彼氏 and 彼女
夏は暑い。
容赦なく降り注がれる陽光。それらを受けるコンクリートからの照り返し。茹だる様な熱気を含んだ空気。
少し離れたコンクリート上に蜃気楼まで発生させるそれら夏特有の脅威は、しかしクーラーの効いた室内の住人には全く無関係の代物である。
現代社会の産物による恩恵に包まれたその空間に、机の上に広げた夏休みの課題を少しずつ埋めていく不破の姿はあった。
彼が数学の文章題に少し手間取っているその時、スパアンッ! という快気の良い音と共に部屋の襖が勢いよく開け放たれた。
「ふあぁ~……天国ここに在りきって感じだな」
部屋から流れ出ていく冷気を肌で受け止めた夕凪がそう歓声をあげる。
その様子に不破は一瞥も向けず、片手で開け放たれた襖を指差しながら、
「そこ閉めろ。俺が築き上げた天国とやらが地獄に様変わりするだろうが」
「うぃー」
部屋の主からの指示に夕凪は生返事を返すと、襖を後ろ手に閉め、部屋のベッドに腰掛ける。
「まだ朝方だってのに、お天道様の日差しの暑いのなんの」
「とか言いつつ、掛け布団代わりのタオルケットで汗を拭くなよ」
「拭かないよ。皮膚にドラゴン臭が付く」
「なんだよ、ドラゴン臭って……」
くだらない会話をしつつ、夕凪は手近にあった漫画雑誌を手に取り、ベッドの上に仰向けになる。ちょうど後頭部に、丸まったタオルケットがくるように手を後ろに回して位置を調整し、頭をそれに預ける。
と、そこで。
ボスッ と沈み込んだ夕凪の後頭部は、タオルを介して別の何かの感触を感じ取った。
「?」
異質な感触に夕凪は上体を起こすと、タオルケットに目を向け、一拍の間を置いてそれを横に取り除く。
そして。
タオルケットの下にあったモノを見て、夕凪は無表情のまま、固まった。
「……おい、リュウ」
「なんだ。いや待て、このページで朝の分が終わる」
「いや、簡単で重要な質問だから。今すぐ、さっさと答えてくれ。」
「どんな質問だ……」
不破は溜息を吐きながら夕凪の方に目を向けた。
夕凪はそれを確認すると、ベッドの上、タオルケットの下にあったモノを指差しながら、訊ねる。
不破竜の部屋のベッドの上で、身体を丸めて眠る少女、藤柴悠里の姿を指差して。
「……なんで悠里がここにいるんだ?」
「…………………………」
不破は夕凪の眼を見て、そして今だにスヤスヤと静かな寝息を立てている悠里を見、再度夕凪に視線を合わせると、
「なんで悠里がここにいるんだ?」
「いや質問してるのはあたしだから……」
「ん、むぅ……」
まるで訳がわからないという風なジェスチャーを取る不破と、彼の答えに半ば脱力する夕凪。
と、そんな二人の気配を察知してか。ベッドの上で寝ていたチビッ子が胸元から引っ張り挙げられたかのように、はたまたキョンシーのごとく起き上がった。
「あ、起きた」
「?」
しばらく頭をぐらんぐらんと揺らした後、寝ぼけ眼を擦りながら、キョロキョロと室内を見回す悠里の姿に和やかな微笑みを浮かべて見守る夕凪と不破。
「おはよう、お姫様」
声が聞こえたのか、悠里はこちらを向いてにへらと笑みを浮かべると、
「うん、おやすみ。ユーちゃん」
寝る前の常套句を口にして、またベッドの上に仰向けに倒れた
数秒で、穏やかな寝息が聴こえてくる。
「……おい」
ギギギッ と。
夕凪の首が、油の切れたからくり人形の関節のような音を上げながら不破の方を向く。
対して、不破はパソコンに顔を戻すと、淡々と告げる。
「寝かせとけ。そのほうが都合はいい」
「いや都合はいいって……」
「そんなことより、こいつを見ろ」
「『そんなこと』扱いか? いや、いいや……。『見ろ』って、何を?」
夕凪はあっさりと詰問を諦めると、不破が示しているものに目を向ける。
それは、パソコンのディスプレイに映っている、例の『課題』のタイトル画面だった。
「で、コイツがどうかしたのか? クリアはしなかったんだろ?」
「それ以前の問題だ」
「は?」
頭上に疑問符を浮かべる夕凪に、不破はマウスを操作して画面上の矢印アイコンを『課題』のタイトルの中にある『START』の文字に合わせ、クリックしてみせた。
するとタイトル画面が消え、代わりに、横長の楕円の中に五つの小さな円形が入った、言うなれば五つのライトがついた信号のようなアイコンが現れた。
「なんだ、これ?」
「わからん。最初はロード中の表示だと思ったんだが……」
