下沢伊吹
青いティーカップの怨念を晴らすために吾妻邸に訪れた啓吾と綾であったが、対であるピンクのティーカップが置いてある部屋に行くと待っていたのはなんと夏服仕様のセーラー服を着た伊吹であった。
『先生、何でこんなところにいるんですか?』
「それはどちらかというとこちらのセリフだと思うけれどね。まぁそんなことは良いでしょう。それよりも君が店に来なくなってから仕事が片付かなくて山積みなんだ。早いところ戻ってきてほしいものだね。」
『それは先生が悪いんでしょうが。それに……。私は先生を見捨てた身です。そんな私がノコノコと戻っていけるはずありません。』
「君、まだ怨霊が怖いんだろう。」
『ゔ…。だけど、あんな禍々しい気が出てきたら怖いに決まってるじゃないですか!』
『お嬢様。』
『うぴゃ!?』
急に現れた執事姿の怨霊を目にして伊吹は不思議な悲鳴を上げた。
「大丈夫だよ、伊吹君。紹介しよう。この方はその怨念の根源である青いティーカップに宿っている方さ。紆余曲折あって今回の依頼人となっている。きっと君の隣の女性は何となく依頼内容がわかっているんじゃないかな。」
啓吾が言う女性とは伊吹の横に付き添っているメイド姿の霊のことを指していた。啓吾たちが部屋に入るまで泣く伊吹を宥めていたのだ。
「おい!渋谷君!何を一人でベラベラ喋っているんだ!なぜ君が娘の名前を知っている?それにまるで会話が成り立っているかのようなことを言って。独り言にしても声が大きすぎる。気でも触れたか!?」
何も事情を知らない吾妻が啓吾に捲し立ててきた。啓吾は「あぁ」と後ろにいる二人を見て呟く。
「すいませんでした、吾妻さん。何をどう説明すればよいか……。そうですね、体験していただくのが一番でしょうか。」
啓吾はそう言うと両手を二人に差し出す。
綾は啓吾の能力を知っているようで迷わずに啓吾の手を握るが、訳の分からない吾妻は躊躇っているようだった。
「吾妻さん、大丈夫です。この手を握れば先ほどの疑問はすべて晴れますよ。」
しばらく悩んでいた吾妻であったが、結局その場の空気に負けて啓吾の手を取ることにした。
すると、いきなり激しい閃光が視界一杯に広がり、吾妻は目を開けていられなくなった。咄嗟に啓吾の手を離そうとしたが、啓吾は吾妻の手を強く握り離そうとしない。逃げられなくなった吾妻は空いている片手で目元を抑えて俯く。
「吾妻さん、先ほども言いましたが大丈夫ですよ。ゆっくりと目を開けてみてください。きっと会いたかった人物に会えると思います。」
吾妻は啓吾に促されて恐る恐る目を見開いた。しかし、目に入った世界は吾妻が知っている普段のものとは似て非なるものだった。それはまるで世界が反転してしまったかのように、彩りを失くしてモノクロとなったような視界であったが不思議と恐怖は感じなかった。或いは感じていたのかもしれないが、目の前の人物を見つけてそのようなことは吾妻の中では取るに足らない事項となっていたのである。なぜなら、目の前には最愛の娘、伊吹その人がいたのだから。
「い、いぶ…き……?」
「久しぶりだね、お父さん。」
「伊吹!本当に伊吹なのか?い、いや、しかし何で。君は今病院にいるはずだ。まさか、意識を取り戻したのか!?」
「吾妻さん、目の前の伊吹君は思念体です。所謂、幽体離脱をしている状態で本体は今も病院のベッドで横たわっています。定期的に体へ戻る必要はありますが、それ以外はこうやって様々な場所に移動できるのですよ。まぁ、話すことができるのは僕くらいのものですがね。」
「し、しかし今確かに声も聞こえるし会話もできているじゃないか。」
「それは僕の能力の一部をお二人に分け与えているからです。僕の手を握っている間は霊を見ることができるし、会話もできます。綾さんはすでに体験済みですよ。」
そう言いながら綾のほうへ向くと今度は綾が伊吹と話し始めた。
「久しぶりね、伊吹ちゃん!お姉さん、伊吹ちゃんに癒されたくてお店に通ってるのに先生しかいないんだもの。常連やめちゃうとこだったわ。」
「綾さん……。ごめんなさい。私も綾さんに会いたかった。」
「ふふ。もう会えたから許してあげる。それより隣の女性はお知り合い?ずいぶん親しいようだけど。」
綾が質問するのは先ほども上げたメイド姿の霊のことだった。
