骨董品 4
―――――翌日
啓吾と綾は駅からオフィス街を抜けてしばらく行った住宅地にある公園のような場所を歩いている。今は昼時を過ぎたあたりで辺りはとても静かだ。もう一時間もすれば学校帰りの子供たちの声が聞こえてくるのだろうが、今はまさに閑静な住宅地を体現していた。
昼前に秋枝洋品店に顔を出した綾だったが、行く前に調べ物がしたいと啓吾が言うので駅前の図書館に寄ったのだ。それから実に三時間ほど本を読み漁り、ようやく出発して今に至るというわけである。
「そりゃ相手方に時間を連絡しておいたわけじゃないから問題はないけど、さすがに時間がかかり過ぎよ、まったく。あんな真剣に読み漁って何を調べてたのよ。」
綾は不満を隠すことなく頬を膨らませながら啓吾に詰め寄る。
「ちょっと歴史の勉強を、ね。念のための事前準備ですよ。」
「なぁにが、『ちょっと歴史の勉強を、ね。』よ!調べたいことがあるって先に言っておけば私が待たされることもなかったじゃない。」
「……だって、綾さんの電話番号なんて知らないし。」
「名刺渡したでしょ!?信じられないわ、あんた。そんなだから彼女ができないのよ。」
痛いところを突かれて啓吾、ちょっと落ち込む。
「そ、それよりもまだ着かないんですか。その吾妻さんの邸宅は。」
吾妻とは今回訪ねることになっているコレクターのことだ。この近辺では名のある地主らしいので邸宅もさぞ大きいだろうと啓吾は踏んでいたのだが、それらしいものは啓吾の目には映らなかった。
「もうとっくに敷地内に入ってるわよ。ほら、奥に竹林があるでしょ。あそこを抜けると吾妻邸よ。」
啓吾は愕然とする。まさか公園だと思って歩いていた場所が庭先で、すでに目的地の半分を歩いていると聞かされれば無理もなかった。
「お、おか……おか、ね……。ほしぃ……。」
啓吾が妙なことを言っているが聞こえないことにして綾は進んでいく。
綾が先ほど言っていた通り、竹林を抜けると豪邸と言って差支えのない家が現れた。竹林の中にあるので、日本家屋のようなデザインかと思いきや建物は近代的なデザインをしている。吾妻家は地主なので古くからこの場所に暮らしているはずだが、この広さの坪を建て直したとなればその影響力の強さが垣間見えるというものだった。
「ほげぇ……。」
「ちょっと先生!いい加減その変な呪文呟くのやめてしっかりしてよ。今のところ良いとこ無しよ。」
綾に肩を揺さぶられながらお叱りを受けると、ようやく啓吾は自我を戻すことができた。
「あ、あぁ。綾さん、ありがとうございます。ちょっと動転していましたが、もう大丈夫です。それで、呼び鈴はどこにあるのですか?」
「これだけの広さですもの、セキュリティ面も充実してるわよ。カメラで私たちのことは見てるはずだからそろそろお出迎えがあるんじゃないかしら。」
そう言いながら二人が玄関口のほうへ向かうと遠すぎず、近すぎず、絶妙な距離に差し掛かったところで使用人らしき人物が現れた。
「……。…………ふへぇ……。」
完全に別世界の光景を目の当たりにした啓吾、再び壊れる。
◇◇◇
「お待たせしてすいません。」
啓吾と綾が座るソファーの真向いにいる人物が開口一番に謝罪を述べる。目の前にいる男こそが今代の吾妻家当主である。二人は着いて早々に待合室へ通され、お茶などを出されていたのでさほど待ったという意識はなかった。実際に会うまでにかかった時間もそれほど長くはない。それでも謝罪から始めるあたり、さすが人間ができている人物だと啓吾は感じていた。
「本日お伺いする旨をお伝えしていたとはいえ、アポなしで来たのも同様ですのでお時間を頂けただけで感謝しております。
それで、貴重なお時間を無駄にするわけには参りませんので早速本題に入らせていただくのですが、城田社長のお話では吾妻さんは無類のマーカス・リンドベリ作品のコレクターだとか。」
「えぇ。お恥ずかしいことにあの完成された造形美の虜になってしまいましてね。形、配色、デザイン。そのすべてにおいて卓越した技術により絶妙なバランスで成り立っている。現代アーティストたちはその技術を盗もうと躍起になっているが、私から言わせてもらうと焼き回しさえできていない。
そんな彼の作品は正しく唯一無二であり、収集する意義を感じさせてくれるのです。」
吾妻の当主はひと息にマーカス・リンドベリ作品の魅力を語ると、興奮して熱した頭を冷やすように紅茶をひと口飲み込む。そして、今回の本題に触れ始めた。
「池上さん、渋谷さん。私の情熱が十分に伝わったかは分かりませんが、私は本当に、今この瞬間を楽しみにしていたのです。
マーカスの作品は対であってこそ初めて完成する。私の所有するピンクのティーカップの対が目の前にある思うと居ても立ってもいられないのです。どうか私にその作品を見せてほしい。」
「もちろんです。そのためにお持ちしたのですから。」
綾に促された啓吾は白手袋をはめ、鞄から桐箱を丁寧に取り出してテーブルに置く。まるで恐れるかのように蓋をゆっくり、ゆっくりと外すと一度呼吸を落ち着かせてからそっと中身に手をかける。啓吾が取り出す瞬間、前のほうから固唾を飲む音が聞こえた。
『いるぞ、小童。ここに私の対がいる。』
外に出た途端に執事が後ろから話しかけてきた。まさか返事をするわけにはいかないので、啓吾は人知れず頷いておく。
啓吾が少し不審な行動を取るが吾妻はそれどころではないようで、今すぐに飛び付きたい気持ちを何とか抑えて青いティーカップをまじまじと見つめていた。
「これは…紛れもなく彼の作品だ。手に持たずとも分かるよ。
淡い青色に濃紺にも似た濃い青をポイントで乗せる技法は晩年期の特徴だ。この青色のコントラストは海よりも深く、空よりも鮮やかな色合いのため『奇跡の青』と呼ばれているんだよ。私もここまで保存状態の良いものは見たことがない。素晴らしい…。素晴らしいよ、池上さん!」
もはや興奮を抑えることができずに綾のほうへ乗り出すが、綾はそれを華麗にスルーする。
「ありがとうございます。それで、先ほど吾妻さんも仰っておりましたが、この作品は対があってこそ真の価値を発揮します。ぜひ吾妻さんがお持ちのものと照らし合わせたいのですが。」
「あ、あぁ。そうだね。私としたことが取り乱してしまってすまない。
実はあれは妻の所有物でね。私であっても触れることが出来ない決まりになっているんだ。
しかし、ここまで素晴らしい作品を見れた礼だけでもしたい。ピンクのティーカップは娘の部屋に飾ってあるので案内しよう。」
「その前に一つよろしいでしょうか。」
啓吾はピンクのティーカップが保管されている部屋へ案内しようと立ちかけた吾妻を止める。綾も訝しむような顔で啓吾を見るが当の本人は気にせずにゆっくりと話し始めた。
「吾妻さんはいつ頃からこちらの地主をやられているのですか。」
唐突に聞かれたものだから、さすがの吾妻もすんなりと答えることができなかった。世間話のつもりかもしれないが、この流れで聞くようなことではない。
「それは…ティーカップの話が済んでからでも構わないかな?」
「いえ、できれば今話しておきたいのです。これはとても重要なことですから。」
話の流れがまったく掴めない吾妻と綾であったが、啓吾の真剣な眼差しをみて座り直して居住まいを正す。
「私の家は幕末の頃、豪商の生まれの末っ子が婿養子に出された際に立身出世を果たし吾妻を名乗るようになったと言われている。