そういってしばらくアイコンを凝視する二人。
……一〇秒後。
「まったく点かんな。このライト」
「決断下すの早すぎないか? ……まぁいい」
夕凪の忍耐力の無さに、呆れながら突っ込みつつ、不破は続ける。
「要するに、この画面から先に進まない。結論として、ゲームは出来なかった、というわけだ」
「じゃあ、ロードの表示じゃなかったら、なんの表示なんだよ? ダブルクイック?」
「『クリック』な。それはやる場面が違う……って、おいこらマウス返せっ!」
「連打連打連打ぁあっ!」
カチカチッ、ガチガチガチッ。
「力任せに押すな! そして無駄にマウスを走らすな! 矢印がディスプレイ内を縦横無尽に駆け回っているじゃないかっ!!」
「うるさいなぁ、そこまで力入れてねぇからだいじょう……ん? なんか出たぞ?」
「本当か……って、おいそれ俺のプライベートフォルダ!?」
「ほー、ふむふむ。……なんだ。意外と普通なオトコだったんだなぁって痛だだだだだっ!?」
不破のプライベートフォルダの中身を興味津々の様子で見ていた夕凪は、不意に自分のこめかみに激痛を伴う圧力を感じ、悲鳴をあげた。それは言わずもがな、フォルダの管理人によるものである。
「知っているか? 頭のツボの中には記憶をダイレクトに消し去れる箇所があるそうだ」
グリグリグリグリ、メリメリッ、という、脳内に響いてはイケナイような効果音が、夕凪の脳天にダイレクトに伝えられる。
「だだだだだだだだっ!! 嘘つけこれ絶対ツボなんて関係ねぇ箇所に圧かけてんだろ!」
自分の頭蓋骨が軋む音を聞いて悲鳴をあげる夕凪に、無表情な面の背景で般若の笑みを浮かべる不破。
傍から見ていると、悪いことをした子供を戒めている父親のような感じである。
少なくとも、それを傍から、いまだ重たげな瞼をあげている夢見心地の悠里にはそう見えていた。
やたら舌足らずの口調で、彼女はこう呟く。
「仲、睦まじいんの~……」
『これのドコが仲睦まじい情景なんだよ!?』
「ちなみに、ドラゴンのプライベートフォルダはチェック済み」
「ノオォオオオオオオオオオオオオッ!!」
悠里の暴露発言に、不破が頭を抱えながら悲鳴をあげて椅子から転げ落ちていく。一方、夕凪はズキズキと痛むこめかみに手を当ててその場にうずくまる。
その様子を見ながら、悠里は欠伸を一つ吐きながら、
「まぁ、オトコノコだもんね。そういうのに興味あるのは、しょうがないんの」
「お前、リュウに対して寛容過ぎじゃねぇ……?」
「彼女だもん。ココロは広く持たなきゃね」
「なんであたしの周りの女友達は、男を立てる大和撫子なんだよ……」
「いや、男を立てる大和撫子は、意図的に男の隠し物を探し当てたりしないだろ……」
「いや、そこはそれ。彼氏がどんな性癖の持ち主なのか知りたくなるのは彼女のサガってやつなんの」
『…………………………』
「……あれ? 私、なんか変なこと言ったん?」
沈黙する二人から注がれる奇異の眼に、悠里は小首を傾げた。
と、
「はよーッス。竜ぅ!」
「お邪魔、します」
襖がガラリと開き、利賀文哉と羽山由愛が姿を現した。
硬直していた空気が和らぎ、夕凪は待ってましたと言わんばかりに二人に挨拶を返す。
「お、来たか。死者と御穣」
「おいおい、俺は由愛の執事でも小間使いでもないぞ?」
「利賀。夕凪の言っているのは『使者』と違うぞ」
「へ?」
「ついに脳みそまで腐ったか、生ける屍……」
「なんでかな。俺は会話を重ねるたびに人間から離れていくような気がするんだが……」
出会い頭の親友の一言に、利賀は複雑な心境で呟いた。
そんな彼の肩に、隣に立っていた由愛が優しく手を乗せて、
「……ザオリク」
「まさかのドラクエ!?」
「復・活!」
「『生ける屍』が『生者』に戻ったんのっ!?」
「ありがとう、羽山……。これで俺は戦えるっ!」
「彼女として、当然のこと」
「おのれ、勇者ユメ。小癪な真似をぉ……!」
「ふっ、人として蘇りし俺に、もはや敵はいないっ! 積年の恨み、ここで晴らしてやろう!」
「やれるものならやってみろ、死に損ないがぁっ!」
「れでぃ、ふぁいと」
「勇者、戦わないんの……?」
と。
変な方向にヒートアップしていく四人のやり取りを傍で見ていた不破は、一言。
「なんでお前らは、出会い頭でそんなに燃え上がれるのかね……?」
溜息混じりに呟いていた。




