第ⅩⅨ話 ギルティアの裏にて
この物語は、ただの創成物語である。
犯人は一体誰なんだろうか。一体、何者が何の目的であんなことをしたのだろうか。
取り調べから釈放され、私は1人あの事件について考えながら歩いていた。図書館に寄り、本を選び、それを借りる間にもずっとそれを考えていた。
幾ら無実とはいえ、容疑までかけられたのだ。その上、事件の内容を知ってしまっては、気になって仕方なかった。無論、あの死体のことなど思い出したくなど無いが……。
身内の犯行だろうか。はたまた本当に猟奇的な殺人犯が快楽の為にやっていることなのだろうか。
様々な本を読んできた私からすれば、さながら推理小説のようでつい考えてしまう。
──!?
ふと私は足を止めた。
そう言えば、さっきまであったガヤガヤとした人気が薄くなっている……。
どうやら私は町外れまで歩いてきてしまったようだ。
雰囲気が……いや、空気そのものがまるで違う気がする。
何かに例えるのであれば、灰だろうか。活気のない煤けた臭いがする。
いや、ここは──
「レイブ」……じゃあないか……。
■ ■ ■
貧民地区「レイブ」────ギルティア北部にある所謂スラム街と言われる社会階級底辺の人々が辿りつく終着点。
最近は『ギルド』というある程度の基準さえ満たしていれば種族、性別、出身、門地問わずどんな人でも加入が出来る組織がある為、こう言った場所も縮小傾向にはあるらしいが、しかしどうしてもこういった地域は無くならない。
当たり前だ。何故ならそれを達成するためには、ある程度とはいえ基準が設定されてるからだ。
例えば現奴隷身分の者はギルダー登録が出来ない。彼らは法律に則った契約を行うことで、「人間」ではなく「道具」といった部類として扱われるからである。
奴隷契約──契約を通して紋章を刻み込み、依頼主のありとあらゆる権限を契約主へと移管させること。借金などの社会的不利益も契約主が肩代わりする為、借金を払えなかった者が最後の手段として奴隷契約をするケースが多々見受けられる。
奴隷と言えば聞こえが悪いだろう。しかし、それはあくまで我々一般人側から見たときの意見に過ぎない。
無論、そんな我々が浮かべるような悪質な背景もない訳ではない。そういった面を鑑みて国によって奴隷制度を廃止している国もあるが、ここアルデート王国ではそれが廃止されていない。昔からの文化、1つの手段であるというのもあるが、何よりもそれを望む者がいるからだ。
物のように扱われようが寝床と少しの食べ物さえあればそれでいいという人間が少数とはいえ一定層いるからだ。払いきれない借金を自ら背負うくらいなら、自らの身を、権利を差し出し肩代わりして貰う方がいいという人類がこの世には存在するからだ。
だが、それに耐えかねて逃げる人間がいるのもまた事実。人間として法律では見られていないのだ。例え傷つけられようが犯されまいが、あくまで所有物と持ち主との関係に過ぎない。そういった人間がこういった場に逃げてくる。
現に奴隷逃れ(逃げてきた奴隷の呼び名)らしき人々が、今歩いている中でもチラチラと見える。首に刻印が刻まれ、重苦しい鎖を付けた人が虚ろな目でこちらを見ている。
更に言えばギルドは徹底的な実力至上主義だ。出来る人間ほど評価され、優遇される。だが、出来ない人間はどうなるのか……無論、転職すればいいという考えもあるだろうが、そういう手段が取れる人間ばかりいる場所ではない。そんな人間が、ギルドの中でさえ結果を残せずにいる者が、どうなるかなんて安易に想像がつくだろう。
他にも、孤児、負債者、差別階級、難民、犯罪者、エトセトラ……
そんな、表では生きれない者達の集まり、それがこの国の裏である「レイブ」なのである。
さて、そんな普通ではない人間の溜まり場に、明らかに場にそぐわぬ者が1人──。
無論、私である。
駄目だ──早くここを出なければ。
