第三話 私、儚くはありませんよ
騒ぎが収まった頃、国王陛下と王妃殿下が庭園にお出ましになった。
陛下はまず、私と殿下を労ってくださった。それから、庭の端にある樫の木を見上げた。
まだ一番高い枝に、ミリエッタ様がしがみついている。
「ローズ男爵令嬢。降りてきなさい」
「む、無理ですぅ……私って、儚いから……」
ミリエッタ様がか細い声で答えると、殿下は木を見上げて言った。
「その枝の高さまで登れるのは、騎士団でも三人に一人だが」
庭園のあちこちから、こらえきれない笑いが漏れた。
結局、ミリエッタ様は自力で降りてきた。するすると、慣れた手つきで。あれほど高い枝から軽々と降りられるあたり、相当木登りに慣れているのだろう。
降り方まで手慣れていたのが、余計に皆の失笑を誘った。
噴水から這い出したルーカス様は、ずぶ濡れのまま呆然と彼女を見つめていた。
「ミリエッタ……君は、儚いんじゃ……」
「だ、だって!あんな化け物が来たら、誰だって逃げるでしょう!?」
「僕を蹴ったよね?火事場の馬鹿力にもほどがあるだろう!?」
「足場がちょうど良かったのよ!」
言ってから、ミリエッタ様は「しまった」という顔をした。
王妃殿下が、扇の陰で静かに口を開いた。
「今宵、結界が綻んだのはなぜか。皆、もう分かっているわね」
誰も答えなかった。答える必要もなかった。
奉納を一度欠いた程度で、必ず結界が破れるわけではない。けれど、欠けた分だけ脆くなることは、儀式を受ける令嬢なら誰もが知っている。
そして今夜、その僅かな弱点を魔獣に突かれたのだ。
「奉納の儀は、この国の令嬢が等しく負う務め。儚いと言うのなら、それも良いでしょう。けれど――」
王妃殿下の視線が、ミリエッタ様を射抜く。
「あれだけ走れる方が、祭壇の前でだけ倒れるのは、少々不思議ね」
陛下が厳かに告げた。
「ローズ男爵令嬢。そなたには、結界の綻びが繕われるまで、毎朝大聖堂にて奉納を務めてもらう。これまで他者に肩代わりさせた分も含めてな」
「ま、毎朝!?そんな、私って儚いから――」
「儚いかどうかは、結界が決めてくれるでしょう」
王妃殿下がにっこりと微笑むと、ミリエッタ様は今度こそ本当に倒れそうな顔をした。
それから陛下は、ずぶ濡れのルーカス様に目を向けた。
「ヴェルナー侯爵令息。そなたは『儚い者を傍で守る』と、公の場で宣言したそうだな」
「は、はい……」
「ならば、その言葉を果たすが良い。ローズ男爵令嬢の奉納が終わるまで、大聖堂の門衛として毎朝傍で守るのだ」
隣に立っていたヴェルナー侯爵が、深々と頭を下げた。
「陛下の御心のままに。……愚息の性根が叩き直されるまで、家督の話は預からせていただきます」
ルーカス様の顔から、血の気が引いていった。
「そんな……父上……」
彼は縋るように、私を見た。
「ブランシュ、君なら分かってくれるだろう?君は強いから――」
「ルーカス様」
私は、静かに遮った。
「強いからといって、何を言われても平気なわけではありません。私はただ、膝をつかなかっただけです」
ルーカス様は何か言いたげに口を開いたけれど、もう私がその続きを聞く必要はなかった。
祭りの喧騒が戻った庭園を抜けて、私と殿下は夜風の吹くバルコニーに出た。
盾の魔法を使った両腕が、まだじんじんと痺れている。
「腕を見せてくれ」
殿下は私の手を取り、手袋の上からそっと手首をさすった。
「無理をしたな」
「していません。殿下が来てくださると、分かっていましたから」
殿下は少し驚いた顔をして、それから、ほんのわずかに笑った。
この方が笑うところを、私は初めて見た。
「ブランシュ。改めて、申し込みたい」
殿下が、私の前に膝をつく。
騎士団長であり、なにより王弟殿下ともあろうお方が。
「私の妻になってほしい。君を守るためではなく、君と並んで歩くために」
あの日、二人分の魔力を捧げて立っていた私に、蜂蜜水を差し出してくださった方。
強くあることを否定せず、それでも私が倒れるかもしれないと、心配してくださった方。
この方の隣なら、私は強いままでいられる。
そして、疲れたときには疲れたと、素直に言えるようになるのかもしれない。
「……先に申し上げておきますが」
私は少しだけ意地悪く微笑んだ。
「私、儚くはありませんよ。魔獣の突進も受け止めますし、きっと抱きかかえて運んでいただく機会もありません」
「知っている」
殿下は立ち上がり、私の手を握り直した。
「だから、一緒に行ける場所が多い。辺境の森でも、北の雪山でも、どこへでも」
その言葉が嬉しくて、私は殿下の手を強く握り返した。
夜空を見上げると、結界の亀裂はまだ細く残っていた。
明日の朝から、ある令嬢が毎日欠かさず魔力を捧げ続けることで、あの綻びも少しずつ塞がっていくのだろう。
「では、まずは辺境へ。父に、ご挨拶をお願いいたします」
「……グランツ辺境伯は、手合わせを申し込んでくると聞いているが」
「ええ。きっと全力で」
「望むところだ」
二人で顔を見合わせて笑う。
儚くない私の恋は、こうしてようやく始まった。
最後までお付き合いありがとうございました。
ブックマーク、★★★★★、リアクション
よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ




