表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

第一章‐王者の残響‐アメリカ編

 アメリカ代表の控室。そこには、金メダルを逃した者たち特有のねじれた空気が漂っていた。

「……まあ、タッチの差だよな」

リレーメンバーの一人が、無理に明るい声を出す。

「運が悪かっただけだ。」

「そうそう。タイム自体は悪くない。次の世界選手権でひっくり返せるレベルだよ」

軽口、自己弁護、現実を直視できない者達の、乾いた言葉が飛び交う。

その中心で、ジャックスは微動だにせずベンチに座っていた。頭から被った大きな白いタオルが、彼の表情を完全に遮断している。

(……運? タッチの差?)

タオルの中で、ジャックスは自分の震える指先を凝視していた。あいつらは見えていない。あのラスト5メートル、湊から放たれた「絶望的なまでの推進力」の正体が。


控え室の扉、さらに向こう側、ミックスゾーン(取材エリア)の喧騒が、防音を突き抜け重低音のように響いてくる。

直接向けられた言葉ではない。だが、壁に設置されたモニターや、廊下から聞こえる海外メディアの絶叫が、控え室の静寂を容赦なく切り裂く。

「ジャックス・ヴァン・ディーンが屈した! まさに歴史的な敗北だ!」

「日本代表・相馬湊の『アンビリーバブルな加速』! 自由形の絶対王者が、ついにその座を追われた!」

その喧騒が、アメリカチームの敗北を「現実」として突きつける。

 モニターの中では、湊がジャックスを振り切るリプレイ映像が、残酷なほどスローモーションで繰り返されている。

解説者が冷徹に語る声が響く。

『これは単なる敗北ではありません。アメリカの“加速理論”が、根本から崩された瞬間です。世界は今、新たな支配者の誕生を目撃しました』

 閉じられた部屋にいても、外から突きつけられる「時代が変わった」という宣告。

かつての畏怖は消え、世界が「アメリカ攻略」に沸いている。その残酷な温度差が、ジャックスの「絶対」に楔を打ち込んだ。


移動のバスへ向かう廊下。

誰も口を開かないまま、重い足音だけが並んでいた。

その沈黙を、軽薄な声が切り裂く。

「おいジャックス、いつまで黙ってるんだよ。お前のスピードがあれば、あんな日本代表、一掻きで飲めたはずだろ」

一瞬、空気が止まる。

「……なんだと?」

ジャックスが足を止める。

ゆっくりと振り返ったその目は、氷のように冷えていた。

「『飲めた』だと?」

低く、押し殺した声。

「お前ら、本当にあの映像を見たのか?」

誰も答えない。

「ラスト5メートル、俺は最高速に入っていた。あの瞬間、あいつはその上を行った」

「……違う」

一瞬、言葉が詰まる。

「あいつは“速くなった”んじゃない。最初から、あの速度で来ていた」

言葉が、静かに突き刺さる。

「あれを『差し損ねた』で片付けるなら……お前らの目は節穴だ」

空気が軋む。

「……ふざけんなよ」

別のメンバーが吐き捨てる。

「結果が全てだろうが。負けたのはお前だ、ジャックス」

鋭い視線がぶつかる。

「じゃあ何だ? あれは奇跡だって言うのか?」

一歩、距離が詰まる。誰かが息を呑む。

次の瞬間……!

「言い訳してんじゃねえよ!」

怒声が弾けた。感情が一気に噴き出す。

誰も止めない。止められない。

空気が、完全に壊れかけた、その時――

 コツ、コツ、と。

背後から、乾いた足音が響いた。

その場にいた全員の背筋が、反射的に凍りつく。


 そこに立っていたのは、アメリカ代表ヘッドコーチ、

マシュー・マッケンジーだった。

誰も言葉を発しない。

さっきまでの怒号が嘘のように、場が静まり返る。

マッケンジーは、ゆっくりと一同を見渡した。

怒りはない。失望もない。

ただ、“何も感じていない”ような目だった。

――そして。

「……終わったな」

低く、短い一言。

その目は、誰一人を見ていなかった。

誰も、その意味を問い返せない。

問い返す勇気が、残っていなかった。

マッケンジーはそれ以上何も言わず、踵を返す。

去り際、ただ一つだけ言葉を残した。

「帰国後。全員に伝える事がある。」

コツ、コツ、と。

再び響く足音。その音が遠ざかるほどに、

残された選手達の中に、言いようのない“何か”が沈んでいく。

それが何なのか…まだ誰も、言葉にできない。

だが。確かに理解していた。

もう、同じ場所には戻れない。

誰が最初に理解したのかは、分からない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