「自己紹介が遅れました。私、クロックフォード男爵家に仕えるメイド、ロザンナと申します。そこの粗忽者とは対の間柄で今はお嬢様のお世話をさせていただいております。」
ロザンナと名乗るメイドは恭しくお辞儀をする。すると、伊吹はロザンナについて補足説明を始めた。
「ロザンナさんとは、私が先生のお店から逃げた後にこの部屋で出会ったんです。
店中に溢れかえった怨念が怖くて先生を置いて逃げちゃったことが悲しくて、でも怖くてお店にもいけなくて。どうしようもない感情を発散させられる場所を探していたら、つい自分が使っていた部屋まで来ていたんです。私は三年前に事故にあって以来、意識不明の寝たきりだけど、この部屋は当時のままの状態で残っていて…。お父さんやお母さんのこととか、色々と綯い交ぜになって感情が抑えられなくて泣いていたら急にロザンナさんが現れて慰めてくれていたんです。
そのときに、ロザンナさんがティーカップの付喪神であることと対のティーカップのこと、クロックフォード男爵家のことや対のティーカップが何故売られたのかを聞いて。そしたらいきなり先生が現れるから驚いちゃって。」
「あぁ…。そんなことは今はどうだっていい。伊吹の声が聴けるだけで私は…。これは奇跡としか言いようがない。まるで夢を見ているようだ。」
そう言うと吾妻の頬から一筋の涙が流れた。
「お父さん、私もお父さんとこうして話せるなんて思ってなかったから嬉しい。先生、ありがとうございます。」
啓吾はお礼を言われて黙って肯いた。
「それにお父さんに聞きたいことがあったの。お母さんはまだ戻ってきてないんだね……。」
伊吹に指摘されて吾妻は居心地が悪いようなしかめ面を浮かべる。
「……あぁ。世界中を探しているが、未だに手がかりの一つもない。だが!必ず見つけてみせる!それが伊吹との約束だ!」
「うん。そうだね。ありがとう、お父さん。」
伊吹は笑顔で答えるが、その表情には悲しさが滲み出ていた。
「吾妻さん、伊吹君。そして、青いティーカップの霊にピンクのティーカップの霊。私はあなたたちと話さねばならないことがあります。まず、一つ目はピンクの彼女と青い紳士が何故別々の場所にあったのか、という点です。これがはっきりすれば、自ずと次の答えにも繋がっていきます。青いティーカップの霊……。そういえばピンクの彼女はロザンナという名前でしたが、あなたにお名前はないんですか?」
「私たちは付喪神となる前に離れ離れになった身だ。あれが売られた先でどのような扱いを受けていたかは知らないが、少なくとも私に名付けをする者はいなかった。」
「私のロザンナという名前は先ほどお嬢様より名付けていただきました。」
ピンクの霊がそう言うと皆が一斉に伊吹のほうを見る。
「へ?え、だって、名前がないと会話しづらいし、親近感も湧かないから、つい……。」
割とどうでもよい理由だったことに一同が固まる中、啓吾だけは冷静に話を戻す。
「なるほど。では、伊吹君。この青い紳士にも名前を付けてくれるかな。君が言う通り、このままでは会話しづらいうえに青い紳士がピンクの彼女に嫉妬して怨念をバラまきかけている。」
啓吾の言葉を要約すると、隣の執事が怖くて仕方ないのだった。
「お嬢様、ぜひ私めにも名前を。」
跪いて首を垂れる執事を見ながら、しばらく悩んでいた伊吹だが、何か閃いたらしくパッと明るい顔を浮かべる。
「じゃあ、あなたはセバスで!」
伊吹の一言に合わせて青い紳士の体から光が溢れ出す。それはすぐに収まったが、啓吾の目にはセバスから溢れる怨念が多少薄れたように感じた。
「ありがたき幸せ。」
セバスは伊吹に礼を言う。すると、綾が当然の質問をしてきた。
「伊吹ちゃん、なんでセバスにしたの?」
「だって、執事みたいな格好してて髭もセバスチャンっぽいじゃないですか。けど、ずっと眉間に皺を寄せてるから『ちゃん』って可愛らしい部分を取ってセバスです!」
あまりにも適当な回答に再び固まる一同。さすがの啓吾も今回ばかりは固まっている。
「さすがはお嬢様。聡明で明敏なご判断です。」
セバスとロザンナは恭しく一礼しては次々と称賛の雨を降らせる。
こいつらチョロいな、というのは啓吾の心の声である。
ちなみにロザンナの名前の由来は伊吹が好きだったアニメのキャラから取ったものだった。
