第四話 サウナ
第四話 サウナ
「彼方―、来たわよー」
玄関前からそんな湊子の声が聞こえてきたので、あたしは慌てて返事をする。
「ま、まって、いまタオルの準備してるところだから」
「しょうがないわねえ。じゃあ10」
「へっ?」
「9」
「な、何のカウントダウンなのかな……?」
「8」
「わ、わかったからちょっと!」
「7」
「お母さーん!濡れ物入れに使えるような袋を頂戴!」
「6」
「あ、ありがとう、えっと、あとはタオルタオル……」
「5」
「これで準備よしだね」
「4」
「じゃあ行ってくるね!」
「3」
「お、おまたせー」
「2」
「って、なんでカウントダウン止まってないの!?」
「1」
「ストップストップ!ストップだってば!」
だが、湊子のカウントダウンは止まらず、
「0」
ついに数値が0になった。あたしは何が起こるのかと身構え、念の為に両腕で胸を庇って、湊子のあらゆる攻撃に備える。
「……ゴクリ」
「さあ行きましょうか」
「……結局何のカウントダウンだったのさ」
◆◆◆
「ママチャリでいいんだよね?」
「ええ、ロードだと盗られたら金銭的にもメンタル的にも大事でしょ?」
「う、た、確かに……」
「というかあんたの乗ってるあれ、うちのだしね。まさか忘れてないでしょうね?」
「わ、忘れてない! 忘れてないよっ!?」
「そう、ならいいけど」
あたしは湊子の言葉にしたがって、家の裏においてあるママチャリを引っ張り出してくる。そして久しぶりに乗るそのママチャリのサドルを、限界の高さまで引っ張りあげてから、
「よし、準備できたよ」
そう、湊子に声をかける。
「なら、行きましょうか」
湊子の返事に頷いて、あたし達はママチャリに跨って走りだす。
5月最期の休日、既に日が沈んでいるこの時間帯に二人でママチャリに乗って出かける先は近所……と言っても5kmほど離れているのだが、割と、比較的割りと近所にあるスーパー銭湯である。
そんなところに向かっている理由だが、あたしが空ちゃんとほど子ちゃんに何かしてやれることはないか、と、湊子に相談を持ちかけたら、湊子は“お風呂でなら相談にのるわよ”と、そんなわけのわからないことを宣ったのだ。湊子以外に相談する相手が居ないあたしは仕方がなく、本当に仕方がなくその条件を飲み、今現在スーパー銭湯に向かっているというわけだ。
「あー、この時期の夜風はまだまだ冷たくて気持ちがいいわね」
「うん、そうだね。それに、こんな時間に自転車にのることなんてないから新鮮かも」
「ママチャリだけどね」
「ママチャリでも、だよ」
「で、実際のところどうなのよ」
「どう……って?」
「ママチャリとロード、乗り比べた感じは」
「うーん……」
少しだけ考えてから、言葉を返す。
「まず、ママチャリは全体的に重いよね」
「まあ、そうね。丈夫でなければいけないからね」
「それと、サドルが低い」
「限界まで引き上げてもねえ……確かに、もうちょっとサドルを高くしたいわよね」
「あと、なんか上半身に力が入らなくて身体の力が逃げていくような、変な感じがする」
「まあ、そこが最大の違いよね。ロードだと全身の力が使えるからね」
「うん、でもまあ、ライトの電池切れを心配しなくてもいいし、かごにいっぱい荷物積めるし、嫌いじゃない、かな」
「そう」
「でもやっぱり、ロードの方が乗ってて気持ちいいから、好きだよ」
「言うようになったわねえ、あんたも」
「そ、そうかな……?」
「そうよ」
「え、えへへ、なんか照れるね」
「はいはい、勝手に照れてなさい。うちは先に行っとくから」
そう言って、湊子は足の回転数を上げる。ハブダイナモに繋がれたライトがその輝きを増し、同時にスピードも上がってあたしを置いてけぼりにしてしまう。
「ちょ、ちょっと!? あたしスーパー銭湯までの道、知らないんだけど!?」
あたしもあわてて、湊子と同じようにライトを輝かせてスピードを上げるのであった。
◆◆◆
「けっこー広いねー」
「スーパーだからね」
「おー、スーパーなのかー」
「スパだけにね」
「…………」
「…………」
「ごめん、聞かなかったことにしてくれる?」
「う、うん……」
気を取り直して、スーパー銭湯である。
あたしの目の前には大小様々、いや、そんな言葉で流してしまうともったいないので軽く解説すると、普通のお風呂、温度高めのお風呂、ぬるめのお風呂、ジェットバス、電気風呂、バラの花が浮いたお風呂、水風呂、白く濁ったお湯で満たされたお風呂など、様々なお風呂が並んでいる。