そう思うのも当然、アニキ達からは「ここには立ち入ってはいけない」とだけは伝えられている。私のような少々小綺麗な人間がここにいては目立つ上に、そんな奴がこんな所を彷徨いては何をされるか分からないからだ。不穏な空気を漂わせているのは火を見るより明らかだろう。
異物が混入されていれば、排除させるのが世の常。
だったら、こんなところはさっさと退散するのが吉だ。
街ゆく人が私を見ているのが分かる。
まあ、私のような人間がここにいることがあまりない故に逆に不審がられているのだろう。ここに赴くのは貧民区域暮らし以外だと孤児や差別階級の人々に恵みを与えている聖職者と見回りの衛兵くらいだろう。観光客ですらここには迷い込まないくらいなのだ。
だが、それに対して哀れみの目は向けるだけ失礼だ。出来るだけ下を向き、目を合わせないようにしよう。
逃げるように、私は足早に歩を進めた。
■ ■ ■
それは、来た道を引き返している時に起きた。
「おいっ!」
後ろから颯爽と現れた小柄の男が、私の腰に下げていた袋を奪っていったのである。
あの中には、小遣いとして貰った銀貨と銅貨が数枚入っている。
失ってそこまで困るものでは無いが、少量とは言え、金は金だ。
男を追いかけ、路地に入る。
するとそこには明らかに私を待ち受けていただろう大柄の男が小柄の男の前に立ち塞がっていた。
確実にこれは罠だろうと、急いで引き返す。だが、
「おっと、何処へ行く気だい?」
後ろからもう1人男が現れ、道を塞いだ。
完全に取り囲まれてしまった形になる。
「さて、もう逃げ場は無いぜ、あんちゃん」
後ろから道を塞いだ男が余裕そうにそう言った。
「な、何が目的だ? 金ならもういい」
金が目的なら、もう諦めようと私はこの時思った。寧ろ抵抗して騒ぎにする方が面倒な上、3対1で勝てるかすら見込みがない。
さっさと退散しようと、話を進めたかったが、3人は一向に道を譲る気配はない。
「済まないな、あんちゃん。残念だがおめぇさんから貰ったこの品だけじゃ、俺たち3人を満たすには足りねぇのよ。次いつ上手くいくか分かんねぇしなぁ」
恐らくコイツがリーダー格なのだろう。一体何かは分からないが、さっきからハンドシグナルで何かしら他2人に合図を送っているのが分かる。
「何だ? もう金目のもんなんてないぞ?」
私が思いつく限り、金目のものなど身につけていない。アクセサリーも身に纏っていなければ、服から鞄まで、ごくごく一般庶民が身につけるようなものだ。大した価値もない。
だが、私の問いにリーダー格の男はこう返す。
「あんちゃん、いい服着てんじゃねぇか。それも売りゃあ幾らか金になんだろ」
そうリーダー格の男が言うとまるで奴の意を読み取ったかのように大柄の男が私の首を掴んだ。
どうやら、初めから身ぐるみ全部剥がすのが目的だったようだ。
大柄の男の背丈は真上を見上げるほどあり、腕の太さなんて私の1回りも2回りも大きい。
腕っ節では敵わない。そんなのはもう火を見るより明らかだった。
その証拠に首を掴んでいる腕をこちらが思いっきり掴み返してもなんともない様子である。
なら、魔法だ。
そう思い、私はポケットから魔刃を取り出そうとするが──
「おっと、そうはいかないぜ、あんちゃん」
手に取った魔刃をリーダー格の男に見られていたようで、すぐさま奪い取られた。
コイツら、慣れてやがる……。
小柄が持ち前の足で持ち物を奪い取り、私を路地に誘い込む。中では大柄が俺を恐喝し、リーダー格が後ろから私を監視し、不審な動きがあれば阻止する。連携の取れた無駄のない動き……まさにしてやられた。
「しゃあねぇなぁ、そこまで出し渋るんなら仕方ねぇ。じゃあやっちまってくれ」
大柄の男はリーダー格の台詞を皮切りに、握っている手に力を込め始めた。
呼吸が、出来ない。どんどん、苦しくなっていく。
「助かったぜあんちゃん。まさかあんちゃんの方からのこのここっちまで来てくれるとはなぁ。お陰で街に出向く手間が省けたぜ」
勝ち誇ったご様子で、ニヤけ顔を私に晒す男たち。
このまま身ぐるみ剥がされて終わりか。
私が諦めた、その時だった。
ぐっ、ぐあああぁぁぁぁぁ!!