「さて、それでは話を戻そうか。ロザンナさん、セバスさんからはあなたが盗まれて憤慨したクロックフォード男爵がセバスさんを売り捌いたと伺いました。しかし、僕はこの話に違和感を覚えます。
仮にロザンナさんが盗まれたとして、これまで歴代に渡り愛用されていたほどの大切なものを簡単に売り捌くでしょうか。」
「それはマーカスの作品だからではないのか。彼の作品は対があって真の価値となる。それを知っていた元の所有者が片割れを売ること自体はそこまで不思議でないと思うが。」
「そうですね。しかし、素人の僕から見てもこのティーカップは素晴らしい芸術性を持っています。そんなティーカップが並んでいるのに片方しか盗まないなんてマヌケな盗人がいるでしょうか。」
「それは確かにそうだけど、当時マーカスを知っている人間が少なかったってのもあるんじゃない?例えば貴族の間では有名でも庶民にはあまり馴染みがなかったとか。」
綾の指摘を静かに聞く啓吾。しかし、啓吾の話に反論する二人にしても確かに違和感がある話ではあった。綾の言う通り盗人が庶民だったとして、どうやって屋敷へ忍び込んだのか。また、盗んだものをどうやって売り捌いたのか。
二人は熟考するが、答えは出ない。まるで答えがない問いを出されているかのようだった。
「それでは違う切り口から攻めてみましょう。下沢家と吾妻家が共同事業を立ち上げたとき、ビクトリア婦人が下沢家を率いていたと吾妻さんはおっしゃいました。そして、ロザンナさんは吾妻さんの奥様の所有物で、ティーカップの付喪神である二人は伊吹君のことを『お嬢様』と呼ぶ。ロザンナさんだけでなく、セバスさんも、です。
初めて伊吹君と出会った時、彼女は『下沢伊吹』と名乗りました。それは吾妻さんの奥様が下沢家であることを指していて、ビクトリア婦人の血を継いでいることを意味します。
そしてこの意味は、ビクトリア婦人がロザンナさんを持って下沢家へ嫁いだだけでなく、クロックフォード男爵家の血筋を引いていたということではありませんか?」
「確かに妻と伊吹は下沢の人間だ。私と妻は結婚したものの、それぞれの家長でもあったから互いの姓を名乗っている。娘は吾妻よりも下沢のほうが画数が少ないという理由で下沢と名乗っていたよ。」
一同、改めて伊吹を見る。不意に恥ずかしいことをバラされた伊吹、赤面する。
「妻の家系図までは把握していないので何とも言えないが、渋谷君の言うことは辻褄が合うな。そうだとすると、ピンクのティーカップは盗まれていなかったのか?それとも青いティーカップを売ったあとに取り戻した?」
「その答えはロザンナさんが知っています。話してくれますね?」
ロザンナは目を閉じて聞いていたが、話を振られて目を見開く。
「啓吾様。あなたはすべて理解してるのですね。」
「いや、何もわかってはいませんよ。推測があるだけです。」
「そうですか……。皆様が疑問に思われている通り、この話は虚実が綯い交ぜとなっています。結論から申し上げると、私が売られたという話は偽りです。」
「おい!お前!」
セバスが激しく叱責するが、ロザンナは冷静にセバスの目を見据える。
「セバス。あなたも私もクロックフォード男爵家には御恩があります。その名誉を守ることも必要でしょう。ですが、お嬢様のためであれば私はすべてを詳らかにする覚悟です。それが、まだ現在もご存命のお嬢様を手助けすることだと信じているから。」
ロザンナの決意の固さを目の当たりにしたセバスは、深いため息とともに渋々ながら肯いてみせる。そして、それを見たロザンナは話を続けた。
「クロックフォード男爵家は19世紀から続く名門です。その名は気品に満ちており、歴代の当主は誇りを持って守っていらっしゃいました。しかし、時代の流れは残酷なものです。
元々特権が多く社会的に睨まれやすい立ち位置にいた貴族は、時代が現代へと進むにつれてその特権に対する糾弾が強くなっていきます。そして財政破綻を迎えた貴族たちは次々と取り潰されていきました。」
「ノブレス・オブリージュというやつか。権力を持った貴族たちは弱者保護の観点から庶民に施しを与えていたと聞く。産業革命以降、貴族の影響力は次第に弱まるが、社会的責任は変わらずに続いたため資金繰りも相当困窮していたらしい。」
「そうですね。クロックフォード男爵家ももれなく、その社会的責任のために潰れることになります。