「お、おーっ」
あらためて感想を言わせてもらうと、なかなかに豪勢である。
思わずお風呂に直行してしまいそうになるが、湊子に手を取られそれは叶わない。
「な、なにさ……?」
「先にちゃんとかけ湯してからにしなさい」
「あ、そうだね、うん」
失敗失敗、のっけからマナー違反を犯してしまうところだった。
あたし達はかけ湯で身体を流し、そして、サウナへと直行した。
「って、あれ? サウナ? なんで?」
「え? サウナ入りたくないの?」
「え、いや、別にそういうわけじゃないけど、しょっぱなからサウナっていうのは……」
「まあまあ、いいからちょっと来なさい」
湊子に右手を掴まれ、サウナへと引っ張られていく。あたしは慌てて左手で、身体に巻いたタオルがずり落ちないように支えてから素直に湊子に従った。
サウナの中には、誰も居なかった。
「よしよし、これで落ち着いて話ができるわね」
「ああ、誰も居ないか確かめるためにサウナに来たんだね」
「まあ、それもあるけど、アニメで見たのよ。プロのロードレーサーがサウナで我慢比べするってやつを」
「あ、そ」
あたしはため息を付いてから、サウナの奥の方へと腰掛ける。湊子もそのとなりに座り、空ちゃんたちのことについての相談が始まった。
「それで、ほんとうにこれで大丈夫なの」
「まあ、なんとかなるとは思ってるわよ」
「でもさでもさ、ほど子ちゃんが勝ったら、空ちゃんは、自分がほど子ちゃんの練習を邪魔してるって負い目を抱えたまま、一緒に練習をすることにならないかな?」
「まあ、ほど子が勝てば、ね」
「勝つ……んだよね……?」
「まあ、順当に考えると今年もほど子が勝つでしょうね」
「じゃあ、やっぱりそれってよくないよ!」
「なら、どうすればいいと思う?」
「うーん……空ちゃんに勝ってもらう……のがいいんじゃないかなあ」
「なるほど、空がほど子より速ければ、そこまで行かなくても同じ程度に走れることが証明出来れば、一緒に練習に行く理由になる。そういうことね?」
「うん、まあ、そんな感じ」
あたしは、額に浮き出てきた汗を拭う。ついでに、胸元に浮かび上がった汗もポンポン、と軽く拭っておく。
湊子は汗を拭うことによってふにょふにょと形を変えるあたしの胸元を凝視してから話を続けた。
「でも、それは無理よ」
「無理って……」
「空とほど子がまっとうに戦ったら100回やっても100回、全部ほど子が勝つわ」
「うっ……」
「ロードレースは実力の世界よ。勝つためには実力があって、そしてその実力が拮抗している時にのみ運の要素が入り込んでくるの。まあ、きっと他のスポーツと一緒だけどね」
「じゃあ、どうすれば……」
「どうにかしたいと、思う?」
「そりゃ、思うよ。だって、大事な友達のことなんだし……」
「そう……。じゃあ、そうね、空ちゃんが勝つためにどうすればいいか、すこしその話をしましょうか」
そう言って、湊子はそのスラっと伸びた長い足を組み替えたのであった。
◆◆◆
「登りで誰かと競ってる最中に、一番苦しいシチュエーションってどんなシチュエーションだか分かる?」
湊子は顔中に浮かんだ汗を、ゴシゴシと両手で持ったタオルで拭き取りながら、そんなことを聞いてきた。
「えっと、急に傾斜がきつくなったりとか……足がつったりとか?」
「そうね、それも苦しいけど……」
汗を拭い終わった湊子は今度はグルグルと肩を回し、ストレッチを行いながら話を続ける。
「登りで一番苦しいシーン、それはね、何度アタックを掛けても相手が自分の後ろにピッタリとひっついて離れないことなの」
「ピッタリと……」
想像してみる。
もし、1ヶ月前の金剛山で、空ちゃんがスタート直後からあたしの後ろにピッタリと張り付いていたら。そしてそのまま、ゴール寸前まであたしの後ろをマークし続けていたとしたら。
「うわ……きつっ……」
「でしょ?」
「うん、プレッシャーで、普通に走るのの何倍も疲れそうだよ」
「そうね、うちもレース中に完全に後ろをマークされたら泣きそうになるわ」
「湊子が泣く……?」
「何よ、うちだって普通の女の子なんだから、泣く時ぐらいあるわよ」
「え、あ、う、うん」
湊子はあたしのそんな季の抜けた返事に、はぁ、と、ため息を付き、額に浮かぶ汗をタオルで軽く拭ってから話を続ける。
「……まあいいわ。でもね、後ろに付かれるとキツイってことから、もう一つの事実が浮かび上がるの」
「もう一つの?」
