネトナシュはうつむいて首を振る。肩が震えている。
泣いているようだった。
「よかった。リュウヘイが戻って下されば、聖女殿は、きっと神の加護のないリュウヘイを無視できません……聖女殿は、おそらく、すべての弔いが終わったら自決なさるお覚悟だったようですから」
カウスは、ベネトナシュと俺の肩に手を載せ、ホッとしたように微笑んだ。
「リュウヘイは、勇者じゃない。でも、魔力はある――これから、学ぶことはたくさんありますよ? そうですよね、ベネトナシュ殿」
「そうね」
ベネはそう言って顔をあげて微笑んだ。
「二人には、迷惑かけるけど、これからよろしく」
俺の伸ばした手に、ベネトナシュとカウスの手が重なった。
俺はこの世界で生きていく……罪を背負って。
そして、俺自身が出来る範囲で、償いをしていこうと思う。
もう、俺は、勇者ではない。
道は限りなく険しい……けれど。今度は、俺が選んだ道だから。
了
お読みいただき、ありがとうございました。
今作は、これで完結となります。
この作品は、師走様の「『テンプレ』小説を書くのは本当に簡単なのか? 連載版」に触発されて、書き始めた作品ですが、『テンプレ』とは、いかに閉じにくい世界なのか、身にしみました。
プロットとストーリーのこなれなど、自分で見ても、私の力不足が目立つ作品となりましたが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
お読みいただき、ありがとうございました。
2016/8/18 秋月忍 拝