セバスは私が盗まれて憤慨したため売られたと言いましたが、それは男爵の名誉を守るための嘘です。実際には少しでも長く男爵家を存続させるための苦肉の策として、セバスと私は売られることになったのです。」
「しかし、あなたは売られなかった。」
「えぇ。当時の男爵家におられたお嬢様がひどく反対されたのです。男爵はお嬢様を深く愛されており、お嬢様のお気に入りである茶器を売ることに苦心されました。しかし、私たちはクロックフォード男爵家の中でも特に価値のある一品です。男爵家を存続させるためには私たちを売ることは必要なことでした。
そして、責任と娘の板挟みにあった男爵のもとに、戦争への召集命令が来ます。この状況で当主がいなくなることは家の取り潰しと同義になることを男爵は分かっていました。
そこで男爵はセバスを売り路銀を作って、以前から親交のあった東方の商人を頼って娘を避難させることに決めたのです。私が売られなかったのは、クロックフォード男爵家の誇りを忘れないために、という思いと愛娘に対するせめてもの愛情の表われでした。」
「そうして下沢家へ嫁いだのがビクトリア婦人というわけですね。」
「えぇ。そこからは啓吾様、あなたが推察された通りです。セバスが怨念に塗れてしまったのも最後にお嬢様が流した涙のせいだと気づいています。しかし、お嬢様はもういない。どうすることもできないのですよ。」
そう言って締めくくったロザンナの目は悲しみを浮かべていた。
「ロザンナさん、僕はセバスさんから怨念を晴らすという依頼を受けています。そして、僕は諦めるつもりがありません。
それに依頼が達成できないとも思っていないのですよ。要は彼の怨念を払拭できる何かがあればよいのです。」
「それはそうですが、いったい何ができるというのですか。」
「セバスさんが伊吹君を見た時、明らかに同様していました。一瞬でも見間違えてしまうほどに伊吹君がビクトリア婦人に似ていたのではありませんか。」
「確かにその通りだ。目と髪は黒くなっているが、それ以外はお嬢様と遜色のない美しさに優しい慈愛を感じる。」
セバスがそう言うとロザンナも肯く。ここでも伊吹に甘い評価な気がするが、指摘するとややこしいことになるので話を続ける。
「そこまで似ている人物なのであれば、彼女の真の笑顔でセバスさんは解放されるのではないでしょうか。例えば、彼女の願いを叶える、とかね。
実際、セバスさんが名付けされた際に少しですが怨念が薄まりました。あのときは名前を付けられたことに対する歓喜からだと思っていましたが、今は違うと確信があります。なぜなら、伊吹君が僕らと会話しはじめたときからセバスさんが徐々に正気を取り戻しているからです。」
啓吾に言われて一同はハッとする。皆の目から見ても、セバスの雰囲気が初めてみたときよりも柔らかいものだったからだ。顰め面は相変わらずであるが、吊り上がっていた目元には穏やかな優しさが見て取れた。
「とはいえ、これはおそらく一時凌ぎのものでしょう。セバスさんからの依頼は、根本的な解決をもって初めて依頼達成となります。
そして、セバスさんは言いました。ご自身の願いはお嬢様の笑顔を見ることだと。」
…………。しばらくの沈黙。
この重たい空気を破ったのは他でもないセバスであった。
「確かに、私の望みはお嬢様の幸せな姿を見ることだ。それがこの忌々しい怨念を晴らすことになるかは分からないが、私の望みが叶うのであればどんなことでも協力しよう。」
「セバスさん、ありがとうございます。
そして、このことが他の二つの依頼を達成するためにも繋がることになります。」
「二つ?一つは私が先生に言った青いティーカップを正常な状態にすることよね。もう一つ何なの?」
「それは…。一応聞くが話しても良いかな、伊吹君。」
啓吾は伊吹を見つめて問いかける。伊吹は瞬間悩む素振りを見せたが、すぐに頷いた。
「僕は伊吹君が店に初めて来たときに、ある約束をしています。
それは、伊吹君を元の体に戻して目覚めさせる、というものです。」
その場にいる一同。霊体も生身も関係なく、一様に事の難しさを感じながら啓吾の話に耳を傾けた。
ここで物語は一旦の区切りを迎えます。
次回更新は決まっていませんが、再開のタイミングは活動報告に投稿します。