幕末期は知っての通り動乱の最中だったから商売も難しかったようで、これまで通りに働いていても安定させることができずに潰れる店が多かったようだ。そんな中、私の先祖は西洋の文化をいち早く取り入れて生き残り、その商才が評価されて地主にまで上り詰めた。そのときに吾妻を名乗るようになったんだよ。それが、明治維新のときあたりになるのかな。」
「吾妻家が地主になる前の地主は下沢家ですよね。」
「え?えぇ、そうです。よくご存じですね。」
啓吾に下沢のことを言い当てられるとは思わなかったようで、吾妻は珍しく間の抜けた返事を返した。
啓吾の横で綾が驚いたような顔をしているが、啓吾は無視をして続ける。
「歴史を学ぶのが好きでして。ここに来る前に、この地域の歴史も勉強してきました。
歴史書によれば、下沢家はそれまでかなり強い発言力を持っていたと書かれていました。それが、明治維新の最中、代替わりのタイミングでいきなり地主となったのが吾妻家です。
僕はこれを読んだときに吾妻家が下沢家を何かしらの形で取り潰したのだと思いました。ですが、吾妻さんのお話を聞いて違う答えの可能性を考えたんです。
吾妻家と下沢家は動乱の世を生き残るために手を組んだのではありませんか。」
「なんと、すごいな。今の短いやり取りでそこまでわかったのかい?
そうだね。先ほど私の先祖は、いち早く西洋文化を取り入れたと言ったが、それは下沢家が深く関わっていたんだ。
当時、下沢家の取り仕切っていたのはビクトリアというご婦人で、元を辿るとヨーロッパの貴族に当たる方だったそうなんだ。ビクトリア婦人は当時もヨーロッパとの強いパイプを持っていたため輸入出に関するコネクションが多かったが、下沢家の資金繰りはあまり良くなかったらしい。
そこに目をつけたのが私の先祖で、資金の一部を引き受けることを条件に共同事業を提案したんだ。下沢家も潰れる寸前だったからその話に食い付いたと聞いているよ。
それ以来、協力関係を続けていたが、ビクトリア婦人が亡くなると下沢家を取り仕切る人間もいなくなった。そのため私の曽祖父が事業全般を引き継ぎ、この地域の地主として建つことになったんだよ。」
「下沢家とはその後もよい付き合いが続いていたのですね。」
「あぁ。私の祖父から常に聞かされていたのは、『今日の吾妻があるのは下沢あってのこと。下沢を軽んじる真似は絶対にしてはならない。』と、いうことだよ。
そのため親戚と同じような付き合いが今も続いているわけだが…。」
そこまで言って吾妻は言い淀む。
「吾妻さん、ありがとうございました。これで今回の依頼はどうにか解決が出来そうです。」
「依頼?それに今の話はただの吾妻の歴史だよ。そんなものを聞いて何が解決するんだい?」
「それはピンクのティーカップがあるお部屋でお話をさせてください。」
そう言うと啓吾が席を立つ。吾妻も綾も訳がわからないが、元より今回の訪問はティーカップが主題のため吾妻の案内でティーカップがある部屋の前まで通された。
「さぁ、ここが娘の部屋だ。」
ドアを開けようとする吾妻を綾が制止する。
「吾妻さん。ティーカップを見せていただけるのは嬉しいのですが、その…娘さんのお部屋に勝手に入っても問題ないのでしょうか。」
吾妻は少し間をおいてから答えた。
「娘は、今家を空けていてね。しばらく戻らないから問題ないよ。」
そう言うと吾妻は改めてドアノブを掴み……そして、開いた。
そこは陶器の装飾品が置かれた棚の他に、勉強机や枕のそばにぬいぐるみが添えられたベッドといった少しあどけなさが残る女の子の部屋で、しばらく使われていないのか実に整っているものの、あまり生活感を感じられなかった。
そんな誰もいない部屋に三人は入っていく。が、『誰もいない』と感じていない男が急に口を開いた。
「やあ、久しぶりだね。伊吹君。」
『え?先生!?』
そこにいたのは下沢伊吹、その人であった。