「ええ。それはね、誰かの後ろに付いて走っていると、平坦だけでなく、登りでも楽ができるの」
「登りで、楽が?」
「そうよ、まあ、このことに関してうちが言えるのはここまでかな。あとは、彼方、あんたが自分がどう動くべきか、それを考えて、そして行動で見せてやりなさい」
「う、うんっ!」
「良い返事ね。じゃあとりあえず、あと20分ぐらいはこのままサウナで粘りましょうか」
「って、はぁっ!?」
「言ったでしょ、アニメで見たって」
「なんでそれにあたしまで巻き込まれるのかなっ!?」
「だって、張りあう相手が居ないとつまらないし」
「や、やだよっ! もう結構辛いんだからもう出るよっ!」
そう言って立ち上がろうとしたのだが、いつの間にやらあたしの右手がしっかりと、湊子に掴まれていたために立ち上がりきれずに再びぽてん、と、腰を下ろしてしまう。
「逃さないわよ」
「今すぐにでも逃げ出したいんですけど……」
結局その後、10分ぐらいで湊子の限界が来て二人でシャワーブースに駆け込み、ザブザブと冷水シャワーを浴びたのであった。
◆◆◆
「あー、暑い……」
「暑い、というか熱いよ……身体がアッツアツだよ……」
冷水シャワーを浴びてから、あたし達はそれでも火照る身体を沈めるために露天風呂に出てきていた。と言ってもお風呂に入っているわけではなく、設置されている椅子に座って手のひらでパタパタと顔を仰いでいる状態である。
「ねえ彼方……」
珍しくグロッキー気味な湊子が、力ない声であたしに喋りかけてくる。
「なにさ……」
あたしはあたしで、それに対して力ない声で答えるわけだが。
「脂肪の塊ってさ……熱くなりにくいんじゃなかったっけ……」
「うーん……それがー……?」
軽く聞き流していると、湊子はおもむろに立ち上がってあたしの胸に顔を埋めてきた。
「あー、冷たい、いい気持ちだわ……」
「おーっ……って、やめてよっ!」
油断していた。まったくもう、湊子ったら。
あたしは湊子を肘鉄で地へと沈め、そして身体にタオルを巻き直してから、今度は身体を洗うために、流し場へと向かう。
5秒ほどで復活した湊子はトコトコとあたしの後ろに付いて来、更にこんなことを宣った。
「あ、身体洗うの? じゃあ流しっこね。うちがあんたの身体を隅々まで洗ってあげるわ」
あたしは湊子のそんな言葉を無視して、シャワーで髪の毛を流し、頭から洗いにかかる。
「あ、無視、そう、無視ですか……」
ちょっと凹んだ風の湊子は、こんどこそおとなしくあたしの隣に座って自分の頭を洗い始める。
目を瞑って頭を洗っていると、シャーッとというシャワーの音と、シャコシャコというあたしの頭を洗う音、そして他のお客さん達のざわめきが聞こえてくる。
数分かけて髪の毛を洗い終わり、シャワーで泡を流してから、再び湊子へと疑問を呈する。
「ねえ、空ちゃんが勝ったら、どうなると思う?」
髪の毛が短いからか、あたしよりも早く頭を洗い終えていた湊子は少しだけ考えこんでから、
「そうね、悪い結果にはならないと思うわ」
そんな、微妙にはぐらかしたような返事をする。
「もうちょっとわかりやすく言って欲しいんだけどな」
「そんなこと言ったって、うちは空じゃないんだからそんな細かいことまではわからないわよ」
「まあ、そりゃそうなんだろうけどさ」
はぁ、と、ため息を付いてからあたしは今度は、泡立てたタオルで身体を洗い始める。
「でも、そうね」
と、しばらくしてから湊子はそんなふうに話を続けた。
「うちなら、負けて嫌々一緒に走るようになるよりも、勝って自分から、一緒に走ろうって言えるようになる方が気持ちがいいと思うわ」
「空ちゃんも、そう思ってるのかな……?」
「勝負を受けたってことは、きっとそうよ」
そうだ、そもそもほど子ちゃんと走りたくないのなら空ちゃんは勝負を受けなくても良かったのである。じゃあ、つまり、空ちゃんは心の何処かではほど子ちゃんと走りたいと思っている、ということで、
「うん、だよね。じゃあ、あたし頑張るよっ」
そう言って、あたしは自分の中で、何をするかを決めたのであった。
「ふふっ、あんた、その言葉の意味分かってるの?」
わかっている。わかっているつもりだ。
でも、今のあたしにとって“ソレ”よりも空ちゃん達の事のほうが大事なのだ。
「お父さん、どんな反応するだろ?」
「まあ、面白い反応をしてくれるのは確かね」
「あ、あはは……」
高取城ヒルクライムレースはもう来週、目と鼻の先に迫っていた。