また、あの頭痛だ。
いつもの数倍痛い、頭が割れそうなほどの頭痛だ。
よりによってこんな時に起きるとはついていない。
お陰で先程まで大柄の腕を掴んでいた手が、今度は痛みを和らげようと頭に置かれている。自然とそちらに腕が運ばれ、大柄に対し抵抗が出来ない。
〘おいおい、情けねぇ。ちょっとは頑張って一発くらいお見舞いしてやれよ……〙
声が頭に伝ってきた。
脳内に直接流し込まれるような声──それも一方的なものだ。
上から目線の言いように、反論したくなるが、今はそれどころではない。だがこの声、何処かで聞いた覚えが……。いや、聞いたと言うにはおかしな表現かもしれないだろうが。
「なんだぁ? どうしたんだ、コイツ?」
私の様子を不自然がった男達は、少し笑いながらこちらを見ていた。ふざけているとでも思っているのだろうか……とんでもない。こちとら呼吸困難な上に、更に頭痛でも意識が飛びそうだっていうのに、人の気も知らないで……。
だが、一方で大柄の力は強くなる。それに抵抗する術もなく、私の気道はどんどん狭まる一方。
このままでは意識を失う。
すると、またあの声がした。
〘ったく、見てらんねぇよ、代われ〙
脳内に直接語りかけてくる声はそう言うと、そのまま私は意識が飛んでしまった。
■ ■ ■
意識が戻った。
あれが頭痛によるものか、はたまた呼吸困難によるものかは知らないが兎にも角にも、生きていることは実感できた。
意識が戻ってまず感覚として入ってきた情報は、呼吸に対する苦しみも、頭痛に対する苦しみも消え去っていたことだ。
一体何が起きたのかと、視界に意識を向ける。すると直ぐに視界が開けた。
そして真っ先に視界に見えたのは小柄の男だった。
短時間の間、意識が飛んだことがこの時直ぐに分かったので、どうせ私のことを馬鹿にして嘲笑っているのだろうと、そう思っていたがどうやら違うらしい。
足が震え、顔からは驚愕と恐怖が漏れ出ていた。明らかに何かおかしい。
「な、何なんだお前は……」
リーダー格の男がそう言った。
その言葉を機に私は手に何か感覚があることが分かった。
何だろうか。私は私の腕の先を見やる。
思わず目を疑った。
大柄の男をこの私が胸ぐらを掴んで、片腕で持ち上げていたのだ。
私よりも遥かに体格で勝っている男を、片手で、軽々しく。
「えっ……」
私の口から思わず驚きの声が漏れ出る。
するとすっと、力が抜けた。知らぬ間に渾身の力で持ち上げていたようで、手を離すと握っていた左手が痺れている。
私の手から逃れた大柄は思いもよらぬ展開に腰が抜け、その場で怯えていた。他の2人もこの大柄が力で負けるのを想像もしていなかったのか、動揺しているのが見て取れる。
「な、何なんだよ、お前!!」
男3人は私が怖くなったのか、物凄い勢いで逃げていった。まるで私が化け物かのような怯えようだ。
この私が、あんなことを……。
まだ信じられなかった。むしろ怖かった。自分自身が、自分でも知らないうちに、自分も知らない力を出している。私がその場から逃げ出したいほどだった。
ふと思い出す。そうだ、あの日もそうだったと。
あの地獄の日──龍を前にして自分では扱えないはずの第一級魔法を使用したあの時、同じような感覚に陥ったことを。
あの時も酷い頭痛を覚え、脳内に声が送り込まれるような妙な体験をし、気を失い、気がつけば自身では到底なし得ない事が目の前で起きていた。
偶然──ではないだろう。ましてや今回は前回のあの魔法が自分が行ったものだと結論付いた後の事態だ。それに自分の目でその光景を見てしまっては、自分がやったことに疑いが持てるはずもない。
「待ってくれ、私は一体……」
一目散に逃げる男たちの背中にそう呼びかけた。私が気を失っていた間何が起きていたのか、それが知りたかったのだ。まあ、今思えば私から金を奪おうとしたならず者達に何故説明を求めたのか自分でも疑問すら覚えるが、しかしそれほどまでに私は自分のやっていることに理由が欲しかったのだ。
私も彼らを追いかけようとした。振り向き、走ろうと1歩を踏み出した。
すると──
(──!? か、身体に力が……)
バタンッ
ふらっと、身体中のあらゆる筋肉に力が入らなくなってしまい、その場に倒れ込んでしまったのだ。
何が起きたのか、理解が追いつかない。
だが、翌々考えれば前もそうだった気がする。
前はマナ欠乏による体調の乱れだったが、今回は何が原因だろうか。身体中がまるで肉体労働をした後かのような脱力感に見舞われている。にしても、ここまで身体が疲労するのも滅多にないのだが……。
倒れ込んだまま途方に暮れていると、通りから声が聞こえてきた。
「何事だ!」
どうやらたまたま通りかかった衛兵たちが逃げる男たちを見て気になったようで、駆けつけてくれたようだ。
「おいっ、大丈夫か!」
騒ぎを聞きつけた衛兵たちに助けられ、私はそのまま病院へと搬送されたのだった。
衛兵たちも、ここで一体何が起きたか分からない様子であった。




